仕事と生活の授業(続き)

前に作ったホームページは、あまり読まれないようなのでブログで再挑戦です。

33.『水戸』の地名の由来 『貝が語る縄文海進-南関東+2℃の世界 増補版』松島義章 有隣新書 2012年

2023年09月18日 | 歴史
とても興味深い本を読んだので、
要約と感想をここに残しておこうと思いました。

『貝が語る縄文海進-南関東+2℃の世界 増補版』
松島義章 有隣新書

2万年前に120メートル前後低かった海面が、
温暖化の影響で今の海面より2、3メートル高いところまで上昇したことを縄文海進と呼びます。
この縄文海進を貝の痕跡から解き明かすのがこの本の内容です。

圧巻なのが、後半部分です。
暖流が来ているところにしか生息しない温暖種と呼ばれる貝の痕跡から
黒潮と黒潮から分かれた対馬海流の到達域を見つけていきます。

現在、黒潮の北限は銚子沖ですが、
黒潮の勢いの最盛期の今から6500年前には、
東北地方まで北上していたことが分かります。
一方で、黒潮から分かれた対馬海流は、
新潟沖、山形沖を通って北海道の西まで来ます。
さらに宗谷海峡を通り、根室湾を南下し太平洋に至っています。

また、一部が津軽海峡を東に抜けた対馬海流は、
北に向かった流れが先ほどの根室湾を通ってきた暖流と合流し、
南に向かった流れが東北まで来ていた黒潮と合流します。

このように今から6500年前には暖流である黒潮と黒潮由来の対馬海流に
北海道も含めた日本列島全体が包まれていたことになります。

貝の痕跡だけではなく、黒潮特有のプランクトンと
北からの寒流(親潮)特有のプランクトンの痕跡でも黒潮の北上が確認できます。
それを調べるためには、沖合のボーリング調査が必要で、
茨城県の水戸に近い那珂湊沖にボーリング調査地点があります。

その調査の結果、那珂湊沖は、7500年前から黒潮の影響下に入り、
6500年前に影響がピークに達し、
5500年前に黒潮の北限がこの地より南に下がっていったことが分かります。

(ここからは私の感想ですが、)
黒潮と黒潮から分かれた対馬海流が、
日本列島周辺の海水を暖め、自然環境を変えて、
人が住みやすい環境に変えていきました。

それまでは、ナウマンゾウの狩猟が中心だった生活から、
貝を食べる生活に変わっていきます。
もしかすると貝食の文化を持った南方系の人々が黒潮の北上伴って、
日本列島にやってきたのかもしれません。

その人達にとって、南方の生活文化のままで、
寒かった東北日本に住めるようになるのですから、
黒潮や対馬海流の北上は大変興味深いことだったはずです。
その記憶を神話という形で遺そうとしても不思議はありません。

【水戸の由来】

古事記、日本書紀に面白い記述があります。
イザナギのミコトとイザナミのミコトが
オノゴロ島の周りを
イザナギのミコトは左回りで
イザナミのミコトは右回りに回りました。
そして古事記には「みとの交(まぐ)わい」をしたとあります。

イザナギを黒潮に乗ってやってきた人々、イザナミを対馬海流に乗って日本海や津軽海峡経由で東北地方の東海岸を北から南に向かう流れに乗ってきた人々とすると、ちょうど茨城県の水戸で出会うことができたはずです。

日本列島全体をオノゴロ島だとすると、黒潮(イザナギの海流)は左回り、対馬海流(イザナミの海流)は右回りになります。

イザナギ、イザナミの「イザ」という言葉は、
「誘う(いざなう)」の語幹で「行為を行うこと、させること」という意味の名詞または感嘆詞です。感嘆詞では、現代語の「さあ」にあたります。
「いざ行かん(さあ、行こう)」「いざさらば(さあ、もうおしまいにしましょう)」の「いざ」です。

その下に付いている、ナギ(凪)もナミ(波)も、水の流れを表す言葉です。
(凪は風の流れも表します。)
凪は太く悠然とした流れ、波は上下に揺れる激しい流れだとすると、黒潮と対馬海流のイメージに合うような気がします。


さて、日本語で「と(戸、門)」というのは、
何かで挟まれた細長い長方形の形を表します。
「門(モン_かど)」という字を使っているのは四角いイメージ、角(かど)張ったイメージだからでしょう。

そもそも扉の付いた戸は、
壁に挟まれた細長く四角い空間です。
(「扉_戸片(とびら)」は、その空間=「戸」に付ける「ヒラヒラ開(ひら)く」布か板のことです。「ひら」は、「花片(はなびら)」の「ひら」です。)

「瀬戸」は両側を浅瀬に挟まれた細長い水の流れです。危険な急流になるのでしょう、瀬戸際という言葉が残っています。
瀬戸内海は東西に細長い形です。

奈良盆地をグーグルマップで検索して、
地形が分かるレイヤに設定してみてください。

山に挟まれた細長い平地だと分かります。
そう、「山戸_山門(やまと)」ですね。

港(みなと)は、
船着き場のための水=「みな」に挟まれた
細長く四角い陸地です。
「みなと」は「水門」とも書いて、
「みなと」とも「みと」とも読みます。

古語では、海峡も「水門(みと、みなと)」と呼びます。
海峡は港とは逆に陸に挟まれた細長い海と思ってしまいますが、色々な海峡の地図を見てみて下さい。
ほとんどが海に挟まれた細長い陸地に接しています。

明石海峡を見てみましょう。
淡路島側が水に挟まれた長方形の3辺の形です。縦長のきれいな長方形の形をしています。明石海峡は和歌で「みと」と詠まれる有名な場所です。

さて、茨城県の「水戸」はどうでしょう。
なぜ少し海から離れた県庁所在地が水に囲まれた四角い土地を意味する「みと」と呼ばれるのか?

それは、縄文時代の水戸周辺の地形を考えればはっきりします。

縄文海進の最盛期の状況を想定してみます。
私は、関東地方の現在海抜15mくらいの場所は縄文海進の最盛期には海だったと考えています。

例えば、東京湾は今よりずっと北に伸びていて、埼玉県の浦和を越えて、栃木県にある東武鉄道日光線の藤岡駅の辺りに達していました。
JRの岩舟駅の近くと言った方がロマンがありますね。
この辺りには数年前台風の上陸で荒川が氾濫寸前になった状況を救った渡良瀬遊水地があります(見る角度でハート型になる池があります)。この渡良瀬遊水地までが海でした。すぐ北側に篠山(藤岡)貝塚があり、淡水に棲む貝の他に牡蠣などの海水に棲む貝が含まれていて、縄文海進の跡だと考えられています。

[国土地理院の地理院地図は、標高によって色分けをする機能があります。ここでは15mまでを水色で表しています。]

ところがここで難問に突き当たります。
縄文海進で海面は今の海面から2m程度しか上がっていません。ところが、栃木県藤岡駅辺りは海抜15m程度です。
この差はなんでしょう。
土地が隆起したという人もいますが、そのように特殊なことを考える必要はありません。

この差は土壌の堆積で説明がつきます。
風が運んでくる土壌だけで、年1mmほど積もると言われています。5千年で5mです。
それだけでなく、川の流域であれば、川が運んでくる土砂や洪水の影響で年10mmくらいは土壌の堆積が進む場所もあります。5千年で50mです。
関東平野ではところによって2万年で70m程度堆積しているところがあるようです。

栃木の藤岡の周辺の海抜15mを基準にその高さまで海だと仮定して考えてみます。

ここの図のように茨城県の水戸周辺は入り江で囲まれた四角い土地になります。

縄文海進の影響で、
水戸を挟んで北の那珂川と南の涸沼は
どちらも入江となっていて、海でした。
その二つの海に挟まれて、細長く残った土地の地名が茨城県の県庁所在地「水戸(みと)」です。

地名が縄文時代まで遡ることが納得できないかもしれませんが、
日本の地名には、縄文時代の地形から取られたものがあります。

関東では埼玉県の浦和がそうです。
縄文海進の時代でも台地だった大宮はずっと陸地で、
海と陸の境目が浦和です。
湾曲した地形の海(浦)だったので、
浦曲(うらわ)だったという説をどこかで見ましたが、
湾曲したから「わ」ではないようです。
(浦はどこも湾曲しているのでおかしいと思っていました。)
この地図を見ればすぐに言葉の由来が思いつきます。

[海抜5mまでを濃い青色で示しています。この地名が付いた時期は今の海抜5mのところまでが海だった時代なのでしょう。]

海と陸の境がちょうど円い輪っかのようになっていました。
海と陸の堺=浦が、円い輪のようで「浦輪 浦和 (うらわ)」です。
水戸も浦和のように縄文時代の地形が由来だと思います。

水戸沖で二つの海流が交わっていた時期がいつか分かるはずです。
その時期にイザナギのミコト、イザナミのミコトを崇める民族集団が日本の海岸の隅々に生活拠点を設けたのかもしれません。
おそらく、7500年前頃か5500年前頃かのどちらかでしょう。

7500年頃だと鹿児島で起こった鬼界アカホヤ大噴火という世界的な大噴火の時期に近いので、もしかすると、そこから逃げてきた人々が各地に移住していった話なのかもしれません。

イザナギのミコト、イザナミのミコトの「みとの交わり」については、
国生みに絡めて陸地だった瀬戸内海が水没していく様子を表しているとも取れます。
どちらが正しいと悩むより、
どちらにも共通する自然現象を神話で表していると考えたいと思います。

オノゴロ島はどこにあったか分かっていません。
淡路島周辺の島というのが有力と言われますが、
長崎県の壱岐島の真東(まひがし)に福岡県に所属する
「小呂島(おろのしま)」という島もあります。
小呂島周辺の海流の研究をネットで見ることができます。
干満の潮の流れもあるので、右回りになったり、左回りになったりしますが、小呂島を一周する海流が観察されています。


私は、先ほどのように
日本全体がオノゴロ島だと考えると壮大で面白いと考えていますが、
陸地だった瀬戸内海の淡路島周辺全部がオノゴロ島というのも正解だと思います。
また、小呂島もオノゴロ島であって良いと思います。
どの島でも暖流が島の周りを回っています。

地名と神話を通じて自然現象を語り継ぐということはとても大切なことだと思います。特に自然災害の多い日本ではなおさらです。
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32.『常陸』の地名の由来

2023年09月11日 | 歴史
5月初旬、天気が良いので日の出を見に茨城県の日立駅に行きました。


日が立つというのはこういうことなんだな、と実感しました。
とてもきれいなピンク色でしたが、写真では目で見たような色は写りません。



行きの車の中で、奈良時代より前、律令制の時から国名の漢字が
「日立」ではなく、「常陸」なのは何故だろうと考えながら運転していました。
すると、目の前にその答えが現れました。


常陸という漢字を分析すると、左右平らに広がるように積み上げられた土地という意味になります。

日立に着く少し前に平らな山並みが巨大な壁のように近づいてきます。
初め遠くの曇り空かと思ったくらいに地平線を覆っているように見えました。
(写真はグーグルマップの昼間のストリートビューです。)

関東平野を南から走っていくと、平地の関東平野から高地の阿武隈高地の堺目が日立になります。
阿武隈高地は高い山がないので、山々の稜線が重なって平らな壁が左右に広がっているように見えます。
特に夜明け前で薄暗かったので、壁のように見えました。

帰ってから「常」の文字の語源を調べました。
煙のようなものが左右に広がるという意味の「尚」と
布や着物表す「巾」とで布が長く横に広がる様子を表すようです〔異説もありますが〕。
和服を作る反物を横に広げるイメージで、
「常」という字は、布を測る長さの単位にもなっているそうです。

常陸の「陸」の字は、聖徳太子の十七条憲法にでてくる「睦」という字に関連して調べたことがあります。
この「陸」の字はヘンもツクリも同じ意味で、土を高く積み上げていく形の象形です。

「睦む」とは目を何度も積み上げる、つまり何度も見る(会う)ということで、
何度も見て(会って)仲良くなることを意味しています。(良い言葉ですね。)

「陸」という字は、土を何層にも積み上げた土地のことです。
「常陸」は土地を左右に広く平らに積み上げたように見える場所という意味です。
私が常磐道から夜明け前に見た阿武隈高地の南端が壁のように見えた光景に「ぴったり」の名前です。

もう少し調べると、和語、やまとことばの「ひた」がどうやらさっきの「常」と同じ意味になるようです。
煮物で水を「ひたひた」に入れるというのは、具材と水がちょうど平らになるくらいという意味です。
「ひた」の原義は全体に遍(あまね)く行き渡るように平らに広げるというような意味ではないでしょうか。

「ぴったり」という言葉も「ひた」の派生だと思われます。
くっつくという意味のように思えますが、特に全体が遍(あまね)くくっつく状態を指しています。
長さがぴったりという時も
AとBが全体に遍(あまね)く対応する=同じ長さ=長さが“ひと”しい、という意味です。
大きさが合う、遍く平等に行き渡るという感じでしょうか。

平らに広がるという意味では、「額_ひたい」がその意味になります。
顔の中で平らに広がっている部分ですね。

(空間ではなく時間に意味を拡張して、)
時間の前後を問わず遍(あまね)く広がるという意味から
「ずっと」「つねに」という意味になって、
ずっと続けることの「ひたむき」「ひたぶる」という意味に繋がったのでしょう。

後で調べたのですが、尊敬する大野晋先生が参加された岩波の古語辞典では、
「ひた」は「等(ひと)しい」「一つ(ひとつ)」と同根だと書かれていました。

常陸を日立と書くのは、水戸藩を日本の源流、日のもと、日の出る場所としたい
水戸黄門様(光圀様)の思いからでた後付けかもしれませんね。

地理的に考えれば千葉の銚子、福島のいわき、宮城の石巻、岩手の宮古の方が
日立にふさわしいはずですよね。もちろん北海道ならなおさらです。


「常陸」は、関東平野側から見た阿武隈高地の、
壁のように平らにせり上がっている様子を、
「常」という漢字と「ひた」という和語で表しています。

ところで、
積み上がった土地という意味の漢字「陸」を「ち」と読んでいますが、
「ち」は和語なのでしょうか?
「地」という漢字の音読みのような気がします。
「土地_とち」や「土_つち」に「ち」が付いていますが漢語と和語の境目が分からなくなります。
「土地」や「陸」を表す和語はなんでしょう?

まだまだ分からないことだらけです。
言葉の問題は奥深いですね。

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