仕事と生活の授業(続き)

前に作ったホームページは、あまり読まれないようなのでブログで再挑戦です。

16.『めぞん一刻』 1980年-1987年 高橋留美子 その4

2016年10月25日 | マンガの感想


 今から60年以上前のドラマで、

 「すれ違い」をメインテーマに、日本中を熱狂させた作品があったそうです。


 第二次世界大戦末期、

 東京大空襲をくぐり抜けた男女が半年後の再会を誓い、

 その約束の時、約束の場所にいたはずなのに、

 出会うことができない。

 すぐ近くにいるのに...。


 気持ちは通じ合っているのに、行き違ってしまう。


 私自身がこのドラマを直接聞いたり、見たりした訳ではないのですが、

 ヒロイン役の岸恵子さんは、

 パリに住んでいる伝説的な女優さんとして知っていました。


 テレビドラマ(昔はTBSが圧倒的に強かった)の、

 やはり伝説的なシリーズ(『赤いシリーズ』)の代表作=『赤い疑惑』で、

 こちらも伝説的なアイドル歌手だった山口百恵さんが務めるヒロインの実の母親役が、

 岸恵子さんでした。

 (子供の頃『赤いシリーズ』大好きだったな。)


 その岸恵子さんの出世作であり、

 代表作でもある映画が先ほどの「すれ違い」をテーマにした

 『君の名は』です。




 だんだん『めぞん一刻』から遠くなってしまっているので、

 この辺でやめておきましょう。



 これで『めぞん一刻』の感想は終わりです。


 (今度はいつお会いできるでしょう....、)
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15.『めぞん一刻』 1980年-1987年 高橋留美子 その3

2016年10月23日 | マンガの感想

 高橋留美子さんの代表作はなんでしょう。


 『うる星やつら』

 『めぞん一刻』

 『らんま1/2』

 『犬夜叉』

 『境界のRINNE』


 世代によって違いますよね。


 子供の頃『うる星やつら』をテレビアニメで見て好きになりました。


 下の息子はテレビで『境界のRINNE』を楽しそうに見ていますから、

 親子二代で高橋先生のお世話になっています。


 私は、『うる星やつら』は高橋先生の世界観だけでなく、

 テレビアニメを作っていた押井守さんの演出が好きだったんだと思います。

 (なぜか牛丼にこだわっているシーンの記憶が残っています。

 高橋先生は、押井さんの演出を認めていないんですよね。)


 映画版『うる星やつら・ビューティフルドリーマー』は映画館で見て、

 何かすごいものを見たという感じでした。


 夢と現実、現実と物語をすり替えて、

 何がなんだか分からなくなる不思議な映画でした。

 (押井ワールド全開でしたね。)


 そういえば、この映画こそ、

 なぜか人を引きつけるテーマ:

 「終わらない夏休み」

 「永遠の夏休み」

 を扱った作品の代表選手です。




 高橋先生の作品の中では、

 他のSFチックな作品と一線を画しているのが『めぞん一刻』です。



 ラブコメディというジャンルの名作です。



 でも、連載開始当初は、

 どちらかというとラブコメディというよりは

 ギャグ漫画でした。



 連載が始まった頃(1980年)は、

 アパートもの(下宿もの)の伝説的なギャグ漫画

 『マカロニほうれん荘』(1977-79年)の強烈なインパクトが残っている時代で、

 高橋先生流の『マカロニほうれん荘』を目指していたんではないか、

 と私は思っています。


 それが、いつの間にか主人公二人の恋愛がメインのラブストーリーになっていました。


 とは言っても、ストーリーはあるようでないような感じで、一言で言うと、


 一刻館というアパートのちょっと変わった住人たちが、

 主人公二人の恋路を肴に宴会を繰り返すという話です。


 (一言で言えてしまった。)




 主人公の若者=五代くんは、

 高嶺の花である響子さん=管理人さんへの恋愛を成就するために、

 住人にいじられながらも懸命に前に進もうとします。


 読者は、そのがんばる姿に感情移入してしまいます。


 五代くんと響子さんは、些細な誤解で相互不信に陥り、

 喧嘩を繰り返します

 (といっても一方的に響子さんが怒るだけですが)。

 今はやりの「すれ違い」ですね。



 主人公二人の関係は、

 女神さまと僕(しもべ)の構図になっています。

 普段穏やかな女神様が僕の忠誠心に疑いを感じると、

 誰も止められない怒りの神様に変貌します。


 住人たちは、その怒る女神さまを、

 なだめたり、逆に怒りを煽ったりしながら、

 二人を肴に宴会を盛り上げて楽しんでいます。


 その住人たちの行動が、

 二人のもつれた関係を解きほぐしたり、

 逆にややこしくしたり、

 と物語の進展を促す進行役となっています

 (狂言回しって言うんですかね)。



 とても不思議な五代くんの隣部屋の住人である四谷さんは、

 強烈な個性を持っていて、

 『マカロニほうれん荘』の膝方歳三さんを思わせます。


 そうなると、一ノ瀬さんが、金藤日陽さんになるのかな?


 (当時『マカロニほうれん荘』はもの凄いインパクトのある作品だったんですよ。)




 (荒れ狂う)女神さまと僕(しもべ)という関係は、

 文学作品の定番です。


 エミリー・ブロンテの『嵐が丘』、

 トルーマン・カポーティの『ティファニーで朝食を』がそうですね。

 あと、サン=テグジュペリの『星の王子さま』の薔薇と王子さまの関係もそれです。


 女神さまと僕(しもべ)という不自然な関係しか結べない

 不器用な男女の

 「すれ違い」を描いた作品達です。



 「すれ違い」が感動を生むんですね。





 その4に続きます。
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14.『めぞん一刻』 1980年-1987年 高橋留美子 その2

2016年10月22日 | マンガの感想
 ある人が自分の心の一部になる...。

 どんな感覚なんだろう。


 決して忘れることのない存在。

 思い出そうと思えばいつでも思い出せる人。


 そういう人が、
 
 心の一部になった人なのでしょうか。


 自分にとって、そういう人で、

 すぐに思い浮かぶのは、亡くなった母親です。


 母親と幼い子の心は距離のない、

 一つのものかもしれません。


 幼い頃の母親以外に心を一つにできる人が現れるというのは、

 素敵なことです。


 その人と別れても、心の一部となるような、

 そんな想い出を残すことができるなんて...、


 誰かが他の誰かの心の一部になることができるということが本当なら、


 それで救われる人がいる。



 『めぞん一刻』の最後、

 『桜の下で』という回において作者が言っていることは、

 そういうことだと思います。



 数ヶ月前に『世界一難しい恋』を見て『めぞん一刻』を思い出したと書きましたが、

 数年前、ある小説を読んでいて、

 やはり『めぞん一刻』の最後、『桜の下で』の回を思い出しました。



  「入籍前日に他の男の子のことばかり考えているなんて、

  ちょっと不誠実だろうか。

  でも、夫となるあの人は、

  きっとそんなことを気にしないだろうとも、

  彼女は思う。」


  「あの男の子との想い出は、

  もう私自身の大切な一部なのだ。

  食べたものが血肉となるように、

  もう切り離すことのできない私の一部。」





 新海誠さんの『小説・秒速5センチメートル』に出てくるフレーズです。

 (文庫版の161ページから162ページにあります。)


 ある人が別の人の心の一部になるという考えは、

 昔からあるのでしょうか...、


 それとも高橋留美子さんが言い始めた

 特別な考え方なのでしょうか...。


 いずれにせよ、

 私たちがかけがえのない想い出とどう向かい合うのか、

 過ぎ去った過去、

 永遠に失われた過去の経験とどう関わるのか、


 そんな難しい問いへの一つの答えだと、


 救いを与えてくれる答えだと、


 想われます。






 その3に続く。
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13.『めぞん一刻』 1980年-1987年 高橋留美子 その1

2016年10月18日 | マンガの感想
 今から2クール前の日本テレビのドラマ『世界一難しい恋』を見ていて、

 ラブコメディというジャンルの伝説的な漫画『めぞん一刻』を思い出し、読み返し始めました。


 童心の残る男性と融通の効かない女神さまの恋物語という点や、

 男性の相談にのり、アドバイスを授けてくれる男女、完璧なライバル、

 キューピッドになるおじいさん(おばあさん)の存在等、似ている部分もあり、

 もちろん違っている部分の方が多いのですが、懐かしさを感じながら毎回見ていました。


 でも、何よりそっくりな感覚は、次の回が待ちきれないという焦燥感です。

 こんなに楽しい思いをもらって、『世界一難しい恋』の制作者のみなさん、

 出演者のみなさん、音楽担当のみなさん、その他のみなさんに感謝です。

 見ててとても幸せでした。


 そして、『世界一難しい恋』が終わって数ヶ月経つのに、

 今でもずっと『めぞん一刻』にはまったままです。



 一刻館というアパートを舞台に、夫と死別した若い美人の管理人さんとアパートの住人である受験浪人の、

 単行本で15巻に渉る物語(ストーリー)です。


 初めはかなりふざけたギャグ漫画だったのに、

 最後には漫画史上、というか文学史にも残るような感動的なシーンが待っています。


 生真面目な管理人さん(響子さん)は、浪人さん(五代さん)を好きになることで、

 亡くなった夫への愛情が嘘だったことになるのではないか、と悩んでいます。


 五代さんは、長年の恋心を実らせることができ、響子さんと結ばれます。


 響子さんは、五代さんとの結婚を前に、前の夫(惣一郎さん)を自分の心から追い出そうと苦しみます。


 五代さんは、惣一郎さんを忘れられない響子さんを見て、複雑な心境です。


 そして、感動的なシーンが始まります。


 五代さんが惣一郎さんのお墓の前で、亡き惣一郎さんに語りかけます。

 響子さんに忘れられない記憶を残した惣一郎さんをねたましいと言った後、


 「...忘れるとか...、そんなんじゃないな...」

 「あなたはもう響子さんの心の一部なんだ...」

 「初めて会った日から響子さんの中に、あなたがいて...、そんな響子さんをおれは好きになった。だから...、」

 「あなたもひっくるめて、響子さんをもらいます。」



 この言葉をお墓の陰で聞いていた響子さんは心の中で惣一郎さんに語りかけます。

 「あたしが、この人(五代さん)に会えたこと、喜んでくれるわね。」




 忘れることのできない、忘れたくない思い出とどう向き合うのか。

 新しい一歩を踏み出すとき、その思い出との距離をどうとったらいいのか。

 本当のことは一つしかないと思っている響子さんは、

 新しい本当のことを迎えるに当たって、その思い出を心から追い出そうと考えます。


 一方で、このシーンよりずっと前、

 惣一郎さんへの思いが唯一の本当のことだった頃の物語の中、

 響子さんは、惣一郎さんとの記憶が薄れていくことに強い罪悪感を感じていました。


 そんな響子さんの心は、

 五代さんの「あなたはもう響子さんの心の一部なんだ...」という言葉によって救われます。


 無理に追い出す必要もなければ、

 記憶が薄れていくことに罪悪感を感じる必要もない。

 ありのままでいい。

 (けじめをつけたい、と本気で思うのであれば、さようならをしてもいい。)


 どんなに記憶が薄れても、心の一部になっている人は、失われることはない。

 思い出を傷つけることなく、安心して忘れることができる。


 このシーンで作者は、そんな考え方を提示しています。





 そういえば、同じ作者(高橋留美子さん)の作品で『忘れて眠れ』というものがありました。

 あんまり関係ないか...。




 『めぞん一刻』その2へ続く。

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