山南ノート4【劇団夢桟敷】

山南ノート4冊目(2008.10.3~)
劇団夢桟敷の活動や個人のことなどのメモとして公開中。

改定の改定へ

2011-09-16 23:13:39 | No.56「KAGUYA」
(1)

昨年の12月に上演した「かぐや」(作・夢現)は今年の5月「KAGUYA」として改定され、次回公演10月28日-29日の大阪公演では改定の改定として「新☆KAGUYA」野外公演でおこなわれる。更に12月は鹿児島県指宿市の居酒屋で改定の改定の改定として公演することになっている。
改定を繰り返すことによりイメージは進化する。深まる。洗練される。戯れる。

これまでにも「梅川事件・四畳半夢の下張」/「1945漂流記・星砂がくる海」(原作・下嶋哲郎)/「ねじ式」(つげ義春)/「アリスの証言」/「薔薇色之病室」なども改定版として1979年から2011年までに上演した。改定版は過去の上演でも強烈に刻み込まれる。劇団では代表作に値することになる。
これからも思い出して再演、改定版をすることになるだろう。上演するネタには困らないところまできた。改定版とは言え、劇作りは新作と同様のエネルギーを使う。油断禁物である。役者が入れ代ったりするとあて書きを付け加え新たな登場人物を生み出すことになる。だから飽きることはない。新鮮な気持ちで取り組める。

「新☆KAGUYA」では新人3名(赤井犬彦、まなみ、KAREN)と、客演としては名古屋から「てんぷくプロ」の矢野健太郎さん、はる君(劇団 魂)、それに友情出演としてダンサーの山本真実さん、中村大輔さん、・・・更に劇団の旗揚げメンバーである海幸大介が30年ぶりに復活出演することになった。
大阪ー鹿児島は劇団夢桟敷にとっては総力戦といった様相になる。私は口が軽いため天下無敵と言ってしまうのである。だがそれがいけない。天下無敵どころか、マイナーであるが故に胡散臭さは隠しきれない。まだまだ、胸を張っていられないところもある。だが、上を向こう。胡散臭いところはない。アングラ劇は健在であることを示したい。胸を張る。

上は61才から下は12才、中心メンバーは20代半ばのバリバリであり、層も厚く幅も広くなった。実質的に世代を超えた劇団になってきた。だから発想やセンスも一見まとまり難いが、方向だけは同じところを向いていくように心掛けている。

さてKAGUYA、大阪公演は野外バージョンへ変貌する。
改定の改定は空間が新しい劇を生み出してくれるのである。会場は神社。それ自体が舞台なのである。
競演するのは劇団流星群「まほろば」。今年の流行語になりそうな「絆」で結ばれている。
演劇エクスプレス大阪の第2弾。そして第11回大阪野外演劇フェスティバル参加となる。・・・関西の方々との交流を広げよう!

(2)

劇「KAGUYA」では<胎児幻想>としての<月の子>をイメージしている。
<月>を<子宮>に見立てているのである。
かぐやは堕胎された母への怨霊として登場する。あるいは妖怪。
恐ろしくも悲しい物語になってしまう。
怨みと愛は相対立するが、ここは、たかが演劇である。されど演劇である。

怨みと愛が同居することがある。・・・そう見せることによって妖怪が人間に見えたり、人間の方が恐ろしい妖怪に見えたりする。
立場が変わると、怨みも愛も完全にひっくり返ってしまう。

日本昔話を裏側から読むと、つまり、ひねくれて読んでしまうと「めでたしめでたし」どころか、結末を不幸に感じてしまうのは私だけだろうか。
「かぐや」の原作である「竹取物語」は疑問や謎を残したまま物語に幕を閉じてしまう。
一体、誰がハッピーエンドになったのだろうか。ハッピーエンドがない。

ここには日本特有の美しき閉鎖性を感じてしまう。・・・残された者たちの耐える美しさ。我慢する美学。欲望を押える民の力。このようなマイナーな美学が根強く村社会を形作ってきたのである。

今回の公演では堕胎を間引きに置き換えて捉えることにした。
間引きされた子どもは生きていたのである。
こころ優しい人に育てられた。
人が優しくなれるのは不幸や悲しみ、怨みを知っているから。叩かれ、傷つき、どん底に堕ちた者のみ培ってきた愛がある。



そのような思いを込めて劇作りに励んでおります。