仕事と生活の授業(続き)

前に作ったホームページは、あまり読まれないようなのでブログで再挑戦です。

75.ちはやぶる龍田川事件 その2 龍は風の神様?

2024年09月22日 | 和歌 短歌 俳句
 古今集にある「ちはやぶる 神代も聞かず 龍田川」という在原業平さんの歌が、その前にある帝(みかど)の歌(御製)を否定するものになるのではないか…
 その後の古今集秋歌下の段は、その疑念を払拭するための歌でいっぱいになります。私はそのことを「龍田川事件」と名付けました。

【兼覧王_かねみのおおきみの解釈_古今298】

竜田姫(たつたひめ)
  手向(たむ)くる神のあればこそ
    秋の木の葉の幣(ぬさ)と散るらめ

【超訳】
 水源の山から旅立って川筋を流れる水や風を象徴する竜田姫
 三叉路の道祖神に幣(ぬさ)を手向けるように紅葉が風の中を舞っている。
 この美しい景色が見られるのは、手向ける相手の神様(道祖神など)が道中にたくさんおられるから

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 ここに限らず和歌でたくさん詠まれる「幣(ぬさ)」が今までどうもしっくりきませんでした。
 今年の初めに東京の神社を巡る東京十社巡りをしたことで、初めて幣がどういうものか分かりました。

 東京十社巡りをしていると、一つの神社に5つも6つも摂社があり、その度にお賽銭が必要で、すぐに小銭が足りなくなります。
 せっかく神社巡りをしているのだから、道端にある祠(ほこら)や観音様にもお賽銭を置こうと思うといくらあっても足りません。

 この写真は、東京十社巡りの時ではないのですが、地元小岩の神社をいくつか回った時に用意した小銭です。

 東京十社巡りをした時には、この2倍も3倍も用意しましたが、すぐに無くなりました。

 今は賽銭箱に小銭を投げ入れます。昔は小銭ではなく布の切れ端を投げ入れていました。当時布切れは、貴重品です。そして、その布が「幣(ぬさ)」です。

 神様に捧げる御幣(ごへい)というものがあります。

 これは室町時代以降にできた風習で、それまでの布を神様に捧げていたことから派生したものです。
 竹や木でできた幣串の先に挟まれた布の本体が捧げ物で、横についているヒラヒラの紙(紙垂_しで)は飾りのようです。
 真ん中の捧げ物本体にヒラヒラの飾りが付いているのは、布を投げ入れていた様子を表しているのではないでしょうか。

 今も昔もお賽銭や幣は投げ入れるものだったはずです。

 だから紅葉が舞い散る様子を幣に喩えているのです。

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 現在の竜田川と大和川の合流する場所の近くに龍田大社があります。
 龍田大社のご祭神は、ウィキペディアによると次の通りです。
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祭神は次の2柱。

天御柱命(あめのみはしらのみこと) - 右殿。
国御柱命(くにのみはしらのみこと) - 左殿。
龍田の風神と総称され、広瀬の水神と並び称された。同社の祝詞などでは、天御柱命は級長津彦命(男神)、国御柱命は級長戸辺命(女神)のこととされている。
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 龍の字の付く龍田大社は、風の神様を祀っています。

 龍田大社から大和川を東に遡っていくと龍田大社とは反対側の岸に水の神様を祀る広瀬大社があります。
 この風と水の神社は、二社一対のお社(やしろ)とされています。

 川に流れるのは、水だけではありません。風も川筋を渡っていきます。

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 前の勤務先は、日本橋川のほとりで、夜中に帰るときには、神田川の上流から流てくるすがすがしい風に息を吹き返すような気持ちになりました。

 川筋では、温かな日中に海から陸の方へ風が吹き、夜がふけると陸から海の方へ風向きが変わります。
川風 - Wikipedia

川風 - Wikipedia

 川は昼は海風、夜は陸風の通り道です。

 陸風が海風に変わる時、風がなくなる時間帯を朝凪、海風が陸風に変わる時間帯を夕凪と言います。

 毎年8月上旬にある江戸川の花火大会ですが、私の家は打ち上げ会場より上流にあるので、海風のせいで煙で花火が見えにくくなります。
 今年の花火大会は8月の下旬になり、煙が下流に流れていったので、とてもきれいに見えました。
 (花火師さんがパリオリンピックの柔道の審判に出かけたおかげです。)

 このことから予想できるのは、小岩周辺の江戸川の夕凪は8月上旬には夜8時より後、8月下旬では夜8時より前だということです。(もちろん一回きりの出来事で判断できることではないかもしれませんが。)

 海辺の凪と川を伝う風の凪では時間差があるのだと思います。

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 龍には、水の中にいるイメージと共に、空を飛ぶイメージがあります。

 私は龍はワニのことだと考えています。日本書紀ではワニを龍と呼んでいる箇所があります。
 今の日本人には意外かもしれませんが、ワニも空を飛ぶイメージがあります。
 江戸時代のワニの絵(想像図?)を下に載せます。


 ワニを観光で利用しているところでは、ワニのジャンプを見せています。

 ワニがうねうねと飛び上がる様は、龍が空をうねうねと飛び回るイメージにピッタリです。
 ゆっくり飛び上がってもこれだけの高さまで出てこれるのですから、おそらく十分な水深がありスピードが出せれば、全身を水面から出すくらいは簡単なはずです。

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竜田姫(たつたひめ)
  手向(たむ)くる神のあればこそ
    秋の木の葉の幣(ぬさ)と散るらめ

 竜田姫は、龍のように川筋に沿って空を飛ぶ風の化身です。二股の別れ道にいる道祖神にお供えするように、多くの支流との分岐点で竜田姫が紅葉の幣(ぬさ)を撒いていきます。
 この歌の表す光景はこのとおりです。

 龍田大社、広瀬大社のある場所は奈良盆地を流れるたくさんの川が大和川に合流してくる場所です。道の分岐点に道祖神が祀られているように、川の分岐点にも神様がおられるというイメージが歌われています。

 早稲田大学リポジトリ 広瀬大忌祭と龍田風神祭の成立に関する一試案 より
龍田大社

広瀬大社


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帝(みかど)の歌(御製)をもう一度見てみましょう。

竜田河
  もみじ乱れて
    流るめり
      渡らば錦
        中や絶えなむ

 帝の御製では紅葉が川を流れる様子を歌っているのであり、水の上を流れているとは書いていない。川筋を流れるのは水だけでなく風も流れるのだから風に舞う紅葉を歌っているのではないだろうか。

 これが、兼覧王_かねみのおおきみの解釈です。

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 朝靄(あさもや)の中、川筋に沿って上流からゆっくり流れてくる陸風の流れ。それを龍の飛翔に見立て、
 舞い散る紅葉が風と共に流れ行く様を手向けた幣(ぬさ)に喩える。

 兼覧王が壮大な気象現象を繊細な感性で描いていることが伝わってきます。

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“ 手向(たむ)くる神のあればこそ ”

 手向けるという言葉の意味はいくつかあります。

 上の解釈では旅人が道の途中の道祖神に幣を奉納するという意味にとっています。

 もう一つ、旅行く人に見送る人が餞別(せんべつ)を送る、餞(はなむけ)を渡す、という意味があります。

 古代、竜田川は大和川のことでした。大和川は三輪山の脇を通って奈良盆地に流れ込みます。

 見送る三輪山の神様が旅立つ竜田姫に選別を渡すという描写であれば、さらに壮大な印象が残ります。

 天孫降臨以降、川の象徴は、龍になりました。

 それ以前は、蛇が川の象徴でした。

 三輪山の神様、大物主大神は、夜になると蛇の姿で川の上流から降りてきて、朝に帰っていきます。
 まるで川風のようです。

 次の世代で川を象徴する竜田姫は、先代の大物主大神から手向けとしてたくさんの紅葉を受取り、袖のふくらみにあふれるほど入れて旅立ったのではないでしょうか?


 画像はウィキペディアから頂きました。


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74.ちはやぶる龍田川事件 その1 古今集_龍田川事件

2024年09月01日 | 和歌 短歌 俳句
ちはやぶる神代(かみよ)も聞かず
 龍田川(たつたがは)
  唐紅(からくれなゐ)に水くくるとは

 この歌の作者である在原業平さんは、『伊勢物語』の主人公のモデルと言われています。イケメンで自由な発言が魅力的だったようです。業平さんの「歯に衣着せぬ」物言いが巻き起こした古今和歌集の中の一大事件『古今集_龍田川事件』をお話します。

 業平さんの「ちはやぶる神代も聞かず龍田川」の歌は、皇后陛下の持つ龍田川の屏風絵を題材に歌ったものです。
 まず素性法師が屏風絵について歌い、その後に業平さんが歌いました。
 素性法師の歌の情景描写は簡潔で、現代の我々にも分かりやすく伝わってきます。

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もみじ葉の
  流れて止(泊)まる
    水門(みなと_港)には
      紅(くれなゐ)深き浪や立つらん


 紅葉を小舟になぞらえて、港に停泊するというイメージで読んでもいいのですが、「みなと」は、水門=水戸(みと)で水に囲まれた四角い陸地、つまり海峡のように陸がせり出て水の流れが狭くなったところです。その意味を踏まえて、次の歌の「水くくる」という表現があります。

 素性法師の歌のすぐ後で、業平さんは、「ちはやぶる神代も聞かず」=「有史以来聞いたことがない」と、その屏風絵が現実にはありえないと歌っています。
 水面に落ちた紅葉は、桜の花びらとは違い、すぐに沈んでしまうからです。
 忖度しない人なのか、素性法師と仲が悪いのか、他の意図があるのか分かりませんが、業平さんは鋼(はがね)の心臓を持っています。

 水面に落ちた紅葉はすぐに沈んでしまう、という業平さんの話が本当であれば、眼の前にいる素性法師の顔は丸つぶれです。
 ところが、もっと困ったことがあります。
 古今和歌集のこの巻(第五巻秋歌下)において、龍田川に紅葉が流れると言い出したのは読み人知らずの下にあげる歌です。
 この歌は誰か特定はしていませんが、帝(みかど)の作られた歌のようなのです。帝の御製(お作りになった歌)にけちをつけるような事になっては、いけません。

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竜田河
  もみじ乱れて
    流るめり
      渡らば錦
        中や絶えなむ

【超訳】
 龍田川にもみじがはらはらと流れているように見える。
 対岸に渡るのはやめておこう。
 鮮やかな錦の布を真ん中でばっさり断ち切ってしまうようなことになるのだから。

 業平さんの歌に続いていく歌の数々は、この帝(みかど)の歌をいかに守るかという創意工夫にあふれています。

 帝の歌を守るためには、まず業平さんの指摘をよく吟味しなければいけません。

 「確かに、淵に浮いた落ち葉が溜まっている光景は見たことがない」
 「いや、でも少ない数であれば水に浮いている落ち葉はよく見るぞ」
 歌の行間からこんな囁(ささや)きが聞こえてくるような気がします。
 業平さんはさながら『裸の王様』に出てくる真実を指摘した少年のようです。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
【藤原敏行さんの解説_古今295】
我が来(き)つる
  方も知られず
    くらぶ山(暗部山_鞍馬山)
      木々(きぎ)の木(こ)の葉の
        散るとまがふに

【超訳】
 人の通る道、水の通う川、風の通り道、それらを比べてみよう。まず人が通る道。一面の紅葉で、今来た方向すら分からない。
 落ちて積もっている紅葉と、まだ木々を彩っている紅葉が交じりあって、目がくらむようだ。
 道ですらこうなのだから、ましてやどこが川でどこが風に舞っている落ち葉かなど分かるわけもない。

 くらぶ山(鞍馬山)を歌枕(歌の題材_地名が多い)として使っています。「比べ」るという言葉や、目が「眩む」、分かっていないという意味の「暗」いという言葉の掛詞としても使っています。

 藤原敏行さんの解説はこういうことです。
 眼の前が一面に紅葉一色なんだから、川面(かわも)に紅葉が浮いているのか、川面に着く前に風で舞っている最中なのか、それとも木々にまだ付いていて落ちる前の紅葉なのか分からない。
 だから、紅葉が浮かぶかどうかはどうでも良い話だ。

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【壬生 忠岑(みぶ の ただみね)さんの解説 古今296】
神奈備(かんなび)の
  三室(みむろ)の山を
    秋行けば
      錦絶ち切る
        心地こそすれ
【超訳】
 社(やしろ)を設けず、昔ながら自然のまま神様を貴(たっと)ぶ三室山。
 一面の紅葉を横切れば、素晴らしい景色を堪能するどころか、錦の布を絶ち切るようで心苦しくなる。

 係助詞「こそ」を使うときは、逆説の節が隠れています。絶ち切るのはマイナスなので、プラスの節が隠れていて、それが逆説(譲歩)で結ばれているはずです。「景色を堪能する(+)、どころか(譲歩の接続詞)、心苦しい(−)」と読みます。

 忠岑(ただみね)さんの解釈も一面の紅葉でどこが川でどこが道かなんか分からないのだから、紅葉が浮くかどうかなんかどうでもよい、というものです。
 むしろ人が立ち入ることでまばゆい世界を絶ち切り、一変させてしまうという帝(みかど)の表現がいかに素晴らしいか、と称えています。

 この三室山は、今の三室山ではなく、三輪(みわ)山、別名三諸(みもろ)山です。今の2つの三室山は大和川(龍田川)に面していますが、川の源流になるような大きな山ではありません。古今集のこの巻に度々出てくる神奈備(かんなび)る山は、大和川の源流として描かれるので、三輪山が三室山です。

 三諸は「みむろ」とも読むようです。三輪山の大神(おおみわ)神社の主祭神は大物主神(おおものぬしのかみ)です。大物主神は、蛇の形で現れる神様です。龍と蛇の関係は別途考えなければいけませんが、日本では蛇が龍の代わりに川の神様を表すことがあります。

 八岐の大蛇(ヤマタノオロチ)は、砂鉄を採掘するための鉄穴流し(かんなながし)という技術を行う河川を象徴しています。このように、天孫降臨前に人々に崇め恐れられていた川の神様は、蛇として描かれています。大三輪大社は、蛇の象徴する川の神様と考えられるので、龍神と同じように「ちはやぶる神」という言葉を使うことができます。

 蛇の神様、大物主神は大国主命の別名かと思っていたのですが、大神神社の主祭神が大物主神で副祭神に大己貴命(大国主命の別名)がいるので別の神様として扱われています。

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【紀貫之(きのつらゆき)さんの解説_古今297】

見る人の 無くて
  散りぬる 奥山の
    紅葉は夜の 錦なりけり

【超訳】
 鮮やかな錦の色は、夜の闇にいる私達に見えないからといって、その色が無いということにはなりません。
 奥山に散りゆく一面の紅葉を思い浮かべてください。
 そこにあたながいないからといって、その鮮やかな世界がないとは言いませんよね。
 川面に散った紅葉は今は沈んで、私達には見えないかもしれません。けれども水の中の錦のような色は確かに存在しているのです。それを歌って何が悪いのでしょう(悪くはありません)。

 さすが、仏教に通じた哲学者紀貫之さんです。素朴実在論的な世界観から歌っているのではなく、唯識論を匂わせながら、さらにその先にある世界を歌っています。古代ギリシャでは神によって、インドでは実践によって、日本では歌によって近付ける共通感覚という基盤の上に建つ世界です。


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 「散りぬる」「奥山」などという単語が使われています。
 大乗仏教、特に龍樹さんの「空」と「縁起」の思想に通じているはずの紀貫之さんが『いろは歌』の原作者の一人ではないかと思ってしまいます。

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