和歌の枕詞「ちはやぶる」について考えます。
一番有名なのは百人一首にある在原業平さんの歌です。
ちはやぶる神代(かみよ)も聞かず
龍田川(たつたがは)
唐紅(からくれなゐ)に水くくるとは
蛇行した川の膨らみの細い出口に溜まった紅葉が長い髪を一点でくくる(しばる)ように見える。この画像のようなイメージです。
「ちはやぶる」は「神」「宇治」に付く枕詞です。枕詞に意味が無いというのは嘘です。「千早振」「千磐破」などと書かれますが、古事記では「道速振」とも書かれています。
古語の「ち(道)」は、「みち」と方向という意味です。「ち(風)」という言葉もあります。風には通り道があり、方向が大切なので同根です。方向を持って何かが流れているイメージなのでしょう。岩波古語辞典で、ち=風、はや=速、ぶる=様子(振り)と解説しています。
人が通る道も風が通る道も「ち」です。水が通る道も「ち」と呼んだはずです。水流が速い川を「ちはや_道速」と呼んだので急流の宇治川に掛かるのです。また、龍田川は今の大和川全体の呼び名だったそうで、やはり急流とされています。
川の神様は龍神様です。初めの歌の「ちはやぶる神」は後段の「龍田川」の「龍」の縁語になっています。神様なら誰でも良いわけではなく、「ちはやぶる」は、龍神様限定です。高天原の神様達が地上の神々を「ちはやぶる(道速振)」「荒ぶる」国つ神と呼んでいますが、天孫降臨以前の神様です。
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万葉集の歌を見てみましょう。(巻第三譬喩歌404)
千磐破(ちはやぶる)
神の社(やしろ)し(四)
無かりせば
春日の野辺に
粟(あわ)播(ま)かましも
春日にある社とは春日大社のことです。藤原氏の神社で、祭神が四柱なので、四の字を当てています。藤原氏の守護神である武甕槌命(たけみかづちのみこと)と経津主命(ふつぬしのみこと)、藤原氏の祖神である天児屋根命(あめのこやねのみこと)、そして謎の神様である比売(姫)神です。
謎の神様、比売神とは誰なのか。
天児屋根命の奥さん「天美津玉照比売命(あまみつたまてるひめのみこと)」と言われますが、その名前が前面に出ずに敢えて比売神と呼ばれるため、色々な説が生まれました。
天照大御神(あまてらすおおみかみ)のことだという説がウィキペディアに出ています。
長野県安曇野市にある熊倉春日神社は、大同4年(西暦809年)治水開拓のため奈良春日大社から分霊したと碑文にあります。祭神は、天児屋根命、武甕槌命、経津主命、瀬織津姫命(せおりつひめのみこと)です。
つまり、比売神様の位置に瀬織津姫命がいることになります。
先ほど、姫神は、天照大御神だという説を紹介しましたが、伊勢神宮内宮の荒祭宮に祀られている天照大御神の荒御魂(あらみたま)が瀬織津姫だと言われています。比売神は、瀬織津姫命です。
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瀬織津姫命は、水の神様です。
ウィキペディアによると、「水神や祓神、瀧神、川神である。九州以南では海の神ともされる。祓戸四神の一柱で祓い浄めの女神。「人の穢れを早川の瀬で浄める」とあり、これは治水神としての特性である。」とのことです。
「早川」とあります。つまり瀬織津姫自身が道速(ち=川_はや)の形容にふさわしい神様です。
ちはやぶるが春日の歌に出てくるのは、元々春日に祀られていた神様が龍神である瀬織津姫だったからです。この歌の前後の歌を読み解くと、藤原氏と大伴氏の対立や藤原氏がそこで祀られていた神を押しのけて自分たちの神様を春日大社に祀った経緯が読み取れて興味深いと思います。
水田耕作を広めた天孫系の神々が現れる前、縄文時代に山側にいた人々のくらしは、次のようなものでした。
建築材料に使うために森や林を切り開きます。そこで山焼き、野焼きをします。その土壌にそばや粟や稗を植え、土壌が痩せてくると栗や栃の実、どんぐりの採れる広葉樹を植えます。
そこには、数十年単位の循環により生活圏を確保して来た人々が暮らしていました。この歌は、粟に託してその人々に思いを寄せているのです。
神様に社を建てるのは、後の風習です。信仰の対象である磐、瀧、川をそのまま崇めていたのが原初の姿なのでしょう。
千磐破(ちはやぶる)
神の社(やしろ)し(四)
無かりせば
春日の野辺に
粟(あわ)播(ま)かましも
【超訳】
いにしえの早川の神に
社(やしろ)はいらない
社などなかったら
春日の野に粟を蒔いて
昔のように穏やかに
暮らしていたのに
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百人一首の中の「ちはやぶる」で有名な歌の作者、在原業平さんは、屏風絵を見て歌を歌っています。
実は紅葉が水に落ちても比較的すぐに沈んでしまいます。桜の花びらのように浮かんで桜の堰を形作るようなことはありません。まして龍田川はちはやぶる急流です。水をくくるような淀みのイメージはないのではないでしょうか。
業平さんは、屏風絵の嘘を指摘しているのです。(…想像力の素晴らしさを褒めているのかもしれませんが、…)
「ちはやぶる」の本来の意味が薄れていき、いにしえの神様が忘れ去られている様子を惜しんでいるのかもしれません。
一方で、
この歌を救う光景があります。屏風絵の嘘を指摘しながら、別の可能性を認めて称えていると考えることができます。
この写真を見れば…、
ちはやぶる神代(かみよ)も聞かず
龍田川(たつたがは)
唐紅(からくれなゐ)に水くくるとは
【超訳】
神代を忘れ龍田川
水を束ねる紅葉の堰は
早瀬に映える光の綾縄
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