仕事と生活の授業(続き)

前に作ったホームページは、あまり読まれないようなのでブログで再挑戦です。

31.『すずめの戸締まり』2022年 脚本・監督 新海誠

2022年12月26日 | 映画の感想文
『すずめの戸締り』を見ました。

神様が世界を守りたいのだけれど、
日本の神様は全能ではないので、人間の力を借りたくて、
手伝ってくれる人を、その資格があるか試していく、
というお話です。

(試験問題)
1.多くの人を災害に巻き込んでも平気でいられるか、
2.自分を犠牲にして多くの人を救う覚悟はあるか、
3.自分の大切な人を多くの人の命のために犠牲にできるか、
4.自分が行(おこな)ってしまった取返しのつかないことを
  償(つぐな)うことができるか、
5.・・・・
6.・・・・

次から次へ出されてくる資格試験の問題に対し、
主人公達は、その答えを行動で表していきます。

試験問題は、他にもいくつかあります。
正解のある学校の試験と違い、正解がない問題に答えを示しながら、
最後に神様の信頼を得ることができます。
そして、神様と人間の共同作業により、困難を乗り越えます。

少数の人を犠牲にして多数の人を助けることが、
倫理的に正しいのか、という問題を、
トロッコ問題と呼んで、一時期話題になりました。

新海誠監督は、監督なりのトロッコ問題への
解答を示しているんだと思います。
(似たような指摘はすでにネットに出てますね。)

トロッコ問題はともかく、新海誠監督が
陸前高田の看護師さんのブログを読んでることが、分かりました。

災害派遣で東日本大震災の被災地の状況を伝えてくれた看護師さんのブログです。

ブログの記事でとりわけ印象深いのが、避難場所での少女との出会いを描いた

『瑠奈ちゃん』です。

映画の主人公「すずめ」の小さいころに瑠奈ちゃんが重なり、
涙が止まりませんでした。

[JKTS 陸前高田の看護師さんのブログ 瑠奈ちゃん]
https://blog.goo.ne.jp/flower-wing/e/d4a8d7abe8329331acca5f438a03c492

このブログの記事は永遠に残してほしいと思っていたので、
この映画をきっかけに保存の動きがあるといいな。
そう思いました。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


『すずめの戸締まり』で提示されているトロッコ問題は、
メインテーマではないような気もしますが、
一時期話題になったので、私の解答を書きます。

トロッコ問題というのは、
1.暴走機関車(トロッコ)の前に5人の人が動けない状態で線路に立っている。
2.私は機関車と5人の間にある機関車の軌道を変更するレバーを握っている。
3.軌道を変更すれば、5人は助かる。
4.でも、変更した軌道には一人の人が立っているので、その一人が犠牲になる。
5.さあ、どうしよう、
というものです。

私の答えは、
1. 現実はこんなに単純な条件設定のみということは絶対ないので、
2. ぎりぎりまで6人全員が助かる方法を探して、
3.それを行う。
4.絶対あきらめない。
というものです。

トロッコ問題のような単純化された議論が必要になる時というのは、
事後に言い訳をする時だけです。
これから起こることに言い訳は必要ありません。
1.目を凝らして、
2.いろいろやってみて、
3.強い気持ちで6人全員助ける。
これが正解です。

隠れた条件を付加してはいけないというルールがあるそうなので、
与えられた条件だけでも無限の可能性がある
ということを教えてくれる動画があります。
私の解答がダメならこれが最終解答です。

[ツイッター B作@Btoretsukuru 『トロッコ問題』で全員助かる方法 こんな答えはどうかな? #鉄道模型  #Nゲージ]
https://twitter.com/Btoretsukuru/status/1514889606847639552?ref_src=twsrc%5Etfw%7Ctwcamp%5Etweetembed%7Ctwterm%5E1514889606847639552%7Ctwgr%5E0315b558cb045c5cfa0bcb21f9b75fecc8896187%7Ctwcon%5Es1_&ref_url=https%3A%2F%2Fpublish.twitter.com%2F%3Fquery%3Dhttps3A2F2Ftwitter.com2FBtoretsukuru2Fstatus2F1514889606847639552widget%3DTweet


単純化した議論は隠れた意図がある問題設定です。
目の前の現実世界はどんな状況でも無限の可能性と正解があります。

『すずめの戸締まり』をトロッコ問題の舞台設定で考えると、
まず、何かの目的を持って機関車を暴走させ、
五人の犠牲者を出そうとする人(?)が現れます。
(後でそう装っているだけだったことが分かりますが)
その人は心の痛みを感じないようなそぶりを見せます。

現実の歴史では、このような人がたくさん現れていますね。
とても怒りを感じます。

次に、自分の体や人生、そして命までも犠牲にして、
多くの他人を助けようとする人が現れます。

トロッコ問題で言えば、暴走機関車に危険を冒して飛び乗り、
ブレーキを掛けたり、体当たりして機関車を止めたりする人です。

いろいろやってみて最後どうしようもなく、
軌道変更のレバーを引き、数の少ない方を犠牲にして、
多い方を助けるという選択をする人が描かれます。

「しかたがなかった」
という言い訳の理屈は無限に作れますが、
その人はそれを良しとはしません。

自分の選択に責任を感じ、
その選択の償いを人生掛けて行(おこな)っていこうとします。
自分の行為の結果に責任を取る、と言い換えることができます。

トロッコ問題の舞台で考えれば、
軌道をそのままにするのか、変更するのか、
どちらを選んだとしても、選ぶという行為よりも、
その選択がもたらす結果に責任を取ることが重要だということだと思います。

蘇る方法を考えだすのか、
遺族に一生かけて償うのか、
出家するのか、
切腹するのか、

償い方も無限にあると思います。

舞台設定はだいぶ異なりますが、
私には『すずめの戸締まり』がそんな風に見えました。
#すずめの戸締りのトロッコ問題 終わりです。

自動運転技術の開発上トロッコ問題が重要だという人がいますが、
本当に重要でしょうか?

トロッコ問題のような状況になった時点で
自爆する自爆装置を開発すれば良いのです。
いかに周りに迷惑を掛けずに自爆できるかの技術を磨けば良いと思います。

乗っている人の命を助ける方法はその次です。

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すずめの戸締りについてのツイートで、
トロッコ問題は、メインテーマではないと書きました。

それではメインテーマはなんでしょう?

映画の中で、主人公が危険を顧みず、
多くの人を助けようとする描写が印象的でした。

監督は、危険を冒すことを喜んでいるような表情を描いています。

他人のために命を投げ出すことは、貴い行為ですが、
その行為と天秤にかけるもう一方の自分の命を軽く見ているとすると、
とてもつらい二重の悲劇です。

何かのきっかけで、あるいは、何かが欠けていることで、
自分が生きることに意味がないと思ってしまう人は
たくさんいるのではないでしょうか。

意味がないとまでは思わなくても、自分を大切に思えず、
言葉にできない不安を抱えて生きている人もいると思います。

新海誠監督は、そんな人々に

あなたが生きていることはとても大切なことで、
あなたが知らない多くの人が
あなたのためにがんばってきたし、
あなたが生きていくことを応援しているんだよ。

だから、あなたも自分が生きていくことを
大切にしてください。

≪届け≫

これがメインテーマです。

「そんな人々」と書きましたが、
実は、実在の女の子に向けたとてもプライベートなメッセージなんです。
大きな悲しみを抱えたその子の幸せを、
日本全国の心ある人たちが願っていて、
その一人として、監督は願いを映画に託しました。

映画には、全国いたるところで、
地表から湧き上がる黄色い紐のようなものが描かれています。
宮崎駿監督の映画『風の谷のナウシカ』でナウシカを蘇らせる王蟲の触手のようです。
色々な解説動画では、この紐のようなものを、悪い気や怨念と解釈しているようです。

この黄色い紐は、たとえ名前や顔も知らなくても、
何かの縁(地縁も含め)で、結びついている人たちが、
頑張っている人を応援してくれている、
頑張ってなくても、同じ仲間として、
大切に思ってくれている、
そんな気持ちを形にしたものなのではないでしょうか?


思い込みの激しい解釈にしか見えないと思いますが、
私には、こうとしか思えません。

おしまいです。

映画1回だけ見て、小説版も読んでいない私ですが...

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[追伸]

『すずめの戸締まり』は『言の葉の庭』の返歌にあたるんですね。

『言の葉の庭』は、
目の前から世界との結びつきが消えてしまった女性と
彼女が世界とつながるただ一つの細い糸となる青年のお話です。

その返歌である『すずめの戸締まり』は、
目の前から世界との結びつきが消えてしまっても、目に見えないところで、
暖かいまなざしがたくさん注がれていることを教えてくれるお話です。

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29.クリス・ハート - 「アイ ラブ ユー」短編ドラマ 2014年 監督 園田俊郎

2018年02月07日 | 映画の感想文
『音楽チャンプ』というオーディション番組が凄いので、

Youtubeで関連動画を見ていたら

素晴らしい作品にたどり着きました。


『音楽チャンプ』を初めて見た時に聞いた曲が

丸山純奈さんが歌うクリスハートさんの

『I LOVE YOU』です。


中学生の丸山さんは、

恋愛の経験はそれほどないけれど、

クリスハートさんの歌を聴いたときに感動したので、

その感動を伝えたい、というようなことを話していました。



クリスハートさんの歌が素晴らしいのだろうな、

と思い、ミュージックビデオを見たら、

確かに歌が素晴らしいのですが、

ミュージックビデオの内容が意味不明なので、

何だろうと思い、更にあちこちの動画を散策していて、

見つけました。


クリスさんの『I LOVE YOU』を基にした

短編の映像作品が作られていたのですね。



浅見れいなさんの演技がとても素晴らしいです。

人が生きる意味を感じさせてくれます。

たくさん見られている少し古い作品ですが、

まだ見ていない人はぜひ見てください。


丸山純奈さんがもしこの映像を見ていたのであれば、

あの豊かな感情表現ができたことが、

とてもしっくりきます。


この文章を書いた前日、浅見れいなさんのご結婚のニュースがでていました。

意味ある偶然ですね。

幸せになってください。


短編映像作品は、男女が逆になりますが、

人の死とどのように向かい合うかという大切なことがらを問い掛けられるという点で、

『めぞん一刻』を思い起こさせます。



☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

丸山純奈さんが伝えようとした感動について考えました。


クリスハートさんが歌うこの歌は、心変わりした彼女を許しながらも行き場のないまっすぐな自分の気持ちを歌った大人の歌です。

そこには、大切な思い出を忘れられない、忘れたくない自分と、たとえ心変わりしたとしても大切な思い出だけは忘れないでいてくれるはずの彼女がいます。

ところが、丸山さんが歌う『I LOVE YOU』からは、まっすぐな自分と、そしてまっすぐな彼女しか感じられません。

そこには、心変わりした彼女も、それを仕方がないことだと悟り許そうとしている広く、深い大人の心を持った彼も見えてきません。

丸山さんが伝えた感動は、クリスさんの歌う『I LOVE YOU』ではありません。

丸山さんが伝えた感動は別のところにありました。

クリスハートさんが歌う『I LOVE YOU』のミュージックビデオでは、歌の世界を描いたドラマが展開されています。

ところが、短い歌の間では、ドラマの内容を掴むことができません。

短いミュージックビデオは、別に作られた短編映像作品の抜粋でした。

映像作品は、自分の死と向かい合う気丈な、でもとても不器用な女の子のお話です。

お姉さん肌の彼女は、弟のような恋人を嘘で守ろうとします。

それは間違った選択です。頼りない恋人を信じきれない心の弱さが躓きの石となり、守るつもりが最後の時間を共にするという貴重な機会を失ってしまいます。

彼も彼女も相手を思いやるまっすぐな気持ちを持ちながら、まだ残る互いの幼さゆえ、悲しいすれ違いが結末となります。


ぜひ多くの人に観てもらいたい映像作品です。

とても大きな幸せをもらった人が、もう十分、これで私の人生は価値あるものだった、私の人生は救われた、と思うことは、正しいのか、それともそれは、独りよがりにすぎないのか、

(私も十分幸せをもらったので、後は辛い余生だとしても耐えられると考えています。)


とても大切な問いかけです。


そして歌のテーマでもある、輝いた思い出が永遠のものなのかという、さらに大切な問いが問われています。


☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

この映像作品では、丸山さんが歌う歌の世界と同じ、まっすぐな登場人物の少し幼い心のすれ違いが綴られています。

丸山さんの伝えた感動と同じ波長、同じ波紋をこの映像作品から感じることができます。

もし丸山さんがこの映像を観ていて、そしてそれを歌という形で私たちに伝えていたのだとすると、

歌というものの可能性について、深く考えさせる「できごと」ではないでしょうか。


このような「できごと」が、『音楽チャンプ』の辛口審査員菅井秀憲さんが一生懸命伝えようとしていることに繋がるんだと思います。

[2023年9月18日追記]
 読み返していて「できごと」という言葉に違和感を感じました。
 本当は、「奇蹟」というニュアンスを出したかったので、
 「事件」と書いてみて、
 しっくりしなくて「できごと」にしたのだと思います。
 言葉は難しいですね。
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28.『この世界の片隅に』その六 2016年 原作 こうの史代 監督 片渕須直

2017年08月20日 | 映画の感想文
『この世界の片隅に』

3回目を観終わりました。


映画は、すずさんから見た世界を描いています。

私たちから見たら少しファンタジーの交ざったような世界ですが、

すずさんにとっては現実なのでしょう。


ひるがえってみて、私の世界はどうでしょう。

よく人から思いこみが強すぎると言われる私の世界は、

他の人から見たらやはり現実と妄想が交ざった世界なのかもしれません。


見ているものが同じでも、

そこに結びつける意味が異なれば、

正反対の解釈が可能な場合もあると思います。


みんな同じ世界に生きているようでいて、

一人一人、まったく違う世界に生きているのかもしれません。


それでも、すずさんの目から見た世界で起こることを

自分のこととして感じ、涙することができます。

すずさんの少しゆがんだ世界の解釈がとても愛おしく感じられます。


私たちには自分の世界に閉じこもるだけでなく、

他の人から見た世界を生きることができる力が備わっています。

その力によって自分の世界の間違いや歪みに気づくことができます。


数多くある『この世界の片隅に』という映画のすばらしさの一つは、

すずさんの世界を通じて、

私自身の世界の歪みに気付かせてくれるというところにとどまらず、


すずさんの世界を愛せるように、

私の世界を、

その歪みも含め愛おしく思わせてくれるところだと思います。


(そしてこの世界の登場人物の全てをも、...)

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26.『この世界の片隅に』(アニメーション映画)その四 2016年 原作 こうの史代 監督 片渕須直

2017年05月07日 | 映画の感想文

 だいぶ時間が空いてしまいましたが、『この世界の片隅に』の感想の続きです。

 映画を始めとする芸術での物語の手法について書きます。

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

 映画や小説の世界へ鑑賞者を誘(いざな)う方法は、

 いくつかの型があると思います。

 『この世界の片隅に』では、

 こまごまとしたディテイルに拘った日常の描写と、

 小さなファンタジーを織り交ぜるという方法をとっています。

 小さな嘘と小さな本当を並べていく方法です。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


 一方、SFなどでは、大きなフィクションの世界に観客を誘う為に、

 ディテイルに拘ったリアルな描写を積み上げるという方法をとります。

 (映画製作のバイブルと言われているロバートマッキーさんの『STORY』という本に書かれている例ですが)

 『エイリアン』では恒星間輸送を担う宇宙船の存在という物語の根幹となるフィクションがあり、

 そのフィクションに信憑性を持たせる為、ディテイルに拘ったリアルな日常描写がなされています。

 運送業で働くトラック運転手が現実に語りそうな給料に関する会話や、

 家族の写真が飾ってある運転席の様子を映画に取り入れています。

 これは、大きな嘘の為に小さな本当を並べていく方法です。

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

 『この世界の片隅に』では、

 化け物にさらわれかけたり、座敷わらしが現れたりする小さな嘘と、

 短くなった鉛筆をナイフで削ったり、鉛筆を転がして遊んだりという、

 一定の年代にはとてもリアルな現実が並べられています。

 小さな嘘と小さな現実が織り交ぜられることで、

 ファンタジーと現実の境界があいまいとなり、

 いつの間にか作品の世界に誘い込まれてしまいます。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 そして、この作品の終盤、

 ファンタジー以上に信じがたいリアルな戦争が描かれます。

 作品の世界に入り込み、ファンタジーを現実として受け入れている観客は、

 現在の日本ではとても信じられないような戦争の現実も受け入れざるを得なくなっています。


 SFが、大きな嘘に誘う為に小さな本当を積み重ねるのと異なり、

 この作品は、結果として、小さな嘘と小さな本当を並べることで、

 大きな嘘以上に信じがたい大きな本当(戦争)に真実味を与えています。

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

 小さな嘘と小さな本当を並べることで作品世界へ誘う方法は、

 (私は初めて出会いましたが、)

 他の作品でもあるのではないかといろいろと検索してみました。


 リアルな現実を相対化するという意味では、

 シュールレアリスムの手法が近いのかなとも思いますが、

 シュールレアリスムの絵画作品の多くは、大きな嘘が前面にでてきていて、

 小さな嘘と小さな本当を並べるという手法とは少し違う感じがします。

 (『光の帝国』など、マグリットの作品の中にはそれに近いものがあると思いますが。)

 https://www.guggenheim.org/artwork/2594

 戦争の悲惨さを訴えるという点では、

 ピカソがキュビズムで描いた『ゲルニカ』が有名ですが、

 やはり小さな嘘を並べる、という感じはしません。

 http://www.museoreinasofia.es/coleccion/obra/guernica


 いろいろ検索する中で、やっと見つけました。

 【マジックリアリズム】

 これですね。


 小さなファンタジーと細部に宿るリアリティーを並べることで、

 観客の現実を相対化して作品の世界に誘い込む手法。

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

 さっそくマジックリアリズムの代表作である

 コロンビアの作家ガルシア=マルケスの

 『百年の孤独』

 を読んでみました。


 (続きはまた今度。)
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24.『この世界の片隅に』(アニメーション映画)その三 2016年 原作 こうの史代 監督 片渕須直

2016年12月18日 | 映画の感想文
(『この世界の片隅に』の感想の続きです。)

 映画を見て2週間が経って、

 やっと涙を流さずに感想が書けるようになりました。


 映画を見ているとき、

 自分がスクリーンの中にいるような感覚とともに、

 頭に浮かんだことがいくつかあります。

∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

 自分が一生懸命がんばっている仕事が、

 誰かを不幸にしていないだろうか?

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 なぜこんなことをこの映画を見て思ったかを書きますね。


 私は仕事にしろ遊びにしろ、

 何かにつけて工夫をすることが好き...

 というより、工夫をしないではいられないたちです。


 すずさんの感情に共感はできなくても、

 普段ぼうっとしているのに、

 何かにつけて工夫してしまう点は、

 とてもよく分かります。


 私にとって、

 この点もすずさんの日常にリアリティを感じてしまう理由のひとつでした。



 映画の終盤。

 防空壕から出てきた人をターゲットにするため、

 時限式の爆弾が投下されていたことが描かれています。


 私はこんな爆弾があることを初めて知りました。


 戦前の一般の欧米人にとって、

 日本はマルコポーロの黄金の国ジパングであり、

 日本人は木と紙でできた家に住んでいる

 おとぎの国の住人だったのかもしれません。


 その木と紙のおうちを効率的に火の海にして、

 民間人を大量に殺傷する工夫がなされた兵器が、

 焼夷弾です。


 これは、前から知っていました。


 時限式の投下爆弾を考えついた人、

 焼夷弾を情熱をもって改良していった人。


 非人道的な科学技術に怒りを感じます。


 でも、

 情熱をもってその工夫を進めていた人を断罪できるのか、

 自分がその立場だったら同じことをしたのではないか...。


 兵器に対する創意工夫は、

 正義のための献身だったのか、

 個人的な栄進、出世を求めた結果だったのか、

 あるいは、

 ありふれた日常業務だったのかは分かりませんが、


 彼らにも、

 私やすずさんと同じ様な日常があって、

 個人の理想と組織の現実のなかで、

 ぎりぎりに折り合いをつけて暮らしているんだと思います。


 非人道的な兵器、

 ありえないものを作った人々にも、

 個人の理想と、

 組織の論理との間の

 葛藤があったはずです。



 誰もが組織と個人の葛藤に折り合いをつけ、

 自分を守りながら暮らしています。


 組織から離れれば(離れられれば)

 決してしないことを、

 組織に属して、

 その組織との折り合いのつけかた次第ではしてしまう。

 むしろ積極的に進めてしまう。


 そういう生き物だと思います、

 人間は。


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 私にとって個人の理想を犠牲にして献身してたのは、

 会社という組織です。



 なぜそうしてきたかは、

 既に分からなくなってしまっています。



 初めは自己実現の場、

 と思っていたような気もしますが...。



 今は仲間の成長のため、

 と考えたいのですが、

 偽善の香りがします。





 組織が求めるものが、間違っているのか、

 個人の理想と組織の論理の折り合いのつけかたで、

 間違ったことが行われてしまうのか...。


 自分自身の仕事で何かとても間違ったことをしている感覚はありませんが、

 もしかすると、

 いま当たり前だと思っていることが、

 それを当たり前だと思えない人を

 とても傷つけているのかもしれません。




 自分が一生懸命がんばっている仕事が、

 誰かを不幸にしていないだろうか?



 以上、なぜこんなことを

 この映画を見て思ったかを書きました。


∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽


 すずさんは、そのおおらかさで、

 個人に対立する組織を、

 自分の中にとりこんでいくような人に見えます。


 初めはなじめなかった

 新しい家族、隣組、ご近所。


 その全てがすずさんを受け入れて、

  むしろすずさんがそれら小さな社会の中心になっているかのようにも感じられてきます。



 そんな中、

 すずさんは、

 もっと大きな組織と向き合います。

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 倹約は、

 当時求められていた美徳です。

 すずさんは素直にこれに従って、

 それどころか自ら進んで工夫を凝らし、

 倹約生活を「楽しんで」います。


 倹約以外にも、

 戦争を進めるための社会制度が、

 価値観が、

 押しつけられていきます。

 その価値観を、

 すずさんらしく、

 おおらかに受け入れていきます。


 その価値観を、

 押しつけているのが、

 国家です。

∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽


 モンペを穿くのも、

 配給に並ぶのも、

 配給が少ないのも、

 少し不便だけれども、

 国の正義のため、




 お兄ちゃんが、

 戦場から帰ってこないのも、

 悲しいけど、

 国の正義のため、







 たまには闇市で買い物もするけれど、

 少しずつ自分の気持ちと組織の論理に折り合いをつけて暮らしています。








 少し理不尽でも、

 なんとか折り合いをつけて暮らすのが、

 すずさんにとって、

 「日常」。



 そして私たちにとっても、

 海の向こうの人たちにとっても、

 「日常」とはそういうものです。


∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽


 嬉しいことも、

 悲しいことも、

 楽しいことも、

 つらいことも、

 そして理不尽なことも、

 全て巻き込んで、

 時間という坂を転がり続けるのが、

 「日常」です。


∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽


 港の絵は描いちゃだめ、

 というのはとても納得がいかないけれど、

 そんなもんなのかな...、




 爆弾が降り注ぐ中で暮らすことも、



 仕方がない...、









 笑顔が失われるのも、














 右手が旅に出るのも、













 折り合いなんてつけようもないことなのに、











 折り合いをつけた気になって、



 黙って暮らすのが「日常」です。

















 歪んでいます。
















 すずさんの日常は、





 歪んでいます。








 そのスクリーンの中、

 その世界は歪んでいます。












 それでは、

 スクリーンの外、

 いまここにある、



 この世界は歪んでいないのでしょうか?


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