本宮山の麓ぐらし

山に育てられ、土と遊ぶ・・・無農薬、無化学肥料で米さん、野菜さん、オリーブさんに育てられる毎日!!

霊的な恵みとは?

2020-07-23 04:10:57 | 伝えたいこと


何だろうか、この空虚感!?

まるで今まで一緒にいた皆が、一斉に自分の元を去っていったような気分である。

つい先日までは、ツイッターやフェイスブックへの情報拡散も毎日行えていたのに、今は何も出来ていない。

情報を探したら、思っている情報が直ぐに見つかって、それこそ恐ろしいぐらいに必要な情報が入ってきていた。

それが今は何も出来ていない。

探そうという気も起きてこない。

妻からも顔色が変わったと言われた。

そして今日の御言葉。

恵みを受けられていないということが分かった。

豊かではないけれども、神様からの「霊的な恵み」を受けていたのだと実感した瞬間である。

本当に今の自分に必要な御言葉を宣布していただいた。

自分の中にサタンが入って来て、信仰を奪おうとしているのだと教えていただいた。

と同時に、なんとか早くこの状態から脱出したいと、焦るような気にもなった。

御言葉から必要な答えがすぐに来ると教えられていたのを思い出した。

今一度、毎日の信仰生活を見直し、きちんと義の条件(明け方の祈り、神への愛、隣人の救い等)を立てて、直ぐにでも恵みを受けたい。


本当の幸せとは

2020-07-21 03:11:53 | 伝えたいこと


御言葉を聞くだけで感動し、気付かないうちに、いつの間にか涙を浮かべているときがある。

これは何なのか?

自分にとっては、良いことのように思えるが、はっきりとは解らない。

本当にこの御言葉に出会って良かったと思えるし、ここまで諦めずに信仰を続けて来て良かったと思える瞬間でもありました。

御言葉も含めて、真実を知って、それを皆に広めていくことだけでも大きな喜びを得られる。

イメージで言うと、

以前の生き方は、サタンの提供する悪のOS(PCのオペ―レーティングシステム)をインストールされて、
その中で少しずつ正しいと思われるアプリをインストールしていた感じで、何一つ満足のできない自分の存在や、人生を生きていた。

この御言葉を知ってからは、

善のOSをクリーンインストールし直して、毎日毎日新しいアプリをインストールしている感じがしている。

だから、その涙なのかもしれない。

新しいアプリをインストールされた喜びの涙なのかもしれない。

サラリーマン時代、メーカーに勤めていた関係で、どうしても新しい製品を作るイメージで考えてしまうのは仕方ない。

神様が人間を創られたのだから、成長し、どこまでも次元を上げていけば、限りなく神様に近づけるように作られているはずである。

そのH/W(ハードウエア)に御言葉というS/W(ソフトウエア)を加えることで、限りなく神様に近づけると考えるし、
だからこそ、神様の設計思想通りに生きることで、それぞれの個性を発揮できるし、喜びと希望を持って生きられるようになる。

神様の設計思想通りに生きることは、決して画一的な人間を作ることではなくて、
神様の与えた一人ひとりの個性を自分自身で探し出すことになるし、
そして、その個性を磨くことによって、人々の前で輝くことが出来、
そして、それを人々にまた、伝えていく、即ち伝道も自然に出来るようになるということである。

これらが理解できるようになれば、本当に希望と喜びの中で生きられるようになる。

これが本当の幸せなのではないだろうか。

聖書の言葉(コリントの信徒への手紙一 12章28節)

神は、教会の中にいろいろな人をお立てになりました。

第一に使徒、第二に預言者、第三に教師、次に奇跡を行う者、その次に病気をいやす賜物を持つ者、援助する者、管理する者、異言を語る者などです。

皆が使徒であろうか。

皆が預言者であろうか。

皆が教師であろうか。

皆が奇跡を行う者であろうか。

皆が病気をいやす賜物を持っているだろうか。

皆が異言を語るだろうか。

皆がそれを解釈するだろうか。

あなたがたは、もっと大きな賜物を受けるよう熱心に努めなさい。




現在の心境

2020-07-19 02:40:57 | 伝えたいこと


ラプトブログを読み続けての今の心境とは?

ラプトブログには、いわゆる「ラプト理論」と言われる、世の中にある陰謀についての解き明かしと、霊界の神様からの啓示内容が書かれた「御言葉」があります。

「御言葉」は有料ですが、人々が幸せになるためにはどう生きたらいいのか?
その答えが書かれています。

その心境を書いてみたいと思います。

この御言葉の意味を理解していくと、自然に人々に伝えたい、教えたいという思いが湧き起こってきます。

これは何なのか?

自然に湧き起って来る熱情を感じて、早く多くの人にこれを伝えたいと思ってきます。

これも神様がお創りになった、人間の脳をそのようにプログラムしたのか?

脳というより魂をそういうふうにプログラムしているように感じる。

決して表には出ない、ファームウエアのようなものではないだろうか。

どこかにスイッチがあって、そこに行き当たるとスイッチが勝手に入ってしまうという感じかもしれない。

この御言葉の中のどこかにスイッチがあって、その言葉を開くとスイッチが入って、この御言葉自体を人々に伝えたくなり、伝えなければならないという使命感が湧いてくる、ということなのかもしれない。

そして、それはある程度、御言葉を聞いて成長していなければ出来ないのではないだろうか。

自分がそれだけ成長していると言いたいのではなく、”本当に人々に伝えたい”と思うようになったのが初めてだからである。

庶民が上級国民に勝利するためには、真に必要なことであるし、サタン(霊界の悪魔)やイルミナティ(この世の悪魔崇拝者)を滅ぼすために必要なことであるし、義人(この御言葉に従順に従って成長した人。神様と同じ心情と考えを持つ人)がこの世を統治するために必要なことである。

あらゆる問題を解決する答えがここにある。

この御言葉に従って神様と疎通し、神様の力を得て行動することである。

この世界の構造を理解しなければ根本的な解決法は得られない。

アメリカの奴隷国から脱却するのにも、まずアメリカを動かしているイルミナティが何なのかを知る必要があるし、それが解れば、その勢力(ロックフェラー?これだけとは限らないが)を滅ぼすためには、まず霊界のサタンを滅ぼさなければイルミナティも滅ぼすことは出来ないし、霊界を変えるには義人の祈りが必要とされる。

そして、肉界(この世)の勢力を滅ぼすためには、彼らイルミナティの真実と嘘を発見して、情報拡散することが重要である。

それぞれの国で、それを行っていけば義の世界となって来る。

そのようにして、義人たちが統治する国にしていかなければならない。

以上、今日は今の心境を書いてみました。

この世界は、霊界と肉界(この世)によってできていて、霊界のサタンが肉界の人間をコントロールしているのだということ。

そして、肉界のイルミナティを滅ぼすには、祈りの力で霊界のサタンを滅ぼさなければ、肉界のイルミナティは完全には滅ばないということ。

ラプトブログの一番言いたいことはこの事です。


愛について

2020-04-24 04:19:00 | 今日の悟り


愛とは何か?

長い間というか、今まで”愛”について本気で考えることはありませんでしたし、愛するとはどういうことなのか、言葉にしてはっきりと理解することも、してきませんでした。

なんとなく、「命をかけてまで守りたいもの」なのではないかと漠然と考えていた程度でしたから、RAPTブログの御言葉を聞くようになって、初めて”愛”について教えてもらったような気がします。

「今頃知ったんかい。遅いよ!」と言われるのは覚悟の上ですが、事実だから仕方ありません。

聖書には愛について、「心と思いと精神を尽くして神様を愛しなさい」と「隣人を自分のように愛しなさい」と言われています。

ただ、愛について良く解っていない状態で愛そうとするので愛せない。

御言葉では「愛というのは相手の心情を慮って、相手の心情を察して、相手が喜ぶことを命がけでやることが愛である」と仰いました。

言葉というのは凄いですね。

こうやって言葉にすると、そうだよな!と、具体的に頭の中でイメージ出来るようになります。

シンプルで解りやすいのですが、実際これを実行しようとすると大変難しい。

「隣人を愛しなさい」を実行しようとすると、出会う人の全てに対してこれを実行しなければならない。

今の自分にそれができるのか、自信は全くない。

まさに、神様の道は狭い道に違いない。


この御言葉を知った時は「これが究極の愛」だと思っていたが、後の御言葉でさらに次元の上がった愛の表現が出た。

とにかく、次元はどんどん上がっていくのだ。

ラプトさんが仰った愛についての御言葉。

「自分が何をしたら幸せになれるかを祈り求めたのではなくて、神様が何をしたら最も喜ぶのかを祈り求めた。」

その結果、神様はラプトさんが最も幸せになれる道を示してくださった。

両方が相手の事を考えて、

「私は神様が何をして欲しいと願っているのかというのを求めたし、神様は一番私が幸せになれる道を教えてくくださった。」

ラプトさんの祈りに対して、神様は何をしたら喜ぶよと答えたのではない。

両方が互いに相手の事を考える”愛”

こんなことは誰も教えてくれなかった。









聖書は書き換えられているのか?(霊的な立場から)

2020-03-13 21:49:45 | 今日の悟り


聖書で良く問題にされるのが、書き換えられているのではないか?という問題です。

確かに、書き換えられているのであれば、間違った方向へと導かれていく可能性が高いですよね。

RAPTブログを読んでいる方ならば理解できると思いますが、「聖書を何度も読んで悟りなさい」と言われます。

他の聖書についての解説書は読まずに、RAPTブログの御言葉を聞いて聖書を読めば悟ることが出来ると言われています。

3月10日の朝会の御言葉では、

神様に意識を向けた人の霊魂は神様のところへ行って、神様の霊から影響を受け、世の人に意識を向けた人の霊魂は、
世の人のところに行って、世の人の霊から影響を受ける。だから世の人に意識を向けるのではなく、
絶えず神様に意識を向けて生活しなさい。

という内容でした。

神様の事を意識して祈っていると霊魂が神様のところに行って、そして神様を感じる。

RAPTさんは、「神様を感じたときに神様はこういう方だと、なんとなく感覚で解っていたから、だから聖書を読んだときに”これだ”と思った。」と仰っています。

この御言葉を聞いていて、悟ったのは、このことによって聖書が本物であると解るということでした。

極端に言えば、聖書が書き換えられていても問題ないということです。

どういう事かというと、我々が聖書を読んだときに悟れるかどうかが問題で、神様に常に意識を向けていれば神様がどんな人か

感じて解る。

そのうえで聖書を読めば、これこそ神様の言葉だと理解することが出来るし、悟ることが出来る。

悟ることができた言葉は本物であるし、悟れなかった言葉は偽物であるか、まだ我々自身の次元が低いので

悟ることができないのかのどちらかなので、何度も読んで悟るかどうかで解る。

ということで、私の結論は書き換えられていても問題ないということになります。