鎌倉二階堂の名は、奥州平泉の中尊寺に由来する。
頼朝が、奥州平定(1189)で犠牲になった、義経、藤原泰衡らの霊を供養するため、平泉中尊寺大長寿院の二階堂(二階建ての伽藍)を模して、※大倉御所から鬼門となる北西の地に、永福寺(ようふくじ)を建立(1192頃)した。
伽藍は、二階堂を中心に、薬師堂、阿弥陀堂を両翼に並べる壮麗な寺院で、正面には毛越寺庭園のような浄土庭園が広がっていた。
※大倉御所は、鎌倉幕府の行政の中心となる場所で現在の清泉小学校付近。
現在の永福寺跡は市の公園として整備され、近所の子供たちの格好の遊び場となっている。
展望台より眺める永福寺跡
二階堂跡の一角で子供たちが遊んでいる
現在の二階堂入口には、明治天皇が大塔宮・護良親王(1308〜1335年)
の御霊を祀るために創建された鎌倉宮が鎮座している。ここには鎌倉時代、東光寺という寺があり、足利尊氏との争いに敗れた護良親王が流罪となり、幽閉された土牢があった。この地で殺害された護良親王は、28 年という短い生涯を終える。
鎌倉宮を右に向かうと瑞泉寺、左に向かうと覚園寺がある。
覚園寺は、1218年二代執権北条義時が建てた阿弥陀堂が始まりの寺。
拝観受付より先の境内は、写真撮影禁止となっていますが、鎌倉の紅葉の名所です。
(ネット画像借用)
阿弥陀堂には、重要文化財の阿弥陀如来、日光月光菩薩、十二神将が祀らています。
鎌倉宮に戻り、瑞泉寺へ
瑞泉寺は、夢窓疎石(国師)を開山に1327年に創建されたました。
国師は、鎌倉石の岩盤を掘り、庭園を造りました。庭園には上段の庭があり上下二段構成の庭は、西芳寺(苔寺)1339年の魁となるもので、足利義満が建てた鹿苑寺・金閣の庭園にも引き継がれています。
上段の庭に向う路から貯清池を眺める
山頂に建つ「偏界一覧亭」ここから、鎌倉の山並、箱根の山々、富士の裾野に相模湾を自然の池となす、借景の大庭園を見ることができるそうです。
夢窓疎石はここで座禅を行い、ある時は鎌倉の禅僧が集まり五山文学の拠点となった。
二階堂の奥にある瑞泉寺。観光客はほとんど訪れない寺ですが、夢窓疎石の「岩庭」は極めてユニークな彫刻的日本庭園で、西芳寺庭園に伍す名園だと思います。お庭好きさんにお勧めします。