仕事と生活の授業(続き)

前に作ったホームページは、あまり読まれないようなのでブログで再挑戦です。

45.日本神話の大八洲の誕生と実際の歴史(2) イザナミのミコト、イザナギのミコトは水の神様

2024年05月07日 | 日本神話を読み解く
島々を生んだというと、海底火山が噴火して
島になるイメージが湧くので、
どうしても海から陸が現れると
思ってしまいます。

ところが現実の歴史では、
大陸から切り離されていた大きな島に海の水が流れ込んで今の日本列島の形になったのです。

今回は、
大八洲を生んだ主人公であるイザナギのミコト、イザナミのミコトについて考えます。

あまり言われていませんが、イザナギのミコト、イザナミのミコトは、水や海流の神様です。

日本書紀の一書(本文に併記された異説)でイザナギのミコトは、沫蕩(アワナギ)のミコトのお子様と書かれています。
古事記において、アワナギのミコトの一族は、海や川などの水の神様とされています。

「イザ」は、人間の意思を表す言葉です。
「いざ行かん」「いざさらば」は、自分の意思を確認する言葉です。
「誘(いざな)う」のは、他人の意思に働きかける言葉です。意思に反して無理やり強いるというニュアンスはありません。
(「なう」は、名詞や感嘆詞を動詞化する言葉です。「占[うらな]う」「商[あきな]う」「諾[うべな]う」など。)

「ナギ」は「沫蕩(アワナギ)」で使われている「蕩」の字の意味を考えれば分かるように、「漂う」「揺蕩(たゆた)う」という水に関する言葉です。ゆったりとした流れ、または静かな流れを意味する「凪(なぎ)」のことです。

(たゆたう、と聞くといつも漫画の『ぼのぼの』を思い浮かべてしまいます。)

「ナミ」は言うまでもなく「波」です。

イザナミのミコトは、自分の意思(「イザ」)で自由に「波(ナミ)」を起こすことができる神様です。

大きな一つの島に「波」を誘(いざな)い、いくつかに分割することで今の日本列島の形を作りました。

縄文海進と呼ばれる海面上昇の時代は、激しい災害を伴うものだったはずです。
今からでは想像もつかないほど大きな津波もあったであろう「波(ナミ)の時代」でした。

その後海水面が安定した後は、「波の時代」に比べれば、ゆったりとした流れが続く時代になります。縄文海退とも呼ばれるその時代は、「凪(ナギ)の時代」です。

イザナミのミコトは、激しい海流を、イザナギのミコトは、悠然と流れる海流を象徴しているのでは、ないでしょうか。

おそらく縄文海進の終了と共にイザナミのミコトはお亡くなりになりました。
一方でイザナギのミコトは明確にお亡くなりになったとは書かれていません。生き続けているような書きぶりもされています。

今でも雨水による侵食や土砂崩れにより、山地が崩れ、平地の標高が上がっています。それに伴い海岸線は、沖の方へ後退していきます。縄文海退は今も続いています。
私達はイザナギのミコトと一緒に「凪(ナギ)の時代」を生きていることになります。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【以下、補足です。】

中国の元の時代に作られた『宋史』の日本伝では、イザナギのミコトのお父さんが沫名諾(あわなぎ)と記載されています。日本人の留学僧である奝然(ちょうねん)様が宋の太宗に献上した『王年代紀』を基にしたと言われています。

古事記ではアワナギのミコトは、速秋津(はやあきづ)という名の水戸(みなと)の神様の子になっています。
速秋津の「あきづ」はトンボのことです。
トンボは幼虫の時は水の中にいて、
成虫になると地上で暮らすので、
陸と水の接点である「水戸=港」の神様に
ふさわしい名前なのかもしれません。

なお、古事記では、速秋津の神様はイザナギのミコト、イザナミのミコトが生んでいるので、
先ほどの日本書紀の一書の記述とは合いません。

水の神様、海流の神様というと、ギリシャ神話では、オーケアノスという神様がいらっしゃいます。
英語のオーシャン=海、の語源です。

妹のテーテュースと結婚して、男性である河川の神様3000柱を生み、女性である海や泉、地下水の女神を3000柱生んでいます。
速秋津の神様も兄(速秋津日子_ヒコ)と妹(速秋津比売_ヒメ)で、それぞれが河と海を分担します。そして水に関わる男女の神様を対になるように生んでいきます。
男女の対が意識されているのと、河と海を男女で分担している様子がギリシャ神話と日本神話で共通しています。

オーケアノス神に対応するのが、速秋津日子の神になると思いますが、海流の神様という性質は、イザナギのミコトにも引き継がれていると思います。
イザナギのミコト、イザナミのミコトが関わる大八州の誕生の神話において、海流の果たす役割はとても大きいからです。

もちろんお二人は、山も木も野原も全てを生んだ神様です。その中で海流の神様としての役割が重要だと思っています。


かわいいイラストは、イラストACからもらっています。
ぼのぼのの絵は、著作権の問題もあるのかな、と思い、アマゾンのページをリンクしました。

次回は、大八洲の誕生を順番に見ていきます。

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44.日本神話の大八洲の誕生と実際の歴史(1)

2024年05月05日 | 日本神話を読み解く
日本神話には、日本列島が誕生した話があります。

それを縄文時代に実際にあった日本列島の誕生の歴史と比べると、いろいろ解ることがあります。

日本神話で日本列島を生んだのは、イザナギのミコトとイザナミのミコトです。

島の誕生というと、海の中から火山のように島がにょきにょき生えてくるイメージがわきます。

ところが実際の日本列島の誕生の歴史はそうではありません。

縄文時代が始まる前、氷河期最盛期だった2万年前の地球は大量の水が陸地の上で氷河となっていました。

そのため海水が減少し、当時の海面は今よりも120mから130mも低かったことになります。

当時は瀬戸内海が全て陸地になっていました。瀬戸内海では漁の網にナウマンゾウうの化石が引っかかることがあります。

瀬戸内海は、ナウマンゾウが歩き回る草原だったことが分かっています。


瀬戸内海が陸地だと、本州、四国、九州はくっついて一つの島になります。

『鵜野日出男の今週の本音2009・2010』というHPにとても良い地図が出ていたのでお借りました。




北海道と沖縄は、大八洲に含まれていないので、大八洲の誕生は、大きな一つの島が、海面の上昇によりいくつかの島に分かれていったことが実際の歴史上の出来事です。

瀬戸内海が水没する様子は、
ネットで見つけた次の論文で詳しく書かれています。
阿波学会紀要第61号 2017.3
『地形・地質から見た鳴門海峡の成立』
西山賢一他


実際の歴史を基に日本書紀を読んでいくと、大八州がどの島を指すのかが分かります。

古来、日本列島を大八洲(おおやしま)と呼びますが、

どの島を指して8つの島かという問題は諸説あります。

私にはこう読めますという話です。

続きは次回以降に...、

一応、日本書紀本文における大八州をあげておきます。

1.大日本(おおやまと)豊(とよ)秋津(あきづ)洲:本州
2.伊予二名(いよのふたな)の洲:四国
3.筑紫(つくし)の洲:九州
4.億岐(おき)の島:隠岐の島
5.佐度の洲:佐渡ヶ島
6:越(こし)の島:(これがどこを指すのか定説がありません。)
7.吉備の子洲:岡山県児島半島(島だったのですが、干拓等により半島になりました。)
8.大洲:(定説なし。)

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43.菊理媛(くくりひめ)の謎

2024年03月31日 | 日本神話を読み解く
[百人一首]の中でも有名な歌

ちはやぶる
 神代も聞かず 龍田川
  唐紅(からくれない)に
   水くくるとは

最後の「くくる」が気になって
「菊理(くくり)媛」を祀る
白山神社に行ったのが、
東京十社巡りの始まりでした。



十社を巡った後に近所の
小岩神社 をお参りして、
菊理媛の謎が解けました。

§東京十社巡りと水の神様の発見

東京十社巡りをして分かったことは、
多くの神社で主祭神とは別に
水の神様を大切に祀っ ていることでした。

品川神社の鳥居に
龍神様が彫られているのに
圧倒されました。

とても気になって
品川神社の本宮にあたる
千葉館山の洲崎神社にも行きました。


根津神社では、
ギリシアと同じ
海の神様への信仰を感じました。

40.東京十社巡り その4 根津神社 - 仕事と生活の授業(続き)

40.東京十社巡り その4 根津神社 - 仕事と生活の授業(続き)

富岡八幡宮の次は、文京区の根津神社です。現地に行くことは大切ですね。おかげで大発見ができました。ポセイドンとハデスに対する古代ギリシアの信仰とスサノオのミコトと...

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富岡八幡宮では水の神様を
市杵島(いちきしま)姫命として
祀っています。


(海中鳥居で有名な
 広島の厳島(いつくしま)神社に
 繋がるお名前です)

多くの神社で神社の池のほとりに
水の神様を祀る摂社があります。

§水の神様を守る木の神様

小岩神社には敷地の一番奥に
小さな「水神社」の石の祠(ほこら)
が祀られています。

小さな祠に比べて
かなり大きな木が二本、
その前に植えられています。
鳥居のような位置関係で、
まるで水神社を
守っているようです。


近くの小さな水天宮でも、
祠と二本の木が同じ位置にあります。


そこで、はっと気が付きました。

この二本の木は、
水の神様を守っている一方で、
我々人間を水の災害から
守る為に植えられているのかもしれません。

§森と林の役割

私達人間は、水無しには生きていけません。
けれども水の力はあまりに強く大きいため、
津波や洪水が私達の暮らしを脅かしています。

木は、森や林になって、
私達と水との摩擦を
和らげてくれています。

山に降った雨が
そのまま流れ落ちてきていたら、
洪水の被害は今の比ではありません。

雨の降らない時期に
水を使うことができるのも、
森が水を蓄えてくれているからです。

§古代の叡智『竹林堤防』

洪水から生活を守る治水の方法として
『竹林堤防があります。

徳島県の吉野川が有名ですが、
鹿児島県の川内川での活用も
国土交通省のHPで紹介されています。



イザナギのミコトが黄泉の国の
イザナミ(波)のミコトから逃げ帰る時、
ブドウとタケノコが守ってくれます。



これは、蔓植物と竹林の組み合わせが
津波や洪水に有効だということです。

次の徳島県立図書館発行阿波学会研究紀要
吉野川水系『北島町の植物相』が参考になります。

『北島町の植物相』:
「水防のために、かつては多くの竹林が育成されていたと考えられる。」「カラスウリ、キカラスウリ、センニンソウ、ノブドウ、イシミカワ、アオツヅラフジ、ヘクソカズラなどのつる性の植物がメダケを覆うように生育している。」



§木の神様の名前「ククノチ」の由来

日本神話で、樹木の神様は
「久久能智(ククノチ)の神」です。

「ク」と「キ」は音韻変化で、
よく交換されます。

「茎(クキ)」を元々
「クク」と言っていました。

また「菊理(ククリ)媛」
という読み方から
「菊(キク)」も元々は
「クク」だったと考えられています。

観賞用の菊を見ると、
花は言うまでもありませんが、
太く真っ直ぐ伸びた茎に
特長があります。

「菊(キク、クク)」は音読みです。
「茎(クク)」は、やまとことばに思えます。
「菊」と「茎」の音と意味の一致は、
偶然なのか、由来があるのか分かりません。
いずれにしても「菊理媛」の「菊」の字は、
「茎」に通じるために
使われたのだと思います。

「ククノチ」の「ノチ」
は神様を表す「ムチ」「モチ」
と同じだと言われています。

一方で「ノチ(の道_後)」には、
川のように流れ行くものの先
=「末(スエ)」という意味があります。

元々空間的な意味でしたが、
後(あと)から時間的な
「末(すえ)」=「後(のち)
を指すようになったそうです。

「ククノチ」は根の方から見て
「茎」が真っ直ぐ上に伸びていった末(すえ)、
つまり、
真っすぐ伸びた高い茎という意味で
木そのものを指す言葉だったのかもしれません。


§「茎」「括る」「潜る」の語源「漏(ク)く」

更に進んで、
「茎(クク)」の語源を考えます。

音が同じ「括る」「潜る(古くはククル)」
の語源は、「漏(ク)く」です。

意味は漏(も)れるとされていますが、
「潜(クク)る」に「狭い所を通る」
という意味があるので、
同じ意味があります。

次の日本書紀の例が示してくれています。

高皇産霊尊(タカミムスビのミコト)
のお子さんの
少彦名命(スクナビコナのミコト)が
高天原から落ちてくる場面でのことです。

少彦名命は、一寸法師のような小さな神様で、
高皇産霊尊の手のひらから
こぼれ落ちて地上にやってきます。

(大国主命と少名彦名命)

「手間(タマ_手の指の間)より
漏(ク)き堕ちにし(漏れ落ちた)」
と表現されています。

狭い指の間を通って
落ちてきたという意味です。

§「括る」と「潜る」は、元々は同じ

「潜る」には、
狭い所を通すという意味があります。
「括る」にも
その意味の名残りがあります。

古新聞を紐で括ることを想像してください。
重たい新聞紙の束を少し持ち上げて
裏に紐を通す作業が必要です。

「括る」為には見えない裏側を通して
巻き込むことが必要です。
この紐などを巻き込むイメージは、
近い意味の「結ぶ」にはありません。

「しゃぶしゃぶ」の意味を調べると、
「肉をお湯に【潜らせて食べる」
と出てきます。

一度お湯に入れて引き上げる動作が
「括る」の巻き込むイメージに繋がります。

お湯に通すので、必ずしも狭いところを通す
ということではなく、
別世界に行って帰って来るイメージです。

古新聞を括る場合も、
紐を新聞の束の裏側という
見えない場所(世界)を通し、
戻って来させるという動作が伴います。

§「クク」は、見えない世界を通すこと

茎や木の幹の役割もこの側面があります。

「竹林堤防のお話は先程しました。
ノブドウその他のつる性植物に覆われた
メダケなどの竹林は、洪水や津波の際
水は通しますが、土砂や危険な漂流物
は通しません。

雨は見える世界の出来事です。
その雨が、
地中という見えない世界に入り
根や茎、幹を通して
みずみずしい果実という形で
再び地上に姿を現わします

麦の茎を英語でストローと言います。
茎が水を通す管だというイメージは、
日本語と英語の双方で共通しています。


草の茎や木の幹は、
土の中の水を通すことで、
人間にとって大切な
花や実をつけることに役立ちます。

土の中の水を直接飲めば
細菌によりお腹を壊すことがありますが、
果物ではその心配はありません。



§「菊理媛」は、木の神様

ある一面では人を傷つける水を
人に有用な形にすることが
「ククル」ことであり、

その仕組み(名詞形=連用形)が
「ククリ」です。

そしてそれが人と水を束ねること、
共生することにも繋がっています。

「菊理媛(ククリヒメ)の漢字
「菊」は、「茎」を表し、

「理」は真っすぐ伸びる筋を表します。
「肌理(キメ)」で使われる
「理」がその意味です。

「ククノチ(茎の道)」=「木」の意味を
漢字で表そうとしたのかもしれません。

今までの考察から
菊理媛は木の神様だと思います。

彼女は目に見えないところで、
水を人に有用な形に変えて、
荒ぶる水の猛威を
人に優しいように
和らげてくれる神様です。



§菊理媛の秘密の言葉

それでも人は水の災害で
命を奪われることがあります。

古事記、日本書紀において
津波の神様である
イザナミ(波)のミコトは、

一日に1000人の人の命を
奪うと宣言しています。

それに対して
旦那さんのイザナギのミコトは
一日1500軒の産屋(うぶや)を作り
人々に子供を生ませると言い返します。

際限ない言い合いになりかねない
この夫婦喧嘩をとりなしたのが
菊理媛です。

日本列島を生み出した偉大な神様が
イザナミのミコトです。
彼女が誘(いざな)う津波を
菊理媛の力では止められません。

木の神様である菊理媛ができることは
水の災害で人々が滅んだりしないように
被害を和らげることです。

菊理媛はこのことをイザナギのミコトに伝えます。

菊理媛が
イザナギのミコトに
ささやいた言葉は
秘密とされています。

その言葉は
日本神話の大きな
(最大の?)謎です。

その謎が
ここまでのお話で
解けました。

菊理媛は、
イザナギのミコトに
こう言いました。

「私には水の猛威を
抑えることはできません。

けれども、
人々が繁栄できるように
その猛威を和らげることは
できます。

そして
私はそれを行います。」

この言葉を聞いた
イザナギのミコトは
菊理媛を褒めた、
と日本書紀にあります。

見えないところを通すのが
「ククリ」です。

菊理媛が言った言葉は
隠されました。

§日本文明の真髄

世界で古代から
文化の栄えた地域は
軒並み砂漠化しています。

日本は
縄文時代の初めからでも
1万6千年以上の
月日が経っていますが、

砂漠化とは無縁です。

日本が砂漠化から無縁なことの理由は、
日本文化が木を植える文化だからです。
(日本文化の真髄と言えるのではないでしょうか。)

それは、
一万年以上の野焼き、
山焼きの積み重ねが
確認できる
「黒ボク土」の地層が
物語っています。
(黒ボク土については山野井徹先生の『日本の土』をぜひ読んでください。素晴らしい本です。

日本の土―地質学が明かす黒土と縄文文化

山野井徹[著]


また、現代にわずかに残る焼畑農法から
縄文の営為を垣間見ることができます。



スタート⇒
森林資源の利用(建築などへ
⇒野焼き 山焼き
蕎麦の栽培
稗(ヒエ)や粟(アワ)その他の作物の耕作
栗(クリ)など広葉樹の植林
森林資源の回復
  ⇒スタートへ戻る

一箇所につき数十年に亘るこの循環を
1万年以上続けてきたのが
日本文化です。

§水の神様と木の神様

水は人間にとって優しい側面と厳しい禍津神(まがつかみ)という側面があります。

水の神様の中心は、
縄文海進の時代の巨大津波を象徴するイザナミのミコトから、
縄文海退の時代の洪水を象徴する瀬織津姫へ引き継がれています。
市杵島姫命や弁財天といった形に変わっている場所も多いのですが、
水の神様は、日本人の信仰の中核の一つです。
水の神様のお社(やしろ)の手前にあって、
左右から「水を括る」ことで、
水の力を和らげてくれているのが、
木の神様である菊理媛命です。



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42.小岩神社 (東京十社巡り 番外)

2024年03月29日 | 日本神話を読み解く
自宅の近所に小岩神社があります。

小岩神社の主祭神は、
天照大御神(アマテラスオオミカミ)です。
敷地内の小さなお社(やしろ)=摂社に
浅間神社、日枝神社、稲荷神社、
和魂神社があります。
わらじ石も祀られています。

神社の一番奥に、
水神社とある小さな石のお社が
置かれています。

十社参りをして
多くの神社で
水の神様を別に祀っていることを
知りました。


次の写真は、小岩神社内の和魂神社です。

戦災でお亡くなりになった方をお祀りする所です。
お参りする時には、
「私達の為にありがとうございました。
 私もがんばります。」
と感謝と決意表明をしています。

次の写真は、わらじ石です。

足の健康は旅の安全に繋がります。
昔は神社仏閣を巡る旅人が沢山いたのでしょうね。
その人々へのマーケティングと考えると面白いです。

私の実家の近く、
千葉市花島観音(天福寺)にも
沢山のわらじが奉納されていたことを
思い出します。


小岩神社には、富士塚もあります。

軽石のような穴だらけの、
いかにも溶岩という岩を積み重ねて
ミニ富士山になっています。
その頂上に
「浅間神社」の石碑が立っています。


富士塚は、東京十社巡りで行った
品川神社にもありました。

品川神社は、
千葉県館山市の洲崎神社の
天比理刀(乃)咩命
を分祀した神社です。

洲崎神社にも富士見鳥居という富士山を見るスポットがあります。
(私が行った日には、残念ながら富士山は見えませんでした。)
その洲崎神社の浜鳥居前に
役小角が置いたとされる
要石があります。
それも穴の沢山空いた溶岩でした。

火山信仰や富士山信仰とともに
溶岩信仰がありそうです。

小岩からは富士山がよく見えます。
振り返ると国府台の後ろに筑波山も見えます。
我が家からは富士山とスカイツリーが並んで見えます。


(小岩神社に戻りましょう。)
日枝神社の石碑が、
最近富士塚から移されました。

同時に
「木花石
木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ石)
とある岩も富士塚から移りました。
冨士浅間神社の御祭神ですね。
横にある「磐石とあるのは、
お姉さんの磐長姫(イワナガヒメ
のことでしょう。

日枝神社の御祭神は干拓の神、
大山咋(くい)の神です。
縄文時代の小岩は海です。
小岩で一番古い遺跡は弥生時代のものになります。
弥生時代以降湿地になった小岩に
杭(くい)と水路による干拓で
水田を作ってきたのだと思います。

(自分で作る色別標高図で5m以上を赤くした
 北小岩の地理院地図です。)
今でも小岩には
水路が縦横に張り巡らされています。
(蓋がされて親水公園や通路になっています。)

小岩神社の摂社には
多くの神社同様、
稲荷神社があります。
稲荷神社の御祭神は、
倉稲魂(うかのみたま)の命です。

「うか」「うけ」は食物のことです。
狛犬の代わりにキツネさんがいるのと
赤い鳥居が沢山立っているのが
特徴ですね。
渡来系の秦氏の氏神が広まったとされています。


近所にあってでさほど広くもない
小岩神社について、
これだけの物語があります。

もっと効果的にアピールすれば、
大変な観光資源になると思います。
地元の歴史や日本昔話を絡めて
子供にも歴史好きな大人にも楽しめ、
親しみを感じる場所になるといいな、
と思いました。

(蛇足)
先ほどの色別標高図で北小岩の中で赤くなっているところがあります。

人工的な盛土の可能性も十分あります。
けれども、もしかしてこういうことかもしれません。
ここの部分だけ海より高くなっていて、
東側の高台の国府台からは、
海から突き出た岩が見えたかもしれません。
そしてそれが、
「小岩」の地名の由来ではないでしょうか。

大岩というと、大きな岩という意味だけでなく、高いところにある岩だと解釈できます。
「大(おほ)」と「小(こ)」または「少(すくな)」には高い低いという意味もあります。
(中大兄皇子の「大兄」は皇子に使う言葉でそれ以外の皇族には「宿禰(すくね)=少な兄(すくなえ)」を使います。身分の高い低いを表しています。)
高い所の山の岩が大岩であれば、
低い所の海の岩が小岩ではないかと思っています。
海の神様(わたつみ)を「少童」と書くのにも通じます。)

昔の文献で小岩を「甲和」と記載している記録があります。海から突き出た岩が亀の甲羅のように見えてその漢字を使ったのかもしれません。
「甲和」の読みは「こうわ」で「こいわ」とは読めないと思われるかもしれません。
「甲」の字は、朝鮮語やベトナム語や中国の方言に残っているように「kop」だったと考えられます。
ところが古い日本語と繋がりが深い呉の国(上海周辺)では「p」ではなく声門閉鎖音になっています。

現代日本語であれば、声門閉鎖音の表記は「っ」(小さい「つ」)になると思われますが、この表記は新しく、声門閉鎖音の古い日本語表記には「う」や「い」が使われています。
逆に日本語の「い」に声門閉鎖音を使う漢字を当てたということだと思います。
関東の人が話す「こいわ」という言葉の「い」の終わりに声門閉鎖音が現れています、
声門閉鎖音が無いと、関東の人には関西の人が言う「濃いいわ(コイーワ)」に聞こえます。

(この蛇足は、ずっと考えていることですが、なかなか、これは、と言う根拠が見つからない話です。)

たまたま見かけた「海に沈んだ鬼」と言う高知県の昔話に鬼の子が海の上の小岩になったとあります。

鬼が人間を助けるために二つの大きな岩を海に沈める話です。その大きな岩が双名島として残っていて、その二つの岩の間にいくつかの島があります。
そのどれかが鬼の子がなった小岩です。
どれが小岩か分かりませんが、どれも亀の「甲」のように見えてしまいます。
(双名島の二つの島を金棒で刺して、天秤棒のように鬼が運びました。四国のことを伊予の二名島といいます。四国全体の形も二つの岩を天秤棒で繋いだように見えなくもありません。何か関係があるのでしょうか。)





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41.東京十社巡り その5 最終回 神田明神 亀戸天満宮

2024年03月24日 | 日本神話を読み解く
根津神社の次は神田明神です。

御祭神は
大己貴命(オオナムチノミコト、だいこく様)
少彦名命(スクナヒコナノミコト、えびす様)
平将門命(タイラノマサカドノミコト)

社伝によると、
天平2年(730)に出雲氏族の真神田臣(まかんだおみ)により
東京都千代田区大手町・将門塚周辺に創建されました。

東京十社それぞれの神社で
狛犬が特徴的でした。

特に神田明神では、
漫画的というか、
手塚治虫的な感じです。

最近の作なのか古くからあるものかは分かりません。

神田明神は、
先日訪れた大手町の将門塚から
神田に引っ越してきたのですね。




平将門様は
関東の人々にとっては英雄です。

オオナムチのミコトは、
大国主命のことです。

えびす様とは、誰のことか、いくつか説があるそうです。
イザナミのミコトの子のヒルコ様という説
大国主命の子の事代主命(コトシノヌシのミコト)という説
スクナビコナのミコトという説があるそうです。

神田明神はスクナビコナ=えびす説をとっています。
(大国主命と少彦名命)

(えびす様と大黒様)

少彦名命(スクナビコナのミコト)は、
鯛を釣り上げているえびす様だとすると、
海の神様なんだろうと思います。

海の神様「ワタツミの神」の漢字は色々ありますが、
「少童」と書いても「わたつみ」と読みます。
「少彦名」と「少童」は関係があるのでしょうね。

東京十社巡りの最後は、亀戸天満宮です。

御祭神は神田明神の御祭神である
平将門様に生まれ変わったと言われる
菅原道真様です。

神田明神を夜に出て、
間に合わないかと思いましたが、
ここは24時間営業でした。

スカイツリーがよく見える場所です。

亀戸天満宮の後すぐ隣りの
亀戸香取神社にお参りしました。

平将門を討ち取った藤原秀郷が
戦勝祈願をした神社です。

平将門に生まれ変わったと言われ
自らも藤原氏に追い落された菅原道真と
藤原氏の神社が隣り合っているのが、
日本の文化なんですね。



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