
コンピューターは人間を超えることができるのか?
なぜこのことについて考えようと思ったのか?
RAPTさんよりの御言葉の中に、「人々がこの御言葉を受け入れることはコンピュータがOS(オペレーティングシステム:コンピュータの基本ソフトウエア)をインストールすると同じようなもの」であるようなことを言われていたと記憶しています。
同じコンピュータでもOSが違えば、一見外部から見た動きは同じようでも内部の動作は異なってきます。
例えば、物をある場所から別の場所に移動させる命令に対しても、入力に対しての機能部品の動作の優先順位も違うでしょうし、異なったアルゴリズムから、同じ出力のように見えていても内部では動きは違っているはずです。
聖書では「神様は人間を自分をかたどって創られた」と書かれています。
その段階では人間は単なるH/Wとして作られているとも考えられます。
そして、赤ん坊の時期には、ごく初歩的ながらOSもインストールされています。
それから、成長するにしたがってH/WもOSも徐々に更新されて、様々なアプリもダウンロードして・・・。
なんだか、人間がコンピュータと同じように思えてきました。ここまでは。
OSもパッチを当ててマイナーチェンジや修正をする時期と、新しいOSを一新するようにクリーンインストールするときがありますが、RAPTさんの御言葉に従順に従うということは、コンピュータのOSを更新するぐらい、人間にとって大きな出来事なのです。
ある意味、生まれ変わるのと同じなのではないでしょうか。
恋愛アプリや感情アプリなどを得て、それらをコントロールする状況判断アプリ・・・。
限りなく人間に近づける為の、終わりなき挑戦のようなものなのかもしれません。
最近の御言葉では「人は悟ることを積み重ねることによって神様に限りなく近づくことができる。」と仰っています。
人間は人間で全知全能の神様に限りなく近づき、神様と愛を成して生きていくことが最高の祝福であると仰っています。
人間は神様に限りなく近づこうとし、コンピュータは限りなく人間に近づけようとしています。
結論はコンピュータは人間に限りなく近づくことは出来るが、超えることは出来ないということになりますが、さてどうなるんでしょうか?