今日は、私が、いかにおしゃべりしたり、なんか書いたりするのが好きだったか、というお話です。(まあ、あまり誰も興味もないかもしれませんが…)
最近よく思うのですが、マグロが動き動き続けないと死んでしまうように、(そして、うちの次女さんはそれが歌うことみたいですが)、私はおしゃべりし続けないと、あるいはせめて何か書き続けないと
死んでしまう生き物だったのではないかと思います。
だんなさんとは、知り合って35年、付き合ってからも、25年くらい経ちますが、本当のところ、今でもそんなに夫婦仲が悪いというわけでもなく、ラブラブとはいえないかと思いますが、50歳も過ぎた夫婦だったら、むしろ普通の方というか、たいがいママ友や主婦仲間が集まったら、だんなさんの悪口なんて鉄板ねたで、そんなもんだと認識しております。
で、10年もただの友だちだった人と結婚したわけですから、ベースには恋愛感情だけではなく、友情も当然あったわけで、だんなさんを人として理解できるというか、評価できるというか、要するにそこは今でもかわってなくて、簡単に嫌いになったりすることもないのです。
むしろ今では、感覚的には、親や兄弟に近い身内の感覚で、「もしかして私、ここからもう一度嫁に行けちゃう?」とか思えちゃうくらい、実家なき今、我が家が実家みたいな感じです。
で、そのだんなさんへの唯一の不満は(結婚当初から今に至るまで、不満なところはその一点だけです)、だんなさんが無口な人だったということです。
ただこれは思った以上に、私には、頭の痛い問題でして、というのも、実家の母も弟も、大変よくしゃべる人で、実家にいた頃は、毎晩2時間がとこは、夜中に、その3人でしゃべり倒していて(しかも、学校や職場がとても遠く、家にたどり着くのが皆、深夜に近く、そこから夕飯を食べ、ひとしきりしゃべるという不健康な生活…)、さらに親友と呼べる女友達はみな、大変おしゃべり好きでかつ、私ととても話の合う人たちだったので、やはりべちゃくちゃ毎日、凄まじくおしゃべりしていたので、考えてみれば、私が独身時代、彼氏なんかいなくても、あまり寂しくなかったのは、そういうことなのかと思います。
そして、私は、結婚して、関西や香川県に住んで、それなりに心の平安はあったというか、幸せだったのかもしれませんが、おしゃべりを思う存分できない毎日が、私をどんどん苦しめていきました。
それで、毎日電話帳を傍らに置いて、ページをめくりながら、昔の友人に電話をかけまくる日々でした。連続でかけると迷惑がられるので、順番にというか。
それでも、私の心は病んでいました。これを書いたら、だんなさんに悪いのかもしれませんが、だんなさんと付き合いはじめてから、父母が亡くなる頃まで、病院とお薬から縁が切れることはなかったのです。私が長女の子育て中、毎日のようにブログを更新していたのも、そうしないと死にたくなってしまうからなのでした。
そんな状態の私をみかねてか、神様は、本当によくしゃべる、おしゃべり好きな娘を2人も、私のところに送ってくれました。娘たちがおしゃべりをはじめてから今まで、私は本当に楽しかった。本当に幸せな日々でした。
今、娘たちが
家を出てしまう日を前に、私は本当のところ、とても不安なのです。また病気になってしまう、また死にたくなってしまうのではないかと。
だから、何時間でも楽しくおしゃべりしてくれる人を、男女を問わず、緊急募集中です。(ただし、心の綺麗なひとのみね。私、人の悪口とかいう邪心のある人、本当に苦手なので。多分だから、子どもたちが好きなんだと思う)
おんなじ理由で、このブログも完全にやめることはないのではないかと思います。