http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160302-00000001-asahi-soci より転載
認知症事故判決「家族にとって救い」 誰が責任…課題も
朝日新聞デジタル 3月1日(火)23時54分配信
認知症の高齢者が起こした事故の責任を、家族が必ず負うわけではない――。高齢者の7人に1人が認知症という「認知症社会」を迎え、最高裁が示した判断に当事者からは歓迎の声があがった。「では、誰がどう責任を負うのか」という問題も関係者は指摘する。
【写真】亡くなった男性が愛用していた椅子と、くり返し見ていたプロレスや「戦友会」のビデオ。事故当日も腰掛けていたという
「大変温かい判断をして頂き、心より感謝申し上げます。父も喜んでいると思います。8年間、色々なことがありましたが、これで肩の荷が下りてほっとした思いです」。判決後、東京都内で会見した代理人弁護士が、認知症で徘徊(はいかい)中に死亡した男性の長男(65)のコメントを読み上げた。
事故は2007年12月、愛知県大府市のJR共和駅で起きた。長男の妻は横浜市から転居して男性宅の近くに住み、介護していた。男性の自宅兼事務所の出入り口にはセンサーがあったが、一つはスイッチがオフになっており、わずかな隙に男性は外出。列車で1駅移動したうえ、線路内に下りた。
半年後の08年5月、JR東海から書面が届いた。「損害が発生しています。一度話をさせて頂きたい」。さらに半年後には、約720万円の賠償を求める通知書が届き、10年2月に提訴された。
「一瞬の隙もなく監視しようとすれば、施錠・監禁や、施設への入居しか残されない。それでいいのか」。裁判で争ったが一審、二審とも、「遺族には監督義務があった」とされた。
判決を前に寄せたコメントで、長男は事故後の時間を「原告(JR東海)の強い姿勢に翻弄(ほんろう)され続けた、大変苦しい8年間でした。大企業と一個人の戦いでした」と振り返った。それでも訴訟を続けたのは、「認知症に対する理解のない会社が許せない。それが大きな原動力の一つだった」。取材にそう話した。
もう一つの支えになったのは、裁判を通じて広がった支援の輪。介護家族らが集まる「認知症の人と家族の会」や、同じような事故で鉄道会社に賠償を求められた遺族から、応援の声が寄せられた。「多くの支えと励ましがあり、8年間戦い続けられた」という。
遺族の代理人を務めた浅岡輝彦弁護士は、判決後の会見で、「遺族の主張が全面的に採り入れられたすばらしい判決。認知症の方と暮らす家族の方にとって本当に救いになった」と、晴れ晴れした表情で話した。
一方で、「判決で全てが解決するわけではない。国の政策は。家族はどうするのか。責任能力がない人が起こした事故の損害回復はどうすべきかは簡単ではない」と課題も指摘した。(斉藤佑介、千葉雄高)
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♫ 生きて行くのに、これほど生きずらい世の中はありません。未来をこのような厳格化した社会へとする必要があるでしょうか?
テレビでもこの裁判が盛んにとりあげられ、ワイドショーでもコントロール番組が花盛りです。
これからも似たような裁判が起こされる可能性があるでしょう。そして私達の生活を脅かすはずです。認知症の親を持つ人はどうするのでしょうか?傷害保険に入らないといけない状態になるでしょうね。
目的は保険ですね。
大きな会社はほとんど、保険に入っているはずです。そうではありませんか?
個人の支払いを求めてそれが、支払の義務があるとする判決は、ここ最近顕著にみられるおかしな判決だと、私は思っています。
今後も裁判が起こされる可能性もあるので、認知症を患っている家族を見ながら裁判につきあわなければならないとなれば、どうやって暮らせばいいのでしょうか?
判例がものをいう社会となると、今までの常識が崩れて、精神的に疲れる社会へと変わるのです。この裁判がどうしてことさら大きく取り上げられ、まるで犯人は認知症の老人であり、家族も同罪ではないかと、思わせるように、コントロールしていることに、気をつけてください。