本宮山の麓ぐらし

山に育てられ、土と遊ぶ・・・無農薬、無化学肥料で米さん、野菜さん、オリーブさんに育てられる毎日!!

祈りは叶えられる3

2020-11-15 03:44:25 | 伝えたいこと


少し古い話になりますが、実は8月6日の日に自動車事故を起こしました。

車対車の軽い衝突事故でしたが、自分の車は廃車にしました。

変則的な6差路交差点で、すべての道路は一時停止で進入し注意しながら、それぞれの進路へと出ていく放射状の交差点です。

私の車は方向的には、やや斜め左の方向へと進もうとしていて、相手は自分から見て左の進入路から直進して出ていく方向です。

私が一時停止してやや左に向かって侵入していくときには相手は一時停止線に向かってきていましたが、私は一時停止するものと思い、そのまま、交差点を抜けようとしたのですが、相手は一時停止せず、そのまま直進してきました。

その時、自分は「このままだと衝突するな」と思ったのですが、なぜか「ブレーキを踏め」という指令が脳から出てこないのです。

ブレーキを掛ける余裕はあったのですが、指令が出ない。

「あー、ぶつかる。けど、ブレーキを踏めの指令が出ない。なんでー?」という感じでした。

そして、当然の如く、衝突しました。

後で思ったのは、サタンが自分の中に入って来て、脳からの指令を出さないようにしたのでは?という事です。

もう一つは、裁きです。

信仰の薄さに対して神様が裁きを下した、という事です。

ラプトさんは御言葉の中で、「悪いことが起きたときは、全てを裁きと考えて悔い改めなさい。」と言われています。

自分もそういう風に考えて、悔い改めて、信仰を深めようと決心しました。

「祈りは叶う」の話はこれからです。

自分の車は古く30万キロ近く走っていたので、買い替えることにしました。

ちょうど私が仏教を捨てた年ですが、前の車が故障したときに、友人から只でもらった車なので乗っていたのです。

信仰を持っていたときで、ナンバーは「7770」に希望しました。

三つの7は、神様、御子様、聖霊様でそれぞれ7の力を持っている。

そして最後の0は今の私で、0の力しかない、と考えていました。

それがこの写真です。


相手方の車がこれです。


そして、最終的には買い替えたのですが、もちろん中古ですが。

最初はナンバーは同じ「7770」にしようと思ったのですが、途中で考えが変わり、「神様にお任せしよう」と思って通常の成り行き任せにしました。

ただ、車が納車されるまで「神様にお任せしますから、自分にふさわしい、いい番号を!ください」と毎日真剣に祈っていました。

そして、納車の日に見たのが「1727」でした。

それを見たとき、「えー!、すごい!」と思いました。

「1に7、2にも7」つまり、「1にも2にも神様だよ、神様を一番に愛しなさい。」と言われているようでした。

なんとでも取れるだろうとお思いでしょうが、自分にとっては願ってもないナンバーでした。

それがこれです。


それと、もう一つ台風の進路です。

今年の台風14号ですが、稲刈り時期に九州直撃の様相でしたが、毎日「神様どうか、東に逸らしてください」と祈っていました。

そうしたら、その通りになってしまいました。

これは、多くの農家の方々が祈っていたのだと思いますので、私だけの祈りが叶えられたとは思いませんが、いずれにしても「祈りは叶えられる」、という事だと思います。

それがこれです。


神様に感謝いたします。

人は何のために生きるのか

2020-11-10 04:45:46 | 今日の悟り


聖書では、「人間は神様をかたどって創られている」と書かれている。(創世記1章26~27節)

しかし、実は人間は姿形が神様に似せて作られているだけではないという事が御言葉を聞いて解りました。



我々の姿形が神様の似姿になっている理由がやっと理解できた。

単に、姿が似せて作られただけではないのだ。

神様と同じ目的で生きるように作られているのだ。

御言葉では次のように述べられている。

「我々は神様と同じように成長しているので神様と同じ目的で生きないと正しい目的で生きられない。そして、神様は人々の救いのために生きているので、同じように人々の救いのために生きなければ正しい方向に向かって成長できない。正しい方向に向かって成長しなければ霊魂はいずれ虚無感を感じるようになる。何のために生きているのだろうかと思うようになる。」

そして

「霊魂の悩みが肉体まで伝わってくる。それで、自分は何のために生きているのか肉体まで悩むようになる。生きている目的、生きている理由が解らなくなる。」

人々を救うために生きなければならないのだ。

それに向かって生きなければ、虚無感を感じ、何のために生きているのか解らなくなるのだ。

そのための成長、霊魂を成長させなければならない。

そこに向かって生きることが唯一の目的である。

非常にシンプルである。

これが答えである。

人は何のために生きるのか?

この問いの答えである。

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聖霊に満たされるとは

2020-11-06 01:50:29 | 今日の悟り


信仰を守っている人の一つの大きな目標は「聖霊に満たされる」ことではないでしょうか。

ラプトさんは聖霊に満たされるときは、「爆発的な喜びがあり誰でも気づくことが出来る」と仰っています。

聖霊に満たされることは非常に難しく、私自身はまだ爆発的な喜びは感じることが出来ていません。

毎日の祈りの中で、「自分の中にはまだ、利己心、競争心、怒りの気持ちなどがあるので、これらの心の中の罪を無くすることが出来ますように!」と祈っていますが、まだまだ心のどこかに残っていて、毎日の生活の中で頭をもたげてきます。

先日聖書を読んでいて、ひっかったイエスの言葉。

「わたしの教えは、自分の教えではなく、わたしをお遣わしになった方の教えである。この方の御心を行おうとする者は、わたしの教えが神から出たものか、わたしが勝手に話しているのか、分かるはずである。自分勝手に話すものは、自分の栄光を求める。・・・」(ヨハネによる福音書7章16節)

ここまで読んで、「あっ、自分の事だ!」と気づきました。

ツイッターなどのSNSで言っている言葉が唯、自分勝手に言っているだけで、毎日聞いている「御言葉」を伝えていないことにハッとさせられました。

自分の場合、利己心はお金よりも、人に認められたいという名誉欲のほうが強いと思いますが、そういったものが、自分勝手な言葉となって、SNSでの言葉となっているのでしょう。

毎日、心の中の罪を無くせるように祈りながらも、実際の行動ではそれが出来ていなかったのです。

同時に、「肉性をどこまでもなくしなさい。」という御言葉が思い浮かびました。

過去の御言葉を調べてみると、「肉性(欲望や感情)の強い人は聖霊を受けられず、聖霊を受けられない人の祈りは叶えられない。」との言葉がありました。

肉性を無くすためには、「毎日祈りの中で、自分の肉性を無くすと決心し、常に神である私に頼り、」
「毎日、自分の罪をきちんと悔い改めなければならない。」とありました。

肉性を無くすることが出来ますように!

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