このブログで、何度か写真を載せたりしていたので、目にした方もいたかと思いますが、うちの実家は、割とおせちをちゃんと作る家でした。なので、母が亡くなってからも、実家の家族が集まる正月には、できるだけ、母のおせちに近づけて作るようにはしていたわけです。
私は、小さい頃から、おせち作りを手伝わされていたので、だいたいひと通りは作れるのですが、やはり代がかわり、時代がかわってきて、同じように作るのは、本当のところ、だいぶ大変でした。
なので、昨年のお正月、みんなで集まったときに、「うちの娘たちも来年は受験生で、そのあと家を離れるかもだし、こんな風にみんなでおせちを囲めるのも、今回が最後かも」と言ってしまってました。みんなも、「そうだよね」って、正直いろいろ面倒くさいところもあったので、納得してくれてたわけですが、それが父の死期を早めたのかな。っていうか、もう死に時って思ったのかな。
まあ、正月早々ちょっと湿っぽくなってしまいましたが、実際母が生きていた頃は、母の実家ベースのおせち(おそらくおばあちゃんが九州出身なので、若干九州風?)に加えて、父が北海道出身なので、
松前漬けやら、(数の子、いかめし、昆布巻きなどは消えていった…)、あとコハダとかタコは関東なのかな?とか、もっといろいろ出していました。
やあ、しかし実際のところ、うちの娘たちや、弟のとこの女の子など、ほとんど魚介に興味もなく、筑前煮などもそれほど食べず、ほぼほぼ栗きんとんだけ、異様に受けがいいので、最後の方は、栗きんとんだけ、どんぶりいっぱいに作るとか、あほみたいなことになっていました。
うちの今の家のひとたちは、みんな黒豆がすごく好きみたいですが、実は黒豆は、実家では出たことがなく、(私も結婚するまで黒豆を食べたことがほぼなかった…)黒豆を出すと、実家のひとたちには、なぜか不評です。また、海老は縁起物として、おせちに欠かせない感じですが、海老もほぼ出ず、父が北海道ということもあって、お正月といえば、もっぱらカニです。
このカニについては、エピソードがあって、実家ではカニの中でも、必ず毛ガニと決まっていて、父が、「カニはやっぱり毛ガニが一番。しかも、この味噌が特にうまいんだ」と、毎年アホみたいに言っていて、「お父さん、それ去年も聞いた…」っていうのが、正月の定番になっていました。しかも、見た目からはいる若い女子軍団は、カニの味噌とか、恐怖でしかないらしく、みんなびびって誰も食べようとしませんでした。毎年、苦笑交じりの笑い話ですが、今書いていると、ちょっと泣きそうになってしまいます。
ちなみに、お正月には、だんなさんの実家にも毎年いっていましたが、だんなさんのお母さんのお料理は、私には、とても食べやすかったです。私の両親、だんなさんの両親と4人いるなかで、生粋の千葉県民は彼女だけで、生まれも育ちも千葉、多分親の代やそのずっと前から千葉だったみたいです。
専業主婦ですが、新しいものや、出来合いのものを使うことにも抵抗がなく、そんなにうるさいことも言わず、うちの母のように、都会的でも垢抜けてもいませんが、びっくりするくらい、食生活は豊かでした。毎日の主婦業やだんなさんに不満はあるようでしたが、それでもいつも早く起き、毎日鼻歌まじりでお料理していて。おおらかで明るく、多少ださいけど実際かなり豊かで、他人を受け入れる度量の広さもある、私が持っている千葉のイメージにぴったりのひとでした。
高校時代の私は、なんだかいつも笑っていた気がしますが、明るくてエネルギッシュで、真っ赤や蛍光黄色や紫色など、理解しがたい派手な靴下をはいていた、高校の人々をちょっと思い出します。
我が家は今、なぜか解体の危機ですが、
たまにしか帰らなくても、いつもあたたかく迎えてくれた(もっとも孫かわいさではあったでしょうが)、だんなさんの両親には、感謝しかないです。