このキャンプで注目度No1とも言える楽天:田中将大投手。
田中投手の直球の魅力は本当にすごいのだろう。
あの野村監督でさえ投げ込むボールを見て『松坂2世』と言ったほどだ。
当の本人は「田中でいきます。」とあっさりかわしていたが・・。
そして13日。
達川光男氏が飛び入りでブルペン捕手となり、田中投手の球を受けた。
思いっきり腕を振って投げた直球が達川氏をのけぞらせた。
勢いのある球を投げ込まれ眼鏡がずれた(←ここんところが達川さんらしい書かれ方だなぁ)らしい。
『初速と終速の差が予想以上になかった』
『威圧感ある直球は、津田恒美を想い出した。』
最大級の賛辞っ!!!
毎年、夏になると津田恒美。炎のストッパーと呼ばれた男の事を想い出す。
津田の生涯最後の登板 91.4.14
1993年のオールスターゲームの途中で、伝えられた訃報。
それが頭から離れないからだ。
『弱気は最大の敵』
これが座右の銘・・・。
メンタルな部分の弱さがあった。
それを気迫で打ち消した。
気持ちを前面に出すことで、自分を奮い立たせた。
「打てるものなら打ってみろ。」と言わんばかりの直球勝負。
そんな彼の投球が大好きだった。
ストッパーとして復活し、掴んだ優勝の瞬間。
スワローズファンだった私でもなんだか感動した瞬間だった。
優勝の瞬間!抱き合う津田投手と達川捕手
その津田投手を彷彿させる剛速球を投げるという田中投手。
メンタルな部分では、全く問題ないような強気さをみせている。
報道の加熱が心配だが、田中投手の人間性もおのずと見えてくるかもしれない。
とにかく、この状態に麻痺してはいけないと思う。
最大級の賛辞を、結果に結びつけて欲しい!!!
そして、津田恒美という素晴らしい投手がいた事を忘れないでいたい。
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田中投手の直球の魅力は本当にすごいのだろう。
あの野村監督でさえ投げ込むボールを見て『松坂2世』と言ったほどだ。
当の本人は「田中でいきます。」とあっさりかわしていたが・・。
そして13日。
達川光男氏が飛び入りでブルペン捕手となり、田中投手の球を受けた。
思いっきり腕を振って投げた直球が達川氏をのけぞらせた。
勢いのある球を投げ込まれ眼鏡がずれた(←ここんところが達川さんらしい書かれ方だなぁ)らしい。
『初速と終速の差が予想以上になかった』
『威圧感ある直球は、津田恒美を想い出した。』
最大級の賛辞っ!!!
毎年、夏になると津田恒美。炎のストッパーと呼ばれた男の事を想い出す。
津田の生涯最後の登板 91.4.14
1993年のオールスターゲームの途中で、伝えられた訃報。
それが頭から離れないからだ。
『弱気は最大の敵』
これが座右の銘・・・。
メンタルな部分の弱さがあった。
それを気迫で打ち消した。
気持ちを前面に出すことで、自分を奮い立たせた。
「打てるものなら打ってみろ。」と言わんばかりの直球勝負。
そんな彼の投球が大好きだった。
ストッパーとして復活し、掴んだ優勝の瞬間。
スワローズファンだった私でもなんだか感動した瞬間だった。
優勝の瞬間!抱き合う津田投手と達川捕手
◆「炎のストッパー」津田恒実 南陽工から、協和発酵を経て81年ドラフト1位で広島に入団。いきなり11勝し、新人王を獲得した。右手中指の血行障害などで、その後は登板機会が激減するが、86年に抑えとして復活。22セーブを挙げ、チームのリーグ優勝に大きく貢献した。89年には28セーブで最優秀救援投手に輝いた。150キロ超の剛速球を武器に真っ向勝負を挑む姿から「炎のストッパー」と形容された。しかし91年ごろから頭痛などに苦しみ、入院。悪性の脳腫瘍(しゅよう)が判明し長い闘病生活の果て、93年7月20日、32歳の若さでこの世を去った。通算成績は49勝41敗90セーブ。
(2007年2月14日06時06分 スポーツ報知)
その津田投手を彷彿させる剛速球を投げるという田中投手。
メンタルな部分では、全く問題ないような強気さをみせている。
報道の加熱が心配だが、田中投手の人間性もおのずと見えてくるかもしれない。
とにかく、この状態に麻痺してはいけないと思う。
最大級の賛辞を、結果に結びつけて欲しい!!!
そして、津田恒美という素晴らしい投手がいた事を忘れないでいたい。
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