1980年10月1日に発行された著書「第三の波」
のはじまりには、このように約された前文が記載されています。
「われわれは ここへ笑うためにやって来たのか
それとも なき叫ぶためなのだろうか
われわれは いま死のうとしているのか
それとも 生まれ出でようとしているのだろうか」
この詩は、トフラーと同世代の詩人カルロス・フェンテス
『我らの大地』(1975)から引用されたものです。
わたしは、昭和55年当時、夜学に通いながら自動車販売会社の
システムエンジニア(COBOL)として仕事をしていました。
実際は、この時代にはSEなどという資格制度もなく、昼間は、
販売促進課で日常業務を行い、午後5時以降から午前3時まで、
残業手当無しで、システム設計(フロー作成)、英文タイプ
B級の資格をかわれて、原始プログラムをパンチングして、
コンパイル(翻訳)、バグ取り、再入力の繰り返し作業を
していました。おかげで、大学に通うことがむずかしくなり、
卒業まで専門課程(法学部)で4年間を費やすことになりまし
た。しかし、本当に記憶に残る良い体験が出来たと思います。
理由は2つあります。
トフラーが言う第三の波(情報革命)を身をもって教えられ
たことです。
昭和57年、わたしがいた会社は、北海道内では中堅の総員
600名以上の自動車販売会社でした。
本社には、総務・企画・経理・新車・中古・サービス・部品
と約100名余りの間接社員(販売社員と区別)が在籍しており、
地下には社員食堂、階上には大会議室があるところでした。
トフラーが言うように、30年前のオフィスコンピュータを扱う
者は奇異な眼差しで、見られていたものです。今のように、
漢字、カタカナはまだ印字できず、英数のみのドットプリンター
印字が主流です。
仕分伝票(5枚複写)をバッチ処理(一括処理)して、数値を
印字したものを、経理の担当者が、ソロバンや電卓で検算して
いた時代です。
システムを構築して、機械化する理由は、この本社機能(在籍
する100人余りの間接社員)を合理化する(つまり今でいうリス
トラ)ことが目的だったのです。
社長以下、企画室長の指示で各部門の選抜メンバー(若手・独身
)が選ばれて、何故か大学に通っていた私も選ばれて、日本
ビスネスコンピュータ㈱へ半年余りの通い教育やら、機械化を
すでに終えている企業へ派遣されて、実務を学びました。
札幌の豊平区にあるトヨタ系の自動車販売会社KSへ派遣され、
本社に入ったところ、1階のショールームは、同じような雰囲気
だったのに、2~3Fには、誰も居ないのです。
広いフロアーに、立ち並んでいるのはオフィスコンピュータの
ボックスのみ(富士通のファコム)。後は、空調機のファンの
音が、けたたましく鳴り響く階でした。
この会社のY室長は、『御社と違い、私どもの会社は、トヨタ系の
大衆車を販売しているので、間接社員を置く余裕はないのです』
とはっきり言われました。
事業規模、販売台数、収益、ほぼ同等なトヨタ系販売会社の本社
には、間接社員は何と6名、かたや私が所属する会社は未だに
100名余りの間接社員が本社にごろごろ居て、ソロバンと
電卓を駆使して、売上、売掛管理をしていたのです。これでは、
負ける。未来はない。必ず我々はダメになる。
私は、おなじ選抜メンバーと帰社する道すがら、感嘆しました。
これが機械化であると。仕事が無くなるのではなく、仕事を選らば
なければならないという事を自覚できた瞬間でした。
トフラー論でいえば、暴力→金力→知力へと価値(富)は変化する
ことを学びました。
もうひとつの良い体験は、思想的な問題です。
古い方は、御承知の通り、この時代は、刹那主義、悲観主義が
世の中の主流になっていました。根幹には、ノストラダムスブーム。
この思想は、今で言う世紀末ブームで、会社内でも大学学内でも、
ヘンな右翼系のサークルまで、このダメ思想を流布していた時代で
した。
このような中にあっての、トフラーの『第三の波』前文です。
私は深く共感しました。大学図書館にあった、この翻訳本を
何度も貸出して、コンパイルの最中、冷暖房完備のコンピュータ
ルームで、椅子を並べて、横になって読んでいたのです。
いつも午前様でした。
さて、質問で「未来からの衝撃」、「第三の波」をはじめから読んだ
方が良いかとの問いがありました。
答として、必要ありません。分厚い本で、読むのも大変だと思います。
薄い本で、『生産消費者の時代』とか『第三の波の政治』など、凝縮
した書物があります。また、2006年の『富の未来』については、
私が大学の実習授業で抜粋したファイルがありますので、随時、紹介
していきます。
当然のことながら、できれば著書は買って読むなり、公立図書館で
貸出してもらい、読むことをお勧めします。
ひとつだけ、助言します。
分厚い本は、頭から読むと、眠くなります。著者や訳者の思いが記載
されているあとがき、最後から読むことをすすめます。
つまり、最初に結論ありき、では次に何故、そんな論理に至ったか?
トフラーの書物は、後ろから読んでも、本当に根明な論調で、わかり
やすいものだと感心します。特に難解な法学部指定の判例集なんか
よりも、はるかに健康的です。
次回は、トフラー論の論点まとめをパワーシフト前文から引用しましょう。
のはじまりには、このように約された前文が記載されています。
「われわれは ここへ笑うためにやって来たのか
それとも なき叫ぶためなのだろうか
われわれは いま死のうとしているのか
それとも 生まれ出でようとしているのだろうか」
この詩は、トフラーと同世代の詩人カルロス・フェンテス
『我らの大地』(1975)から引用されたものです。
わたしは、昭和55年当時、夜学に通いながら自動車販売会社の
システムエンジニア(COBOL)として仕事をしていました。
実際は、この時代にはSEなどという資格制度もなく、昼間は、
販売促進課で日常業務を行い、午後5時以降から午前3時まで、
残業手当無しで、システム設計(フロー作成)、英文タイプ
B級の資格をかわれて、原始プログラムをパンチングして、
コンパイル(翻訳)、バグ取り、再入力の繰り返し作業を
していました。おかげで、大学に通うことがむずかしくなり、
卒業まで専門課程(法学部)で4年間を費やすことになりまし
た。しかし、本当に記憶に残る良い体験が出来たと思います。
理由は2つあります。
トフラーが言う第三の波(情報革命)を身をもって教えられ
たことです。
昭和57年、わたしがいた会社は、北海道内では中堅の総員
600名以上の自動車販売会社でした。
本社には、総務・企画・経理・新車・中古・サービス・部品
と約100名余りの間接社員(販売社員と区別)が在籍しており、
地下には社員食堂、階上には大会議室があるところでした。
トフラーが言うように、30年前のオフィスコンピュータを扱う
者は奇異な眼差しで、見られていたものです。今のように、
漢字、カタカナはまだ印字できず、英数のみのドットプリンター
印字が主流です。
仕分伝票(5枚複写)をバッチ処理(一括処理)して、数値を
印字したものを、経理の担当者が、ソロバンや電卓で検算して
いた時代です。
システムを構築して、機械化する理由は、この本社機能(在籍
する100人余りの間接社員)を合理化する(つまり今でいうリス
トラ)ことが目的だったのです。
社長以下、企画室長の指示で各部門の選抜メンバー(若手・独身
)が選ばれて、何故か大学に通っていた私も選ばれて、日本
ビスネスコンピュータ㈱へ半年余りの通い教育やら、機械化を
すでに終えている企業へ派遣されて、実務を学びました。
札幌の豊平区にあるトヨタ系の自動車販売会社KSへ派遣され、
本社に入ったところ、1階のショールームは、同じような雰囲気
だったのに、2~3Fには、誰も居ないのです。
広いフロアーに、立ち並んでいるのはオフィスコンピュータの
ボックスのみ(富士通のファコム)。後は、空調機のファンの
音が、けたたましく鳴り響く階でした。
この会社のY室長は、『御社と違い、私どもの会社は、トヨタ系の
大衆車を販売しているので、間接社員を置く余裕はないのです』
とはっきり言われました。
事業規模、販売台数、収益、ほぼ同等なトヨタ系販売会社の本社
には、間接社員は何と6名、かたや私が所属する会社は未だに
100名余りの間接社員が本社にごろごろ居て、ソロバンと
電卓を駆使して、売上、売掛管理をしていたのです。これでは、
負ける。未来はない。必ず我々はダメになる。
私は、おなじ選抜メンバーと帰社する道すがら、感嘆しました。
これが機械化であると。仕事が無くなるのではなく、仕事を選らば
なければならないという事を自覚できた瞬間でした。
トフラー論でいえば、暴力→金力→知力へと価値(富)は変化する
ことを学びました。
もうひとつの良い体験は、思想的な問題です。
古い方は、御承知の通り、この時代は、刹那主義、悲観主義が
世の中の主流になっていました。根幹には、ノストラダムスブーム。
この思想は、今で言う世紀末ブームで、会社内でも大学学内でも、
ヘンな右翼系のサークルまで、このダメ思想を流布していた時代で
した。
このような中にあっての、トフラーの『第三の波』前文です。
私は深く共感しました。大学図書館にあった、この翻訳本を
何度も貸出して、コンパイルの最中、冷暖房完備のコンピュータ
ルームで、椅子を並べて、横になって読んでいたのです。
いつも午前様でした。
さて、質問で「未来からの衝撃」、「第三の波」をはじめから読んだ
方が良いかとの問いがありました。
答として、必要ありません。分厚い本で、読むのも大変だと思います。
薄い本で、『生産消費者の時代』とか『第三の波の政治』など、凝縮
した書物があります。また、2006年の『富の未来』については、
私が大学の実習授業で抜粋したファイルがありますので、随時、紹介
していきます。
当然のことながら、できれば著書は買って読むなり、公立図書館で
貸出してもらい、読むことをお勧めします。
ひとつだけ、助言します。
分厚い本は、頭から読むと、眠くなります。著者や訳者の思いが記載
されているあとがき、最後から読むことをすすめます。
つまり、最初に結論ありき、では次に何故、そんな論理に至ったか?
トフラーの書物は、後ろから読んでも、本当に根明な論調で、わかり
やすいものだと感心します。特に難解な法学部指定の判例集なんか
よりも、はるかに健康的です。
次回は、トフラー論の論点まとめをパワーシフト前文から引用しましょう。