私の例で言えば「60迄」は年寄りと言っても、まだまだやる事は普通に出来ていた。ただ普段気にしていない身体能力に関して改めて考えれば、「飛ぶとか走るとか重い物を動かす」と言った運動能力は残念だが、若い者に比べれば「思ったより衰えている」のは間違いなかったと思う。だがそれで特別困る事はなく、スポーツとかの「非日常的活動」をしない限りは問題なく暮していられたのである。いや、むしろ体力の衰えを経験と知恵でカバーして、尚且つ「お釣り」がくる状態だったと言えた時代だった。つまり仕事は上手く行っていて、成果についても皆に一目置かれる存在でもあったのである。まあ人生の絶頂期が、私の場合は60台だったように思う。
それが定年間際に突然脳梗塞で入院し、仕事とか会社や社会とかとパッタリ隔絶した別の人生に放り込まれたのである。そして社会のお荷物に成り果てた私は、60台にして「介護付き有料老人ホーム」みたいな所に入っていた。もう施設で一番若い私にしてみれば、正真正銘の墓場である。人生、なるようにしかならないとはよく言われる事だが、右手が麻痺して力が入らず嚥下障害でお茶も飲めないし、言葉も満足にしゃべれない日々が続いていた。但し歩くことは出来たので週一回の病院通いも自力で行けたし、脳の後遺症も全然なかったので、その点は良かったなと思っている。
実は脳梗塞の健康保険適用で結構な額のお金が毎月振り込まれていて、その申請書類を出しに会社に行った時、幸いにして社長から復帰の話があり、有難い事に「週に2日ほど」簡単な仕事も貰ってなんとか半人前だが社会貢献できるまでに体力も戻って来たのである。これには日ごろから目を掛けてくれた会長の指示があったんじゃないかと今では思っている。まあ人生色々とあったけど、最終的には私は「幸せ者だな」と思っている。
というのも元来私は特殊な考えの持ち主で、それまで健康診断で毎回医者から「高血圧と高脂血症」を注意されていたにも関わらず、頑なに「血圧降下剤」を飲もうとしなかった。これは小学校3年に腸チフスの大病をして以来50年間、医者に掛かったのは歯医者が一度だけという「根っからの病院嫌い」にも表れている。全体に、医者に対する「不信感」があったのは間違いなかっただろう。振り返ってみるとこれが私の「人生最大の失敗」である。だがもし飲んでいたとして、何とか脳梗塞は免れることは出来たかも知れないが結局他の病気、例えば「腎臓ガンとか心筋梗塞とか」に罹って、やはり病院のお世話になっていただろうと思ってはいる。人間、何も病気に罹らないというのは有り得ないのだ。その意味では、「脳梗塞」は一番軽いほうの病気で、今ではこれで良かったなと感謝している。
ちなみにリハビリ目的も兼ねて再びやり始めたゴルフだが、日記を紐解いてみると2013年、つまり病気をする直前には「7番アイアンで150ヤード」飛んでいたと書いてある。ここから2014年の暮に病気して体力は一気に落ち、最初は30ヤード飛ばすのがやっとだった。だが、その後飛距離は順調に回復し、2019年には140ヤードまでに戻ったのである。一見、入院で一時的に体力がガクッ落ちたがその後徐々に戻ってきたと解釈できる。だが、じっくり考えてみると体力と言うのは「いっぺんに落ちた」のでは無くて、最初はそれ程感じないが段々と「蓄えを吐き出す」ように下がっている状態が続き、その後十年くらいの内に「運動不足からくる筋力の低下」が目立ち始めたのが今なのだ。年齢と病気のダメージから一旦は回復したかに見えた体力だが、実は本来の「生命力の衰退」を感じるようになって来たという訳である。
それが如実に表れたのが「ゴルフの飛距離」と言う訳だ。
病後のピークは2019年のコロナ前だった。飛距離も7番アイアンで140ヤードちょいまで伸びていた。この頃から通い始めていたダンロップゴルフスクールで計測した値では、ドライバーのヘッドスピードが「36m」も出ている。病み上がりにしてはまあまあの数字だ。
ところがそれから3年経って、ゴルフパートナーのレッスンに入会した時に機械で測ったら、なんと「MAXで33m」がやっとだった(衝撃!)。私は不満タラタラで、「これ、おかしいよ!」とちょっと文句を言った記憶がある。だが、明らかに「体力全般が落ちていた」のだ。機械はウソつかない、である。こないだ知り合いとゴルフ練習場に行って飛距離を確認したが、やっぱり機械と同じように「飛ばなかった」。これが「70歳の壁」なんだな、と思ったのである。
私は運動が大の苦手で、学生時代から走るのは滅茶苦茶遅かった。それが何故か「ゴルフだけ」は飛距離が出て気分よくプレー出来たのである。一度会社の関係でシングルさんとゴルフに行ったことがあったが、その時もティーショットで豪快にアウトドライブし、シングルさんを驚かせた位である。それがゴルフパートナーで情けない数字が出てしまい、生まれて初めて感じる「自分の体力の限界」というものに愕然としたのだ(ああっ、こんなに飛ばないなんて、ウッソー!)。
勿論今まででも年を取れば誰でも体力が落ちるものだというのは分かっていた。当然である。だが当の本人は頭では理解していると言うか「知識では知っていても」、その言葉に何か他人事のような縁遠いものを感じていたのも事実なのだ。それが70歳を越えるとまさに「老い」の姿が「ハッキリと目の前に見え」て来る。明日の自分は今日の自分より間違いなく衰えている。もうこれからは体力がアップすることなど「金輪際」ないという実感が孤独の中で身に沁みて来るのだ(なんか淋しいよぅ~)。何かしようとしても手足の動きがギクシャクし、思うように出来なくて鬱憤を心に溜め込んでいる「老人の悲哀」である。
で、次の山は75歳だという。それをクリアすればその次は「80の大台」が待っている。もう人生の下り坂を、さらに加速して猛スピードで下ってい状態なのだ。そしてそろそろ断崖絶壁が近づいて来る(それは「次の曲がり角」を曲がったところかも知れない)
・・・・・・・・・・・・
まあ理屈で言えば全くその通りである。でも、そんな事を考えながら生きていくなんて「私の性に合わない」のだ。根っからポジティブな私としては日々食べ物に気を配り、週2でゴルフパートナーに行ってスイングを直してもらい、家で気が向けば腕立て伏せとかスクワットをやって筋力アップの努力に余念がない。
さらにはこの頃、やっと少し「歩き方」のコツが分かって来て気分がアゲアゲである。しゃべりの方は相変わらず全然駄目だが、これは「人と話す機会が無い」からしょうがないだろう。それより一番大事なのは「気力の充実」である。先日友人のSN氏がコロナの後遺症で気力が無くなったと言っていたのが気になる。まあ饒舌なSN氏のことだから飲み屋での話題提供もあるのかなと心配はしていないが、老人にとって「気力」は何事にも代えがたい「生命力の源」だと私は思う。テレビを見ていても気力が満ち溢れている人は、年取っていても元気溌剌なのだ。もし僅かでも気力が残ってさえいれば夜布団に入って、明日朝に目覚めたら「あれをやろう、これをやろう」という計画も立つ。計画とはすなわち希望である。明日に希望を持っている人間を、神様は無下に死なせるわけはないだろう(これ、私の人生観である)。
・・・それにしても、もうちょっと筋力つかないもんですかねぇ
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます