さざなみ日記

日々思うこと、懐かしいことなど、つらつらと…

追伸2

2024-02-07 13:56:46 | その他


プリンス&プリンセスな

イメージ図?

🥂🍻💒🏩


ほんとは、こんなでおわれたら、
ハッピーなはずなのよ!


それでも、どうしてもお仕事チームに入りたいなら、神&精霊or天使たちの、
地獄のスパルタ特訓あるわよ!


それでも、こっちチーム?


いえ、考えさせて。


だろ。



イメージソングは、つけようかと思ったけど、ごかってにかんがえて? おけ。



あのー、ほんとに
ほんきの神さまお仕事チーム、
地獄行きですから

たのむ、わかって


ちなみに…


セイジ→セイジ菩薩、

禅宗→フセ、ニンジョウ、精進、善定、知恵などの教え、withだるまさま

あと、なんとか

マリアと

お仕事セイレイ(看護士、介護士、保育士、助産士、美容士、運転士、冠婚葬祭ディレクター、教士)は、いけるかな?

なお、お仕事やって、

恋人できないと、

やり直しの

おそれあり、


がんばだ!


だいぶ双方疲れるはなしよ、これ、



そんで、


一応、現世の全員、みんななんとか幸せにおわれる未来が目標よ!


ま、そしたら、

のみ仲間、ま、だいぶ重要だわね、


あずかり、


おばあちゃんの置き土産、そしてわたしの父方のいとこのおはなし

2024-02-07 03:19:53 | その他
昨年7月に、実家の父がナクナリ、お葬式で久しぶりに親族であつまって、食事などとりながら語らったおはなしは、以前書きましたよね、

弟家族以外は、とても久しぶりでしたが、ナカノヨイ親族でもあったため、久しぶりでしたのに、なかなか話もつきませんでした。

父は、最期、千葉県佐倉市在住でしたが、もともとは北海道出身で、北海道の親族や、いまは神奈川に住むいとこたち、あとは、練馬に住む弟家族、それから、香川にいま住んでいる私たち家族などが集まった感じでした。

とりあえず今回は、久しぶりでも、わりと気が合う、だけど、それぞれタイプの違う、オンナノいとこたちを、少しご紹介しますね!

マドカ(王ポジ?)…北海道で長くOLをし、ニュージーランド留学を経て、東京に勤務先をかえ、数年前に結婚式?、いまは港区に住んでるのかな?

秀子…短大の保育かを卒業後、大手クリーニング会社にこちらも長くお勤め、30歳くらいころかな、同居の実の祖母(彼女の父の母)を、母とともに看病(介護)し、みとってのち結婚式?、だんなさんは愛媛の出とか?
ちなみに彼女は、手先が器用で、ビーズのキーホルダーかなにか作るのが趣味とのこと…
(ヒデコさま、いでたち菩薩感ですが、むしろこちらが如来さま?、かな?)

ミワ…今、ブログ書いているわたしです。
東京のそこそこ有名な私大をでたあと、出版社に勤務、そののち、結婚かなんかして、京都をへて、香川にすみ、子育てかなんか?
(万年菩薩と思っていましたが、自身の子のみならず、地域の子どもたちの育成にフントウしたのち、如来なの?ホンマかいな??いや、まだ菩薩かも、だよね、そんなき、)

あとは、ご存知、弟のかわいいお嫁さん、アサコちゃん…いつもニコニコ、慈愛にあふれ、かつするどいひとことは、天かなにかかしら?
たなみに、娘とともに、目黒レンのファンらしいよ!!?
(練馬あたりのスーパーに、目黒ランとともに目撃情報? ありました?…タブんー、?)


ま、きょうのところは、親族の紹介はここまで。
あと、男たち、および母方のいとこたちのご紹介は、のちにするかな?しないかも…


あ、それからプチ情報ね!

うちの死んだばあちゃん(このブログでもたびたびふれた、母の母、ノブコさんね!)、
失くなる前に、私と弟に、タブン群馬の高崎あたりで買った達磨さまの置物、
買ってくれてたよ!

わたしは、それを25年ほど大事にあたため、長女がうまれてしばらくして、目を書きました。(ばあちゃんが、ミワよ、とてもいいことがあったら、これに目を書いてね、と言い残していたのでね、)

ところが、うちの弟君ったら、もらった瞬間に目を書き込みやがったよ!
そなはなしを、このあいだ、嫁のアサコさんとはなしたら、彼女(爆)して、
「タケトさんったら、よっぽどいいことあったんですかね?」と、
笑ってらしたよ、

このはなし、しても大丈夫でした?


まあまあ楽しい、一族のおはなしでした。


つづくかな?

もう、ないかも。

もし、21世紀が皆さまのご来世で、歴史上や過去の好きな人物に再開できてたら…というおはなし。

2024-01-29 08:51:12 | その他
気がついたら、もう21世紀で(ちなみに今は、令和になって、はや6年)、もう少しで、ドラえもんも日本にあらわれるというし、願えばなんでも叶いそうな気もするので、少しこんな想像をしていました、

私は、ぶっちゃけ、もう50歳で、高校の同級生と結婚して、22、3年かな?、今は香川県高松市在住で、娘がふたり、その娘も、長女は、もう少しで高校卒業、次女ももう少しで中学卒業ということまでは、なんとなくこのブログでも、お伝えしてきたかと思いますが…

正直申し上げて、いろいろしんどいこと、つらいこともあった、ここまでの道のりではありましたが、おおむね後悔はなく、今現在も、幸せを感じららる状況ではあります。

ただ、人生のどこかをもう一度やり直したいとすれば、やはり大学時代かな?
勉強したくてはいった早稲田大学でしたが、なかなか思うような満足を得られず、また苦学生で、アルバイトばかりで、おしゃれやデートなどとも縁遠く、人並みに彼氏は欲しかったのだけれど、男友だちは多かったけれど、なかなか彼氏もできなくて、ため息ばかりだった、20歳の誕生日をすぎたころ、、当時仲良くしていたお友達(大学で仲良しの門田
ナホコさんね、)から、素敵な手書きのお誕生日カードをいただいたことは、以前のブログにも書きましたよね。(気になる人は、探してみてね!)ここまでは、1993年<
本当にあったことですよ!

さて、ここからは、私の妄想に少しおつきあいあただこうかな。

その20歳のわたしは、その頃、はいっていたオーケストラ部をやめようとしていて、その年の夏休みに、小さい頃から
憧れがあった、アメリカのボストンの語学学校に2週間の短期留学をします。(ここまでも、ほんとのおはなし。)

それでアメリカから帰ってから、本格的にアメリカに留学を目指して勉強している最中に、運命の律ゾリステンというサーにであってしまって、その後、卒業して出版社に勤め、26歳で、高校の同級生とやっとはじめて
付き合い、その人と29歳になる直前に結婚式を挙げ、新婚時代を京都の桂というところで2年過ごし、そるから香川県高松市に、だんなさんと移住して、現在にいたるわけですが…(それも、これも、すべてほんとの話ね、)


それで、ここまでで、十分すぎるおはなしだったわけですが、欲張りだったわたしは、もしどこか少しやり直したいとしたら、その大学生で20歳だったわたしが、行き先をアメリカのボストンではなく、当時興味があった空海しょうにんの足跡をたどって、香川県を訪れ、その空海のうまれかわりみたいな人(ご本人?)
と出会い、おつきあいし、デートなんかして、意気投合しちゃったかも!?
とまで空想したことがありまして…
(そらも、次女妊娠中の、35歳ごろのわたしのほんとのおはなしよ!)


てなわけで、今にいたるということですよ!


みなさんも、歴史上の人物や過去のアイドルかなんかと、妄想デートを、楽しんでね😅💙👆

仕事はじめ

2024-01-05 14:51:05 | その他
なんだかバタバタしたお正月をへて、1月4日よりなんとかお仕事はじめられました。

家庭教師先のおうちの方と、初詣のおはなしなどしました。
わたしも、自分の神さまに、新年の抱負などおはなししました。

2024年1月の気分としては、ギリシア・ローマ神話よみたいとか、音楽、とくにわたしが学生時代かかわっていた弦楽合奏やうたをまたやりたいとかがけっこう気分です。
あとさ、またことしも、屋島から空海かなんかみまもってくれているのかな、


んー、ミヤも大好き🌐😊🧡🚖…🎷🎷

私は、おしゃべりさんでした。

2023-11-29 10:44:52 | その他
今日は、私が、いかにおしゃべりしたり、なんか書いたりするのが好きだったか、というお話です。(まあ、あまり誰も興味もないかもしれませんが…)

最近よく思うのですが、マグロが動き動き続けないと死んでしまうように、(そして、うちの次女さんはそれが歌うことみたいですが)、私はおしゃべりし続けないと、あるいはせめて何か書き続けないと
死んでしまう生き物だったのではないかと思います。

だんなさんとは、知り合って35年、付き合ってからも、25年くらい経ちますが、本当のところ、今でもそんなに夫婦仲が悪いというわけでもなく、ラブラブとはいえないかと思いますが、50歳も過ぎた夫婦だったら、むしろ普通の方というか、たいがいママ友や主婦仲間が集まったら、だんなさんの悪口なんて鉄板ねたで、そんなもんだと認識しております。
で、10年もただの友だちだった人と結婚したわけですから、ベースには恋愛感情だけではなく、友情も当然あったわけで、だんなさんを人として理解できるというか、評価できるというか、要するにそこは今でもかわってなくて、簡単に嫌いになったりすることもないのです。
むしろ今では、感覚的には、親や兄弟に近い身内の感覚で、「もしかして私、ここからもう一度嫁に行けちゃう?」とか思えちゃうくらい、実家なき今、我が家が実家みたいな感じです。
で、そのだんなさんへの唯一の不満は(結婚当初から今に至るまで、不満なところはその一点だけです)、だんなさんが無口な人だったということです。
ただこれは思った以上に、私には、頭の痛い問題でして、というのも、実家の母も弟も、大変よくしゃべる人で、実家にいた頃は、毎晩2時間がとこは、夜中に、その3人でしゃべり倒していて(しかも、学校や職場がとても遠く、家にたどり着くのが皆、深夜に近く、そこから夕飯を食べ、ひとしきりしゃべるという不健康な生活…)、さらに親友と呼べる女友達はみな、大変おしゃべり好きでかつ、私ととても話の合う人たちだったので、やはりべちゃくちゃ毎日、凄まじくおしゃべりしていたので、考えてみれば、私が独身時代、彼氏なんかいなくても、あまり寂しくなかったのは、そういうことなのかと思います。

そして、私は、結婚して、関西や香川県に住んで、それなりに心の平安はあったというか、幸せだったのかもしれませんが、おしゃべりを思う存分できない毎日が、私をどんどん苦しめていきました。
それで、毎日電話帳を傍らに置いて、ページをめくりながら、昔の友人に電話をかけまくる日々でした。連続でかけると迷惑がられるので、順番にというか。
それでも、私の心は病んでいました。これを書いたら、だんなさんに悪いのかもしれませんが、だんなさんと付き合いはじめてから、父母が亡くなる頃まで、病院とお薬から縁が切れることはなかったのです。私が長女の子育て中、毎日のようにブログを更新していたのも、そうしないと死にたくなってしまうからなのでした。

そんな状態の私をみかねてか、神様は、本当によくしゃべる、おしゃべり好きな娘を2人も、私のところに送ってくれました。娘たちがおしゃべりをはじめてから今まで、私は本当に楽しかった。本当に幸せな日々でした。

今、娘たちが
家を出てしまう日を前に、私は本当のところ、とても不安なのです。また病気になってしまう、また死にたくなってしまうのではないかと。

だから、何時間でも楽しくおしゃべりしてくれる人を、男女を問わず、緊急募集中です。(ただし、心の綺麗なひとのみね。私、人の悪口とかいう邪心のある人、本当に苦手なので。多分だから、子どもたちが好きなんだと思う)

おんなじ理由で、このブログも完全にやめることはないのではないかと思います。