アルビン・トフラー研究会(勉強会)  

アルビン・トフラー、ハイジ夫妻の
著作物を勉強、講義、討議する会です。

アルビン・トフラーの青年~壮年時代プロセス (続き)

2011年05月18日 10時38分02秒 | 第三の波
アルビン・トフラーの青年~壮年時代プロセス (続き)

 アルビン・トフラーは、大学教授ではなく、ジャーナリストであり、悲観論を排した未来学者だと言えます。著者流の言い方をすれば、もぐらのように大学の教授部屋にこもって、延々と論理を弄ぶ男爵領の住人ではないと。
 若い世代に対して、強い危機感を覚えており、自らの若い時代の原体験を繰り返し述べ、先般のNHK資料のほか、青年時代の経験を述べている箇所が多くあります。
 
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 近著では、「富と未来(上)」はじめに P.23~
『だが経済学はどの学問にもまして、現実の生活に根ざしていなければならない。二人の筆者のどちらにとっても、若いころの「現実の生活」には、工場で働いた忘れがたい五年間がある。押し抜き機や組み立てラインで働き、自動車や航空機エンジン、電球、エンジン・ブロックなどの製造にくわわり、鋳物工場のダクトのなかをはいまわり、大ハンマーを振るうといった肉体労働を行った。こうして、製造業が底辺からどうみえるかを学んだ。失業がどういうものかも、実感している。』講談社刊2006.6.7


「生産消費者」の時代 知識経済が未来の富を生む P.13~ P.16 インタビュー
『田中 まず、あなたの未来学の方法論についてうかがいます。なぜ「未来学」という
    手法を考えられたのでしょうか。
 トフラー わたしは未来学者になりたいというより、本を書きたかったんですね。
    これは7歳のころから考えていたことです。
 田中 どんな作家になりたかったのですか。
 トフラー 7歳のときは、そこまで具体的には考えていませんでした。両親は、作家になると生活が大変ではないかと心配していまし
た。わたしは1928年の生まれですが、大家族でおじとおばも一緒に暮らしていました。彼らはいわゆる大恐慌時代の知識人で、おばは詩を書き、おじは本の出版の仕事などをして、信念を貫いていたのですね。シソーラス、つまり辞典みたいなものですが、14歳のときにもらった本をまだもっていますよ。ですからおじ、おばの影響はとてもおおきなものでした。でも、作家になりたいと思っていたものの、具体的にどんな本を書こうという考えはありませんでした。その後、あまり人が経験したことがないような紆余曲折がありました。大学を出たあと、5年間、工場で働いたわけですから。
田中 それはどの地域でですか?
トフラー 中西部のオハイオ州です。産業の現場で修士号の勉強をしたようなものです。その結果、首都ワシントンに行くチャンスを得ました。そのときにはジャーナリストとして新聞の仕事をすでにやっていて、ワシントンに派遣されたのです。工場からホワイトハウスへ行くまでには2年間のギャップがありましたが、そのようなことはあまりないことですし、わたしにとってはすばらしい経験でした。
 田中 つまり、二つの世界を体験されたのですね。一つは本当に社会の根幹を支えている産業の基盤、もう一つは頂点。まさに市民社会の構造を見たわけですね。
 トフラー そのとおりです。工場での生活を体験し、失業も経験し、楽な思いはしませんでした。仕事がないということは、経済的なことよりも もっと心理的に個人に対して悪い影響を与えます』NHK出版 2007.7.25

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二人の筆者の、もうひとりとは奥さんのハイジ・トフラーです。
名著「第三の波」のはじまりにこうあります。
『ハイジへ -
  このテーマについては絶対に世に問うべきだという彼女の強いすすめで、私は「第三の波」を書く決心がついた。彼女は私の考えについて入念かつ詳細にわたって意見を述べてくれたが、それとともに彼女のプロの編集者としての才覚は、この本の各ページによくにじみでている。私が本書を書きあげるにあたって、彼女は大変な貢献をしてくれたが、それは、同僚として、知的伴侶として、友人として、恋人として、そして妻として、通常考えられる域をはるかに超えていた。』
と記述されています。

うらやましいですね。うちの女房はテレビばっかり見ているバカ女なんで、こういう伴侶がそばにいれば、もっと仕事が出来たかもしれません。まあ、縁の仕方でしょうか。

 さて、トフラーの愛情深さは、ハイジばかりではなく一人娘のカレンへも注がれています。1970年10月に発刊した「未来の衝撃」のはじまりの部分には

  『親愛なる両親、妻ハイディおよび娘カレンのために・・・』そして、娘カレンは「第三の波」以降の著作物の手伝いをしていくのですが・・・・
不幸な事態が訪れようとは思ってもみませんでした。次回へ続く・・・・・・・・・