アルビン・トフラー研究会(勉強会)  

アルビン・トフラー、ハイジ夫妻の
著作物を勉強、講義、討議する会です。

アルビン・トフラー パワーシフト 究極の代替物より

2011年06月11日 22時00分02秒 | トフラー論より
暴力・富・知識のパワー(権力)の三本柱。
先般はジョブトレーニングメンバーのテキストで紹介しましたが、もう一度
勉強しましょう。

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パワーシフト 第八章 究極の代替物    P.133~143 
*第三の波の政治 第3章 究極の代替物P.55~64(改訂)
 (以下は、パワーシフト本文より)
本書の読者は、読解力という驚くべき技を持っている。おしなべて我々の祖先が文盲だった事実に思いいたると、時おり異様な感じに襲われざるを得ない。頭が悪いとか、無知だったとかではなく、文盲であるのは当時、致し方なかったのだ。

読めるということだけで、昔は舌を巻くような才能だった。聖アウグスツヌスが五世紀に書き残した中に、師であったミラノの司教、聖アンブロシウスに触れ、師は勉学に励んだので唇を動かさずに文書を読むことができた、とのくだりがある。この驚くべき才能の故に、聖アンブロシウスは世界で最も頭の切れる人に祭り上げられたのである。
 我々の祖先の大部分は文盲だっただけでなく、簡単な足し算引き算の計算能力さえなかった。できる少数の人間は、かえって危険な存在と見なされた。アウグスチヌスが出したとされる信じ難い警告は、キリスト教徒は足し算や引き算ができる人物に近づくべきでない、というものだった。そんな連中は、「悪魔と契約を結び、精神を惑わせ、人を地獄の束縛に閉じ込める」ことが明白だった。-現代なら小学4年生で算数を習っている生徒の多くがいだく感情だろう。-
商業を志す学生に収支決算をマスターした教師が教え出すのは、それから千年経ったのちのことである。
ここで強調したいのは今日、ビジネスの世界で当たり前と思われている簡単な技術の多くが、長い時間をかけた文化的発展の積み重ねであり、何世紀もの産物であるということだ。世界中のビジネスマンがいま依存している知識は、それと自覚してはいないが、中国から、インドから、アラブから、フェニキアの貿易商人から、そしてまた西欧からの遺産の一部なのである。こうした技術を身に着けた何世代もの人間が、その技術を改善し、後代に伝え、そしてゆっくりと現在の形に作り上げてきた。 
経済のすべてのシステムは、知識の基盤の上に立っている。ビジネス関係のすべての企業も、社会的に積み上げられて来たこの前世紀からの遺産に頼っている。しかし、重要であるべきこの要素は資本、労働、土地と違って、物の生産に必要な要素を勘定する際、普通は経済学者と経営幹部になおざりにされてきた。とはいえ今日、この要素は(時に代価が支払われ、時にただで搾取されるが)全要素中、最も重要なものとなった。
歴史上には数は少ないが、知識の進歩が時代遅れの障害をいくつか打ち壊してきている。そうした突破口のうち特記されるべきは、新たな思考方法の到来と、表意文字・アルファベット・零といった情報伝達手段の発明である。そして我々の世紀において、それはコンピュータにほかならない。
30年前にコンピュータを少しでも操れる者は、大衆紙で数字の魔法使い、あるいは巨大頭脳扱いされた。唇を動かして文字を読む時代の聖アンブロシウスと全く同じである。
今日の我々は、人類の全知識構造が再び変革に身を震わせ、同時に古い障害が崩れつつある、歴史上、何回とない稀有の時代に生きているのだ。 
 
本書はここで、いろいろな事実を、それらがどんなものであれ、足し算して見せようというわけではない。いま会社や経済全体の構造変革が進みつつあるように、知識の生産と配分、そして知識を伝達するためのシンボルの再編が徹底して行われつつあることを、ここで指摘したいだけである。
それはどういうことなのだろうか。
知識の新しいネットワークが創られつつあるということである。いろいろな概念が肝を潰すような形で互いに結び付き、驚くべき推論のヒエラルキーが構築され、新奇な前提と新しい言語、符号、論理を土台とした新しい理論、仮定、想念が創出する-といった具合にネットワークがつくられつつあるのだ。
ビジネスも、政府も個人も、歴史上かつてどんな世代が行ったよりもたくさんのデータそのものをいま収集し、蓄えつつある。(明日の歴史学者は大量かつ複雑な金鉱に出くわし途方にくれるだろう)
しかし、もっと重要なのは、データを様々な方法で相互に関係づけ、それらに文脈を与え、そうすることによってデータを情報へと整えていることだ。そして情報の束をどんどん膨らませて、各種のモデルと知識の殿堂を創り上げていることだ。
といって、このことはデータの正しさ、情報の真実さ、知識の賢さを示しているわけではない。しかし、世界を見る目、富を作り出す方法、力を行使する方法に大きな変化が生じていることを、それは示している。
この新しい知識のすべてが事実に基づき、明確に理解できる形をとるわけではない。ここで使われる用語としての知識の多くは、前提のうえの前提、断片的なモデル、それと気づかない類推などから成っていて、口でははっきり言い様がないものである。そして、その知識は、単純に論理的なもの、また、見せかけとしての非感情的データを含むだけでなく、想像や直感はもちろん、情熱や情緒の産物である価値をも含んでいる。
社会の知識基盤に生じている今日の大騒動こそ(コンピュータを利用した詐欺や単なる金融操作の意味ではない)超象徴(スーパーシンボリック)経済の勃興を告げる証左なのである。

情報の錬金術
社会の知識システムの変化の多くは、ビジネスの操業に直接、取り入れられる。この知識システムというのは、会社にとっては銀行システムや政治システム、あるいはエネルギー・システムよりずっと受け入れ易い。
もし言語、文化、データ、情報、ノウハウがなかったら、ビジネスが成り立たない事実はさて措くとしても、富を創出するに必要な諸要素のうち、知識ほど融通が利くものは外にないという事実は動かし難い。実際に知識は(時には単に情報とデータだけだが)他の要素の代わりに用いられることさえある。
知識 - 原則的に使い減りしないもの - は究極の代替物なのである。

技術を取ってみよう。
ほとんどの煙突型産業の工場は、製品を変えようとすると、法外な費用がかかる。高価な道具、型造り機、ジグセッター、その他の特殊設備に高い金を必要とし、結果として非稼動時間が生まれ、機械は遊んで、資本、利子、間接費が食われることになる。同一製品を長期に造れば造るほど、単位あたりのコストが下がるのは、そのためである。
しかし、長期生産の代わりに、最新のコンピュータ利用の製造技術を使えば、種類の違う製品をいくらでも造ることができる。オランダに本拠を持つ巨大なエレクトロニクスをあつかう、フィリップスは1972年に100種類の型のカラーテレビを造った。今日では型の種類は、500に上っている。日本のブリジストン・サイクル社は、“ラダック型注文生産”という自転車を宣伝中だ。松下は注文用半製品のホットカーペットを市場に出している。さらにワシントン靴店は注文用半製品の女性靴を出していて、これは各サイズごとに32種類のデザインがあり、店内に備えたコンピュータが客の足の形を測ってつくっている。
新しい情報技術は大量生産型経済の原則を逆転させ、製品の型を変える費用をゼロに近づけている。知識はこのように、かつては高くついた生産工程の変化にかかる経費を肩代わりするのである。

では原料を取ってみよう。
旋盤を動かすコンピュータに上手にプログラムを入れれば、たいていの旋盤工がやるよりも多くの型を、同じ大きさの鋼板から切り抜くことが出来る。新しい知識は精密作業を可能にしたため、製品をより小型化、軽量化し、結果として倉庫費と輸送費を減らした。さらに鉄道・船舶輸送会社のCSXのケースで見たように、輸送状況を分刻みで把握することによって(それはつまり情報の質的向上に外ならないが)配送費のいっそうの節約が図られた。
新しい知識はまた、飛行機の合成材から生化学的薬剤にいたるまでの広い範囲にわたって、全く新しい材料をも創り出し、ある原料を他の物で代替させる可能性を広げている。テニスのラケットからジェットエンジンにいたるまであらゆるものが、新しいプラスティック、混合物、複雑な合成物質と組み合わされて創られる。(中略)
つまり、知識は、資源と輸送双方の肩代わりをするわけである。

同じことがエネルギーにも当てはまる。
最近の超伝導開発の成功は、知識がもたらす代替的活用として、他のどんなものにも優っている。これが実用化されれば、各生産単位に送られているエネルギーの量を大幅に減らすことができる。全米公共電力協会によれば、銅線による伝導効率が悪いため、全米で生産される電力の15%が供給途中でロスになるという。このロスの量は、発電所50箇所の発電量に相当する。超伝導は、そういったロスを大幅に削減できるのだ。
 同様にサンフランシスコのベクテル・ナショナル社は、ニューヨークのエバスコ・サービス社と組んで、フットボール競技場の大きさの巨大なエネルギー貯蔵用バッテリーを造ろうとしている。完成すれば、電力消費のピーク時に余剰電力を供給するため設けられた発電所は要らなくなってくる。

原料、輸送、電力の肩代わりに加えて、知識は時間も節約する。
時間は会社のバランスシートのどこにも現れないが、実は最重要な経済資源の一つである。時間は事実上、隠れたインプットとして残る。特に変化が加速されて(例えば連絡手段や製品を市場に出すのが早くなるように))時間が縮めば、利潤とロスに大きな違いが出てこよう。
新しい知識は物事をスピードアップさせ、同時的、即時的な経済へ向かって我々を駆り立て、さらに時間の消費を肩代わりする。
空間もまた知識によって減らされ、コントロールできる。GEの運輸システム部が新しい荷物運搬車をつくったが、この運搬車を高度の情報処理および通信を使ってサプライヤーとつないだところ、在庫調べが以前より12倍早くなり、その結果、倉庫空間の1エーカー分が節約された。(中略)
もっと重要なのは、コンピュータと進んだ知識に基づく遠距離通信により、生産設備をカネのかかる都心部から疎開させることができ、エネルギーと輸送コストをさらにカットできることである。

知識対資本
コンピュータ機能による人間労働の肩代わりについては余りに多く語られ過ぎているので、資本の肩代わりについて、つい忘れがちになる。そうであっても今まで述べられてきたことは、資金的な節約にもまた繋がっているのである。
実際、ある意味で知識は、労働組合や反資本主義的政党より、遥かに金融権力に対する重大な長期的脅威である。なぜなら相対的問題として、情報革命は産出単位ごとの資本必要量を減少させるからである。資本主義経済という呼び名のもとで、これほど重要なことはない。
(中略)
したがって、ここまで見てきたことは、どんな形の経済であろうと、生産と利潤は力の三つの主要な資源 - 暴力、富、知識 - に依存していること、そして暴力は法律へと形を変え、ついで資本とカネは共に知識へと変質しつつある、ということである。仕事の内容も並行的に変化し、シンボルの操作にますます頼るようになっている。資本、カネ、仕事が揃って同方向へ移行するに伴い、経済の全基盤に革命的変化が起きている。それは、煙突型産業時代に行き渡ったルールとは極端に違うルールに従って運営される、超象徴(スーパーシンボリック)経済への変貌である。
原料、労働、時間、空間、および資本への必要度が減少する一方、知識は先進経済の中心的な資源となってくる。この減少が起こるにつれて、知識の価値は高騰する。この理由のために、次章で見えるように、情報戦争-知識のコントロールをめぐる争い-が、いたるところで勃発しつつある。                           
第二部 超象徴経済における日常   (終了)