明治以降の重要文化財
全68件(絵画、彫刻、工芸)のうち
51点が集結するという
東京国立近代美術館の
“重要文化財の秘密”
- そもそも重要文化財とは、「文化財保護法」に基づき、制作優秀で我が国の文化史上貴重で、文部科学大臣が指定した有形文化財。そのうち、特にすぐれたものを、国宝に指定。
ほぼ全ての作品は二度三度鑑賞したことのある作品であるが、明治以降の日本画、洋画、工芸の異なる作者の作品を“重要文化財”というテーマだけで集めるのは、いささか芸が無いと思うが、副題に『「問題作」が「傑作」なるまで。“美術史の秘密”に迫る。』とありますが…
平日(木曜昼)は当日券が買えるくらいの余裕ですが、、チケット売り場は列になっていました。当日でもネット購入をお勧めします。
作品の三分の二くらいは、撮影可能になっています。展示期間に注意しましょう。
鏑木清方の「築地明石町」、「新富町」、「浜町河岸」、「三遊亭円朝像」は4月16日までです。
鏑木清方 築地明石町 1927 (昭和2)年
新富町 1930 浜町河岸 1930
『盲目の弱法師俊徳丸が、梅の花の咲く四天王寺の庭で、彼岸の落日に向かって極楽浄土を観想する。袖に降りかかる梅の花びらまでも仏の施行と感じる俊徳丸の悟りの境地が主題である。謡曲『弱法師』の1場面を絵画化した作品である。』
讒言で父親に追放された俊徳丸は悲しみのあまり盲目となり、弱法師と呼ばれ放浪する。父親に発見され、落日に極楽浄土を想う瞑想法を授かる。極楽浄土に迎えるの阿弥陀如来。
弱法師の着物は所々が破れ、柄が重なっている。漂う梅の香り、散る花びらに、仏の施行を感じ、落日に祈る。
この場面を悲劇的に扱ったのが、黒澤明監督「乱」のラストシーン。
大殿一文字秀虎(仲代達矢)の次男(根津甚八)の嫁、末の方(宮崎美子)は、秀虎がかって滅ぼした武将の娘。弟鶴丸(野村武司)は報復を怖れられ秀虎によって盲目にされた。
武満徹は、石垣から落ちる絵巻を鼓の一打ちで表現した
明治の洋画の始まりは、
高橋由一 鮭 1877(明治10)年
今回初めて観た唯一の作品は、山本芳翠(やまもとほうすい)の裸婦
驚きました…
(撮影不可 ネット画像借用)
なんと! “鮭”の3年後だ?!
山本芳翠(1850(嘉永3)年〜1906(明治39)年)は、1876(明治9)年に工部美術学校に入学しフォンタネージに師事したが、翌年退学、1878(明治11)年にパリ万博事務局員として渡仏。エコール・デ・ボザールに入学。アカデミスム美術のジェロームに師事。わずか2年で「裸婦」を制作している。裸体、顔、青みをいれた肌の表現など当時のアカデミズム美術をしっかり身につけている。しかも、背景の暗い自然表現は山本芳翠独自の感性のようだ。
黒田清輝の師匠、ラファエル・コランの「フロレアル」1886年
パリに10年暮した芳翠は、法律家としてフランスに留学した黒田清輝に画家の道を勧め、転身させた。
黒田清輝は帰国して、日本洋画発展の主役となる。
どれも有名な作品ばかりで、新鮮味はないが… 連動した近代美術館のコレクションは必見!!
つづく…