聖書では、「人間は神様をかたどって創られている」と書かれている。(創世記1章26~27節)
しかし、実は人間は姿形が神様に似せて作られているだけではないという事が御言葉を聞いて解りました。
我々の姿形が神様の似姿になっている理由がやっと理解できた。
単に、姿が似せて作られただけではないのだ。
神様と同じ目的で生きるように作られているのだ。
御言葉では次のように述べられている。
「我々は神様と同じように成長しているので神様と同じ目的で生きないと正しい目的で生きられない。そして、神様は人々の救いのために生きているので、同じように人々の救いのために生きなければ正しい方向に向かって成長できない。正しい方向に向かって成長しなければ霊魂はいずれ虚無感を感じるようになる。何のために生きているのだろうかと思うようになる。」
そして
「霊魂の悩みが肉体まで伝わってくる。それで、自分は何のために生きているのか肉体まで悩むようになる。生きている目的、生きている理由が解らなくなる。」
人々を救うために生きなければならないのだ。
それに向かって生きなければ、虚無感を感じ、何のために生きているのか解らなくなるのだ。
そのための成長、霊魂を成長させなければならない。
そこに向かって生きることが唯一の目的である。
非常にシンプルである。
これが答えである。
人は何のために生きるのか?
この問いの答えである。
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