自然は完全なのに、神様は何故人類のような不完全なものを作ったのか?
もし、人が地球上に存在していなければ、環境汚染、破壊は無くなるのにと思ってきました。
ただ、人も自然のうちの1つだとすれば必要とされるはず。
最近、千島学説の勉強を始めました。
医学博士の千島喜久雄氏は医学会において革新的な8大原理を提唱したが、受け入れられず、現在まで無視され続けている。
腸造血説、細胞新生説など既存の学説を否定するもので、学者等の保身のために今日まで認められていない。
真偽はともかく「第8原理 心身一如の生命弁証法 (自然や生命の波動、螺旋的傾向)」のなかで
”真の美は少なく歪み(不相称性)を含んだ相称である。”
”完全なる調和は死に通ずる。動きが無いからである。”
と言い、レオナルド・ダ・ビンチはビーナスの顔を測定して僅かに左右不相称であることを知り、
日光東照宮の陽明門も一本の逆柱(さかばしら)が入れてあるという。
それで、自然の中に人が存在する理由はこれか!と思ったのである。
不完全な人がいることで、僅かに調和が崩れる。
それが新たに調和しようとする力(思考、行動)を発生し進歩を生むのではないか?と考えたのである。