場所岡山県倉敷市の一帯は大小の島々が点在する海でした。高梁川などが運んでくる土砂で徐々に浅くなり、江戸時代に干拓が本格化して、現在のような広い農地が生まれます。しかし、干拓して間もない農地は、塩分が多く含まれ、稲の栽培には不向き。そこで、「綿花」や「い草」など、塩分を含む土地でも育ち、土地の塩抜きもできる作物が広く栽培されました。やがて繊維産業の町として栄えることとなる倉敷市の礎になっていきます。
The newly reclaimed farmland is high in salt content and unsuitable for rice cultivation. As a result, crops such as cotton and tatami grass that can tolerate high salinity were extensively cultivated.
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