さざなみ日記

日々思うこと、懐かしいことなど、つらつらと…

久しぶりの友との再会と船橋駅

2023-09-29 11:38:59 | その他
9月の前半の三連休、千葉に帰っていました。もともとだいぶ前から帰る予定で、飛行機をおさえていましたが、父のことがあり、7月にも帰ったのでどうしようかな、と思いましたが、実家の片付けなど、いろいろ用事もあったので、結局帰りました。

その時に、会社に勤めていたときの友人に、久しぶりに会いました。
会うのは、コロナもあったし、だいぶ久しぶりかな。
友人は、少し痩せてしまっていたのが
気にはなりましたが、久しぶりに昔のいろんな話をしたりとか、近況を報告しあったりとか、本当に楽しかったです。

会ったのは、JRの船橋駅でした。
彼女は、今、東京に住んでいるので、あいだをとって、そこまで来てもらったのです。

私が千葉に住んでいた頃、船橋駅は、京成からJRへの乗り換え駅で、毎日のように使っていた駅でした。(特に大学生の頃)

当時学校まで遠く、しかもなんだかんだ予定がつまっていた私は、この駅を通るときは、いつも足早に通り、またこの駅は、いつも人でごった返していて、ごちゃごちゃしていて、特に上品でもなんでもなく、全く好きな場所ではありませんでした。

でも、本当に久しぶりに訪れてみると、あいかわらず、ここは、若い人たちでごった返しており、でもその賑わいが、なんだか懐かしく、駅ビルのお店でお洋服を選んでいる若い人も、カフェで勉強している学生さんも、なんだか昔の自分を思い出すようで、思わずほほえんでしまいました。
あの頃の忙しい日々も、先のみえない不安も、今となっては、なんだか懐かしいのです。

全然話はかわりますが、牧野富太郎さんの朝ドラ、そろそろ最終回ですかね。
神木さんは、好きな俳優さんですが、朝ドラは、みたりみなかったりですが、、実は、牧野富太郎も思い出のある人物です。



人間の記録第4巻
牧野富太郎「牧野富太郎自叙伝」
(1997年 日本図書センター)
※ちなみにもとにした本は、
「牧野富太郎自叙伝」(1956年 長嶋書房)


これは、私が入社した年に手掛けた本です。
図書館の本の虫だった私は、牧野富太郎さんのことを知っていて、図書館にずらっとならんでいた牧野富太郎植物図鑑も目にしたことがあり、もとになった自伝を読んだときに、それを書いた人物が、小学校中退で、それなのに、のちに東大で教えたりしていたので面白いな、と思い、収録させてもらいました。
こんなに時がたって、ちょっとブームになったのは、嬉しいことです。
ところがこの本には、実は、苦い思い出もあります。
この本を復刊するときに、ご遺族から、牧野富太郎先生のお写真をお借りしたのですが、なんとそのお写真を一枚、私は、なくしてしまったのです。
当時入社したてで、本の進行管理とかも慣れておらず、しかも20巻いっぺんに進行させていたので、けっこうパニックで、しかも、もともと私は、あまり几帳面な方ではなく、と、言い訳すればいろいろあるのですが、菓子折りを持って、部長とご遺族のところに謝りに行き、顔面蒼白だったのは、いうまでもありません。いや、今思い出してもつらい…

いや、親を失くしたせいか、年取ったせいか、ほんと最近、いろんなことを思い出してしまいますね。




この夏のこと

2023-08-19 01:15:00 | その他
ご無沙汰してます。皆さん、お元気でしょうか。

とにかく暑い夏でした。(まだ現在進行形ですね)
そして、この夏、父が亡くなりました。

それを知ったのは、ちょうど子どもたちが夏休みに入る終業式の日でした。
昼間、少し用事があり、久しぶりに実家に電話しましたが、なかなかでません。その後夜にまた電話しましたが、またでなかったので、不審に思い、弟に連絡して父の様子を見に行ってもらったら、居間で父が亡くなっていました。パジャマを着ていたので、亡くなったのは夜だったと思いますが、テレビはついていましたが、エアコンはついていなかったそうです。その後、警察による検死の結果、死因は、おそらく心臓による病死で、亡くなって1日か2日経っているとのことでした。死因は心臓死とのことでしたが、北海道出身の父は、暑さには弱く、今年の異常な暑さが原因なのは、明らかでした。亡くなったと思われる日は、ちょうど関東が、梅雨明け前なのに、猛暑におそわれた日でした。もう少し前に、注意を促す電話をすればよかったと思いました。でも、正月にエアコンを替えたばかりで、まさかエアコンをつけてないとは思ってもいませんでした。

いろいろ後悔があり、また弟もショックを受けていましたが、考えようによっては、自宅で直前までいつも通り暮らし、ほとんど苦しむこともなく、誰にも迷惑かけずに、静かに亡くなった父の死は、ある意味理想的な死に方だったのかもしれないとも思いました。離れて暮らす私と弟が、亡くなってそんなに経たずに父に連絡し(その日たまたま弟も父に連絡とろうとしていたので)、割とすぐに気づいたのも、不思議な感じでした。なにより父は、母が亡くなってから、母のことしか言わないというか、興味がないようにみえ、母のところに行ったのが、自然なことに思われました。

そんなためか、父の葬儀は、そんなに湿っぽいものでは、ありませんでした。母のときのような、大規模なものでなく、親戚だけのささやかな葬儀でしたが、父の兄弟がけっこう大人数で、その子どもたち(つまり私たちのいとこたち)もたくさん来てくれたので、久しぶりにいとこたちともたくさん話せました。父の80歳を越えた姉も、北海道から杖をつきながら来てくれて、昔の話などしてくれました。弟のお嫁さんもいっていましたが、家族や親戚のつながりや縁を強く感じた日でした。そして、それは確かに、父と母が残してくれた財産なのでした。

久しぶりに弟と2人で、たくさんの思い出話ができたのも、よかったことでした。いいことばかりでない、たくさん嫌なことも辛いこともあった、でこぼこな家族でした。ともすれば父と母の悪口も出ました。でも、それらをずっと共有していた弟がいたのは、幸いなことでした。

こっちに帰ってきてから、弟が中学生のときよく聴いていた、ザ・ブルーハーツを久しぶりに聴いたりしていました。

「ここは天国じゃないんだ
かといって地獄でもない

いい奴ばかりじゃないけど
悪い奴ばかりでもない
…(中略)…

世界中に建てられてるどんな記念碑なんかよりあなたが生きている今日はどんなに意味があるだろう…(略)」

(ザ・ブルーハーツ 「TRAIN-TRAIN」より)


年末年始のことなど

2023-01-08 12:20:05 | その他
遅ればせながら、あけましておめでとうございます。今年も、気まぐれな更新になると思いますが、よろしくお願いします。

年末年始は、千葉の実家に帰省していました。来年は、うちの娘たちも受験生、そのあとは、長女も県外に行ってしまうかもしれないので、これからはみんな揃って帰省するのは、難しくなるかな。

ということで、大晦日は、弟家族と一緒にディズニーランドで過ごしました。朝の9時から夜の21時まで💧なかなか寒さは、こたえましたよ。







ジャンボリーミッキーも、踊ってきたよ!
楽しかったです。

うちの父、だんなのほうのじいじばあばも喜んでくれて、よいお正月だったかな。

今年もマイペースで、いろんなことに取り組んでいこうと思います。
皆さまにとっても、よい一年になりますように。

お久しぶりです。

2022-11-04 00:29:42 | その他
ブログを半分やめる宣言を出しましたが、この秋には、文化的刺激を受けることが多くあって、なんだか書きたい気持ちがムクムク沸いてきてしまって。(やめる宣言から、まだ3ヶ月しか経ってないのに!)
次女には、「ママは、アイドルでもないんだし、どうせ気まぐれにしか更新しないんだから、やめる宣言なんかいらないんだよ」と言われてしまいました。はは。

昨日には、市の中央図書館で、文化の日にあわせて、「読書まつり」というのが行われていて、われらが読み聞かせ隊も、町まで読み聞かせに行ってきました。一日中、いろいろな読み聞かせの団体がするので、ひとつひとつの団体には、そんなに観客も来ないだろうと思っていたのに、けっこう集まってくれて、のりのりで聞いてくれました。びっくりしたのは、読み聞かせ歴40年の代表のかたのお話を聞くために、遠くから来た子たちもいて、それこそアイドルのおっかけ?みたいなことが、読み聞かせにもあるんだと、びっくりしました。
私も、園にいた時、けっこう読み聞かせしていましたが、まだまだ勉強になることがたくさんあります。

この「読書まつり」の行事の一環で、10月には、この中央図書館に、萩原朔太郎のお孫さんの朔美さんが、講演に来てくださりました。朔美さんといえば、私が大学時代にはまっていた寺山修司の演劇に美少年役で出ていた方で、しかも母親の萩原葉子先生には、出版社で勤めていたときに、大変お世話になり、私が会社をやめたときには、ご自宅で、送別会まで開いてくださり、その後、香川にも、お手紙くれたりして、大変懐かしく、有難いかたです。なので、萩原朔太郎への興味より、葉子先生のことや、寺山演劇の話が聞きたくて、行った感じです。そして、そういうお話や美輪明宏さんのお話も聞けて(私、宮本浩次さんとともに、美輪明宏さんの大ファンでもあるのです)、けっこう大満足でした。
今、萩原葉子先生の本を少しずつ読み直しているのですが、大変苦労された方ですが、晩年は、好きなダンスもして、元気に暮らし、息子の朔美さんに看取られて、穏やかに亡くなった話を読んで、なんだかよかったと思いました。朔美さんも、昔の印象は、少しとがった陰のある印象でしたが、70を越えてお元気そうで、まるい人柄になられていて、少しびっくりもしました。

いろいろ今年読んだ本、今年会った方たちのお話も、また書きたいですね。そのうち。

そうそう、それから、宮本浩次さんがまたコンサートを、神戸でやるみたいですね!行きたかったわあ。でも、今のわたしには、神戸まで行き、しかもチケット代1万2千円は、高すぎる。しかもしかも、ドレスアップしてって、、そんな服はない。シンデレラみたいに、魔法でも、かけてもらわな無理や。
新曲は、どこかで聞かせてもらいます。頑張ってください。
(3日のスッキリを、見逃したのは、いたかったな)



この夏休みのこと

2022-08-07 00:39:38 | その他
1ヶ月くらい、飛びましたね。はあ。
このブログをはじめたのは、以前他社のブログで、母が闘病中の心のモヤモヤを、誰にも話せなくて、でも自分の心のうちで処理しきれなくて、ネット上に垂れ流していたのですが、母が亡くなり、気持ちを切り替えるために、こちらにうつり、日常を取り戻したくて、そしてまた、心にあふれでてくる懐かしい思い出を、書き留めておきたくて、だらだら書いていたわけです。

おかげさまで、日常はだいぶ戻り(私が仕事やめたり、いろいろはありましたが)、娘たちは気づくとすっかり大きくなり、あまりブログに書くのも悪いかな、という感じで、なんとなく、ブログはそろそろ卒業かな、という気分になっていました。なんかわたしほどのたいしたことない人間が、ブログで意見書くのも、おこがましい気がしたりも、しましたし。

なので、ブログをしばらくお休みしようと思いますが、また書きたいことができたら、ひょっこりあらわれるかも、しれません。最後まで、読みにきてくれていた、ブロ友さんほか皆さん、ありがとうございました。皆さんのブログは、もしかしたら、たまに読ませてもらうかもしれません。。

最後に、ちょっとだけ近況。

猛暑の夏は、高松をも襲い、連日真夏日。娘たちの食欲がなくなったり、不機嫌になったり、家族の健康管理には、だいぶ苦労しました。加えて、再びのコロナ波。同じクラスとか、同じ部活とかででると、休まなくてはいけないので、娘たちの吹奏楽の大会も、出場できるか、最後まで、はらはらしました。子どもたちは、結果のことを気にしますが、私は、正直でれただけでよかったと思っています。最近は、少子化などの影響で、吹奏楽部を組むことすら難しい学校もあって、ほんとに、参加できるだけ、一緒にやる仲間がいるだけ、あなたたちは、恵まれているんだよ、といいたいです。

私自身は、年初にたてた目標通りに動けている感じがしています。あんまり書けない話なのですが、ファミサポの依頼も、けっこううけて、頑張っています。こういうかたちで、やり続けられたらいいけど、子どもたちの進学にともなって、また働きに出ないといけないかもしれませんね。まあ、ここで逐一書くかは、わかりませんけれど。

まあ、長くなってしまったので、この辺で。
皆さま、暑い夏ですが、どうぞご自愛くださいね。