仕事と生活の授業(続き)

前に作ったホームページは、あまり読まれないようなのでブログで再挑戦です。

76.ちはやぶる龍田川事件 その3 紅葉の錦 神のまにまに

2024年10月11日 | 和歌 短歌 俳句
 幣(ぬさ)を手向ける話の続きです。

【紀貫之 古今集299】

 秋の山
   もみぢをぬさと
     たむくれば
       すむわれさへぞ
         旅心地する


【清原深養父 きよはらのふかやぶ 古今集300】

 神なびの
   山を過ぎゆく
     秋なれば
       たつた川にぞ
         ぬさはたむくる


 幣を手向けるという言葉の意味は、旅立つ人に餞別として幣を渡すという意味なのか、旅人が道々の神様に幣を捧げるという意味なのか
 どちらかによって歌の解釈が変わってきます。

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 初めの歌の2つの解釈です。

① 降り注ぐ紅葉の山中にいると、たくさんの餞別をもらったようで、旅立たない(住む)私でも、これから旅立つような気がしてくる。
② 秋の山にどこかの旅人が幣を手向けるように紅葉が舞い散る姿を見ていると、旅に出ない私でも旅人の気持ちになる

 2つ目の歌は、川面を這うように流れる風を、過ぎゆく秋に重ね合わせています。
 2つの解釈は次の通りです。
① 古くからの信仰が伝わる山の神様が、下流に向かう川の流れを旅人に見立てて餞別を送っているようだ。
② 龍田川という神様に山のあちこちから幣が捧げられるように紅葉が舞い散っている。

 私には、旅立つ人に餞別を送るという方がなんとなくしっくりきます。

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 川の風は、夜更けから翌日の朝の内は、山から海に吹きます。昼前から夜に掛けては海から山に向かうように流れが変わります。
 川筋を通う風の流れを龍の胴体のように思えば、夜明け前に山を旅立った龍が、昼前に海にたどり着き、夕方に海から戻って来るように考えることができます。
 旅人には、帰る故郷があります。行ったきりであれば、旅人ではなく流れもの、放浪者です。
 川筋を行き来する風の流れを、帰る場所のある旅人に喩えるのは自然なことだと思います。

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 視点を出発点になる山の景色に置けば、山の神様が旅立つ川の神様である龍神様にはなむけとして紅葉をたくさん渡している姿として描くことができます。
 視点を平野を走る川沿いに置けば、紅葉が舞い散る様子は、旅人である龍神様が道々の道祖神に幣を捧げているように描くことができます。
 (川の神様に周りの木々が幣を捧げているとも取れます。)

 どちらの光景を思い浮かべるかで解釈が異なることになります。

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 とても有名な次の歌は、どちらでしょう?

【菅原道真 古今集羈旅420】

このたびは
  幣も取りあへず
    手向(たむけ)山
       紅葉(もみぢ)の錦
         神のまにまに


 この歌は、宇多天皇(上皇)の狩りに随行した際に詠まれたものです。けれども、その後の菅原道真公の悲劇を知っている後世の読者は、左遷され、博多へ向かう旅のことを思い浮かべます。

 博多への旅は、急な勅命で十分な旅の準備ができなかったのかもしれません。また、謀略を信じた天皇へ反論することもできたかもしれないのに、運命をそのまま受け入れたことにも思いが及びます。

 この歌は、旅の準備が整わず、願いを伝えるための手立て(幣)がないため、神の思し召しである運命を受け入れるだけだという諦めの気持ちを歌っていると思えてなりません。

 そう考えると、ここの手向山は、旅人に餞別を渡す神様が宿る場所です。手向山の神様が準備の整わない旅立ちの際に幣を渡してくれたらよかったのに、という叶わぬ思いを表しています。


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 紅葉の錦という言葉は、古今集秋下の天皇の御製から取っていると考えられます。ここで言う紅葉は、手向山の紅葉ではなく、手向山を源(みなもと)とする川の流れに沿って紅葉が流れているように見える様子を歌っているはずです。
 手向山の神様から幣としてもらった紅葉を川の分岐点毎に撒き散らしているのは、川の神様である龍神様、つまり竜田姫です。

 幣を持っていない私には、願いを叶えることはできません。ただ神様の思し召しに従うだけです。

 前半の旅立ちの際の手向山の紅葉と後半の旅の道中の川に舞い散る紅葉を対比して、前半と後半で異なる視点を提示しています。古今集秋下の段でたくさん詠まれた紅葉についての歌を踏まえればこのような解釈が可能だと思います。

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 古今集で道真公のすぐ後ろにある歌は、手向けのもう一つの解釈を取っています。

 宇多天皇のご行幸に道真公とともに随行していた素性法師の歌です。

【素性法師 古今集羇旅歌421】

たむけには
  つづりの袖も
    切るべきに
       紅葉にあける
         神や返へさむ
 神に手向けるのに、幣を持ち合わせていなければ、継ぎのある袖を切ってでも捧げるべきだ。
 けれども、紅葉の幣を堪能している神様は、見劣りのする袖の切れ端などは受け取らないだろう。
 つまり、あなたの願いは叶わない。

 濡れ衣を着せられた菅原道真公が意を決して自分の無実を晴らそうとしても、その運命は変わらなかっただろう。
 事の顛末を知っている後世の読者にとって、この歌はそのように捉えることができます。

 ここでの手向けは神様に捧げることを言っていて、旅人に餞別を渡すという意味に取ることはできません。
 そう考えれば、前の菅原道真公の歌の手向山も幣を捧げる対象としての山を指していると捉えるのが正しいのかもしれません。

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 龍田川事件の発端になったのは、素性法師の次の歌です。この歌の重層的な広がりを見てみましょう。(古今293)

もみぢ葉の
  ながれてとまる 湊には
    紅深き 浪やたつらむ

 水面に浮かぶ紅葉を船に喩えています。
 「とまる」は止まると泊まるの2つの意味が掛けられています。
 「みなと」には、港と水門(=海峡のように流れが細くなったところ)という意味の2つが含まれています。

 (川の湾曲部分にできる
 流れが緩く川幅の広い「淵」と、
 流れが速く川幅の狭い「瀬」の間の、
 藁束を藁縄で括(くく)ったような、
 砂時計のくびれの部分のようなところを
 「みなと(水門、水戸)」
 と呼んでいます。)

 「たつらむ」、ここは本人の意図を超えているのかもしれませんが、立つと龍(たつ)が掛けられています。(少なくともこの歌に続けて龍田川を歌った在原業平さんはそう取っています。)

 言葉の意味を重層的に捉えるのは素性法師に限ったことではありませんが、分かった上で「手向ける」の2つの意味を使い分けていると考えても良いのではないでしょうか。
 つまりあえて前の菅原道真公の歌とは違った意味で使ったということです。

 いろいろな解釈ができると思いますが、菅原道真公の歌は彼の運命を暗示する歌だということは、この歌を聞く人の多くが感じることでしょう。

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 手向山とはどこかを考えてみましょう。
 川筋を風とともに流れ行く龍神様の出発点にある山が手向山です。これまで龍田川は現在の大和川だと考えてきました。そう考えると手向山は、三輪山になります。
 龍田川を今の竜田川だと考えると、生駒山が手向山になります。どちらも神名備の山と呼ばれる古い信仰が残る山です。

 手向けを旅人が三叉路の道祖神に捧げるという意味に取ると、大和川が他の川と合流する場所に位置する二つの三室山が手向山になります。

 神名備の山と呼ばれる山はこの他に、春日山(三笠山 若草山)や石上神宮が守る布留の山があります。

 いつか行ってみたいところです。
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