【映画の感想文】
5. 『秒速5センチメートル -a chain of short stories about their distance-』 2007年 監督・脚本:新海誠
ツイッターで以前に感想を書きましたが、もう一度この映画の話をします。
前の感想は、この映画を既に見た人に向けたものでした。
今回は、見ていない人にも興味を持ってもらえるよう頑張ってみます。
この作品は、山崎まさよしさんの『One more time,One more chance』をモチーフに、...
と言うより原作として、歌詞に書かれていることを忠実に描きながら、
歌詞の行間を監督の世界観で埋めたアニメーション映画です。
映画のサブタイトルに『A chain of short stories about their distance.』とあります。
「短編集:『二人の距離』」。
意訳するとこんな感じでしょうか。
-三つ短編の連作で、一人の主人公の少年、青年、成人の各季節を描いています。
短編一作目『桜花抄』は、少年時代の小さな冒険を描いています。
幼さゆえに距離を感じていなかった女の子との間で、自分の心ない態度が二人の距離を引き離してしまう。
気持ちの距離だけでなく、女の子の引越しで物理的にも引き離されてしまった二人の距離。
男の子は、女の子の手紙をきっかけに距離ゼロの関係を取り戻すために女の子の下(もと)へ向かう決意をします。
東京世田谷の豪徳寺から栃木の岩舟へ。
100キロメートルの距離は雪に阻まれ時速20キロメートルで、もどかしくしか近づくことができません。
大切なものを取り戻すための旅であり、傷つけた女の子への贖罪の旅でもある小さな冒険は、やはりうまくいきません。
男の子は挫折感を抱きながら岩舟駅の待合室に進みます。
待たせてしまった女の子に心配をかけている。
また一つ罪を作ってしまう。
「どうか待っていないで。」
「でも彼女が一年前のままであれば、待っているに違いない。」
「一年前の彼女のままでいてほしい。」
気持ちは揺れ動きます。
そして、
待合室には一年前のままの彼女がいて、
会えないかもしれないという不安が溜めた涙を、安堵が押し流した後、
ストーブの前に一年前のように会話を楽しむ二人がいました。
待合室でお弁当箱ふたつ分の距離で会話を楽しんだ二人の唇は、
桜の樹の下、
桜の花びらのように舞い降りる雪の中、
桜の花びらの落ちてゆく速度で距離がゼロになります。
一年前までは、無邪気に気持ちは一つだと思っていました。
一つのものには距離がありません。
傷つけることで二つのものだと分かり、100キロメートルの距離を感じざるをえなくなります。
100キロメートルの距離は、時速20キロメートルで近づき、
最後は、秒速5センチメートルで距離ゼロになりました。
形のなかった同じ気持ちの集まりは、
二つに別れることで境界線を感じ、
もう一度一つになるとき、
明確にその輪郭が現れます。
一年前、気にも留めなかった、共感できない一言が今は理解できます。
春に舞い降りる桜の花びらを「まるで雪のよう」と言った女の子の言葉は、
冬の桜の樹の下、降り注ぐ雪のなかで鮮やかに甦ります。
それは、一つのものが当然に同じという一年前の感覚ではなく、
異なる二つのものが奇跡的に一つになるという驚きを伴う感覚でした。
男の子は、同じ気持ちの集まりが二つのものだったことを意識することで...、
また、春と冬の二つの季節を比べることで...、
見えてきた輪郭が『心』と呼ばれるものだと知ります。
二人を知り、
季節を知って、
『心』がどのようなものか見えるようになりました。
そして、心が一つになることの奇跡を感じることができたのです。
Fin.
5. 『秒速5センチメートル -a chain of short stories about their distance-』 2007年 監督・脚本:新海誠
ツイッターで以前に感想を書きましたが、もう一度この映画の話をします。
前の感想は、この映画を既に見た人に向けたものでした。
今回は、見ていない人にも興味を持ってもらえるよう頑張ってみます。
この作品は、山崎まさよしさんの『One more time,One more chance』をモチーフに、...
と言うより原作として、歌詞に書かれていることを忠実に描きながら、
歌詞の行間を監督の世界観で埋めたアニメーション映画です。
映画のサブタイトルに『A chain of short stories about their distance.』とあります。
「短編集:『二人の距離』」。
意訳するとこんな感じでしょうか。
-三つ短編の連作で、一人の主人公の少年、青年、成人の各季節を描いています。
短編一作目『桜花抄』は、少年時代の小さな冒険を描いています。
幼さゆえに距離を感じていなかった女の子との間で、自分の心ない態度が二人の距離を引き離してしまう。
気持ちの距離だけでなく、女の子の引越しで物理的にも引き離されてしまった二人の距離。
男の子は、女の子の手紙をきっかけに距離ゼロの関係を取り戻すために女の子の下(もと)へ向かう決意をします。
東京世田谷の豪徳寺から栃木の岩舟へ。
100キロメートルの距離は雪に阻まれ時速20キロメートルで、もどかしくしか近づくことができません。
大切なものを取り戻すための旅であり、傷つけた女の子への贖罪の旅でもある小さな冒険は、やはりうまくいきません。
男の子は挫折感を抱きながら岩舟駅の待合室に進みます。
待たせてしまった女の子に心配をかけている。
また一つ罪を作ってしまう。
「どうか待っていないで。」
「でも彼女が一年前のままであれば、待っているに違いない。」
「一年前の彼女のままでいてほしい。」
気持ちは揺れ動きます。
そして、
待合室には一年前のままの彼女がいて、
会えないかもしれないという不安が溜めた涙を、安堵が押し流した後、
ストーブの前に一年前のように会話を楽しむ二人がいました。
待合室でお弁当箱ふたつ分の距離で会話を楽しんだ二人の唇は、
桜の樹の下、
桜の花びらのように舞い降りる雪の中、
桜の花びらの落ちてゆく速度で距離がゼロになります。
一年前までは、無邪気に気持ちは一つだと思っていました。
一つのものには距離がありません。
傷つけることで二つのものだと分かり、100キロメートルの距離を感じざるをえなくなります。
100キロメートルの距離は、時速20キロメートルで近づき、
最後は、秒速5センチメートルで距離ゼロになりました。
形のなかった同じ気持ちの集まりは、
二つに別れることで境界線を感じ、
もう一度一つになるとき、
明確にその輪郭が現れます。
一年前、気にも留めなかった、共感できない一言が今は理解できます。
春に舞い降りる桜の花びらを「まるで雪のよう」と言った女の子の言葉は、
冬の桜の樹の下、降り注ぐ雪のなかで鮮やかに甦ります。
それは、一つのものが当然に同じという一年前の感覚ではなく、
異なる二つのものが奇跡的に一つになるという驚きを伴う感覚でした。
男の子は、同じ気持ちの集まりが二つのものだったことを意識することで...、
また、春と冬の二つの季節を比べることで...、
見えてきた輪郭が『心』と呼ばれるものだと知ります。
二人を知り、
季節を知って、
『心』がどのようなものか見えるようになりました。
そして、心が一つになることの奇跡を感じることができたのです。
Fin.