仕事と生活の授業(続き)

前に作ったホームページは、あまり読まれないようなのでブログで再挑戦です。

30.手嶌葵 『明日への手紙』 作詞・作曲 池田綾子 2016年

2018年02月18日 | 歌の感想文
テレビ朝日のオーディション番組『音楽チャンプ』で

手嶌葵さんの『明日への手紙』を歌った歌い手さんの歌に

他の出演者のほとんどが涙している姿を観ました。

歌い手さん(琴音さん)の声が心に響いているのがよく分かります。


もう一つこのスタジオ中に広がった感動を導いているのは、

原曲の力だと思いました。

そう思ってiTunesで原曲をダウンロードしてから

一日に数十回、トータルで100回以上聞き続けています。

やっと涙が溢れなくなりました。


この歌は、『未来の自分』に向けて書いた

『今の自分』からの励ましの手紙

という形をとっています。


この曲を聴いている多くの聴き手は、

『未来の自分』に“今の自分”を重ね合わせているため、

“過去の自分”から手紙を受け取ったように感じています。


歌の途中で『未来の自分』への手紙の文章と『今の自分』に向けた呟きが交錯していくので、

歌詞の意味を正確に捉えるのが難しい曲です。


聴く人の今が、どのような形であっても、

夢をつかめていても、

夢をあきらめていても、

大事な人ができていても、

一人きりでも、

“過去の自分”が広い心で包み込み、

寄り添い、

一緒に歩いてくれているような気持ちになります。


“過去の自分”は、

ふるさとのイメージにつながり、

お母さんが子供を抱(いだ)くように今の自分を抱きしめ、

そして一緒に夢に向かって

もう一度進もうと呼びかけてくれます。



『音楽チャンプ』で審査員の森公美子さんが名前を出していましたが、

『明日への手紙』は池田綾子さんの作詞作曲です。

池田さんは、伝説のアニメ『電脳コイル』で主題歌を歌っていた方ですね。

懐かしい。


池田さんの曲をいくつか改めて聴いてみましたが、

彼女のテーマの一つが

『誰かとより添う』

ということなんですね。


アンジェラ・アキさんの『手紙~拝啓十五の君へ~』と同じく、

“過去の自分”との対話という設定が多くの人の心に響き、

寄り添う“過去の自分”や『未来の自分』というイメージが

“今の自分”の救いになるということが分かります。


池田さんの歌う『電脳コイル』のオープニングテーマ『プリズム』もとても良かったのですが、

最終回で流れた『空の欠片』がとても印象に残っています。

池田さんの歌詞はどれも難しいのですが...、


『電脳コイル』は時代を先取りしたアニメで毎回ドキドキしながら見ていたことを思い出しました。

(蛇足ですが、)最終回の一つ前の回で流れた最終回の予告がものすごい密度で、

しかもぜんぜん予告になっておらず(別のストーリーをほのめかしていて)、

一番の傑作では?、と思ったりもします。

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21.『サンタが街にやってくる:Santa Claus Is Coming to Town』 1934年 ヘヴン・ギレスピー作詞 フレッド・クーツ作曲

2016年11月24日 | 歌の感想文
 会社がTOEIC受験を奨励しているので(ただで受けさせてくれるので)、1年半ぶりに受験してみました。

 ちょっと前に同じチームの人が、宅地建物取引士の試験を一生懸命勉強している姿を見て、自分も勉強しなくっちゃ、と思った次第です。

 三日坊主な性格は子供の頃から直らず、勉強し始めの2週間ぐらいは順調だったのですが、試験直前の2週間はほとんど勉強できず、残念な結果になったに違いありません(結果はまだです)。

 宅地建物取引士を受験した人へ勉強のアドバイスをしたのですが、過去問12年分を3回以上繰り返してもらいました。さすがに3回目にはほとんど間違えなくなりました。

 本人は、解答を覚えてしまったので、学力が伸びたのではないと思っているかもしれません。

 でも、解答を覚えるぐらいやれば、おのずと学力は上がっているものです。

 結果、何年も受からなかった試験でなんとか合格水準の点数がとれたようです(こちらも正式な結果はまだですが)。

 TOEICでも同じやり方が通じるのでは、と思い、とりあえず同じ問題集を3回やろうと、がんばってみたのですが、薄い問題集を5冊やるはずが、道半ばの3冊でくじけてしまいました。

 そんな英語熱がマイブーム(死語?)になっている中、
『better not』というフレーズを見て、あれっ?なんだろう?という感じで、意味や文法がよく分かりませんでした。

 やっぱり、TOEICはメタメタだと、よおく分かりました。

 調べてみると、『You better』は『You had better』で、次にくる動詞で表される動作を『しないといけない』という意味でした。

 なんとなく、『した方が良い』という意味に思えますが、英語では、『しないといけない=しないと悪いことが起こる』という意味だそうです。『した方が良い』は『You should』で表すそうです。

 否定の『not』をつけた『You better not』は、『~したらダメ(悪いことが起こるよ)』という意味です。

 それで、分かったのが、有名な歌の次の歌詞です。

You better watch out
You better not cry

 日本語の訳詞では、

さあ あなたから
メリークリスマス
私からメリークリスマス


 という陽気で優しい歌ですが、
英語では、『いいかい、泣いてちゃダメ(いい子にしていないと、サンタクロースがプレゼントをくれないよ)!』という意味だったんですね。


Better not pout
I'm telling you why
Santa Claus is coming to town

ほらっ ふくれっつらもしない
サンタさんがやってくるんだから



 今日はまだ11月なのに雪の降る寒い一日でした。

 サンタクロースが寒さを引き連れて、下見に来ていたのでしょうか?


☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

 (歌詞の解釈の続きです。)

 サンタさんは、ちゃんと見ているんだからね!

 と、さんざん脅したあげく、最後に

So be good for goodness sake

ねっ お願いだから いい子にしてっ


 と逆に懇願しています。

 ニュアンスが違うのかもしれませんが、

 泣きやまない小さな子をあやす、

 困り果てたお父さんの姿が浮かんでしまいます(数年前の自分の姿です)。

 そのニュアンスが間違っていないなら、

 とても可愛らしい歌に思えてしまいます。

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12.『Last Kiss』 2004年 BONNIE PINK (2010年 covered by JUJU)

2016年03月24日 | 歌の感想文

 12.『Last Kiss』 2004年 BONNIE PINK (2010年 covered by JUJU)

 【歌の感想文】


 BONNIE PINKさんの『Last Kiss』という曲が頭の中にずっと残っています。

 JUJUさんのカバーアルバムでこの曲を知りました。


 アルバムのすばらしい曲の中でひときわ輝いて見えたのは

 この曲が永遠の一瞬を歌っているから


  痩せた指にキスをした

  あなたをずっと忘れないよ




 すれ違い、分かり合えなくなった恋人との別れが歌われています



  誰を何を責めてもいい、愛した事だけは汚さないで



 つらい別れは受け入れても、思い出だけは大切にしたいという最後の願いです。



 同じフレーズが何度も繰り返されることで

 大切な思い出と

 思い出を共にした人との関係

 その全てを夕日の中の一瞬の出来事が象徴しているかのように感じられます




 大切な人との思い出全てを一瞬の出来事で表せるような

 そんな瞬間があることを私たちは知っています


 そして、


 その人との関係が人生の中でかけがえのないものであれば、

 その瞬間がまるで人生全てを象徴するかのようにも思えてきます



 どんなにつらい、つまらない時間もその一瞬のためにあったと、

 どんなに暗い夜道も、その一瞬が照らしてくれていると、

 そう思えるような瞬間


 記憶は薄れていくかもしれないけれど、

 夜道を照らす灯火としての意味は、

 時間を経るごとに強まっていくのかもしれません


  痩せた指にキスをした

  泣いたあなたを思い出すよ

  これで終わりだとしても

  最後のキスは忘れないよ

  忘れないよ

  忘れないよ

  彼のキスを




 目の前にいるかのような鮮明な『あなた』のイメージは薄れ、

 遙か遠くにいる『彼』として思い出すようになっても

 人生を肯定してくれる素敵な瞬間という意味は変わらない



 そんな瞬間を『永遠の一瞬』と呼んでみました




 ちなみに...




 私の永遠の一瞬は

 生まれて少し経った娘の為に

 お風呂のお湯をかき混ぜている瞬間


 なぜかその時

 『幸せ』という感情に包まれました



 おしまい
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8.『Mine』 2014年 Aimer

2015年01月27日 | 歌の感想文
『Mine』 2014年 作詞 aimerrhythm 作曲 Chikara Morimoto 歌 Aimer


(歌の感想ですが、ちょっと変わったことをします。

 エメさんの歌の行間に

 これまで書いてきた映画の感想を読み込んでいきます。

 単純にエメさんの歌の感想だと思って読まれる方には、

 期待はずれになってしまうかもしれません。

 どちらかと言うと映画『秒速5センチメートル』の

 感想のまとめと言った方が近いかもしれません。)


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


前から耳にしたことはあったはずですが、

Aimer(エメ)さんの歌を強く意識したのは、

『今日から思い出』という曲を知ってからです。

(YouTubeの動画は十数回見ましたが、毎回必ず涙がこぼれます。)


音楽も声も素晴らしく、

そして、詩がとても心に響きます。


エメさんの詩には、

手垢にまみれていない新鮮さが感じられます。


とりわけ「今日から思い出」というフレーズの

新しさと深みが印象に残ります。


『今日から思い出』と同じように

『Mine』には、

想像力をかき立ててくれる言葉があふれています。


とても私的な、

一人称で語られるべき『心』という言葉の後に、

「二人を知って」初めて見えたという

意外なフレーズが続きます。


そして『心』は君がくれたと...。


「今日から思い出」というフレーズが、

思い出という過去の出来事を、

(今日より後の)未来から見つめるという、

とても新鮮な視点の移動を示してくれたように、


『Mine』では、一人称で語られるべき

『心』を二人称を通じて語るという

視点の移動を見せてくれています。


そこで示されているのは、

視点をずらすことによる目新しさではなく、

視点をずらすことによって初めて分かる大切な事柄です。


『心』は、決してその場その場の感情の集まりではなく、

その場を覆っている気分でもありません。


私が私であるために必要不可欠な何か、

自分らしさを形作っている何か、です。


自分らしさの輪郭を捉える為には、

自分ではない何かとの関係が必要となるのではないでしょうか。


三人称で語ることのできる第三者ではなく、

自分にとって特別な誰か、

一人称の世界の奥深くでつながっている誰か、

すなわち二人称である『君』との関係において

『心』は語られるものかもしれません。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


「『心』は君がくれた」

という情景を描いている物語があります。

このブログに『秒速5センチメートル』の感想を置いてあります。


その映画にその情景があります。


子供の頃、

見るものや体験するできごと

全てに新鮮な驚きや喜び、怖れや悲しみ

といった感情がともなっていました。


『秒速5センチメートル・桜花抄』の主人公には、

全てのものごとについて感情を共有できる

特別な存在がいます。

二人は、一人称と二人称を区別する必要のない

特別な関係にありました。


悲しい出来事を前に、

思わず発した主人公の一言が

その特別な関係を揺るがします。

二人は、同じだと信じて疑わなかったものが

実は違うものだったことに気がつきます。

そこに距離が生まれ、

その距離が自分の心の輪郭を映し出し始めます。


そして、

雪の降る桜の木の下で

異なる二つの心が奇跡的に

再び一つになるという経験を経て、

『心』とは何か、どこにあるか、

を知ることになります。


しかし、一つにつながった心は、

いつしか二つに分かれ、

痛みを伴いながら色褪せていきます。


子供の無邪気さの中で、

感情に満ちあふれていた世界は、

奇跡的な経験により、

まばゆい光を放ち、


けれども「君」と別れることで、

まばゆい光だけでなく、

生き生きとした感情という

色彩をも

失っていきます。


目に映る情景のすべてが、

悲しみという磨り硝子を通して現れるようになります。

豊かに感情を表現するはずの一人称の世界は、

冷たく平板な三人称の世界に埋もれ、

心の輪郭が失われていきます。


ただ記憶の中にだけ、

あるいは遠くにいるはずの『君』を想う気持ちの中にだけ、

自分らしさを見つけることができます。


『心』は、君がくれたものです。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


作詞をする方(かた)は、

少ない言葉で独自の世界を形作らなくてはならないので、

とても広い解釈の余地を残してくれているのかなと思います。

歌に映画のストーリーを読み込むということも、

的外れかもしれませんが、

想像力が刺激されて、興味深い作業です。



「浮かぶ景色でも 同じ花を見ていた」


同じものを見る...。


考え出すと難しく思えてきます。

見ている対象が同じでも、

受け取る側の心のありようで

映り方が全く異なるということもあります。


濃い薄いの違いはあるものの、

見るもの全てに何らかの感情がまとわりついています。


同じ感情、同じ心で見るということができたとき、

とても強い意味で同じものを見た、

といえるのではないでしょうか。


『秒速5センチメートル 第2話 コスモナウト』のラストで、

心を通わせることができない絶望的な状況の中、

突然現れたH2-Aロケットを荘厳さに打たれながら、

同じ気持ちで見つめる二人(高樹と花苗)が描かれています。


その時二人の心は

同じものを見ている、

という感覚に溢れています。

絶望的に通じ合えない二つの心の奥底に、

分かち合える感覚の泉がある。


花苗はそのことに気づき、

高樹はそのことに気づきません。

女の子は分かち合う共感の泉を通じて

男の子の心を理解できました。

一方、悲しみで視界の曇った男の子は、

心が通じていることを認めません。


花苗は、

心の通路が今は一方通行であることを

悲しんでいます。

けれど、

自分の心の中に分かち合うことのできる

共感の泉があることを確信できた彼女は、

その通路はいつか必ず行き来できることを知っています。

そしてその泉が自分の心の奥深くにあること、

距離がゼロであることを...。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



映画『秒速5センチメートル』の主人公といえる高樹くんは、

少年のときに大切な人との関係を

つなぎ止められなかったという

自責の念から逃れることができません。


まるで色メガネを掛けているかのように、

全ての色彩が悲しみ色に歪められています。

そして見えるはずのものも見ることができません

...見ようとしません。


以前、山崎まさよしさんの

『One more time, One more chance』

の感想を書きました。

この歌は、失ったものを直接歌うのではなく、

大切なものを失くした心の穴の大きさを歌うことで、

間接的に失ったものの素晴らしさを讃えています。


高樹くんも、大切な人、

明里ちゃんの不在という心の穴を見ることで、

少年時代の大切な経験を讃えています。

自分の目の前に現れる世界を見ながら、

同時に彼女の不在という心の穴を見ている。


全てを曇らせる逃れられない悲しい罠であり、

少年時代の素晴らしい経験を讃える証しでもある

心のメガネがそこにあります。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


例えば...、


  梅雨の曇り空を見上げて憂鬱になる。

  秋の高い青空を見上げながら清々しく歩く。

  夏の重たい空気をくぐり抜け、気弱な星明かりがたどり着く。

  真冬の凍てつく空気が、

  距離を感じさせない活き活きととした星明かりを届けてくれる。


見上げている自分がここにいて、

見られている空や星が向こうにある。


それでは、その時々の感情は、心は、

どこにあるのだろう。


高樹くんの心は、

見ている自分と見られている対象の間にあって、

夏の重たい空気のように世界を覆っています。


高樹くんと同じ空を見上げていた女の子、

花苗さんは、

水面(みなも)では通じ合えない心の奥深くに、

大切な人と分かち合える共感の泉があることに

気付いています。

荘厳さに打たれた心は、

...同じものを見せてくれた心は、

見ている自分の側にあることを知っています。


高樹くんにとって大切な人、

明里さんは、

新しい生活へ踏み出すにあたり、

世界の新しい表情と出会うため、

心のあり方を変えようと決意します。


世界と自分の間にあって、

世界を覆っている心の膜を、

見ている自分の一部として引き受け、

見ている自分と見られている対象の間に何もない世界、

ありのままの世界を曇りのない眼差しで見つめようとします。


心の膜も見られている対象のひとつです。

悲しい気持ちの自分を見ている自分がいます。

見られている自分と見ている自分。


素晴らしい経験も、

許すことのできない自分の過去も

全て見られている自分のあり方です。

もしこれらを見る側の自分の一部にできるなら、

曇りのない世界を見ることができるのではないか、

メガネを外せるのではないか。


明里さんはこの試みに成功していません。

ありのままの対象を見ることができるなら、

再会した大切な人を受け入れるはずです。


城之内ミサさんの『あの頃』

という歌が歌うように、

凍てつく風が、

距離を感じさせない

ありのままの「君」の姿を届けてくれるとき、

「私」は「君」に声を掛けることができます。


ありのままの「君」を見つめることができるのなら、

映画のラストの場面、

行き交う電車が通り過ぎた後、

踏切の対岸に明里さんはいるはずです。


けれども、柔らかな風が巻くそこに彼女はいません。

自責の念と過去を讃える気持ちとの葛藤は、

世界をまだ曇らせています。

メガネを外すことはできませんでした。


それは、

すれ違ったばかりの高樹くんと同じ心のありようです。


同じ心を持っている高樹くんと明里さんは、

その時、強い意味で同じ景色を見ることができます。



桜舞う、陽だまりの踏切を...。



踏切を背に、

少し軽くなった足取りで歩き続ける高樹くんには、

きっと次の電車を待つ踏切の音が小さく聞こえてくるはずです。


「遠ざかる陽だまりの音」

として。




Fin.

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



【Aimer*Mine 蛇足】

『Mine』にでてくる

「静かに遠ざかる 陽だまりの音」

と言うフレーズは、とても新鮮です。

全くその音が想像できませんでした。


「陽だまりのにおい」であれば、

布団を干した後の心地良いにおいなど、

いくつか浮かぶのですが、

陽だまりはどちらかというと静寂をイメージしてしまう

(猫が縁側で寝ている様子)ので、尚更です。


衝撃を受けた、

というとちょっと大げさですが、

驚きました。

この歌に映画のストーリーを読み込もうと試みた時、

まず浮かんだ陽だまりは、

走り始めた電車の中の座席に差す日差しです。

(だから、遠ざかる音は、電車の過ぎゆく音です。)


でも座席の陽だまりが見えるのは、電車の中で、

電車の中にいると座席は「遠ざか」らないので

違うな...と。


踏切を陽だまりと表現するのは

少しためらいがありましたが、

映画の冒頭でも

陽がさんさんと降り注ぐ踏切が描かれているので、

良いのかな...と。


それと、

山崎さんと城之内さんの歌の感想が

伏線になっていたのですが、

それが回収できてよかった。


本当はもう一つメガネを外す方法があって、

それも入れ込もうとしたのですが、

収拾がつかなくなるのであきらめました。


それはまた今度です(機会があれば)。

星の王子様をからめた話になります。


(一方的なものですが)この歌の感想を書くという

約束が果たせて良かった。


ほんとのおしまい。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
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4.『One more time, One more chance』 1997年 山崎まさよし

2014年09月27日 | 歌の感想文
4.『One more time, One more chance』1997年 作詞・作曲 山崎将義 歌手 山崎まさよし


いつでも探しているよ。どっかに君の姿を。向かいのホーム。路地裏の窓。こんなとこにいるはずもないのに


山崎まさよしさんの"One more time, One more chance"です。

前回の城之内ミサさんの『あの頃』と同じ情景を歌っていながら、

全く印象が異なっています。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※

私達は、自分というメガネを通じてしか世界をみることができない。

色や音を感じる感性というメガネだけでなく、気持ちという重たいメガネをかけている。

たとえば、月をみるとき、

赤く大きく見えるときは、不安を感じ、

白く小さく見えるときは、淋しくなる。

黄色く中くらいに見える月は楽しく…。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※


『One more time, One more chance』

たいせつな人を失い、長い年月が流れ去っても傷の痛みが癒えない。

そんな景色を歌った歌です。


あの頃はうまくできなかったけれど、もう一度やり直せるなら、

全てを掛けて、たいせつなものを守りたい。

もう一度チャンスがほしい。

そして、いつでもいるはずのない場所で、いるはずのない人を探している。

たいせつなものを失った喪失感と、うまくできなかった自分を責める気持ち。

世界の全てが喪失感と自責の念というメガネを通して現れてくる。


とても辛く、悲しい世界。

せつなく、苦しい世界を歌っている。


『はず』なのに…、


この歌から伝わってくるのは、たいせつな徹夜仕事の後の夜明け前に感じるような、

すがすがしい疲労感です。

山崎まさよしさんの優しい歌声と、優しいメロディーが、せつない歌詞を優しく、

すがすがしい作品に変えています。

そして、…


この歌は、失ったものを直接歌っているのではなく、

たいせつなものを失くした心の穴の大きさを歌っています。

穴が大きければ大きいほど失ったものがどれほどたいせつだったかが分かります。


せつなさの後ろで、素晴らしい時間を過せた幸せを讃えている。

そう思えることが、

この歌が発しているすがすがしさの理由の一つかもしれません。

Fin.
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