人口が減って社会福祉の資金不足が目前に見えている現在、日本は一人あたりのGDP(生産性)を上げて総GDPを維持しなければならない、と前回書いた。ではなぜ日本がGDPが大きいのに一人あたりの生産性(GDPと同じ)が先進国で最下位なのか。日本が今まで成功してきたために疑問に思わずにやってきた習慣や考え方を、変えなければならない時が来ているのだ。ではそれは何か?日本の抱える問題点を考えてみよう。
ポイント1 高品質・低価格と言う妄想が日本を滅ぼす
日本の生産性が低いのは品質の高い商品を「低い価格で提供している」からである、と一般には考えられている。これを「無闇に価格を高くしないで提供するのは、日本人がただ金目当てのために商売をしない性質のせい」だ、とも考えていて、「高品質・低価格」は「日本人の美徳」と思われている、と分析する。その結果、日本の労働者は長時間働いて高い技術を発揮しながら「価格が安いせいで給料が低い」ことになる。これが先進国で一人あたりの所得が最低水準のままである理由だ。当然、幸福度も最低レベルである。日本では人口が減り需要が減ってきたのに、商品生産量が変らないので自然に「価格を下げるデフレ」になっている。低価格競争の結果「給料が安く」なり、当然のごとく需要も減って「さらに物が売れない」デフレスパイラルに陥っている、とアトキンソンは言う。日本人は「日本人同士で所得の下げ合い」をしていると言うのである。これは日本独特の文化であり、他国には無いことだそうだ。彼のような外国人に言われると「へー、そうなんだ」と納得してしまう。そう言えば昔は、物価が高いことで日本は有名だった。このあたりは、彼は図表を織り交ぜて説明している。要するに、日本人が思っているほど「日本の商品は高品質では無い」ようなのだ。そもそも高品質なら価格を相応に上げられる筈である。それが出来ないのは「高品質ではない」からである。理屈である。その原因には以下のようなものあるという。
例えば誰も求めていないのに高品質にしている場合。本では、ホテルのベッドメイキングで「ピーンと張ったシーツ」など、意味のない所で技術や気配りをしている例をあげている。これを価格に転嫁すれば「やらなくていいよ」と言われるだけである。また、ベッドの下の奥の方まで綺麗にすることが「自慢のサービス」と思っている経営者がいる。さらには、急がない品でも「早い宅配便」でサービスをアピールしているものがある。その挙げ句に「不在」のために何度も配達するムダをやっている。何でもかんでも早ければ良い訳ではないので、早い便には料金を取ってもいい筈だが、そうでないところに「サービスの思い違い」があるようだ。配達がもっと必要に応じた速度になれば、配達員も楽になるし、早い便は「価格が高く」なるために「給料」があがると考えられるのだ。このように無駄に必要以上のサービスが可能になるのは「労働者の賃金が安い」からである、と切り込む。
さらにはデータを調べないで思い込みでやっていることだ。一時、消費税を上げると言う時に、商品価格に転嫁できないから反対だ、という意見が多かった。しかし最近では本体価格と消費税を別々に表示する店が多くなり、半端な金額でも「カード払い」だから気にならなくなって、その議論は沈静化した。思い過ごしだったのだ。日本の「おもてなし」が外国人旅行者を呼び込むのに効果がないのも、データを調べない日本人の思い込みから来ている。これも高品質・低価格の言いわけである。
そして日本には供給側の押しつけで消費者が納得していないるルールが非常に多い。たとえば居酒屋のお通しである。外国人の批判の声があるということは、ニュースで知っている方も多いと思う。旅館で自慢している「おもてなしの心」は、価格が安いのに「ここまで気配りしている」からスゴイというだけで、ホントは価格転嫁出来ないサービスである。例えばチェックインの時間などは「別料金を取ってでも」お客の自由にするべきだが、チェックインは「決められた時間内」に定められていてお客の自由にはならないなど、「旅館側の都合で独りよがり」の自己満足になっており、ホントの意味ではサービスになっていないのだ。これを検証するためには、「価格を上げて」サービスが価格に耐えられるかを見れば良い。
考えてみれば「高品質・低価格」なら日本は輸出大国になっている筈なのである。ところが一人当たりの輸出額は「世界で40位」なのだそうだ。これまでは人口増で国内消費が多かったので輸出に積極的ではなかったのだ。だからこれからは輸出を伸ばす必要がある。だが、外国人に「良いものを安く売る」ことでは、日本人の生産性を上げることはできない。日本の商品は高品質かも知れないが、「高付加価値」ではない、とアトキンソンは書いている。つまり「高品質・相応価格」であるべきなのだ。商品価格を労働者のコストを下げることで安くするという国は日本だけのようである。
ポイント2 女性をどうにかしないと生産性は上がらない
女性の活躍度を世界で比べてみると、144カ国中で118位だという。イタリアと日本の女性活躍度が「同じように低い」のは、女性に対する社会の見方が「フェミニン」であることと関係があるかもと一瞬考えたが、日本は男尊女卑だから「女性に対してはイタリアとは別」だと思い直した(これは本とは関係ない私の感想です)。感想と言えば男性社会を「男女平等社会」に変えてゆくその最初の一歩が、「夫婦別姓」であるというのはどうだろうか。これは私の主張であるが、女性も男性と同じに社会で活躍してほしいなら、「旧来の家制度」から脱却しなければ無理である。女性を家の所属物と見る家制度は、女性の社会進出の「大きな壁」であると思うが如何だろうか?まず夫婦別姓にして「人間として独立」することが必要だと思う。(私の夫婦別性は戸籍は変えずに『通称だけ』どちらかの名字を選ぶ方式である。詳しくは過去ブログを参照)
話を元に戻すと、女性が働くと「実は生産性が下がる」という。世界で日本の生産性が10位から28位に下がったのは、女性が社会進出するようになってからだ。これは女性の給料が男性に比べて安いからである。実際働く女性の多くがつまらない事務職についているのは「給料が安くて済む」からだという経営者の思惑がある。一方、子育ては女性の社会進出という問題と切っても切れない関係にあり、女性の主な仕事と言われた「家事の効率」は格段に向上したのに、子供を生み育てる環境の効率は低いままである。子供を預ける託児所や幼稚園が足りないと言う問題はニュースにもなっているが、まだ「日本では、女性は家に入って家庭を守る」という考えから脱出出来ないでいるのが現状である。いまや女性活躍社会は「生産性をあげよという社会の要求」であるから、女性が働かなければ生産性はあがらない。例えば日本の既婚者税制優遇システムは時代にそぐわない制度で廃止すべきだし、男女平等だから「扶養家族」制度も外し、男女を同じ権利にすべきだとアトキンソンは書く。うーん、我が意を得たりである。そして子供を生み育てる間の費用負担を「国が負い、税金で賄う」仕組みにすることで、女性が働きやすい環境を作っていくとしている。とどのつまりはデービット・アトキンソンの主張は、「税金を収めるために所得がある」という風にも思えてきた。税収は優良企業や儲けている会社から貰えばいいと言う考えを改めて、女性が社会進出することで「税収アップ」と考えるのも「一つの手」である。ちょっと思ったが、いままで誰か知らない人の話をする場合、最初に「男?女?」と聞いていたが、これはある意味「その人物をイメージする方法が男女のカテゴリー分け」であるということだ。もしかしたら今後は「年齢」からカテゴライズするのが当たり前になるかも知れないな。
それはそれとして、女性が外で働くようになると「収入が増える」わけで、GDPを押し上げる要因になるというわけだ。先進国全般に言えることだが、女性が社会進出すると生産性全体も向上したのである。ところが日本では女性の働く仕事が簡単な事務職やレジ打ちなどの「給料の安い」労働が多かったので、長いこと女性の給料は低いままである。そう言えば昔「コピーした資料を綺麗に揃える名人」というニュース紹介があり、女性が画面で分厚い資料を手際よくホチキスで止めて「自慢顔で写っていた」ことを思い出した。お茶くみやコピー取りなど、子供でも出来るような仕事では高額な給料は望むべくもない。こんな仕事を大学出の女性がしていたのだから、生産性が伸びないのもあたりまえである。しかし女性に高度な仕事を任せると、男性の仕事が奪われるという被害妄想も根強いわけである。しかし世界のデータを見ると、それは男性側の一歩的な思い込みだということが立証されていると言う。ここにもデータを活用できない日本人の特性が現れている。
さてここまでは女性の社会進出を阻害する要因を上げてきたが、逆に女性側の「出世したがらない」という問題もあるのだ。この辺は「女性の側が贅沢だ」とアトキンソンは言う。出世しなくても食べていけるというのは、女性の楽したい気持ちの現れであり、それを許している男性側の問題でもある。女性が社会進出するということは、男性側も意識を変える必要がある。女性は子供を生む機械といって批判を浴びた政治家や、女性は家に入って家庭と子供を守るのが勤めという社会通念が阻害要因である。それでまず、公務員の採用人員から50%を目指して貰いたいものである。フランスでは男女同数にするために「男女ペアで立候補」するという。さすがではないか。
企業の経営者にも「明確に女性の活用を求めていく」プレッシャーをかけていく必要がある。政策的に目立つのは、「結婚するだけで優遇」というのは「廃止」することで女性の社会進出を後押しすることが出来るという。例えば「配偶者控除」をやめる。当然「年間150万円の収入で扶養控除」という壁もなくなるという。そのかわり例えば子供を3人以上育てた人は、「年金・医療」で優遇するという「素晴らしいアイディア」も披露している。結局は女性を働かせなければ「社会保障費」が払えなくなって「移民」を受け入れなければならなくなる、というのがデータから出てくる事実である。しかも必要な人数は「3000万人」以上だという。これだけの外人が日本国籍を取ると考えれば、「これは無謀」だと誰しもが思うのではないだろうか。どうしても女性が「男性と同じように働かないと」やっていけないのだ。
ポイント3 奇跡的に無能な経営者
日本の生産性が低い理由の3番目は、せっかく高品質なものを作っても低価格でしか売れない原因を探っている。国連の報告では、人口減の中で経済成長をするための最大の課題を「サービス業の経営レベルとインセンティブ」にあると指摘している。また生産性の向上は「格差社会の是正」にもつながるといっているのだ。なんで経営レベルなのか。
まず業種別生産性を比べると、製造業は平均的なのに「サービス業が低い」という実体が出てくる。製造業ではコストがあるので価格を下げることは簡単ではないが、人件費の占める割合が多いサービス業では「安易な値引き合戦」が横行しやすい。データによれば宿泊・飲食関係が最下位で、農林・水産が続いて「平均給与が低い」のだ。ちなみに私の会社の卸・小売業は14種のうち下から4番目である。これらは輸出とは無関係の「純国内産業で、中小企業がほとんど」の業種である。これらの産業は「人材の使い方」が生産性のカギを握っている。で、日本の労働者の質は「実は世界トップレベル」だという(なんか嬉しいね)。なのに生産性が下から数えるほうが早いというのは何かがおかしいのである。
この理由を「経営者が無能だから」とアトキンソンは喝破する。この事で思い出すのは、勝海舟がアメリカ訪問を将軍に報告した時「アメリカはどうだったか?」の問に、「あちらでは日本と逆でございます。部下はダメだが上に立つ者の能力が優れています」と答えた、というエピソードである。昔も今も変わってはいないのだなぁ、と思った次第である。日本の経営者は1990年代から始まった人口減に対し、何の手も打たずにデフレを引き起こしてしまった。日本の経営者は人のやっていることを真似することは上手いが、「先を読む」ことは苦手である。人口減時代では「1000円の弁当を500円にして売上を確保する」作戦は逆効果でしかないのだ。消費者が10人の村で1000円の弁当を半値で売っても、「売れる個数は10個以上は増えないから」である。結局は総売上=GDPを減らすだけになってしまうのである。これを他社に負けまいと全員が競争した結果、「25年のデフレ社会」になったという訳だ。「人件費を削る」という安易な方法を取った経営者の無能である。
日本は需要自体が減っているのだ。世界の先進国では「平均給与を下げる」のは異常事態だが、日本では「15年間下げ続けていた」のだ、と図表を示してアトキンソンは指摘する。賃金を下げるのは「売国行為」とまで言っているのだ。しかし国も国民も、何故かそれを受け入れてしまった。いわく「売れないんだから仕方ない」、である。そこをどうにかするのが経営者なのに。日本は戦後爆発的な人口増による好景気に後押しされて「経営者の努力が必要無かった」ということだろう。だから人口減になると「生産性を上げるためのイノベーション」が実行できる有能な経営者は、育っていなかったと言うわけである。「代々の製法を守り続けて150年」なんて店は、本当はとっくに潰れていても不思議はないのだ。
このところ日本の大企業が次々と不祥事を起こしている。実は社員5000人以上の大企業が、最も多く賃金を下げているのである。東芝が潰れそうなのに始まり、神戸製鋼や三菱自動車のデータ改竄などは耳に新しいニュースである。日本では経営者は何もせず、実際の仕事は課長レベルで行っていて、成績を評価するだけなのが普通である。本当は「一番プレッシャーがかかる」のが社長なのに、オーナー社長や同族経営が多くて「外部の圧力といえば銀行ぐらい」というのも原因の一つかも知れない。もう一つは労働者が弱いことである。海外では労働者は「うるさいぐらいに賃金アップを求めて」来るという。インフレがないことや超低金利なども、経営者へのプレッシャーがなかった原因の一つだという。だが私は、第一の原因は「我々の意識」だと言いたい。 我々労働者は、高い給料を貰う「当然の権利がある」のだ。我々にはその意識がかけていた。売れないから給料が安い。一見当然なようで、実は「何かがおかしい」のだ。それを解決するのが「経営者の役目」である。
外国では「継続して利益をあげる経営者が」高給を貰うのである。Amazonのジェフ・ベゾスは一日112億円稼ぐという。それだけのプレッシャーが彼にはかかっている訳だ。給料に見合わなければ、即クビになる世界である。だから我々も無能な経営者にもっと「要求」すべきなのである。企業の経営者だけでなく、国のトップにもこれは当てはまる。アベノミクスは異次元の量的緩和を行ってデフレ脱却を目指したが、人口減で供給過剰の日本では「インフレが起きない」のは当然である。「経済はいい」と評される安倍首相だが、全然国力は上がっていないのだから「批判されて然るべき」なのだ。今から40年前、アトキンソンが学生だった頃、今の日本の現状を「多くの学者」が予想していたという。外部から何の制約も受けない経営では、経営合理性や利益や株主を無視したやり方が横行し、その結果「国の借金が膨らみ、年金も不足し、金利も付かなくて従業員の給料も下がったまま」になる、これはと予言通りだそうだ。果たして日本は再生できるのだろうか?
いよいよ来週は、その解決策を書くことにするのでご期待ください
ポイント1 高品質・低価格と言う妄想が日本を滅ぼす
日本の生産性が低いのは品質の高い商品を「低い価格で提供している」からである、と一般には考えられている。これを「無闇に価格を高くしないで提供するのは、日本人がただ金目当てのために商売をしない性質のせい」だ、とも考えていて、「高品質・低価格」は「日本人の美徳」と思われている、と分析する。その結果、日本の労働者は長時間働いて高い技術を発揮しながら「価格が安いせいで給料が低い」ことになる。これが先進国で一人あたりの所得が最低水準のままである理由だ。当然、幸福度も最低レベルである。日本では人口が減り需要が減ってきたのに、商品生産量が変らないので自然に「価格を下げるデフレ」になっている。低価格競争の結果「給料が安く」なり、当然のごとく需要も減って「さらに物が売れない」デフレスパイラルに陥っている、とアトキンソンは言う。日本人は「日本人同士で所得の下げ合い」をしていると言うのである。これは日本独特の文化であり、他国には無いことだそうだ。彼のような外国人に言われると「へー、そうなんだ」と納得してしまう。そう言えば昔は、物価が高いことで日本は有名だった。このあたりは、彼は図表を織り交ぜて説明している。要するに、日本人が思っているほど「日本の商品は高品質では無い」ようなのだ。そもそも高品質なら価格を相応に上げられる筈である。それが出来ないのは「高品質ではない」からである。理屈である。その原因には以下のようなものあるという。
例えば誰も求めていないのに高品質にしている場合。本では、ホテルのベッドメイキングで「ピーンと張ったシーツ」など、意味のない所で技術や気配りをしている例をあげている。これを価格に転嫁すれば「やらなくていいよ」と言われるだけである。また、ベッドの下の奥の方まで綺麗にすることが「自慢のサービス」と思っている経営者がいる。さらには、急がない品でも「早い宅配便」でサービスをアピールしているものがある。その挙げ句に「不在」のために何度も配達するムダをやっている。何でもかんでも早ければ良い訳ではないので、早い便には料金を取ってもいい筈だが、そうでないところに「サービスの思い違い」があるようだ。配達がもっと必要に応じた速度になれば、配達員も楽になるし、早い便は「価格が高く」なるために「給料」があがると考えられるのだ。このように無駄に必要以上のサービスが可能になるのは「労働者の賃金が安い」からである、と切り込む。
さらにはデータを調べないで思い込みでやっていることだ。一時、消費税を上げると言う時に、商品価格に転嫁できないから反対だ、という意見が多かった。しかし最近では本体価格と消費税を別々に表示する店が多くなり、半端な金額でも「カード払い」だから気にならなくなって、その議論は沈静化した。思い過ごしだったのだ。日本の「おもてなし」が外国人旅行者を呼び込むのに効果がないのも、データを調べない日本人の思い込みから来ている。これも高品質・低価格の言いわけである。
そして日本には供給側の押しつけで消費者が納得していないるルールが非常に多い。たとえば居酒屋のお通しである。外国人の批判の声があるということは、ニュースで知っている方も多いと思う。旅館で自慢している「おもてなしの心」は、価格が安いのに「ここまで気配りしている」からスゴイというだけで、ホントは価格転嫁出来ないサービスである。例えばチェックインの時間などは「別料金を取ってでも」お客の自由にするべきだが、チェックインは「決められた時間内」に定められていてお客の自由にはならないなど、「旅館側の都合で独りよがり」の自己満足になっており、ホントの意味ではサービスになっていないのだ。これを検証するためには、「価格を上げて」サービスが価格に耐えられるかを見れば良い。
考えてみれば「高品質・低価格」なら日本は輸出大国になっている筈なのである。ところが一人当たりの輸出額は「世界で40位」なのだそうだ。これまでは人口増で国内消費が多かったので輸出に積極的ではなかったのだ。だからこれからは輸出を伸ばす必要がある。だが、外国人に「良いものを安く売る」ことでは、日本人の生産性を上げることはできない。日本の商品は高品質かも知れないが、「高付加価値」ではない、とアトキンソンは書いている。つまり「高品質・相応価格」であるべきなのだ。商品価格を労働者のコストを下げることで安くするという国は日本だけのようである。
ポイント2 女性をどうにかしないと生産性は上がらない
女性の活躍度を世界で比べてみると、144カ国中で118位だという。イタリアと日本の女性活躍度が「同じように低い」のは、女性に対する社会の見方が「フェミニン」であることと関係があるかもと一瞬考えたが、日本は男尊女卑だから「女性に対してはイタリアとは別」だと思い直した(これは本とは関係ない私の感想です)。感想と言えば男性社会を「男女平等社会」に変えてゆくその最初の一歩が、「夫婦別姓」であるというのはどうだろうか。これは私の主張であるが、女性も男性と同じに社会で活躍してほしいなら、「旧来の家制度」から脱却しなければ無理である。女性を家の所属物と見る家制度は、女性の社会進出の「大きな壁」であると思うが如何だろうか?まず夫婦別姓にして「人間として独立」することが必要だと思う。(私の夫婦別性は戸籍は変えずに『通称だけ』どちらかの名字を選ぶ方式である。詳しくは過去ブログを参照)
話を元に戻すと、女性が働くと「実は生産性が下がる」という。世界で日本の生産性が10位から28位に下がったのは、女性が社会進出するようになってからだ。これは女性の給料が男性に比べて安いからである。実際働く女性の多くがつまらない事務職についているのは「給料が安くて済む」からだという経営者の思惑がある。一方、子育ては女性の社会進出という問題と切っても切れない関係にあり、女性の主な仕事と言われた「家事の効率」は格段に向上したのに、子供を生み育てる環境の効率は低いままである。子供を預ける託児所や幼稚園が足りないと言う問題はニュースにもなっているが、まだ「日本では、女性は家に入って家庭を守る」という考えから脱出出来ないでいるのが現状である。いまや女性活躍社会は「生産性をあげよという社会の要求」であるから、女性が働かなければ生産性はあがらない。例えば日本の既婚者税制優遇システムは時代にそぐわない制度で廃止すべきだし、男女平等だから「扶養家族」制度も外し、男女を同じ権利にすべきだとアトキンソンは書く。うーん、我が意を得たりである。そして子供を生み育てる間の費用負担を「国が負い、税金で賄う」仕組みにすることで、女性が働きやすい環境を作っていくとしている。とどのつまりはデービット・アトキンソンの主張は、「税金を収めるために所得がある」という風にも思えてきた。税収は優良企業や儲けている会社から貰えばいいと言う考えを改めて、女性が社会進出することで「税収アップ」と考えるのも「一つの手」である。ちょっと思ったが、いままで誰か知らない人の話をする場合、最初に「男?女?」と聞いていたが、これはある意味「その人物をイメージする方法が男女のカテゴリー分け」であるということだ。もしかしたら今後は「年齢」からカテゴライズするのが当たり前になるかも知れないな。
それはそれとして、女性が外で働くようになると「収入が増える」わけで、GDPを押し上げる要因になるというわけだ。先進国全般に言えることだが、女性が社会進出すると生産性全体も向上したのである。ところが日本では女性の働く仕事が簡単な事務職やレジ打ちなどの「給料の安い」労働が多かったので、長いこと女性の給料は低いままである。そう言えば昔「コピーした資料を綺麗に揃える名人」というニュース紹介があり、女性が画面で分厚い資料を手際よくホチキスで止めて「自慢顔で写っていた」ことを思い出した。お茶くみやコピー取りなど、子供でも出来るような仕事では高額な給料は望むべくもない。こんな仕事を大学出の女性がしていたのだから、生産性が伸びないのもあたりまえである。しかし女性に高度な仕事を任せると、男性の仕事が奪われるという被害妄想も根強いわけである。しかし世界のデータを見ると、それは男性側の一歩的な思い込みだということが立証されていると言う。ここにもデータを活用できない日本人の特性が現れている。
さてここまでは女性の社会進出を阻害する要因を上げてきたが、逆に女性側の「出世したがらない」という問題もあるのだ。この辺は「女性の側が贅沢だ」とアトキンソンは言う。出世しなくても食べていけるというのは、女性の楽したい気持ちの現れであり、それを許している男性側の問題でもある。女性が社会進出するということは、男性側も意識を変える必要がある。女性は子供を生む機械といって批判を浴びた政治家や、女性は家に入って家庭と子供を守るのが勤めという社会通念が阻害要因である。それでまず、公務員の採用人員から50%を目指して貰いたいものである。フランスでは男女同数にするために「男女ペアで立候補」するという。さすがではないか。
企業の経営者にも「明確に女性の活用を求めていく」プレッシャーをかけていく必要がある。政策的に目立つのは、「結婚するだけで優遇」というのは「廃止」することで女性の社会進出を後押しすることが出来るという。例えば「配偶者控除」をやめる。当然「年間150万円の収入で扶養控除」という壁もなくなるという。そのかわり例えば子供を3人以上育てた人は、「年金・医療」で優遇するという「素晴らしいアイディア」も披露している。結局は女性を働かせなければ「社会保障費」が払えなくなって「移民」を受け入れなければならなくなる、というのがデータから出てくる事実である。しかも必要な人数は「3000万人」以上だという。これだけの外人が日本国籍を取ると考えれば、「これは無謀」だと誰しもが思うのではないだろうか。どうしても女性が「男性と同じように働かないと」やっていけないのだ。
ポイント3 奇跡的に無能な経営者
日本の生産性が低い理由の3番目は、せっかく高品質なものを作っても低価格でしか売れない原因を探っている。国連の報告では、人口減の中で経済成長をするための最大の課題を「サービス業の経営レベルとインセンティブ」にあると指摘している。また生産性の向上は「格差社会の是正」にもつながるといっているのだ。なんで経営レベルなのか。
まず業種別生産性を比べると、製造業は平均的なのに「サービス業が低い」という実体が出てくる。製造業ではコストがあるので価格を下げることは簡単ではないが、人件費の占める割合が多いサービス業では「安易な値引き合戦」が横行しやすい。データによれば宿泊・飲食関係が最下位で、農林・水産が続いて「平均給与が低い」のだ。ちなみに私の会社の卸・小売業は14種のうち下から4番目である。これらは輸出とは無関係の「純国内産業で、中小企業がほとんど」の業種である。これらの産業は「人材の使い方」が生産性のカギを握っている。で、日本の労働者の質は「実は世界トップレベル」だという(なんか嬉しいね)。なのに生産性が下から数えるほうが早いというのは何かがおかしいのである。
この理由を「経営者が無能だから」とアトキンソンは喝破する。この事で思い出すのは、勝海舟がアメリカ訪問を将軍に報告した時「アメリカはどうだったか?」の問に、「あちらでは日本と逆でございます。部下はダメだが上に立つ者の能力が優れています」と答えた、というエピソードである。昔も今も変わってはいないのだなぁ、と思った次第である。日本の経営者は1990年代から始まった人口減に対し、何の手も打たずにデフレを引き起こしてしまった。日本の経営者は人のやっていることを真似することは上手いが、「先を読む」ことは苦手である。人口減時代では「1000円の弁当を500円にして売上を確保する」作戦は逆効果でしかないのだ。消費者が10人の村で1000円の弁当を半値で売っても、「売れる個数は10個以上は増えないから」である。結局は総売上=GDPを減らすだけになってしまうのである。これを他社に負けまいと全員が競争した結果、「25年のデフレ社会」になったという訳だ。「人件費を削る」という安易な方法を取った経営者の無能である。
日本は需要自体が減っているのだ。世界の先進国では「平均給与を下げる」のは異常事態だが、日本では「15年間下げ続けていた」のだ、と図表を示してアトキンソンは指摘する。賃金を下げるのは「売国行為」とまで言っているのだ。しかし国も国民も、何故かそれを受け入れてしまった。いわく「売れないんだから仕方ない」、である。そこをどうにかするのが経営者なのに。日本は戦後爆発的な人口増による好景気に後押しされて「経営者の努力が必要無かった」ということだろう。だから人口減になると「生産性を上げるためのイノベーション」が実行できる有能な経営者は、育っていなかったと言うわけである。「代々の製法を守り続けて150年」なんて店は、本当はとっくに潰れていても不思議はないのだ。
このところ日本の大企業が次々と不祥事を起こしている。実は社員5000人以上の大企業が、最も多く賃金を下げているのである。東芝が潰れそうなのに始まり、神戸製鋼や三菱自動車のデータ改竄などは耳に新しいニュースである。日本では経営者は何もせず、実際の仕事は課長レベルで行っていて、成績を評価するだけなのが普通である。本当は「一番プレッシャーがかかる」のが社長なのに、オーナー社長や同族経営が多くて「外部の圧力といえば銀行ぐらい」というのも原因の一つかも知れない。もう一つは労働者が弱いことである。海外では労働者は「うるさいぐらいに賃金アップを求めて」来るという。インフレがないことや超低金利なども、経営者へのプレッシャーがなかった原因の一つだという。だが私は、第一の原因は「我々の意識」だと言いたい。 我々労働者は、高い給料を貰う「当然の権利がある」のだ。我々にはその意識がかけていた。売れないから給料が安い。一見当然なようで、実は「何かがおかしい」のだ。それを解決するのが「経営者の役目」である。
外国では「継続して利益をあげる経営者が」高給を貰うのである。Amazonのジェフ・ベゾスは一日112億円稼ぐという。それだけのプレッシャーが彼にはかかっている訳だ。給料に見合わなければ、即クビになる世界である。だから我々も無能な経営者にもっと「要求」すべきなのである。企業の経営者だけでなく、国のトップにもこれは当てはまる。アベノミクスは異次元の量的緩和を行ってデフレ脱却を目指したが、人口減で供給過剰の日本では「インフレが起きない」のは当然である。「経済はいい」と評される安倍首相だが、全然国力は上がっていないのだから「批判されて然るべき」なのだ。今から40年前、アトキンソンが学生だった頃、今の日本の現状を「多くの学者」が予想していたという。外部から何の制約も受けない経営では、経営合理性や利益や株主を無視したやり方が横行し、その結果「国の借金が膨らみ、年金も不足し、金利も付かなくて従業員の給料も下がったまま」になる、これはと予言通りだそうだ。果たして日本は再生できるのだろうか?
いよいよ来週は、その解決策を書くことにするのでご期待ください
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