※記事に出てきます芝川町は2010年(平成22)年3月23日をもって富士宮市に編入合併いたしました。
日曜日に大好きな神社の芭蕉天神(ばしょうてんじん)に行ってきました、二月の第一日曜が
例祭なのです。
地図はこちら↓地図ボタンをクリックで大きな地図を御覧頂けます。
ある程度仕上がったジェベルを祭神・右大臣久我長道公に御覧頂きたかったのも動機です、
芭蕉天神と呼ばれる前は馬上天神と呼ばれていた神社で私は勝手に単車乗りの神社さんだと
思っているのです。
このブログを始めた2008年7月に書いた記事で御紹介出来なかったモノも今回は書く事が出来ました。
天神さんに向かう途中の掲示板が例祭を告げています、日頃は静かな大晦日(おおずもり)に
沢山の人が集まっています、地元の方が交通整理に出て下さっています、お疲れ様です
御世話になります。
単車は参道に乗り入れる事が許されます、ほとんどの方が歩いてらっしゃいますから
静かに歩くスピードで進みます。
鳥居の手前でジェベルを降り一礼して立ち入ります、鳥居からなだらかな坂を下りてゆき
社殿に近付きます、芭蕉天神に人が溢れています、所々に暖をとるための焚き火が用意され
優しい気遣いを感じます、私が大晦日や芭蕉天神に引かれる理由には地域の氏子さん方の信心深く
優しいお人柄を感じたりするからかもしれません。
いつも通り手水舎で両手と口を清め、拝殿に歩み寄ります、大好きな獅子狛犬が迎えてくれます。
拝殿にて賽銭を入れ鈴を鳴らし二拝二拍手一拝でご挨拶し私や家族(ジェベルも)の身体健全を
お願いします。
祭神に久我長道公と共に菅原道真公も祀る神社です、合格祈願の絵馬が沢山奉納されています。
芝川清流太鼓の力強い響きが境内の空気を震わせます、波動が肝を叩き背筋がピンと伸びます。
芭蕉天神は今でこそ静かな神社ですが、以前は由比から富士宮そして山梨の身延へと続く
塩の道が神社の側を通っていたり祭日に合わせて国鉄の祭典列車の運行が記録されるほど
御参りされる方も多かった神社で、山中の神社にしては社殿などが大変素晴らしい造りなのです。
神社仏閣は大好きで機会有れば御参りしますが、芭蕉天神本殿の造りは一見の価値がある建物です、
たとえば反った形の梁であります海老紅梁(えびこうりょう)ですが、表面を浅く彫刻したり
一部透かし彫りのものは多く見ますが一本丸ごと総透かし彫りなどは滅多に見られるものでは
ありません、芸術的に素晴らしいものだと思います。
拝殿まえの獅子狛犬が大好きなのは書かせて頂きましたが本殿にも獅子狛犬が居ます、
本殿のは好きを通り越してしまっています、愛らしい姿を御覧下さい。
山中の神社は今でも多くの信心を集めます、この例祭が終わるといよいよ春が間近となります。
帰り道で以前の記事にも書かせて頂いた道標を写して来ました、その時に交通整理をして下さる
地元の方と御話をする機会を得ました、楽しくお話を伺うことが出来ました、ありがとうございました。
道標には弘化(こうか)の元号が読み取れます、短い間使われた元号で前後には
天保の改革の「天保」とペリー率いる黒船が来航した「嘉永」に挟まれた元号で徳川家末期
大きく日本が揺れた時代です。
弘化三丙午 卯月ですから1846年4月にここに置かれたのでしょうか?
これからもずっとここで行き交うものを見続けるのでしょうね。
帰りにはブックマークにもあります内房寄合処(うつぶさよりあいどころ) に寄っていきます、
いつも通りに生蕎麦を買って行こうと思ったら、店頭でも食べられるじゃないですか!
生蕎麦も買いつつ一杯湯がいて貰いました(´┐`)日曜日に試験的?に始められたとか、
そうだねぇ豆乳ジェラートも美味しいけれど冬場はねぇ。
お店から綺麗な富士山が見えます、お参りの後だと言う事もあり清々しい気分です。
ここ芝川町も2010年3月23日に富士宮市と合併(編入合併)します、人の引いた線は大騒ぎして
書き直されます、しかし、大晦日の芭蕉天神や道標、巨木の五輪のカヤと大晦日のタブは、
人の都合に関係無くあそこにあり続ける、ゆるぎなく在る事にこれからも私は
惹かれ続ける事でありましょう。
日曜日に大好きな神社の芭蕉天神(ばしょうてんじん)に行ってきました、二月の第一日曜が
例祭なのです。
地図はこちら↓地図ボタンをクリックで大きな地図を御覧頂けます。
ある程度仕上がったジェベルを祭神・右大臣久我長道公に御覧頂きたかったのも動機です、
芭蕉天神と呼ばれる前は馬上天神と呼ばれていた神社で私は勝手に単車乗りの神社さんだと
思っているのです。
このブログを始めた2008年7月に書いた記事で御紹介出来なかったモノも今回は書く事が出来ました。
天神さんに向かう途中の掲示板が例祭を告げています、日頃は静かな大晦日(おおずもり)に
沢山の人が集まっています、地元の方が交通整理に出て下さっています、お疲れ様です
御世話になります。
単車は参道に乗り入れる事が許されます、ほとんどの方が歩いてらっしゃいますから
静かに歩くスピードで進みます。
鳥居の手前でジェベルを降り一礼して立ち入ります、鳥居からなだらかな坂を下りてゆき
社殿に近付きます、芭蕉天神に人が溢れています、所々に暖をとるための焚き火が用意され
優しい気遣いを感じます、私が大晦日や芭蕉天神に引かれる理由には地域の氏子さん方の信心深く
優しいお人柄を感じたりするからかもしれません。
いつも通り手水舎で両手と口を清め、拝殿に歩み寄ります、大好きな獅子狛犬が迎えてくれます。
拝殿にて賽銭を入れ鈴を鳴らし二拝二拍手一拝でご挨拶し私や家族(ジェベルも)の身体健全を
お願いします。
祭神に久我長道公と共に菅原道真公も祀る神社です、合格祈願の絵馬が沢山奉納されています。
芝川清流太鼓の力強い響きが境内の空気を震わせます、波動が肝を叩き背筋がピンと伸びます。
芭蕉天神は今でこそ静かな神社ですが、以前は由比から富士宮そして山梨の身延へと続く
塩の道が神社の側を通っていたり祭日に合わせて国鉄の祭典列車の運行が記録されるほど
御参りされる方も多かった神社で、山中の神社にしては社殿などが大変素晴らしい造りなのです。
神社仏閣は大好きで機会有れば御参りしますが、芭蕉天神本殿の造りは一見の価値がある建物です、
たとえば反った形の梁であります海老紅梁(えびこうりょう)ですが、表面を浅く彫刻したり
一部透かし彫りのものは多く見ますが一本丸ごと総透かし彫りなどは滅多に見られるものでは
ありません、芸術的に素晴らしいものだと思います。
拝殿まえの獅子狛犬が大好きなのは書かせて頂きましたが本殿にも獅子狛犬が居ます、
本殿のは好きを通り越してしまっています、愛らしい姿を御覧下さい。
山中の神社は今でも多くの信心を集めます、この例祭が終わるといよいよ春が間近となります。
帰り道で以前の記事にも書かせて頂いた道標を写して来ました、その時に交通整理をして下さる
地元の方と御話をする機会を得ました、楽しくお話を伺うことが出来ました、ありがとうございました。
道標には弘化(こうか)の元号が読み取れます、短い間使われた元号で前後には
天保の改革の「天保」とペリー率いる黒船が来航した「嘉永」に挟まれた元号で徳川家末期
大きく日本が揺れた時代です。
弘化三丙午 卯月ですから1846年4月にここに置かれたのでしょうか?
これからもずっとここで行き交うものを見続けるのでしょうね。
帰りにはブックマークにもあります内房寄合処(うつぶさよりあいどころ) に寄っていきます、
いつも通りに生蕎麦を買って行こうと思ったら、店頭でも食べられるじゃないですか!
生蕎麦も買いつつ一杯湯がいて貰いました(´┐`)日曜日に試験的?に始められたとか、
そうだねぇ豆乳ジェラートも美味しいけれど冬場はねぇ。
お店から綺麗な富士山が見えます、お参りの後だと言う事もあり清々しい気分です。
ここ芝川町も2010年3月23日に富士宮市と合併(編入合併)します、人の引いた線は大騒ぎして
書き直されます、しかし、大晦日の芭蕉天神や道標、巨木の五輪のカヤと大晦日のタブは、
人の都合に関係無くあそこにあり続ける、ゆるぎなく在る事にこれからも私は
惹かれ続ける事でありましょう。