仕事と生活の授業(続き)

前に作ったホームページは、あまり読まれないようなのでブログで再挑戦です。

43.菊理媛(くくりひめ)の謎

2024年03月31日 | 日本神話を読み解く
[百人一首]の中でも有名な歌

ちはやぶる
 神代も聞かず 龍田川
  唐紅(からくれない)に
   水くくるとは

最後の「くくる」が気になって
「菊理(くくり)媛」を祀る
白山神社に行ったのが、
東京十社巡りの始まりでした。



十社を巡った後に近所の
小岩神社 をお参りして、
菊理媛の謎が解けました。

§東京十社巡りと水の神様の発見

東京十社巡りをして分かったことは、
多くの神社で主祭神とは別に
水の神様を大切に祀っ ていることでした。

品川神社の鳥居に
龍神様が彫られているのに
圧倒されました。

とても気になって
品川神社の本宮にあたる
千葉館山の洲崎神社にも行きました。


根津神社では、
ギリシアと同じ
海の神様への信仰を感じました。

40.東京十社巡り その4 根津神社 - 仕事と生活の授業(続き)

40.東京十社巡り その4 根津神社 - 仕事と生活の授業(続き)

富岡八幡宮の次は、文京区の根津神社です。現地に行くことは大切ですね。おかげで大発見ができました。ポセイドンとハデスに対する古代ギリシアの信仰とスサノオのミコトと...

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富岡八幡宮では水の神様を
市杵島(いちきしま)姫命として
祀っています。


(海中鳥居で有名な
 広島の厳島(いつくしま)神社に
 繋がるお名前です)

多くの神社で神社の池のほとりに
水の神様を祀る摂社があります。

§水の神様を守る木の神様

小岩神社には敷地の一番奥に
小さな「水神社」の石の祠(ほこら)
が祀られています。

小さな祠に比べて
かなり大きな木が二本、
その前に植えられています。
鳥居のような位置関係で、
まるで水神社を
守っているようです。


近くの小さな水天宮でも、
祠と二本の木が同じ位置にあります。


そこで、はっと気が付きました。

この二本の木は、
水の神様を守っている一方で、
我々人間を水の災害から
守る為に植えられているのかもしれません。

§森と林の役割

私達人間は、水無しには生きていけません。
けれども水の力はあまりに強く大きいため、
津波や洪水が私達の暮らしを脅かしています。

木は、森や林になって、
私達と水との摩擦を
和らげてくれています。

山に降った雨が
そのまま流れ落ちてきていたら、
洪水の被害は今の比ではありません。

雨の降らない時期に
水を使うことができるのも、
森が水を蓄えてくれているからです。

§古代の叡智『竹林堤防』

洪水から生活を守る治水の方法として
『竹林堤防があります。

徳島県の吉野川が有名ですが、
鹿児島県の川内川での活用も
国土交通省のHPで紹介されています。



イザナギのミコトが黄泉の国の
イザナミ(波)のミコトから逃げ帰る時、
ブドウとタケノコが守ってくれます。



これは、蔓植物と竹林の組み合わせが
津波や洪水に有効だということです。

次の徳島県立図書館発行阿波学会研究紀要
吉野川水系『北島町の植物相』が参考になります。

『北島町の植物相』:
「水防のために、かつては多くの竹林が育成されていたと考えられる。」「カラスウリ、キカラスウリ、センニンソウ、ノブドウ、イシミカワ、アオツヅラフジ、ヘクソカズラなどのつる性の植物がメダケを覆うように生育している。」



§木の神様の名前「ククノチ」の由来

日本神話で、樹木の神様は
「久久能智(ククノチ)の神」です。

「ク」と「キ」は音韻変化で、
よく交換されます。

「茎(クキ)」を元々
「クク」と言っていました。

また「菊理(ククリ)媛」
という読み方から
「菊(キク)」も元々は
「クク」だったと考えられています。

観賞用の菊を見ると、
花は言うまでもありませんが、
太く真っ直ぐ伸びた茎に
特長があります。

「菊(キク、クク)」は音読みです。
「茎(クク)」は、やまとことばに思えます。
「菊」と「茎」の音と意味の一致は、
偶然なのか、由来があるのか分かりません。
いずれにしても「菊理媛」の「菊」の字は、
「茎」に通じるために
使われたのだと思います。

「ククノチ」の「ノチ」
は神様を表す「ムチ」「モチ」
と同じだと言われています。

一方で「ノチ(の道_後)」には、
川のように流れ行くものの先
=「末(スエ)」という意味があります。

元々空間的な意味でしたが、
後(あと)から時間的な
「末(すえ)」=「後(のち)
を指すようになったそうです。

「ククノチ」は根の方から見て
「茎」が真っ直ぐ上に伸びていった末(すえ)、
つまり、
真っすぐ伸びた高い茎という意味で
木そのものを指す言葉だったのかもしれません。


§「茎」「括る」「潜る」の語源「漏(ク)く」

更に進んで、
「茎(クク)」の語源を考えます。

音が同じ「括る」「潜る(古くはククル)」
の語源は、「漏(ク)く」です。

意味は漏(も)れるとされていますが、
「潜(クク)る」に「狭い所を通る」
という意味があるので、
同じ意味があります。

次の日本書紀の例が示してくれています。

高皇産霊尊(タカミムスビのミコト)
のお子さんの
少彦名命(スクナビコナのミコト)が
高天原から落ちてくる場面でのことです。

少彦名命は、一寸法師のような小さな神様で、
高皇産霊尊の手のひらから
こぼれ落ちて地上にやってきます。

(大国主命と少名彦名命)

「手間(タマ_手の指の間)より
漏(ク)き堕ちにし(漏れ落ちた)」
と表現されています。

狭い指の間を通って
落ちてきたという意味です。

§「括る」と「潜る」は、元々は同じ

「潜る」には、
狭い所を通すという意味があります。
「括る」にも
その意味の名残りがあります。

古新聞を紐で括ることを想像してください。
重たい新聞紙の束を少し持ち上げて
裏に紐を通す作業が必要です。

「括る」為には見えない裏側を通して
巻き込むことが必要です。
この紐などを巻き込むイメージは、
近い意味の「結ぶ」にはありません。

「しゃぶしゃぶ」の意味を調べると、
「肉をお湯に【潜らせて食べる」
と出てきます。

一度お湯に入れて引き上げる動作が
「括る」の巻き込むイメージに繋がります。

お湯に通すので、必ずしも狭いところを通す
ということではなく、
別世界に行って帰って来るイメージです。

古新聞を括る場合も、
紐を新聞の束の裏側という
見えない場所(世界)を通し、
戻って来させるという動作が伴います。

§「クク」は、見えない世界を通すこと

茎や木の幹の役割もこの側面があります。

「竹林堤防のお話は先程しました。
ノブドウその他のつる性植物に覆われた
メダケなどの竹林は、洪水や津波の際
水は通しますが、土砂や危険な漂流物
は通しません。

雨は見える世界の出来事です。
その雨が、
地中という見えない世界に入り
根や茎、幹を通して
みずみずしい果実という形で
再び地上に姿を現わします

麦の茎を英語でストローと言います。
茎が水を通す管だというイメージは、
日本語と英語の双方で共通しています。


草の茎や木の幹は、
土の中の水を通すことで、
人間にとって大切な
花や実をつけることに役立ちます。

土の中の水を直接飲めば
細菌によりお腹を壊すことがありますが、
果物ではその心配はありません。



§「菊理媛」は、木の神様

ある一面では人を傷つける水を
人に有用な形にすることが
「ククル」ことであり、

その仕組み(名詞形=連用形)が
「ククリ」です。

そしてそれが人と水を束ねること、
共生することにも繋がっています。

「菊理媛(ククリヒメ)の漢字
「菊」は、「茎」を表し、

「理」は真っすぐ伸びる筋を表します。
「肌理(キメ)」で使われる
「理」がその意味です。

「ククノチ(茎の道)」=「木」の意味を
漢字で表そうとしたのかもしれません。

今までの考察から
菊理媛は木の神様だと思います。

彼女は目に見えないところで、
水を人に有用な形に変えて、
荒ぶる水の猛威を
人に優しいように
和らげてくれる神様です。



§菊理媛の秘密の言葉

それでも人は水の災害で
命を奪われることがあります。

古事記、日本書紀において
津波の神様である
イザナミ(波)のミコトは、

一日に1000人の人の命を
奪うと宣言しています。

それに対して
旦那さんのイザナギのミコトは
一日1500軒の産屋(うぶや)を作り
人々に子供を生ませると言い返します。

際限ない言い合いになりかねない
この夫婦喧嘩をとりなしたのが
菊理媛です。

日本列島を生み出した偉大な神様が
イザナミのミコトです。
彼女が誘(いざな)う津波を
菊理媛の力では止められません。

木の神様である菊理媛ができることは
水の災害で人々が滅んだりしないように
被害を和らげることです。

菊理媛はこのことをイザナギのミコトに伝えます。

菊理媛が
イザナギのミコトに
ささやいた言葉は
秘密とされています。

その言葉は
日本神話の大きな
(最大の?)謎です。

その謎が
ここまでのお話で
解けました。

菊理媛は、
イザナギのミコトに
こう言いました。

「私には水の猛威を
抑えることはできません。

けれども、
人々が繁栄できるように
その猛威を和らげることは
できます。

そして
私はそれを行います。」

この言葉を聞いた
イザナギのミコトは
菊理媛を褒めた、
と日本書紀にあります。

見えないところを通すのが
「ククリ」です。

菊理媛が言った言葉は
隠されました。

§日本文明の真髄

世界で古代から
文化の栄えた地域は
軒並み砂漠化しています。

日本は
縄文時代の初めからでも
1万6千年以上の
月日が経っていますが、

砂漠化とは無縁です。

日本が砂漠化から無縁なことの理由は、
日本文化が木を植える文化だからです。
(日本文化の真髄と言えるのではないでしょうか。)

それは、
一万年以上の野焼き、
山焼きの積み重ねが
確認できる
「黒ボク土」の地層が
物語っています。
(黒ボク土については山野井徹先生の『日本の土』をぜひ読んでください。素晴らしい本です。

日本の土―地質学が明かす黒土と縄文文化

山野井徹[著]


また、現代にわずかに残る焼畑農法から
縄文の営為を垣間見ることができます。



スタート⇒
森林資源の利用(建築などへ
⇒野焼き 山焼き
蕎麦の栽培
稗(ヒエ)や粟(アワ)その他の作物の耕作
栗(クリ)など広葉樹の植林
森林資源の回復
  ⇒スタートへ戻る

一箇所につき数十年に亘るこの循環を
1万年以上続けてきたのが
日本文化です。

§水の神様と木の神様

水は人間にとって優しい側面と厳しい禍津神(まがつかみ)という側面があります。

水の神様の中心は、
縄文海進の時代の巨大津波を象徴するイザナミのミコトから、
縄文海退の時代の洪水を象徴する瀬織津姫へ引き継がれています。
市杵島姫命や弁財天といった形に変わっている場所も多いのですが、
水の神様は、日本人の信仰の中核の一つです。
水の神様のお社(やしろ)の手前にあって、
左右から「水を括る」ことで、
水の力を和らげてくれているのが、
木の神様である菊理媛命です。



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42.小岩神社 (東京十社巡り 番外)

2024年03月29日 | 日本神話を読み解く
自宅の近所に小岩神社があります。

小岩神社の主祭神は、
天照大御神(アマテラスオオミカミ)です。
敷地内の小さなお社(やしろ)=摂社に
浅間神社、日枝神社、稲荷神社、
和魂神社があります。
わらじ石も祀られています。

神社の一番奥に、
水神社とある小さな石のお社が
置かれています。

十社参りをして
多くの神社で
水の神様を別に祀っていることを
知りました。


次の写真は、小岩神社内の和魂神社です。

戦災でお亡くなりになった方をお祀りする所です。
お参りする時には、
「私達の為にありがとうございました。
 私もがんばります。」
と感謝と決意表明をしています。

次の写真は、わらじ石です。

足の健康は旅の安全に繋がります。
昔は神社仏閣を巡る旅人が沢山いたのでしょうね。
その人々へのマーケティングと考えると面白いです。

私の実家の近く、
千葉市花島観音(天福寺)にも
沢山のわらじが奉納されていたことを
思い出します。


小岩神社には、富士塚もあります。

軽石のような穴だらけの、
いかにも溶岩という岩を積み重ねて
ミニ富士山になっています。
その頂上に
「浅間神社」の石碑が立っています。


富士塚は、東京十社巡りで行った
品川神社にもありました。

品川神社は、
千葉県館山市の洲崎神社の
天比理刀(乃)咩命
を分祀した神社です。

洲崎神社にも富士見鳥居という富士山を見るスポットがあります。
(私が行った日には、残念ながら富士山は見えませんでした。)
その洲崎神社の浜鳥居前に
役小角が置いたとされる
要石があります。
それも穴の沢山空いた溶岩でした。

火山信仰や富士山信仰とともに
溶岩信仰がありそうです。

小岩からは富士山がよく見えます。
振り返ると国府台の後ろに筑波山も見えます。
我が家からは富士山とスカイツリーが並んで見えます。


(小岩神社に戻りましょう。)
日枝神社の石碑が、
最近富士塚から移されました。

同時に
「木花石
木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ石)
とある岩も富士塚から移りました。
冨士浅間神社の御祭神ですね。
横にある「磐石とあるのは、
お姉さんの磐長姫(イワナガヒメ
のことでしょう。

日枝神社の御祭神は干拓の神、
大山咋(くい)の神です。
縄文時代の小岩は海です。
小岩で一番古い遺跡は弥生時代のものになります。
弥生時代以降湿地になった小岩に
杭(くい)と水路による干拓で
水田を作ってきたのだと思います。

(自分で作る色別標高図で5m以上を赤くした
 北小岩の地理院地図です。)
今でも小岩には
水路が縦横に張り巡らされています。
(蓋がされて親水公園や通路になっています。)

小岩神社の摂社には
多くの神社同様、
稲荷神社があります。
稲荷神社の御祭神は、
倉稲魂(うかのみたま)の命です。

「うか」「うけ」は食物のことです。
狛犬の代わりにキツネさんがいるのと
赤い鳥居が沢山立っているのが
特徴ですね。
渡来系の秦氏の氏神が広まったとされています。


近所にあってでさほど広くもない
小岩神社について、
これだけの物語があります。

もっと効果的にアピールすれば、
大変な観光資源になると思います。
地元の歴史や日本昔話を絡めて
子供にも歴史好きな大人にも楽しめ、
親しみを感じる場所になるといいな、
と思いました。

(蛇足)
先ほどの色別標高図で北小岩の中で赤くなっているところがあります。

人工的な盛土の可能性も十分あります。
けれども、もしかしてこういうことかもしれません。
ここの部分だけ海より高くなっていて、
東側の高台の国府台からは、
海から突き出た岩が見えたかもしれません。
そしてそれが、
「小岩」の地名の由来ではないでしょうか。

大岩というと、大きな岩という意味だけでなく、高いところにある岩だと解釈できます。
「大(おほ)」と「小(こ)」または「少(すくな)」には高い低いという意味もあります。
(中大兄皇子の「大兄」は皇子に使う言葉でそれ以外の皇族には「宿禰(すくね)=少な兄(すくなえ)」を使います。身分の高い低いを表しています。)
高い所の山の岩が大岩であれば、
低い所の海の岩が小岩ではないかと思っています。
海の神様(わたつみ)を「少童」と書くのにも通じます。)

昔の文献で小岩を「甲和」と記載している記録があります。海から突き出た岩が亀の甲羅のように見えてその漢字を使ったのかもしれません。
「甲和」の読みは「こうわ」で「こいわ」とは読めないと思われるかもしれません。
「甲」の字は、朝鮮語やベトナム語や中国の方言に残っているように「kop」だったと考えられます。
ところが古い日本語と繋がりが深い呉の国(上海周辺)では「p」ではなく声門閉鎖音になっています。

現代日本語であれば、声門閉鎖音の表記は「っ」(小さい「つ」)になると思われますが、この表記は新しく、声門閉鎖音の古い日本語表記には「う」や「い」が使われています。
逆に日本語の「い」に声門閉鎖音を使う漢字を当てたということだと思います。
関東の人が話す「こいわ」という言葉の「い」の終わりに声門閉鎖音が現れています、
声門閉鎖音が無いと、関東の人には関西の人が言う「濃いいわ(コイーワ)」に聞こえます。

(この蛇足は、ずっと考えていることですが、なかなか、これは、と言う根拠が見つからない話です。)

たまたま見かけた「海に沈んだ鬼」と言う高知県の昔話に鬼の子が海の上の小岩になったとあります。

鬼が人間を助けるために二つの大きな岩を海に沈める話です。その大きな岩が双名島として残っていて、その二つの岩の間にいくつかの島があります。
そのどれかが鬼の子がなった小岩です。
どれが小岩か分かりませんが、どれも亀の「甲」のように見えてしまいます。
(双名島の二つの島を金棒で刺して、天秤棒のように鬼が運びました。四国のことを伊予の二名島といいます。四国全体の形も二つの岩を天秤棒で繋いだように見えなくもありません。何か関係があるのでしょうか。)





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41.東京十社巡り その5 最終回 神田明神 亀戸天満宮

2024年03月24日 | 日本神話を読み解く
根津神社の次は神田明神です。

御祭神は
大己貴命(オオナムチノミコト、だいこく様)
少彦名命(スクナヒコナノミコト、えびす様)
平将門命(タイラノマサカドノミコト)

社伝によると、
天平2年(730)に出雲氏族の真神田臣(まかんだおみ)により
東京都千代田区大手町・将門塚周辺に創建されました。

東京十社それぞれの神社で
狛犬が特徴的でした。

特に神田明神では、
漫画的というか、
手塚治虫的な感じです。

最近の作なのか古くからあるものかは分かりません。

神田明神は、
先日訪れた大手町の将門塚から
神田に引っ越してきたのですね。




平将門様は
関東の人々にとっては英雄です。

オオナムチのミコトは、
大国主命のことです。

えびす様とは、誰のことか、いくつか説があるそうです。
イザナミのミコトの子のヒルコ様という説
大国主命の子の事代主命(コトシノヌシのミコト)という説
スクナビコナのミコトという説があるそうです。

神田明神はスクナビコナ=えびす説をとっています。
(大国主命と少彦名命)

(えびす様と大黒様)

少彦名命(スクナビコナのミコト)は、
鯛を釣り上げているえびす様だとすると、
海の神様なんだろうと思います。

海の神様「ワタツミの神」の漢字は色々ありますが、
「少童」と書いても「わたつみ」と読みます。
「少彦名」と「少童」は関係があるのでしょうね。

東京十社巡りの最後は、亀戸天満宮です。

御祭神は神田明神の御祭神である
平将門様に生まれ変わったと言われる
菅原道真様です。

神田明神を夜に出て、
間に合わないかと思いましたが、
ここは24時間営業でした。

スカイツリーがよく見える場所です。

亀戸天満宮の後すぐ隣りの
亀戸香取神社にお参りしました。

平将門を討ち取った藤原秀郷が
戦勝祈願をした神社です。

平将門に生まれ変わったと言われ
自らも藤原氏に追い落された菅原道真と
藤原氏の神社が隣り合っているのが、
日本の文化なんですね。



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40.東京十社巡り その4 根津神社

2024年03月23日 | 日本神話を読み解く
富岡八幡宮の次は、
文京区の根津神社です。

現地に行くことは大切ですね。
おかげで大発見ができました。

ポセイドンとハデスに対する
古代ギリシアの信仰と
スサノオのミコトとイザナミのミコト
に対する縄文の信仰との繋がりを
根津神社を通じて再確認できました。

根津神社の御祭神は
素戔嗚尊(スサノオのミコト)です。

前に『勝浦』という地名の由来を調べました。34.『勝浦』の地名の由来 - 仕事と生活の授業(続き)

34.『勝浦』の地名の由来 - 仕事と生活の授業(続き)

2023年夏真夏の気温が都心より5度も低いと話題の千葉県勝浦にも行きました。もしかしたらもう一生海に入ることなんかないんじゃないかと思っていましたが、波に揺られてと...

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「勝浦」と名の付くほぼ全ての海岸で、
海岸線が三叉の銛(もり)の形をしていました。
『かつ』には(銛などを)突くという意味があり、
『銛』という漢字も音読みで『カツ』と読むことができます。

(カジキマグロなど大型の魚を獲るための銛です。)

福岡の勝浦が分かりやすい形です。

ギリシアとイタリアでは、
三叉の銛の形をした海岸線に
古代ギリシアの神様である
ポセイドンの地名を付けたり、
神殿を作ったりしました。

ポセイドンは必ず三叉の銛を持って描かれます。

日本とギリシアで同じように
銛と三叉の海岸線を結び付けている
ことが分かります。

ギリシア南部ペロポンネソス半島は
南端で三叉の銛のように
3つの半島に分かれます。

その真中の半島、
マニ半島の更に南端がマタパン岬です。
またの名をタイナロン岬と言います。

タイナロン岬には有名な
ポセイドン神殿跡があります。

タイナロンのポセイドン神殿跡のそばに、
ハデスが支配する冥界への入口と言われる
洞穴があります。

その洞穴へ行ったユーチューバーの動画を
見つけました。
とても貴重な資料です。





神殿跡の石組みの祠(ほこら)も下の洞窟を模したのではないでしょうか。
タイナロン神殿の祠は、こんな感じです。

このタイナロン岬ポセイドン神殿にある
冥界の入口とされる洞窟に似た
縄文遺跡が千葉県勝浦市にあります。

人気の海水浴場勝浦守谷海水浴場近く
「荒熊洞窟遺跡」です。

もちろん千葉の勝浦も三叉の銛の形をしています。

ポセイドンを思い出させる
三叉の銛の形の地形と
ハデスが治める冥界への
入口の洞窟というセットが
古代ギリシアと縄文日本の信仰の
共通の形を表しています。

そして古代ギリシア神話のポセイドンは日本神話のスサノオのミコトと同一視できるという話があります。

ギリシア神話のポセイドンと日本神話のスサノオのミコトには同じようなエピソードがあります。

比較神話学の論文に詳しく書いてあります。

どちらも海の神様で、冥界に繋がっていたり、馬に絡んだ乱暴をはたらくエピソードがあります。

英文なので、ブラウザ等の翻訳機能でどうぞ

スサノオのミコトは、お父さん(イザナギのミコト)に海の世界を任されたのに、
それをほったらかして大好きなお母さん(イザナミのミコト)がいる冥界に行ってしまいます。

冥界を象徴するのはギリシアでは男性神であるハデスですが、
日本では女神のイザナミのミコトです。


ここまでの話が全て集約されているのが根津神社です。

まず根津神社の御祭神はスサノオのミコトです。

境内には洞穴に祠を作った穴稲荷、
別名乙女稲荷があります。

ギリシアのポセイドン神殿と
冥界の入口の洞窟遺跡に対応します。

根津神社に限らず、
どこの稲荷神社でも
祭神はウカノミタマという女神です。

根津神社に限って
あえて乙女稲荷と言っているのは
別の女神=イザナミのミコト
を意識しているからではないでしょうか。

そして、
縄文海進時の周辺の海岸線を想定すると、
根津神社の周りは三叉の銛の形になることが分かります。

東京湾は、標高約15mの栃木県渡良瀬遊水池まで広がっていたことが分かっています。

標高15mまで水色で着色してみるとこのような入り江によって三叉に分かれた海岸線が現れます。

旗の所が根津神社です。

古代ギリシアと縄文の人々は、
三叉の銛の形の海岸線を特別な場所として、
ポセイドン=スサノオのミコトを祀り、
近くの洞窟を冥界の入口として大切にしてきました。

タイナロン岬では古代ギリシアの信仰が長く続き、
完全にキリスト教を受け入れたのは11世紀だそうです。

大発見はこれだけではありません。

タイナロン岬には
当地の人々が古代ギリシアの信仰を保っていた時代であるローマ時代の灯台の跡が残っています。

そこにあるモザイク模様を見てください。

ここ最近ずっと考えていた問題が氷解しました。
真ん中に菊花紋とも思える印があります。
(花弁の数はだいぶ少ないですが。)
日本の地図記号の灯台に似ているので
灯台を示しているのかもしれません。

そしてその周りにある波の形を見て気が付きました。
この図形に似たものがあります。
勾玉を使った首輪や腕輪です。


また、巴紋は、勾玉を表しているという説もあります。

勾玉も巴紋も波の形を表しているのではないでしょうか。
(鞆との関係は、一旦置いておきましょう。)

勾玉について考えてみます。

勾玉ば、翡翠(ひすい)製のものが重用され
魏志倭人伝にも出てくると言われています。

新潟県糸魚川市が勾玉を作る翡翠の産地です。

同じ新潟県の信濃川周辺では芸術性の高い縄文土器が多数発掘されています。

残念なことですが「火焔土器」と命名されてしまいました。

西洋美術史の田中英道先生は、
この土器は火ではなく水を表していると仰っています。

縄文の人々は鋭い観察力を持っていたはずです。
この土器が水の動きを表していることは、
レオナルド・ダ・ヴィンチの水流のデッサンや
水滴の落ちる際のクラウンと並べると
よく分かります。


この通り、火焔土器の模様は、
その名前に反して
水の動きを表しています。

勾玉の産地と
水の動きを表す縄文土器の産地は
同じ越の国です。
土器の側面にある渦巻き模様が
勾玉の形とそっくりです。

ガーネットやロードナイトなど
日本では赤い宝石も産出するのに、
勾玉は寒色である青緑色の翡翠(ヒスイ)で
作られることが多いのは、
水の動き=波
を表しているからだと思います。

縄文海進の時代には、
海抜が120mも上昇しました。
今と比にならないくらい頻繁に
海からの津波が起こっていたのではないでしょうか。

一方、縄文海退の時代になると、
山津波と呼ばれる土石流を初めとする
洪水の脅威が深刻になります。

日本に住む人々は、
常に水の脅威と隣合わせです。

自ずと水が信仰の対象になっていたはずです。


ギリシア神話と日本神話は似ていると言われます。
ここでそれを形として見ることができました。

航海民族である縄文人の地球を股に掛けた壮大な移動の痕跡を感じます。
根津神社で乙女稲荷を見た瞬間に
私の視界は勝浦の縄文遺跡を通じて
ギリシアまで広がったような気がしました。

(根津神社以降の写真の引用元は、
東京国立博物館 Royal collection trust YOUTUBEチャンネル『神話の旅、歴史の散歩道』「冥界まで片道20km!タイナロン岬の旅!」 FC2ブログ『人生が行き止まり』 ウィキペディア Googleマップ コトバンク 国土地理院
PIXTAの画像は購入したものです。)

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39.東京十社巡り その3 氷川神社 富岡八幡宮

2024年03月20日 | 日本神話を読み解く
日枝神社の次は赤坂氷川神社です。2つは歩ける距離です。

途中、道の角の観音像が気になり立ちどまると、道を間違えそうなことに気付きました。

お陰で間違わずに氷川神社に辿り着きました。お賽銭箱がなかったので、行きと帰りにお礼の言葉だけ伝えました。

福多楽観世音菩薩 · 〒107-0052 東京都港区赤坂2丁目21−1 川本ビル

★★★★☆ · 彫刻

福多楽観世音菩薩 · 〒107-0052 東京都港区赤坂2丁目21−1 川本ビル


赤坂氷川神社の御祭神は、
素盞嗚尊(すさのおのみこと)、
奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)、
大己貴命 (おおなむぢのみこと)。

氷川の由来は、
出雲国簸川(現在の島根県斐伊川)で、
簸川の上流は素盞嗚尊の
八岐大蛇退治(やまたのおろちたいじ)
の舞台です。

前に港区虎ノ門の支店にいた時、
氏神の赤坂氷川神社に初詣に行きました。

支店に悪いことが続いたので、
お賽銭を奮発した記憶があります。

翌年から、本社の氏神である日枝神社に初詣に行くことに変わったので、
一回しか行ったことがありませんでした。

素戔嗚尊の八岐大蛇退治の話は、
川の上流のたたら製鉄の人々と
下流の水田農家(奇稲田姫命)の
対立の話だろうと思っています。

蛇は川の象徴で、記紀には、
お腹が赤いとあります。
砂鉄を取る作業である
「鉄穴(かんな)流し」をすると
川の水は赤くなり、
その時期、水田に使えなくなります。
鉄穴流し - Wikipedia

鉄穴流し - Wikipedia

氷川神社の次は門前仲町の富岡八幡宮です。
日本で一番多い神社は、八幡神社です。
八幡神社の御祭神は、
応神天皇です。

秦の始皇帝の末裔、
弓月君の一族が
日本に行こうとしていたのに、
新羅の国に邪魔されていました。

応神天皇は彼等を助けて
日本に呼び寄せました。
弓月君の一族は後に秦(はた)氏
と呼ばれる人々で、
聖徳太子の側近の秦河勝さんが有名です。

岩や川や瀧や山など、
自然をそのままの形で信仰していたのが
元々の日本の信仰でした。

今のようにお社(やしろ)を
建てるようになったのは
外国の文化の影響かもしれません。

外国から来た人々は
恩人の応神天皇をお祀りして、
お社を建てる形の信仰を
全国に広めたのでしょう。

沢山の神社に行って気づいたのですが、
菊花紋よりも
巴紋の方が多く飾られている気がします。
特に八幡神社では巴紋を沢山見かけます。

巴紋は円の中に、
弓矢の道具の鞆(とも)の形
(オタマジャクシの形?)
が三つ組み合わされています。
鞆の絵が巴(ともえ)の由来だ
という説があります。

鞆(とも)というのは、
矢を放った後の弦を止めるために
腕に巻く小さなクッション状のものです。

鞆が無いと、
弦が弓を中心に自分の反対側に
回ってしまいます。
これを弓(ゆ)返りと呼びます。

弓返りを起こす回転力自体は
矢を真っ直ぐ飛ばすために必要なものです。

ところが、弓返りすると、
次の矢を放つために
弦をこちら側に向け直す動作が必要です。
連射や速射の為には無駄な動作です。
この無駄を省き速射を可能にした発明が
鞆(とも)です。
古墳時代の武人埴輪の腕に巻かれています。

また、鞆だけの埴輪もあり、重要な道具だったことが分かります。

応神天皇には
生まれつき鞆(とも)が巻かれていた
との伝承があり、
鞆の別名である「ほむた」から
「誉田天皇(ほむたのすめらみこと)」
と呼ばれています。
八幡神社では巴紋が多く見られる理由です。

応神天皇は、武術の神様でもあり、
私の自宅から二駅隣の
千葉県市川市の八幡神社には
弓道場があります。
中世以降鞆は使われなくなってしまいました。

大量の矢を放ち弾幕にするような戦法から
遠くの大将を正確に狙い撃つ戦法に
変わったのでしょうか(機関銃戦からスナイパー戦へ)?
清明館(葛飾八幡宮) · 〒272-0021 千葉県市川市八幡4丁目1−13

清明館(葛飾八幡宮) · 〒272-0021 千葉県市川市八幡4丁目1−13

★★★★☆ · 武道教室

清明館(葛飾八幡宮) · 〒272-0021 千葉県市川市八幡4丁目1−13



写真の引用は、次のHPからです。
グーグルマップ
ウィキペディア
(社)日本皮革産業連合会
文化庁 文化遺産オンライン
イラストAC











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