仕事と生活の授業(続き)

前に作ったホームページは、あまり読まれないようなのでブログで再挑戦です。

2.『アナと雪の女王』(原題:Frozen)2013年アメリカ合衆国。

2014年07月26日 | 映画の感想文
【映画の感想文】

2.『アナと雪の女王』(原題:Frozen)2013年アメリカ合衆国。
  ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオズ製作。
  監督:クリス・バック、ジェニファー・リー。
  製作:ピーター・デル・ヴェッチョ、ジョン・ラセター 。




 誰でも尖った何かを持っていますよね。

 その尖った部分というものは、ある角度から見ればとても優れた才能であり、また、違った角度から見れば、とてもやっかいなものだったりします。

 いつの頃からか、その尖った部分が人を傷付けるものだと分かって、「抑えなきゃ」、って思うようになります。

 尖ったところも自分の一部だから、抑えられません。「でも抑えなきゃ。」人を傷付ける以上に自分を傷付けていることに気付かず、悩み続けます。

**

 ある日、『ありのままで良いんだよ』という心の声が世界を変えてくれます。

 それまで自分を押さえ付けていた力が強ければ強いほど、『ありのままでいいんだ。』という言葉の持つ解放感は鮮烈なものとなります。

***

 でも、解放感に浸るだけでは、『ありのままで良いんだ。』という言葉は、『孤独でも良いんだ。』ということでしかありません。

 解放感に浸っている心は、『孤独で良いんだ。』という言葉がどれだけ悲しく、人を傷付けるものか、やはり気付くことができません。

 人を傷付けたくないという優しい心が引き起こす悲劇の連鎖はいつまでも続きます。

****

 この映画の中で妹は、孤独の罠にはまってしまった姉を何の迷いもなく助けにいきます。そして妹と関わりを持った仲間達も危険を顧みず妹と行動を共にします。

 物語の最後に姉は、妹の心に応え、人々の輪の中に戻ります。

 抑圧でも、孤独でもない。人の輪の中にいながら、ありのままでいてほしい。そう思ってくれる誰かが...。自分を顧みず、孤独の闇から引き戻そうとしてくれる誰かが...。

 そんな誰かがいてくれたら...。

 たくさんいてくれたら、世界はもっと輝いていることでしょう。

 以上が映画『アナと雪の女王』の解説と感想です。

*****

 姉(エルサ)が魔法で氷の城を築く映像の素晴らしさは言い尽くせませんが、みんなが喜ぶように広場をスケートリンクに変えるラストも素敵なシーンです。

※※蛇足※※

 『雪だるまつくろう』という可愛らしい歌にのせたエルサの孤独と絶望の描写があまりにも切ないだけに、『Let It Go~ありのままで~』が流れる場面での解放感が鮮烈に感じられます。

 映画史に残るだろう映像と音楽の素晴らしさと共に、ここにカタルシス(浄化)を感じる人が多いのだと思います。(YOUTUBEで『Let it go(英語版)』を子供たちと聞いていたら、4才の息子が涙目になっていました。「カンドウした。」そうです。息子は一切英語を理解しませんが。)

 抑圧からの解放を描くこの場面の印象が強すぎるために、もう一つのテーマである、孤独からの解放(または、抑圧か孤独かという二者択一からの解放)を描いている後半の印象が薄くなってしまっているのかもしれません。

 でも、人々がこの映画に共感を寄せているのは、後半のテーマがあるからだと思います。

 人々の輪の中で自分らしく生きることはとても難しく、誰もが悩みを抱えている重たいテーマです。そのテーマに対し、この映画は明確な答えを与えてくれます。

 姉妹愛を描いてはいますが、姉妹や恋人ではなくても誰か一人でも自分を顧みず自分を思ってくれる人がいれば、また逆に誰かに対してそう思えれば、人々の中で自分らしく生きていける、ということがこの映画のテーマだと思います。

※※蛇足2※※

 私の理解では、カタルシスは、感情移入によって登場人物の激しい感情の波を自分のものとして感じることができることだと思っています。そして激しい感情の波を経ることで観客の心が浄化されます。

 そんなにたくさん映画を見ている訳ではありませんが、ここ数年映画を見て不満に思うのは、カタルシス(浄化)を感じさせてくれる映画が少ないことです。「で、誰に感情移入すればいいんだ。」と、映画館で切ない思いをすることがしばしばあります。

 この作品、特に『Let It Go~ありのままで~』が流れる場面で、久々にカタルシスを感じることができました。

 コンピュータグラフィックスアニメーションの技術もとても素晴らしくなっています。私は『ファインディング・ニモ』にとても感動したのですが、その時よりもとても進化している感じがします。今回特に洋服の質感が目につきました。その質感がキャラクターのリアリティを出すのに大きく貢献していると思います。(もちろん氷の城を創る場面の壮大な映像美にも何度も感動しました。)

 音楽も良いですし、色々な点で語りつくせない作品です。

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1.『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』1993年 岩井俊二監督

2014年07月21日 | 映画の感想文
【映画の感想文】

1.『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』1993年 岩井俊二監督

 花火の季節ですよね。昔偶然見たテレビ番組を思い出したので、ツイッターで感想文を書いてみました。下の文章はそれを少し手直ししたものです。ツイッターで文章を書く癖がついているので、ちょっとリズムがおかしいかもしれません。



 タモリさんのテレビ番組のレギュラー枠で『世にも奇妙な物語』というオカルトチックな企画がありました。(アメリカのトワイライトゾーンのリスペクトかな。今も特番で続いているんですね、知らなかった。)

 その後継番組に当たる『ifもしも』という企画の中で『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』という単発のドラマがあります。

 両親の離婚によって夏休みの途中で引っ越しをしなければならない女の子。その子に恋する男の子ふたり。

 女の子は、自分の世界を根底から覆される理不尽な状況と戦おうとします。男の子逹の気持ちは、その重たい決意を前に揺れ動きます。

 「まだ子供だから」と、いつでも逃げることが許される状況で、男の子達は逃げずにどこまで女の子の気持ちを受け止め続けることができるのか。

 家出を決意した女の子は、男の子に一緒に行こうと誘います。ふたりの内どちらを選ぶかがこの物語の『ifもしも』になります。

**

 『ifもしも』という番組では一つの物語の終わりに、もしあのとき別の選択をしていたらどうなっていたかという別のストーリーを見せてくれます。

 逃げてしまう男の子を選ぶのか、揺れ動きながらも女の子の気持ちに向かい合った男の子を選ぶのか。

 どちらを選んだにせよ、経済的な自立を望めない子供逹には自らの運命を変えることはできません。(つまり、家出は成功しません。)

 それでも、逃げた男の子には手に入れることができなかったものを、気持ちに向かい合った男の子は手に入れることができました。

 それは、理解しえないはずの『他人の心』。交じり合うはずのない『他人の世界』。

 男の子は、女の子に誠実に向かい合うことで、女の子は、自分の気まぐれに黙って付き合う男の子の姿を見続けることで、二人に同じ世界を共有できる時間が訪れます。

 長い人生の中では、一瞬でしかない僅かな時間ですが、この深く感動的な経験は時間を越えた永遠の存在となりました。

***

 このドラマは、なぜか私達の心を捉えて止まない『終わらない夏休み』、『永遠の夏休み』というテーマを描いた素晴らしい作品です。

 岩井俊二さんが脚本、監督を勤めています。20年ほど前、いつもは見ないテレビ番組をたまたま見たのですが、私にとっても永遠の存在となりました。

 女の子の最後の言葉、「今度会えるのは2学期だね。楽しみだね。」という嘘は、夏休みが終わらなければ、2学期が来なければ、その瞬間が永遠であれば、嘘になりません。


※※蛇足※※

 (再度)女の子の最後の言葉、「今度会えるのは2学期だね。楽しみだね。」という嘘は、夏休みが終わらなければ、2学期が来なければ、その瞬間が永遠であれば、嘘になりません。

 しょせん言葉遊びの延長に過ぎないと思いますが、...。古典論理学では、「AならばB」という条件文が偽になるのは、Aが真でBが偽の時だけです。つまりAが偽であれば、Bは真でも偽でも全体の条件文は、真になります。

 「夏休みが終わるのならば(2学期が始まるのであれば)、今度会えるのは2学期だね。」という条件文は、夏休みが終わらなければ、真実を言い表していることになります。

 男の子は、もう会えないことを知りません。通い合った心と一つになった世界は、男の子がそれを知らないことが前提に成り立ってしまいました。

 女の子は、この世界、この瞬間を失いたくないと思っています。一方で、昼間と異なり、心が通った男の子に対しては誠実でありたいという気持ちも生まれています。

 男の子に本当のことを言ってしまえば、この瞬間の大切な世界は壊れてしまいます。

 抗(あらが)ってみても、時が経てば失わざるを得ない、と諦めているけど...。


 勝ち気な女の子が最後にできる抵抗は時間を止めることです。

 作品を見れば分かりますが、その瞬間の美しさは、20年後の今も失われていません。私達は今もその瞬間を生きることかできます。女の子の最後の抵抗は成功しました。

 2学期の始まりのシーンが撮影されているそうなので、私の解釈は、当初の作者の意図とは異なるものです。でもそのシーンが結果的に使われなかったことも、私にとって大切な事実です。

*****

 いかがでしょう。作品を手に取りたくなる文章になっていますでしょうか? DVD等は今でも入手可能ですので、ぜひ。
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