本宮山の麓ぐらし

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聖書は書き換えられているのか?(霊的な立場から)

2020-03-13 21:49:45 | 今日の悟り


聖書で良く問題にされるのが、書き換えられているのではないか?という問題です。

確かに、書き換えられているのであれば、間違った方向へと導かれていく可能性が高いですよね。

RAPTブログを読んでいる方ならば理解できると思いますが、「聖書を何度も読んで悟りなさい」と言われます。

他の聖書についての解説書は読まずに、RAPTブログの御言葉を聞いて聖書を読めば悟ることが出来ると言われています。

3月10日の朝会の御言葉では、

神様に意識を向けた人の霊魂は神様のところへ行って、神様の霊から影響を受け、世の人に意識を向けた人の霊魂は、
世の人のところに行って、世の人の霊から影響を受ける。だから世の人に意識を向けるのではなく、
絶えず神様に意識を向けて生活しなさい。

という内容でした。

神様の事を意識して祈っていると霊魂が神様のところに行って、そして神様を感じる。

RAPTさんは、「神様を感じたときに神様はこういう方だと、なんとなく感覚で解っていたから、だから聖書を読んだときに”これだ”と思った。」と仰っています。

この御言葉を聞いていて、悟ったのは、このことによって聖書が本物であると解るということでした。

極端に言えば、聖書が書き換えられていても問題ないということです。

どういう事かというと、我々が聖書を読んだときに悟れるかどうかが問題で、神様に常に意識を向けていれば神様がどんな人か

感じて解る。

そのうえで聖書を読めば、これこそ神様の言葉だと理解することが出来るし、悟ることが出来る。

悟ることができた言葉は本物であるし、悟れなかった言葉は偽物であるか、まだ我々自身の次元が低いので

悟ることができないのかのどちらかなので、何度も読んで悟るかどうかで解る。

ということで、私の結論は書き換えられていても問題ないということになります。