水戸偕楽園は、30歳で水戸藩第九代藩主となった、徳川斉昭によって1842年に開園しました。
「日本三名園」の金沢兼六園(1679年〜)、岡山後楽園(1689年〜)が作庭された元禄年間(1668〜1704年)に比べると1世紀半ほど後の幕末に開園しています。
兼六園と後楽園は、特別名勝に指定された池泉回遊式大名庭園ですが、偕楽園は偕楽園、桜山、丸山の「常磐公園」として名勝に指定されており、庶民にも開放された“近代の公園”に近い庭園です。
徳川斉昭は、江戸の小石川藩邸(現在の小石川後楽園の隣地)で生まれ、30歳に藩主になるまで部屋住みの身でした。斉昭は、2代藩主徳川光圀を敬愛しており、『水戸学』と『小石川後楽園』は自らのアイデンティティであり羅針盤だったのでしょう。
藩主となった斉昭は、天保の改革を始め、藩校弘道館の建設と偕楽園を造成する。
『一張一弛(いっちょういっし)』
文武修行の場(一張)の弘道館と、修行の心身を休める場(一弛)の偕楽園を相互に補完するものとして構想されている。
偕楽園と弘道館に梅を植えたのは、梅を愛した光圀へのリスペクトがあり、非常時の食料ともなる実用性を重んじたようだ。
偕楽園(常磐公園)は、偕楽園本園だけでなく、桜山、丸山、田鶴鳴梅林、千波湖を含めた広大な敷地の景観が愉しめる。
水戸偕楽園は、いつもメインの
偕楽園本園の梅林、好文亭だけで 満足していましたが…
次回は、その何倍もある「常磐公園」全体を歩いてみたい
桜、ツツジ、藤、蓮など花も!