梅雨入りした曇天の東京、
弱く細い雨が衣服にしみこむ
ゲルハルト・リヒター展初日
現代アートの初日ではかなりの
人出ではないだろうか…
観客の顔ぶれがいつもと違うなと感じたのは現代アートという括りではない感じ…
いわゆるモード系ファッションの
黒い男女の若者が多い
何故だろう…
ゲルハルト・リヒターは、1932年旧東ドイツ ドレスデン生まれ
『60年に及ぶ創作の歩みは波乱に富んでおり、ポップ・アートに始まり、具象から抽象、再び具象へと転変。
スタイル、手法の変化によらず、ドイツアートの表現主義的伝統を継承しているとも云われている。
「理性と感情の調和」は西欧アートの規範とされた美の理想たが、彼はその解体をぼやけた具象的イメージやランダムに配置された抽象的形象
によって行った。』
・・・リヒターについての解説です
内部・外部、主観・客観、善・悪、男・女などの階層的二項対立を乗り越えようとするポストモダンの思想、脱構築主義を、写真と絵画の関係、ピントを外した写真や形象をランダムに配置した抽象絵画によって行ったということかな…
写真と絵画の関係では、
写真に基づく絵画作品
こんな作品かな…
写真が登場して、西洋絵画の主要なジャンルであった肖像画はその目的を失います。
リヒターは、写真登場以降の絵画はいかにして存続が可能なのかを考え続けた作家のようです。
ランダムに配置した抽象絵画とは、
リヒターは現代アートについて、
『「アートは変わりつつある」と語り、「出回っているものの7割はゴミだ」「傑作かどうかを判断する基準はもはや存在しない」』とリヒターは説明した。
現代では、モナリザのように芸術作品の質を判断する基準となる作品、美の規範がなくなってしまった、ということらしい。
マルセル・デュシャンの「泉」から出発したといわれる現代アート
泉 マルセル・デュシャン
美しいとか、傑作だとかの規範は無いわけですが、作者が作品に込めたコンテクスト(文脈、背景)を自分の脳で整理して、作品に向き合う事は必要ですね
その意味では、
現代アートも「美術」は見るものではなく読むもの、
頭で考え理解するもの、
という西洋美術の伝統を
引き継いでいますね
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