仕事と生活の授業(続き)

前に作ったホームページは、あまり読まれないようなのでブログで再挑戦です。

66.『人はいさ 心も知らず』 紀貫之

2024年07月28日 | 和歌 短歌 俳句
小名木善行さんという方の
ユーチューブやブログを
フォローしています。

小名木さんは、
私を素晴らしい日本の歴史の世界に
誘(いざな)って頂いた大切な先生です。

毎日何かしらを見て、
刺激を受けていました。

小名木先生のブログのテーマで、
「人はいさ 心も知らず ふるさとは」
の歌がありました。

人    は いさ 
   心 も      知らず 

ふるさと は
   花 ぞ 昔の香に 匂ひける

少し分かりにくいですが、
上の句と下の句は対になっています。

助詞「は」は、
主格の格助詞ではありません。
比較の副助詞か
主題を提示する副助詞です
(古典文法では係り助詞ですね)。

「は」を二つ使っているので、
比較の副助詞で
「人」と「ふるさと」
が比較されています。

「心」と対になっているのは、「花」
「知らず」の対は「匂ひける」です
「いさ」に対応する語はなさそうですね。


少し前から、
いざなぎ、いざなみという
神様の名前にある
「いざ」とは何かについて
考えていたので、
ちょうどぴったりなテーマでした。

意味を調べると

「いざ」:
 「さあ(人を誘うときに発する語)」
 「どれ。さあ。行動を起こすときに発する語」

「いさ」:
 「さあねえ。ええと。」「さあ、どうだか」

この二つは別語で、
誤用で混乱すうようになった、
とネットで出てきます。

そんなことあるでしょうか。
私の中の語感では、
どちらも同じか少なくとも、
語源を同じくする言葉に思えます。

そもそも、
現代語に訳すときにどちらも
「さあ」になるんだから、
同じ語のような気がします。
(そうとは限らないのでしょうか?)

「いざ」の古い意味を推測できます。
「なふ」という
名詞や形容詞などを動詞にする
接尾語があります。
「うらなふ」「あきなふ」などの例があり、
「いざなふ」もその一つです。
(その他の「なふ」の用例
 おこなふ ともなふ うべなふ)

「いざなふ」は他の人にある行為を
誘(さそ)う、 促す
という意味ですから、
「いざ」は、
他人の意図的な行為を表す語だった
のではないでしょうか。

「いざ(さあ)」と言って促す時は、
自分もやっている行為を
一緒にやるというイメージが強いですね。
「さあ、いっしょにやろう」。

自分はやらないことを
やらせるとしたら、
「さあ、早くやりなさい」
となります。

「いざ」は人に行動を促す言葉で、
「さあ」と訳しますが、
もっとぴったりの現代語訳があります。

「どうぞ(おやりください)」です。

先ほどの二つの意味は、

「私もやっていますので、
 どうぞおやりください」

「私はやっていませんが、
 どうぞおやりください」

に翻訳できます。

相手がその行為をやりたがっている
ことが前提になりますが、

前の文は、
「どうぞ、私と一緒にやりましょう」
という意味に取れます。

後ろの文は、
「どうぞ、ご勝手に(私は知りません)」
というように否定的にも
取ることができます。

前の「どうぞ」が「いざ」で、

後ろの「どうぞ」が「いさ」
と説明されていましたが、

実は語としては同じなのでは
ないでしょうか。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
現代語でも残っている
「いざ知らず」
を見てみましょう。

「スーパーマンならいざ知らず、
 アンパンマンでは勝てはしない」


「アンパンマンならいざ知らず、
 スーパーマンなら楽勝だ」


意味を変えずに言い換えていきます。

「アンパンマンであるなら
 分からないけれども、
 スーパーマンであれば、
 楽勝であることは分かっている」

「アンパンマンでは不確実であるが、
 それに対してスーパーマンが
 楽勝することは
 確実だ」

「アンパンマンが
 楽勝することを考えるのは、
 どうぞご自由に、
 結果は知らないよ
 (分からないよ)、
 けれどもスーパーマンが
 楽勝することは
 分かっている」

前後を反対にして

「スーパーマンが
 楽勝することは分かっている。
 アンパンマンが
 楽勝するかどうか、
 考えるなら、
 どうぞご自由に、
 でも、考えたって、
 分からないよ」
(確実に勝てるとは言えないから、
 五分五分か、負けるかもね)」

「知らず」は特定の誰かが知っている、
知らないと言うことではなく、
誰も分からないという意味で
使っています。
「お釈迦様でも知りますまい」
と同じです。

「人はいさ」の歌でも
「人」=「他人」
が知っている知らないではなく、
何かが
「分からないものだ」
「不確実なものだ」
と言っているのです。

その何かは、
人ではなく「心」です。

下の句で
「心」と対の「花」が匂っているので、
「匂っている」の対の「分からない」
の主語は「心」になります。


「は」について先ほど、
比較の副助詞と言いましたが、
主題の提示でもあり、
「については」
「にとっては」
「においては」
という意味です。

この歌の訳は、
こうなります。

「人にとって、
 心ほど不確実なものは
 ありません」

「それに比べて、
 ふるさとには、
 昔のまま
 ずっと変わらない
 梅の香りが漂っています」

この訳で正しいと思います。

思いますが...、



ちょっと軽い、


いや、軽すぎます。

こんな軽い話ではないはずです。

作者の紀貫之さんは「心」について
深い考察をしてきた人だと思います。
その彼が「心」について
歌っているのですから、
こんなに軽いはずはありません。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
もう一度、
上の句と下の句の対応を
見てみましょう。

人    は いさ
   心 も      知らず 
ふるさと は
   花 ぞ 昔の香に 匂ひける

下の句では、
花が昔と同じ香りに匂っている
と言っています。
助詞「に」は場所を示すだけでなく、
目的や結果も示すことができます。
「紙を三つ折り“に”折る」
という用例と同じです。

「昔の香に」対応する語が、
上の句にありません。

省略されています。

花にとっての香りは、

心にとって何でしょう。

私たちは、花と聞いて、

花びらの「色」を思い浮かべます。

花びらは「色褪せて」散っていきます。


一方、香りは、

花の咲くころにしか香りませんが、

色褪せることもなく、

次の春には同じように香ってきます。

花びらも次の春にきれいな色を付けます。

ところが、

花びらにはうつろい、

色褪せ、枯れていく、

という過程が伴います。

花にとって、

移り変わっていく花びらという色に対し

隠れていることはあっても

変わることのない香りの方が

確かなもの、

花の本質といえないだろうか、

こういう問いかけが

この歌の背後にあります。
✦☆✦☆✦☆✦☆✦☆✦☆✦☆✦☆


花の香りが常に漂っている
異世界=常世(とこよ)が
あるのかもしれません。
春、花が咲くことで、
異世界の扉が開かれて、
私達が花の香りを
感じることができる。
こんなニュアンスを
場所を示す助詞
「に」一つで
伝えることができます。
日本語の奥深さに
あらためて驚かされます。
✦☆✦☆✦☆✦☆✦☆✦☆✦☆✦☆

同じように「心」でも、

日々刻々、ころころと

「感情」=「思い」が

うつろい、流れ続けています。

その心の奥底に

花と香りとの関係のように

心にとっての何かがあります。

けれども、それが何か、

誰も知りません。

みんなが身近に感じ、

歌われ続けている

「心」

ですら、

その本質は何も分からない。

花にとっての大切な何かは、

皆知っているのに。

「も」は副助詞

(古典なら係り助詞)ですが、

「すら」「さえ」の意味があります。

「も」の意味を味わうために

「を」に言い換えた歌と比べてみて下さい。


人はいさ 心を しらず
  故郷は 花ぞ 昔の
     香に 匂ひける


「も」を使うことで、

心の奥底にある別のものが

あることを暗示しています。

その別のものが分からない

どころか、

よく知っているはずの

「心」すら、分からない。

ということを言っています。

「ぞ」+「用言の連体形」

これは倒置によって

強調を表す語法です。

元々「ぞ」の前の名詞が

用言の後ろにあったので、

用言の活用が連体形に

なっているのです。

元に戻してみると


故郷は 昔の香に
  匂ひける 花ぞ


「ふるさと」が「花」だ

と言っていたことが

分かります。

「母親」が「ふるさと」だ

と言えば、多くの人に

しっくりくると思います。

「ふるさと」から感じられる

温かなぬくもりを

「香る花」が体現しています。


私の訳は次の通りです。


人はいさ 心も知らず 

ふるさとは 花ぞ昔の 香に匂ひける


ふるさとには、

散りゆく花びらの色を導きとして

昔から変わらない花の本当の姿が

香りとして

充ちている


人においては、

日々うつろう思いの波のなかで、

身近にあるはずの心でさえ、

本当の姿を、


誰も知らない












 

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65.万葉集のはじめの歌『こもよみこもち』 その13 最終回 私こそあなたに告げめ (告げたい)

2024年07月24日 | 和歌 短歌 俳句
それでは、
最後にこの歌の読み方を確認します。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

篭毛與   |こもよ

美篭母乳  |みこもち

布久思毛與 |ふくしもよ

美夫君志持 |みいふくしもち

此岳尓   |このおかに

菜採須兒  |なつみをするこ

家吉閑   |いえきかな

名告紗根  |なをつげささね


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

虚見津   |そらにみつ

山跡乃國者 |やまとのくには

押奈戸手  |おしなべて

吾許曽居  |あこそおれども

師吉名倍手 |しきなべて

吾己曽座  |あこそいませど



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

我許者   |われこそは

背齒告目  |せにはつげめど

家呼毛名雄母|いえをもなをも



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


すごく偉い人が、

照れ隠しにふざけている感じと

最後に女性が話し始めるところが劇的で

お互いが遠慮がちに話している距離感も

心に残ります。


「吾」を「あ」と読むのは、

現在の感覚だと分かりにくいので、

「吾」を「われ」と読み

「我」は、

この言葉がいつから使われるようになったか分かりませんが(中世から?)、

女性が使うという点で

「わたし」と読んで再構成してみます。

(藤原定家が持統天皇の御製を
        そうしたように…、)

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

籠(こ)もよ

御(み)籠もち

掘串(ふくし)もよ

御威(みい)掘串もち

この丘に

菜摘(なつみ)をする娘

家聞かな

名を告げささね


空に見つ

大和の国は

押しなべて

我こそおれど

敷きなべて

我こそいれど


私こそ

あなたに告げめ

家をも名をも



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

中澤弘幸さんという優れた思想家の先生がいらっしゃいます。
YOUTUBEを通じてですが、先生から経験に裏打ちされた本当の思想を聞くことができます。

その中で、日本人はいつも俯瞰してものを見ているというお話がありました。
ラッシュ時の混雑した駅の構内でも人にぶつかることなく歩き続けられることがその証拠だそうです。
俯瞰して見ることが生きるスポーツはサッカーなので、いずれ日本がサッカー世界一になるそうです。


このブログでも、いろいろな場面で「空に見つ」=「空から見れれば分かるはず」ということの重要性をお話しました。

日本神話には空から見れば分かることがたくさん隠されているのだと思います

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64.万葉集のはじめの歌『こもよみこもち』 その12 我こそは、背な(あなた)にはつげめ

2024年07月23日 | 和歌 短歌 俳句
我<許>背齒 告目 家呼毛名雄母

さあ、最後の段落です。

「我」

さっきまで雄略天皇は、
自分のことを「吾」と呼んでいました。
ここで「我」と書いているのは、
言う人が変わったからです。

よく同じ意味でも
同じ文字を避けるのが
歌の習慣だと聞きますが、
ここでそれは通じません。

直前で「吾」が
繰り返し使われているからです。

ここの「我」からは、
菜摘(なつ)みをしている
女の子の発言です。

そのように解釈している本もあるようです。

ある写本には、
「我許者 背齒告目」
と書いてあるようで、

その場合は、
「われこそは
せなにはつげめ」
と読むとのことです。
(ネットで万葉仮名一覧を見ると
「者」は「は」と読むようです。)

五七調になるので良いですね。

「背(せな)」は、背中のことで、
ちょっと昔の任侠映画の主題歌とか、
演歌の勇ましいやつの歌詞に出てきます。
(『唐獅子牡丹』『みちのくひとり旅』)


「背」と書いて、
読みは「せ」でも「せな」でもよく、
女性が愛おしい人に向けた
二人称「あなた」「ダーリン」「ハニー」
という意味になるそうです。

男性が仕事に出かけるとき、
女性が家の中から男性の背中に
声を掛けるからでしょうか。

山本譲二さんの名曲『みちのくひとり旅』では

「 うしろ髪ひく かなしい声を
 背(せな)でたちきる 道しるべ」

と歌っているので、
女性が出かける男性に
後ろから声をかけるのが
デフォルトです。

(「せな」という言葉がでてきてから、
頭の中でずっとこの曲が流れています。」

ここでも「こそ」+「動詞の已然形」
(我こそ...告げめ)
が使われています。
ここではどのような
逆接の状況があるのでしょう。

「 他にも優れた人がいるけれども、
 私も悪くないでしょ。」

と言っているとすると、ちょっといやですね。

実はこの状況において、
女の子は困った状況にいます。
雄略天皇は、
精霊に話しかけていているので、
女の子は
精霊を通じて
話しをしなければいけません。

さらに、日本文化の壁もあります。

歌舞伎の口上で、
「 問われて名のるも
 烏滸(おこ)がましい
 (=恥ずかしい)が、」
と言ってから自分の名前を
言う場面があるそうです。

名前を聞かれてから名のるのは
恥ずかしいことで、
聞かれる前に
名のらなければいけません。

ところが、
相手が聞きたくもないのに
自分から名のったら
もっと
恥ずかしいことになります。

相手が自分に興味ありそうであれば、
先手を打って名のる
というのが正しいのですが、
そんなことは無理ですし、

仮に興味があると分かっても、
聞かれていないのに名のるのは
差し出がましいと思われる
と考えなければいけません。
(実際には差し出がましいとは
 思われないと分かっていてもです。)

日本文化めんどくさいですね。

結局聞かれてからしか名のらないし、
名のるときには、
問われて名のるのは恥ずかしい
と表明しなければなりません。

菜摘をする子の立場に立って考えましょう。
「 雄略天皇が話しかけているのは、
 カゴやスコップなので、
 私は直接問われているわけではありません。」

「 でも、きっとカゴやスコップは
 私の言うことの仲立ちをしてくれる
 ことはないでしょう。」
 (当たり前です。)

「 カゴやスコップに返事をするのも
 一つの手ですが、
 私はそんなにお茶目ではありません。」
 (めんどくさいし。)


「 問われて名のるのも恥ずかしいのに、
 ましてや、
 直接は問われていないのに名のるので、
 もっと恥ずかしいのですが」

「また本来なら
 カゴの妖精やスコップの妖精から
 お話ししてもらわなければいけないのだ
 『けれども、』
 私からお茶目なあなたに
 お答えします。」

やっぱり日本文化めんどくさい。

現代語であれば、

「 私などから申し上げるのは
 恐縮なのですが、言わせて下さい。」

という感じですかね。

任侠の人が

「 お控えなすって」

と言うのと同じ感覚でしょうし、

本気で自分を卑下している鎌倉武士が

「 やあやあ、我こそは」

と言うのも同じだと思います。


ここでの「こそ」の係り結びは、
次のような逆接の状況を伴っています。

「 本来カゴやスコップに
 言ってもらわなければいけないのだ

 『けれども』

 私から言います。」

それを明確にするために読むときには

已然形+「ど、ども」を使いましょう。

「 我こそは
 背(せ)には
 告げめど
 家をも名をも」

菜摘をする子は、
日本文化の常識を踏まえた
しっかりした女性として
描かれています。

それに対して、

「 かごよ、かごさん、
 スコップさん」

と話しかける雄略天皇の
天真爛漫な姿が際だちます。

しっかりした女性と
子供っぽい雄略天皇という図式は、
万葉集のこの歌にだけ
現れる特徴ではなく、
古事記や日本書紀の
雄略天皇の巻にでてくる
多くの女性達と雄略天皇との
関係と同じです。

この歌の作者を雄略天皇ではない
という人がいますが、
雄略天皇の時代と彼の性格、
女性との関係を考えれば、
雄略天皇の御製にふさわしい
楽しい歌だと思います。

終わりました。

とても長かったですね。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
【追伸】
「 我こそ『は』
 背(せ)に『は』
 告げめど
 家をも名をも」

ここで『は』が、
二回続きます。

『は』、主題の提示を意味する
助詞です。

文脈にょって、
比較の助詞と言われることもあります。

1つ目の『は』は、
カゴの精霊達ではなく、
私から言いますという
私と精霊との比較を意識させる
役割りを担っています。

2つ目は、
他の誰かには言わないことを
あなただけに『は』
言うのですよ、
という意味で、
あなたと他の男性を
比較しています。

『は』の連続が不自然だとして、
この解釈を取らない人もいるかも
しれませんが、
むしろ、
『は』が連続することで
広がる意味の深さを
楽しみたいと
思います。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
【追追伸】
SOULJAさんの
『ここにいるよ』
という素晴らしい
曲があります

そのアンサーソングが
青山テルマさんの
『そばにいるね』

万葉集第一首も
同じ形をとっています

そこにあるのは
絶望的に異なる感性と

それが奇跡的に
触れ合う感動です




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63.万葉集のはじめの歌『こもよみこもち』 その11  空に見つ 前方後円墳の謎

2024年07月22日 | 和歌 短歌 俳句
前回スルーしましたが、
ずっと議論の焦点だったことを
めて説明します。
自分の領地が
どんどん広がっていることを、
「空から見て」
分かるのでしょうか?


えっと、


分かりますね。

雄略天皇は、
弥生時代か古墳時代の天皇です。
大和朝廷の影響力が、
全国に広がる真っ最中です。

古墳時代、
全国各地に前方後円墳が
作られました。
この形の古墳は、
大和朝廷の影響力を示している
と言われています。


なので、空から見て、
前方後円墳がある場所が
増えていったら、
大和朝廷の勢力範囲が
どんどん広がっている
ことになります。

やはり「虚見津」は
「空から見れば分かるはず」
という訳が正解ですね。

そんな意味が、
この歌に込められていたこと
だけでも驚きですが、
さらに、
すごい発見があります。

前方後円墳の形について
考えてみましょう。
鍵穴のような形と言われたり、
円墳と方墳を合わせた形
と言われますが、
方墳の側は方形ではなく
台形が多いですね。

いろいろな写真を見ても、
まず円形の方を上に、
台形の底辺を下にしています。
その方が落ち着きが良いからです。

円の方を上にして素直に見たら、
なんに見えます?

私には単純化した人のマークに見えます。
トイレのマークの一番簡単なやつを
思い出して下さい(女性の方)。

ピンとこない人は、
ネットの画像検索で
「人のアイコン」という言葉を
入力してみて下さい。


もう一つ。
神社で売っているんですが
私たちの代わりに悪いことを
引き受けてくれて、
川かどこかに流されてくれる、
大変ありがたい
形代(かたしろ)と呼ばれる
人型の紙があります。

やはりネットの検索で
「形代(かたしろ)」と
画像検索してみましょう。
形代はいろいろな形がありますが、
可愛いな、と思うのは、
頭が丸いものですよね。


そして、仁徳天皇陵で
画像検索してみてください。
バランスは違いますが、
基本的なパターンは同じです。
なんと、小さいけれど、
「袖」が付いてます。


自然にそう感じていたはずですが、
あまり真剣に考えたことは
ありませんでした。

前方後円墳は、
人の形をかたどった印
=アイコンです。

世界遺産に登録された時に
よく画像が出ていて、

あっ、手が付いている、

と思ったことはありましたが、

その時はそれ以上考えることは
しませんでした。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
人の形と言うとき、
そこでの人とは誰のことでしょう。

地方の豪族が権力を示す云々と
よく聞きますが、
大和王権との繋がりを示すのですから、
人とは天皇のことです。

各地に天皇が宿る
「代わり=形代」を作って
大和朝廷の影響力の及ぶ範囲を
示したのです。

前に、「持ち」という言葉の解釈の時に、
地方に派遣される天皇の代理である
「宰(司)」=「みこともち」
の話しをしました。

彼らは、
天皇が宿っている人=全権大使
として派遣されました。

全国各地に天皇の宿る建造物が作られ、
空から見るとそれがよく分かるはずです。

こもよの歌に戻ってみましょう。

「そらみつ 大和の国は 押しなべて 我こそ居れ 我こそいま(座)せ」(櫻井市HP訳)


ここの部分は、「空から見れば、私(が宿った形代(かたしろ)=前方後円墳)が全国に居ること、私が全国で座っていることが分かるはずですよ。」と言っています。

「座」という字が使われているので、
前方後円墳は天皇が座った姿を表しているんですね。
足がないですから。

古墳から出土する武人埴輪のスカートより上を見ると、
なんとなく前方後円墳に見えてきます。


「居」という字も使っているので、
必ずしも座っているだけではなく、
どこかに立った姿の前方後円墳もあるのかもしれません。

下の写真の右側が立っている姿で、
左の二つは、座っている姿です。

(グーグル・マップより)

前方後円墳は、お墓(墳墓)だというのは
考え直さないといけないと思います。

派遣された大使(みこともち)が
任期中にお亡くなりになれば、
そこに埋葬することはあったのでしょう。

一方で、朝廷の権威を象徴する
モニュメントとしてだけ
作られたものもあったのでは?

お墓の機能の見つからない
古墳もあると聞きます。
古墳という言葉は適切では
ないのかもしれませんね。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
前方後円墳に限らず、
古墳自体が本当に有力者のお墓なのか、
疑問に感じます。

エジプトのピラミッドは古王国時代の数百年間を中心に100から200程度建てられました。

一方、日本の古墳は、古墳時代の4百年で16万もの数が作られています。

有力者多すぎでしょう。

歴史家の小名木善行先生が、古墳は田んぼの開墾時の残土を積み上げたものだと言われているのを聞き、目が醒めたような感動を覚えたことを思い出します。

埼玉県のさきたま古墳群で古墳の立体地図を見て思ったのですが、さきたま古墳群は、少し高い台地と低い平野の境目に作られていました。
川の水を平野に広く配る溜池の立地として適しているのではないかと思います。







古墳の周辺には普通掘が巡らされています。
どちらかというとこの掘が目的で作られたものが古墳なのではないでしょうか?

現在日本にある溜池の数は20万と言われています。古墳時代からそれほど国土が広がったとも思えませんので、16万から20万くらいが日本の平野に必要な溜池の数なのではないでしょうか。

日本書紀には、天皇を始め、偉い人の事績として池を作ったことを誇らしげに書いてあります。池を作ることが事績なのかとがっかりしていたのですが、湿地帯だった平野を干拓し、水をコントロールしながら農耕を進めるには、溜池がとても重要です。

江戸時代に仁徳天皇陵のお掘から田んぼや畑に水を引いていたそうです。それを権威が忘れ去られたと嘆く声があります。けれども元々その目的で作ったものだったのではないでしょうか。仁徳天皇の逸話を考えれば、天皇自身がそれをお望みだったことは容易に想像できます。




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62.万葉集のはじめの歌『こもよみこもち』 その10  係り結び「こそ+已然形」の成り立ち

2024年07月21日 | 和歌 短歌 俳句
「こもよみこもち」の歌に戻ります。

虚見津   |山跡乃國者
押奈戸手  |吾許曽居
師<吉>名倍手|吾己曽座

【私の訳】
伝えてほしいボクの国
空から見れば 分かるはず
どんどん広がる国だけど
ぱあっと広がる国だけど

「空から見ると、大和朝廷の影響力の及ぶ範囲がどんどん広がっている姿が分かるはず。」

と歌っています。

雄略天皇の時代に
大和朝廷の影響を及ぼす範囲が
広がっていったそうです。

「おしなべて」と「しきなべて」が
対になっているので、私の翻訳では、
押すイメージで「どんどん」、
敷くイメージで「ぱあっと」
(テーブルクロスを華麗に広げるイメージ)
と訳しました。

次の「吾許曾居」がやっかいです。

この場所は7文字のはずなので、
「われこそおれ」では足りません。
さらに、「吾」ですが、
後で出てくる「我」と
使い分けていると考えるので、
「われ」ではなく、「あ」と読みます。
すると5文字。

「こそおれ」は古文の受験文法で習う
「こそ」+「動詞の已然形」で
係り結びです。
意味はたんなる強調とならいますが、
そんなことはありません。

已然形は元々は
「ど」とか「ども」に付く形なので、
「あこそおれども」か「あこそはおれど」
と7文字にします。

勝手にそうするのではなく、
理屈があります。
今から「こそ」の係り結びの
成り立ちを解説します。

「已然形」は現代語の
「仮定形」の祖先ですが、
意味は仮定ではなく
已(すで)に起こったことを示します。

「こそ」+「動詞の已然形」
の係り結びなんて、
典型的な古典の法則と思っていましたが、
よく考えると(ネットでしらべたんですが)、
現代でもこの言い方が残っています。

(ちょっと想像してみましょう)

次の表現は、
治療をして命は救ったけれど
後遺症を残してしまい
落ち込んでいるお医者さんに、
当の患者が言う言葉です。


「感謝こそすれ。」


これは、「こそ」の係り結びですね。

現代語に生きているということは、
自分の持っている語感で解釈できるはずです。
なので、
その成り立ちまで説明できる気がします。

言い方の進化を逆にたどってみます。

「感謝こそすれ」
「感謝こそすれ、恨みには思わない」
「感謝こそすれども、恨みには思わない」

最後の文は、全く違和感がないのですが、
よく考えるとおかしい点があります。
「すれども」は逆接の接続のはずですが、
後節は内容的に順接になっています。

元々
「感謝もすれども、恨みにも思う」
という逆接の複文が
「感謝もすれども、恨みにも思うか(いや思わない)」
と疑問(反語)になり、
「感謝すれども、恨みには思わない」
という否定に変わっていったはずです。

前節を強調するために
「こそ」を付けて、
言う必要が薄れたことや
言わなくても分かること
を省いていった末にできたのが
「感謝こそすれ。」です。

この表現は、
「感謝」を単に強調している
だけではありません。

このケースにおいて、
後遺症が残って恨みに思っても
仕方がない状況が前提にあった上で、
それでも(逆接)「感謝」しているのです。
つまり、逆接の意味が残っています。

逆説についてもう少し考えます。
うちの小学生の息子が、
勉強しないことを怒られた時に逆ギレして
「この前のテスト良かったんですけど!」
と叫びます。

意味は、
「この前のテスト良かったんだから、
文句言うな」
で順接の関係のはずです。
なぜ、ここで
「ですけど」
と逆接の接続詞を使うかと言うと、
勉強が足りずに成績が落ちるかもしれない、
と言う状況を一部自分で認めているからです。
自信がないから逆切れして
勇ましく振舞うんです。

否定的な状況を前提に、
自信がないから強く反発する言い方は、
「こそ」単独でも見ることができます。

「今度こそ!」
と言う状況は、
「前回ダメだった
ということです。

ずっと負けるような状況の中で、
それでも
「(だめかもしれないけれど)
今度こそ勝ちたい。」
という意味になります。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
一方で、「我こそは」と聞くと、
何か勇ましい感じがしてしまうのは、
鎌倉武士が戦場で名乗りを上げる風習を
私たちが知っているからです。

勇ましい人が名乗りを上げる風習は、
きちんと現代にも引き継がれていて、

フーテンの寅さんの前口上
「わたくし、うまれも育ちも葛飾柴又です。」
は、その名残りです。


ネットで調べてみれば分かりますが、
寅さんの前口上はとっても謙虚な内容です。

もっと謙虚なのは意外にも
若いころの高倉健さんが出ているような
任侠映画に出てくる人々です。


別の組の事務所に行って挨拶する時には、
必ず自分が先に名乗らなければいけないので、
座って聞いてください、
という意味のことを言います。

そう言われた方も、
はいそうですか、とはならず、

いやいや私の方こそ
先にご挨拶しなければいけないので、
あなた様は座って聞いてください。
というやり取りがあります。

どちらがより謙虚かという、
謙虚比べが始まり、
なかなか先に進みません。

あなた様は、座って聞いていてください、
という意味の言葉が、
「お控えなすって」です。
仁義を切るというやつです。

ネットの動画でも出てきますが、
そういう映画のはじめの方で、

A:「お控えなすって」
B:「いや、そちらさんこそ、お控えなすって」
A:「いえいえ、そちらさんこそ、お控えなすって」
B:「いやいやいや、....」

ずっとやってます。

今見ると可笑しくてしょうがないのですが、

数十年前は、真面目な場面で行われて
違和感がなかったということは、
よくある風景だったのでしょう。

万葉集や日本書紀の解説でも、
先に名乗りを上げるのは
格下の方からと書いてあるので、

任侠の世界だけの話では
なかったんだと思いますし、

ましてや、武士はその筋と
親戚のような人々だったと
思いますので、

鎌倉武士の名乗りも
謙虚さの現れと考えた方が
良いのではないでしょうか?


「我こそは」の現代語訳は、
×「俺はこんなに強いんだ」
ではなく、
〇「(他にもたくさん強い人はいるという状況で)弱い私の方からこそまず名乗らせてもらいます」
ですね。

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万葉集に戻って、
「吾許曽居」は、
「まだ地方の豪族で
権勢を誇っている人たちは
たくさんいるけれど、
自分だって負けてないんだよ」

という謙虚さを伴った自慢話です。

「あこそおれども、並ぶものも居るか(いや居ない)」の省略です。

後節は取っても意味が通じます。

「ども」も取って「あこそおれ」でも
意味が通じますが、
あっても問題ないと思います。

現代人にとっては、「ども」がないと
名乗りの謙虚さが伝わらないので、
あえて付けたいと思います。

ここでの読み方は
「あこそおれども」
になります。

それではこの部分の読みを確認しましょう。

虚見津   |そらにみつ
山跡乃國者 |やまとのくには
押奈戸手  |おしなべて
吾許曽居  |あこそおれども
師<吉>名倍手|しきなべて
吾己曽座  |あこそいれども

「こそ」のニュアンス難しいですかね。
この歌においては、
菜摘をする子に自分の凄さを伝えてほしいので、
「全国に僕の影響力が広がっているんだけど、僕以外に彼女と釣り合う人がいるだろうか?(いないよね)」
という感じです。

コメント
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