さざなみ日記

日々思うこと、懐かしいことなど、つらつらと…

私と音楽のこと③~小学校のデビュー曲それから高校3年の最後の定期演奏会の思い出~

2023-12-01 02:19:24 | 音楽
もう深夜の1時もまわっておりますが、12月になったので、何か書こうかという気分になり。(っていうか、最近書きたいことが多くて、いろいろ書きためているので、12月は毎週更新するかもです。こうご期待。)

それで、私と音楽のことというテーマだと軽く⑩くらいは書けそうですが、今回は、小学校でのデビュー曲と、高校3年生の最後の定期演奏会の思い出についてです。

転校があったりなんだりで、なかなか音楽をやる機会に恵まれなかった私ですが、転校した先の佐倉市の小学校に器楽クラブみたいのがあり、それに所属して、小5のときに、無事に地域の音楽祭でデビューを果たしました。
しかし、またもや、ピアノを習っている人優先で楽器が決まるので、多分ピアノの進度順に、ソナタとかやっている子がアコーディオンだったら、上から順番に、ソプラノアコーディオン、アルトアコーディオンとと割り振られ、バイエルとかの子は、簡単なパート、ちなみになんらピアノを習っていなかった私は、ピアニカのしかも最低音の伴奏部分のパートがあてがわれました。すごいカースト制!
それで、その私のデビュー曲は、ハチャトゥリアンの剣の舞と、作曲者よくわかりませんが、エーゲ海の真珠(女の先生の趣味かな?)という曲でした。
剣の舞は、かなり気分のあがる曲でしたが、私のパートは、ソレレソとファシシファしかなかったので、あっというまにおぼえましたよ。本当のところ、楽譜とかもちゃんと読めてましたし。
で、半年くらい練習期間があったかな?その間みんなせっかくおいしいパートなのに、けっこう用事とかで休んでましたが、なにせ私の方は、念願のデビュー曲でしたので、このソレレソとファシシファを、指揮者の先生のいうことをひと言も聞き漏らさず、強弱をつけてみたり、テンポを確実に守ったりという感じで、本当に命をかけている気迫で弾いていたわけです。おそらく誰も気づいてはいなかったでしょうがね。
このあいだ(2023年8月のこと)、夏に行った演奏会で、この曲をやっていて、懐かしく聞きました。でも、私がやっていたパート、ティンパニと全く同じでした。(知らなかったんかい!)実は、おいしいパートだったのかも。

それから高校3年生の最後の定期演奏会のメインの曲は、シベリウスの2番でしたが、この最後の楽章が、もうほんとビオラにとっては苦行のように、同じ音形を40小節以上弾き続けるという。(確かチェロも同じだったと思う)
ほんと、「誰この曲選んだの!?」って内心思っていました。確か曲を決めるとき、曲の難易度とか全くよくわかっていない私は、曲の雰囲気で、シェーラザードに手を上げましたが、そもそも弦楽器が難しすぎるということで却下され(うちの代は、弦楽器の経験者がとても少なく、それに比して管楽器が上手な子たちが多かったので)、管楽器の子たちの意見を中心に決まったかと思います。

それで、演奏会の本番当日、事件が起こります。うちらがひたすら伴奏を奏でているところに、管楽器のソロが乗っかっていくわけですが、トランペットのソロの男の子が、1小節間違えてはいってきました。
本来、どんなにずっとおんなじこと弾き続けても、楽譜を数えるのは鉄則だと思いますが、私なぞは、完全にまわりに合わせたり、ソロの子の音を聞きながら弾いているので、トランペットが間違ってはいったことにあんまり気づきもせずに同時に着地するという。(つまりいつもより1小節多く弾いていたわけです。)
しかも、おそらく大半の子がそんな感じ。ちょっとわかっていたチェロの男子が、あとで、「みんな1小節長かったの気づいてた?」っていってて、(すみません、気づいてもいませんでした…)というお粗末さでしたよ。
でも、なんか、いつもみんなのそれぞれの音を聞いているというか、いろいろ楽しかった高校時代の思い出です。

ちなみに、シェーラザード、曲も好きですが、もとのシェーラザード姫のおはなしも、すごく好きですね。(千夜一夜物語、アラビアンナイトね)
長いお話なので、全部読んだわけではなく、私も、開けゴマとか、アラジンと魔法のランプとか、有名な一部分しか知りませんが…
なんというか、機転のきいたお姫様が毎晩するお話が楽しすぎて、残虐な心の王さまの心が溶けていって、最後人殺しをやめるっていうのが、なんとも素敵です。

あのロがつく国のプがつく人の枕元に、勇敢な美女かなんかいって、古今東西のおもしろいお話を聞かせてやってくれないかしらね。本当にもう。


~お話はつづく~

3万円のフルートと3万円のバイオリン~私と音楽のこと②

2023-11-15 11:00:54 | 音楽
1ヶ月くらい前の前回の記事に、私が高校、大学と、ビオラに打ち込んでいたお話を書きましたが、実は私は、中学生のときは、自分の子どもらと同じ吹奏楽部員でした。(子どもたちに、楽しいよ、はいったら、と勧めたのは、私です。)楽器は、フルートでした。

正式にフルートをはじめたのは、中学生になってからでしたが、実は、そのフルートを買ってもらったのは、小学5年生のときのことです。というのは、私は、小学5年生のときに、千葉市の団地から、郊外の佐倉市に引っ越ししているのですが、その千葉市の小学校には、ブラスバンドがあり、5年生からはいれたのですが、私は、そのブラスバンドでフルートをやることがもう決まっていて、かなり楽しみにしていました。でも、急に引っ越しが決まり、みんなと泣く泣く別れて、ちょっとしょんぼりしていました。そんな矢先に、母が悪いと思ったのか、ジャスコの開店セールで(マリンピアができた当時のこと)、楽器屋さんの店先に詰まれていた3万円のフルートを買ってきて、私に、はいこれ、と渡したのです。

引っ越しその他でお金がかかるときに、3万円でも、かなり母は奮発したのだと思いますが、そして私は、そのときはそれなりに嬉しく、佐倉市に引っ越ししてから、それを眺めたり、ちょっと吹いたり、なんならフルートのお話を書いたりして、楽しんでいました。

しかし、中学生になって、吹奏楽でフルートを実際にはじめてわかったのは、こんなおもちゃみたいな楽器では、とてもやっていけないということでした。当時いなかの、たいして強くもない吹奏楽部でも、フルートの子たちは、みんな最低でも7~8万円はする、ヤマハとかのちゃんとした楽器メーカーの楽器を使っていて(当たり前だったのですが)、こんなメーカーも聞いたこともない、あやしげな楽器を使っているのは、私だけでした。(そして、私は、当然母にちゃんとした楽器を買って、なんて言えませんでした。なんせ、母は当時、時給450円で、フードコートで、死にそうになりながらパートしてましたからね)
加えて、当時の私は、やせっぽちで肺活量が全くなく、ワンフレーズを一息で吹くのすら、難しかったのです。それでやっているうちに、吹奏楽で生きていくのは無理だと思い、高校のときは、オーケストラ部があったので、弦楽器(ビオラね)に転向しました。もっとも、ピアノなどの経験もなく、音感の悪い私は、これもかなり苦戦しましたが。でも、ビオラの穏やかな音が、私は大好きで、加えてオーケストラの中で、万年伴奏パートというビオラのポジションが、目立つことが嫌いで、メロディを奏でる人たちを裏で支えたい、自分の性格にかなりあっていたので、かなりはまって、長いことしていたわけです。

オーケストラ部には、かなり魅力的なひとがたくさんいましたが、なかでも、みんなの憧れを一身に集めていたのは、2つ年上のバイオリンのコンサートマスターの男の先輩でした。本当に彼は、勉強もスポーツもなんでもできて、絵もうまかったらしく、その上バイオリンは、本当に超絶うまかったです。そして、若さゆえのごう慢さがあるというか、自信家で、世の中をななめにみている感じで、いつも不機嫌そうで、そういうところもかっこよく見えました。その自信に満ち溢れたバイオリンの音は、若々しく、キラキラしていて、本当に素敵でした。そして、びっくりしたのは、そのバイオリンは3万円の楽器だったのでした。本当にクラクラしました。3万円でも、こんな素敵な音が出るんだ、と。けっこうお金持ちのおうちの子も多く、高校生でも、100万円のバイオリンとか持っている子もいたので、この事実は、本当に衝撃でした。(ごめんなさい、お金の話ばかりで。そのくらい私の前半生は、お金に苦しめられていました)そしてあとでわかったことですが、彼も私が育った団地と同じ埋め立て地のひとでした。

本当は、その人との思い出には、後日談もあるのですが、まあそれはいつか気が向いたら書くとしまして。

彼は、その後、夢を叶えて、千葉で心臓外科のお医者さまになりました。私は、それをあとから知って、本当に嬉しかったです。まあ、憧れは、憧れのままの方がいいというか。これは遠い昔、私が高校時代の憧れの人のお話です。

年取ってきて、昔話が多くなり、また話が長くなりがちなのは、ご容赦を。
(ほとんど自分のために書いています)


次女の全国大会それから私と音楽のこと

2023-10-24 19:54:16 | 音楽



先週の土曜日、次女の全国大会が名古屋でありました。四国では最優秀だった次女たちの中学ですが、全国大会のレベルは、それはそれは高く。私からしたら、何も文句のつけようのない演奏と思った学校でも、銀賞だったりとか。(吹奏楽コンクールでは、全ての団体が、金か銀か銅のどれかに分けられます。)ちょっと緊張もみられた次女たちの演奏ですが、頑張りました。そして、この夢の舞台にたてたことに、生徒たちも先生も保護者も皆感無量でした。ほんとに夢のような幸せな一日でした。

しかし、予想していたことですが、帰ってきてから、次女も私もしばらくぼんやりです。いいタイミングで、次女の学校がインフルエンザによる学年閉鎖になってしまったので(いいことではないのですが)、次女なんて寝てばかりです。私もなんとか日常を取り戻そうとしていますが、さっき図ったら、熱も出ていました。

それで、こんなものを出して眺めていました。



これは、私が高校大学の時に打ち込んでいたビオラです。よくみるとわかるかもしれませんが、弓の毛がもうボロボロ。長いことちゃんと弾いてないし、弦も弓の毛も替えていません。けっこうメンテナンスにお金がかかるし、子育てとの両立なんて難しかったから、長いこと封印されていました。(クリスマスとかに遊びでちょっと弾いたりとかはありましたが)
うーん、でももうすぐ長女も家を出てしまうし、次女もだいぶ大きくなってしまったから、そろそろまたやろうかな?

次女たちの素敵な演奏が、封印していた私の思い出の扉を開いてしまった感じです。まあ、そのせいで、私はますますぼんやりしてしまうのですが…


いつも何度でも

2021-12-10 01:41:57 | 音楽
このあいだ、FNS歌謡祭を聞いていて、いい歌はいろいろあったのですが、木村弓さんと上白石萌音さんの「いつも何度でも」が良すぎて。ひまをいいことに何度も聞いています。(聞いていたのは、youtubeの木村弓さんの10年前の演奏です)っていうか、聞いているうちに、泣けてきました。

「千と千尋の神隠し」は、何度も観たことがあって、この曲も、知っていましたが、歌詞の意味を考えたことがなかったので、あらためてドキッとしたのです。

一部だけ引用。



呼んでいる 胸のどこか奥で
いつも心躍る 夢を見たい

悲しみは数えきれないけれど
その向こうできっとあなたに会える

繰り返すあやまちの そのたび ひとは
ただ青い空の 青さをしる
果てしなく道は続いて見えるけれど
いつか両手に光を抱ける

・・・中略・・・

閉じていく思い出の その中にいつも
忘れたくない ささやきをきく
こなごなに砕かれた 鏡の上にも
新しい景色が映される

はじまりの朝の 静かな窓
ゼロになるからだ充たされてゆけ

海の彼方には もう探さない
輝くものは いつもここに
わたしの中に みつけられたから



作詞:覚和歌子
作曲:木村弓

映画「千と千尋の神隠し」主題歌




(引用間違ってたら、ごめんなさい…)






70年代の洋楽はエモいね、と長女とした話

2021-11-09 01:11:15 | 音楽
めずらしく部活がなく、早く帰ってきた長女が、「なんか最近心ときめくことが少ないんだよね。そういうときは、昔の映画みてる」と話してきたから、「なに見たの?」と聞いたら、「君に読む物語」といったので、「渋いね、それにけっこう古い」と答えたら、それがいいんだよ、とずっとあらすじを説明してました。私は、映画は見てないけど、確か本は読んだ。20年くらい前でしたっけ?

それで、長女が、「古い映画でおすすめない?」と聞いたので、しばらく考えて、「チャップリンの独裁者。あれ好きなんだけど…」「チャップリン?古すぎてUNEXTに入ってないや」「そうか」

そういえば、映画は好きなんだけど、なんだかずっと忙しくしてて、じっくり映画をみたりしてないので、語れるほどよく知らないことに、今頃気づいた。それで、「映画はわからないけど、エモい音楽なら知ってるよ。サイモンとガーファンクルとか。あとカーペンターズとかアバとか。70年代の曲、ママが小さい頃に流れていた曲なんだけど、ママも懐かしい」

それで、さっそくスマホで検索した娘が「ほんとだ。エモい。今日はなんだか満たされた」と言って、自分の部屋に帰っていきました。あとで、私も、久しぶりに聞いたんですが、懐かしかった。

最近、宮本さんが、昭和歌謡をカバーして、ファンが増えたり、アバが再結成したり、時代がまた求めてきたのですかね。エモい曲を。生きにくい閉塞した時代に穏やかさと優しさを求めているのかもしれませんね。