竹中平蔵氏が旗振り 人材会社を潤わす「300億円」助成金
2014年6月4日 日刊ゲンダイ
労働移動という名目でリストラ促進
これも人材派遣最大手のパソナによる政官接待の成果なのか──今年3月から大幅拡充された「労働移動支援助成金」が注目を集めている。この制度で多大な恩恵を受けるのがパソナだからだ。
労働移動支援助成金は、従業員の再就職を支援する企業に国がカネを出す制度。それまでは転職成功時に限って上限40万円の補助金が出たが、これを改め、転職者1人につき60万円まで支払われることになった。しかも、仮に転職が成功しなくても、従業員の転職先探しを再就職支援会社に頼むだけで10万円が支払われる。この制度拡充を主張したのが、パソナ会長であり、産業競争力会議のメンバーを務める竹中平蔵慶応大教授だった。
「労働力の移動と言いますが、要はリストラ促進助成金です。従業員をクビにすると助成金を受け取れる。昨年3月に開かれた第4回産業競争力会議で、竹中氏は『今は、雇用調整助成金と労働移動への助成金の予算額が1000対5くらいだが、これを一気に逆転するようなイメージでやっていただけると信じている』と発言しています。その言葉通り、労働移動支援助成金は、本当に2億円から一気に300億円に増えた。この巨額の税金が、人材サービス業のパソナなどに流れ込むわけです。これが自社への利益誘導でなくて何なのでしょう」(元法大教授・五十嵐仁氏=政治学)
労働移動支援助成金に150倍の予算がついた一方で、収益悪化などで従業員を一時的に休業させる際に、事業主が支払う賃金や手当の一部を国が助成する「雇用調整助成金」は、1175億円から545億円に減らされてしまった。従業員を無理して雇い続けるより、さっさとリストラした方がお得だと、国が勧めているようなものだ。
「企業によっては、社員の『追い出し部屋』をまるごと人材ビジネス会社に外注しているところもあります。そこでの業務は、自分の再就職先を探すこと。そんなリストラ策にも助成金が落ちる。新興企業が事業を拡大する時には、政治とのいかがわしい関係が表面化することが多いのですが、安倍政権で急速に進められている雇用の規制緩和は、ことごとくパソナの利益になるものばかり。あまりにロコツで、状況証拠でいえば、いつ汚職事件に発展してもおかしくありません」(五十嵐仁氏=前出)
これだけのスキャンダルなのに、大マスコミはなぜ口をつぐんでいるのか。それも奇妙だ。
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/150691
竹中平蔵氏に国家戦略特区諮問会議委員の資格はあるのか?
昨年12月6日、参議院内閣委員会で国家戦略特区が議論されました。そのとき、日本共産党の山下芳生参議院議員は、次のように述べています。
「…反対理由の第二は、戦略特区地域の指定、特区計画の認定、雇用ガイドラインの検討など、要とされている戦略特区諮問会議に、総理、官房長官などとともに解雇特区や雇用の規制緩和を強力に主張する今や派遣会社最大手パソナ会長となっている竹中平蔵氏など、財界人の起用が進められようとしていることであります。
私の本会議質問でも、竹中平蔵氏の起用について、菅官房長官は決して否定せず、根拠なく、利害のあるテーマの際には外し公正中立に行うなどと根拠も担保もなく述べましたが、法人税や労働法制の規制緩和などのたびに外すことなどできるわけがありません。…」
by坪内 隆彦氏
5月 29th, 2014 by 月刊日本編集部.五十嵐 仁
労働側を排除して労働政策を決めるしくみ
── 安倍政権では、再び労働分野の規制緩和が加速しています。
五十嵐 規制緩和は多様な働き方ができるようにすることであり、労働者にとってもメリットがあると説明されています。しかし、仮にそうであるなら、なぜ労働者の側から規制を緩和してほしいという要望が出てこないのでしょうか。
労働分野の規制緩和は、これまで一貫して経営側から提案されてきました。それは、労働者を「使い捨て」にできるようになるからです。実際には、労働者にとってメリットがあるわけではなく、雇用は不安定になり、賃金が減少していくことになるでしょう。
労働政策に関する重要事項を審議する労働政策審議会は、労働者を代表する者、使用者を代表する者、公益を代表する者の三者で構成されています。これは国際労働機関(ILO)が示している基本的な枠組みで、当事者である労働側にとって不利益な政策を決められないようになっているのです。しかし、この三者構成原則を無視し、労働側の抵抗を突破するための仕組みが作られました。労働側を排除して経営側の意向を取り入れる形で政策的な大枠を決め、その後に労働政策審議会に降ろすというやり方がとられるようになったからです。
すでに小泉政権時代に、経済財政諮問会議で労働の規制緩和が議論され、「骨太の方針」が出されるようになりました。従来の労働政策審議会や国会での議論をバイパスして諮問会議で大枠を決めてしまったのです。
清水真人氏の『経済財政戦記』には経済財政諮問会議での竹中平蔵慶応大学教授の手法が書かれています。まず、事前の「裏戦略会議」で入念に仕込んだ民間議員ペーパーで切り込み、議論が二歩前進、一歩後退しながら熟してくると「竹中取りまとめ」で後戻りできないようピン留めし、最後は「小泉裁断」で決着させるというやり方です。この民間議員ペーパーを起草していたのが、政策研究大学院大学教授の大田弘子氏でした。
竹中氏は小泉内閣で規制改革を進めて人材ビジネスを拡大させ、人材ビジネス会社であるパソナが急成長した後に自ら会長として乗り込みました。「政商」というか「学商」というか、まったく恥知らずだと思います。経営者と政治家と御用学者が労働者を食い物にしている。ビジネス・チャンスを拡大して利権に食らいつく「悪徳商人」そのものです。
── 労働政策を研究する学者にも新自由主義は浸透しているのでしょうか。
五十嵐 残念ながら、新自由主義的な考え方の学者は増えています。規制改革会議の委員で雇用ワーキング・グループの座長になっている鶴光太郎慶応義塾大学教授などは典型的な御用学者です。
竹中慶応大学教授も第二次安倍政権で復活してしまいました。竹中氏は麻生太郎副総理らの反対もあって経済財政諮問会議のメンバーになれませんでしたが、産業競争力会議の委員になり、自ら国家戦略特区の構想を打ちだして諮問会議の民間議員にも選ばれました。一方、大田弘子氏は規制改革会議の議長代理として送り込まれています。
労働者いじめは企業のためにもならない
── 労働者を保護するためには一定の規制が必要です。
五十嵐 規制それ自体はすべて悪でもなく、すべて善でもありません。必要な規制は維持しなければなりませんし、時には強めなければならないこともあるでしょう。
韓国の「セウォル号」の沈没事故の原因はいろいろ指摘されていますが、安全運航のために必要な規制がきちんとなされず、行政による管理や監督が十分できていなかったことも大きな原因ではないかと思います。日本でも高速ツアーバスの事故が起きましたが、規制緩和による過当競争がその背景にありました。規制緩和を進めていけば、効率や利益追求一辺倒で安全面が疎かにされることは目に見えています。
新自由主義者が「規制はすべて悪だ」と思い込んでしまっていることが、一番大きな問題です。労働分野の規制緩和は、経営者がやりやすい状況を生み出すかもしれませんが、労働者にとっては厳しい働き方を強いられる形になってしまいます。労働条件がさらに悪化し、賃金も下がって行きます。非正規労働者やワーキングプアを増やすことになる。
労働者に厳しい状況を強いることは、結果的に労働意欲を低めて生産性の低下をもたらします。非正規では技能や経験の継承もできない。長期的に見れば、経営者にとっても決してプラスにはなりません。低賃金の労働者が増えれば、働く人の購買力が低くなり、国内市場は縮小します。「大企業栄えて民滅ぶ」と言われますが、「民が滅んだ」社会で「大企業が栄える」ことはできないのです。
少子化は、低賃金で苛酷な労働を強いられている若年層の「社会的ストライキ」だと言ってもいいかもしれません。賃金が低いために、結婚して家庭を形成し、子供を産むことができない。シェアハウス、脱法ハウスが話題を呼びましたが、もはや金銭的に一人で生活することができない若年層が増えているからです。
規制緩和によって、さらに低賃金で苛酷な労働を強いるような状況が広まれば、少子化問題はもっと深刻化するでしょう。経済的にも社会的にも日本は崩壊に向かいつつあると言わざるを得ません。日本という国の人的存立基盤が失われていくことになる。私はそれに強い危機感を感じています。
「生涯ハケン」に道を開く労働者派遣法の抜本改正
── 労働者派遣法の改正案が国会に提出されました。どのように改正しようとしているのですか。
五十嵐 これまで派遣労働には、常用雇用の代替にしてはならない、また臨時的・一時的な業務に限定するという大原則がありました。今回の改正案はこの原則を変える大転換であり、一生派遣労働に従事する「生涯ハケン」に道を開くことになってしまいます。
現在、企業が同じ業務で派遣を利用できる期間は3年間に制限されています。ところが改正案では、企業は派遣してもらう人を入れ替えれば、3年経っても同じ業務に派遣労働者を使い続けられるようになります。
また、派遣労働者は3年経過すれば派遣先企業が直接雇用することになっていましたが、企業はその人の業務内容を変えれば、3年経ってもそのまま派遣労働者として使い続けることができるようになります。
恒常的に仕事があり、その労働者を使うのであれば、派遣ではなく正社員とするのが当然でしょう。にもかかわらず、労働者を入れ替えてその仕事を続ける。労働者の方は別の業務で派遣労働者として働き続けることになる。労働者にとっては、不安定な細切れ雇用で技能の蓄積が断ち切られることになります。
法案では、「過半数労働組合から意見を聴取した場合には、さらに3年間派遣労働者を受け入れることができる」とされていますが、労働組合の意見が歯止めになるとは思えません。現在の状況を見れば、労働組合は経営側の意向に抵抗できないからです。
── 厚生労働省は、なぜこうした法案を受け入れたのでしょうか。
五十嵐 昨年の参院選で与党が勝利し、衆参両院の「ねじれ」を解消した安倍政権は、内閣支持率の高さに支えられて徐々に安倍カラーを強め始めました。昨年8月20日に労働政策審議会の職業安定分科会労働力需給制度部会が「今後の労働者派遣制度の在り方に関する研究会報告書」を出したのが、その表れの一つです。
その後の議論の過程で、規制緩和推進派は厚労省に強い圧力をかけていたように見えます。例えば、昨年12月に開かれた規制改革会議雇用ワーキング・グループ会議で、大田弘子氏は厚労省の富田望課長に対して再考を促すよう注文をつけ、稲田朋美内閣府特命担当相も「今回、規制改革の意見が反映された部分はどういうところなのか」と圧力をかけています。
── 現在の安倍政権は、小泉政権時代の再来のように見えます。
五十嵐 1986年に労働者派遣法が施行されて以来、徐々に規制緩和が進みました。当初は、派遣できる職種は制限されていましたが、1999年の法改正であらゆる職種の派遣が原則自由化され、派遣できない職種をネガティブリストで定めるようになりました。そして、小泉政権時代の2004年には製造業の派遣も解禁され、派遣労働者の数が急増することになります。
残業ゼロ社員の拡大
── 産業競争力会議は、労働時間の管理を労働者に委ね、企業は原則として時間管理を行わない「裁量労働制」の対象労働者を増やすよう提案しています。
五十嵐 労働基準法では1日の労働時間を原則8時間として残業や休日・深夜の労働には企業が割増賃金を払うことを義務づけていますが、上級管理職や研究者などの一部専門職に限り労働時間にかかわらず賃金を一定にし、残業代を払わないことが認められています。
こうした「残業代ゼロ」社員の対象を広げるように求めているわけです。年収が1000万円を超える高収入の社員や、高収入でなくても労働組合との合意で認められた社員に対象を広げようとしています。残業代を払わなくても済むようにしたいというわけです。
派遣法改悪を阻止しよう!
── 小泉政権の新自由主義政策によって格差社会が問題となり、2009年に誕生した民主党政権では新自由主義からの決別が模索されました。
五十嵐 2009年9月、民主党、社会党、国民新党の連立与党は、派遣法の再規制で合意しました。この三党合意に基づいて、2010年4月には労働者派遣法改正案が提出されましたが、やがて改正案成立を強く主張していた社民党が連立政権を離脱し、民主党は2011年に自民党、公明党との間で改正案に合意し、法案を骨抜きにしてしまいました。
民主党の中も、規制強化派と規制緩和派に割れていたのです。民主党全体が合意できるような再規制をまずやり、それを積みあげていくというやり方があったかもしれません。2010年7月の参院選で与野党が逆転し、民主党・国民新党は少数与党となって再規制をすることは一気に難しくなってしまったのです。
このように、民主党政権になってから派遣労働の再規制が模索されましたが、すでにそれ以前から労働の規制緩和に対する反省は高まっていました。私は、2006年が一つの転換点だったと見ています。
同年9月に第一次安倍内閣が発足し、12月には「労働市場改革専門調査会」の会長に八代尚宏国際基督教大学教授が就き、「労働ビックバン」を一気に進めようとしました。しかし、労働の規制緩和推進派が進めようとしたホワイトカラー・エグゼンプションは「残業代ゼロ法案」と批判され、これが躓きの石となりました。
このとき、自民党内や厚労省の抵抗が開始されていたのです。2006年末には、自民党内に雇用・生活調査会が誕生していました。この調査会に関して後藤田正純氏は、「これまで、労働法制は規制緩和の一点張りだったが、これからは党が責任を持って、規律ある労働市場の創設を働きかけていく」と語っていました。
一方、厚労省には2007年2月に「雇用労働政策の基軸・方向性に関する研究会」が設置され、8月には「『上質な市場社会』に向けて」と題した報告書を発表します。副題に書かれている通り、この報告書は雇用労働政策における「多様性」以上に、「公正」と「安定」が重視されていました。厚労省には規制緩和がもたらした悪影響についての反省があります。労働分野で問題が生じた場合、その対応に追われるのは厚労省ですから、労働の規制緩和に慎重な態度をとらざるを得ないのです。
── 小泉時代の規制緩和の教訓をなぜ生かせないのでしょうか。
五十嵐 いまも自民党の中には規制緩和推進派と慎重派の二種類の立場があります。しかし、慎重派は安倍首相のリーダーシップの強さに押し切られ、党内で大きな声を上げられない状況にあります。安倍首相の政策に対して正面切って反対できないのです。厚労省も産業競争力会議などで規制緩和推進派から強い圧力をかけられ、押し切られています。
── どのようにして、派遣法改正をはじめとする労働の規制緩和を阻止していけばいいのでしょうか。
自民党内部の慎重派や厚労省が抵抗できるように、世論を喚起していくしかありません。2006年に潮目が変わった背景にも、マスコミや論壇の変化がありました。すでに、2005年2月にNHK総合テレビが「フリーター漂流」を、翌2006年7月には、NHKスペシャルで「ワーキングプア」の第一弾が放映されました。同年9月には『週刊東洋経済』が「日本版ワーキングプア」という特集を組みました。こうしたワーキングプアや格差社会を懸念する世論の高まりを背景に、2006年頃から転換が開始されたのです。
また、マスコミの援護射撃とともに、労働者の側が抵抗運動を盛り上げていく必要があります。運動と世論の力を背景に政党や議員、厚労省の官僚などに働きかけ、一方的に経営者に有利となる派遣法改正案の成立を阻まなければなりません。少なくとも法案の修正や付帯事項をつけて、少しでもましな法律にするよう、運動を展開するべきです。
── わが国はどのような労働政策を目指すべきですか。
五十嵐 アメリカは徹底した新自由主義で、規制緩和の最先端をいっています。それを模範にして日本ももっと規制緩和を進めるべきだと新自由主義者は唱えているのですが、1%の富裕層によって国民の99%が支配されるような超格差社会になり、アメリカ社会が崩れてしまっていることに注目する必要があるでしょう。
そのようなアメリカを手本にしてはなりません。アメリカと違い、ヨーロッパ諸国は強い労働運動を背景に規制を維持し、経済危機を乗り切っています。ドイツもそうですし、北欧などもそうした路線を貫いています。日本は、そうしたヨーロッパ諸国に学び、人間らしい労働(ディーセントワーク)によって持続できる社会を目指すべきなのです。
http://gekkan-nippon.com/?p=6184
【「彼ら」の手法】
竹中平蔵氏は、先日のテレビ愛知「激論コロシアム」の討論で、正規社員について「既得権益である」と明言しました。パソナ・グループの取締役会長にして、産業競争力会議の「民間議員」という名の民間人である竹中平蔵氏が、「雇用の安定」が忌むべきものと認識していることが分かります。
現在、様々な「労働規制の緩和」が推進されていますが、その一つが「正規社員の残業代廃止」つまりは正規社員という「岩盤規制」の破壊になります。何しろ、正規社員に残業代を払っていた日には、企業の人件費が上昇し、
「グローバル市場における企業の国際競争力(という名の価格競争力)が低下するではないか!」
という話になってしまうわけです。日本国民の実質賃金を引き下げ、貧困化させ、企業のグローバル市場における価格競争力を高めるためには、とにかく何でもやってくるのが「彼ら」です。
『高度専門職:労働時間規制なし…厚労省、容認に転換
http://mainichi.jp/select/news/20140528k0000m010133000c.html
厚生労働省は27日、「高度な専門職」で年収が数千万円以上の人を労働時間規制の対象外とし、仕事の「成果」だけに応じて賃金を払う新制度を導入する方針を固めた。2007年、第1次安倍政権が導入を目指しながら「残業代ゼロ」法案と批判され、断念した制度と類似の仕組みだ。同省は労働時間に関係なく成果のみで賃金が決まる対象を管理職のほかに広げることには慎重だったが、政府の産業競争力会議が導入を求めているのを受け、方針を転じた。田村憲久厚労相が28日の同会議で表明する。(後略)』
毎日新聞の紙面版には、元々の産業競争力会議の「労働規制緩和」案が載っているのですが、さすがに仰天してしまいました。何しろ、年収要件が「なし」だったのです。
【産業競争力会議の案】
・年収要件:なし
・対象職種:(一定の責任ある業務、職責を持つリーダー)経営企画・全社事業計画策定リーダー、海外プロジェクトリーダー、新商品企画・開発、ブランド戦略担当リーダー、IT・金融ビジネス関連コンサルタント、資産運用担当者、経済アナリスト
・条件:労使の合意、本人の同意
それに対し、厚生労働省の対案。
【厚生労働省の案】
・年収要件:あり(数千万円以上)
・対象職種:世界レベルの高度専門職、為替ディーラー、資産運用担当者、経済アナリスト
・条件:未定
厚生労働省の案の場合、日本の正規社員のほとんどが無関係ということになります。とはいえ、そうであったとしても、
「ああ、自分は関係ないんだ。良かった・・・・」
などと安心することはやめて欲しいのです。何しろ、我が国の派遣労働の解禁は、
「中曽根政権時代(86年)に解禁され、橋本政権期(96年)に業務の範囲が一気に拡大し、小泉政権期についに「製造業」でも認められる」
というプロセスを経て拡大していきました。
我が国の派遣解禁、拡大の歴史を振り返ってみましょう。
1986年:専門的な13業種のみの派遣業認可(ポジティブ・リスト)。後、26業務に拡大
1999年:派遣業についてネガティブリスト方式に(禁止業種以外は解禁)変更
2004年:製造業の派遣について解禁
2007年:製造業の派遣の期間延長(1年から3年に)
要するに、最初は「門戸が狭い」ポジティブリスト方式で「ひと穴」をあけられ、その後、次第に対象が拡大し、ネガティブリスト方式に変更、ネガティブリストの縮小という形で「規制緩和」の範囲が広がっていったのです。同じことを、「労働時間規制緩和」についてもやられはしないか、非常に危惧しています。と言いますか、「彼ら」はやろうとしてくるでしょう。
わたくしは、「雇用の安定」こそが、かつての日本の企業の「強み」だったと確信しているのです。特定の会社に勤め、安定的な雇用の下でロイヤリティを高めた「人材」が、自らの中に様々な技能やノウハウ、技術を蓄積し、同じく雇用が安定した「同僚」とチームを構成し、世界に立ち向かう。これこそが、グローバル市場における「本来の日本の価値パターン」であると信じているわけでございます。
とはいえ、上記の「考え方」では、
「グローバル市場における企業の価格競争力が高まらないじゃないか!」
というわけで、我が国では様々な規制の緩和が推進されていきました。結果、どうなりました?
国民の貧困化が続き、さらに企業は「本来の強み」を失ってはいませんか。確かに、短期的な「利益」は増えるかも知れませんが、中長期的に競争力を喪失していませんか、という問題提起を今こそしたいわけでございます。
特に、正規雇用の皆さん。皆さんは「既得権益」だそうです。何しろ、パソナ・グループの取締役会長自ら明言しました。
ならば、どうするべきなのか。について、是非とも一度、考えてみて欲しいのです。
──フェイクが本物とみなされる倒錯が起きている、日本の現実
インタビュー:佐々木実
人物評伝では捉えられない経済学者の姿
――『市場と権力』の「おわりに ホモ・エコノミカスたちの革命」で佐々木さんは、経済学者の宇沢弘文氏の一文を引用されています。ベトナム戦争について当時のマクナマラ国防長官が、もっとも効率的で経済的な手段によって増税もインフレも起こさず戦争を遂行しているのに、非難されるのは心外だと発言した。この発言は、価値判断からの自由を標榜し、公正さや平等性を無視して、効率性のみを追求する近代経済学の基本的な考え方と同じだと宇沢氏は述べたわけですね。公正さや平等性を無視し、効率性だけを追求する知識人が現実の政治と結びつくと、どうなるか。佐々木さんは本書で、「改革」に憑かれた経済学者の竹中平蔵の姿をとおして、そのことを追及されています。
佐々木 竹中平蔵について最初に書いたのは「月刊現代」二〇〇五年一二月号で、三回にわたって連載しました。最初は竹中の人物評伝を書くつもりで取材に入ったのですが、十分書けていない、非常に大事なものを書き落としているという引っかかりがずっとあって、なかなか本にまとめることができないでいました。そんなとき宇沢弘文さんと出会い、研究会に参加させてもらうなかで、自分が疑問に思っていることがクリアになりました。僕がやりたいのは、小泉内閣の金融担当大臣として政治権力の中枢にいた竹中の人生をただ描くということではない。では、竹中という人をとことんまで追いかけていくことで何が見えてくるのか。
宇沢先生はシカゴ大学に在籍し、「新古典派経済学」の旗手として世界的に認められていた経済学者でしたが、ベトナム戦争を契機に「知」と「知識人」のあり方を根本から問い直し、それまでの学者としてのキャリアをすべて捨て去る覚悟でアメリカを去りました。日本に戻って新しい経済学の構築に向けて歩み出し、「社会的共通資本の経済学」という未踏の領域を切り拓いてきました。
そうした宇沢先生の生きざまに触れ、物事は本質に迫らなければ何も見えてこないことを教えられました。本には私が雑誌に連載した記事と同じ事実が多く記載されていますけれども、書籍としてまとめる際には、補足取材をして新たな事実を書き加えるだけでなく、かなり編集し直し、再構成しています。僕としては、以前に発表した雑誌記事とは質的に異なるものになったと考えています。そうすることで、ようやく描きたいものを描くことができたのです。
――竹中はいま、安倍内閣が新たに設置した産業競争力会議の委員になり、労働市場の規制緩和という「改革」を主張しています。構造改革を推進した小泉内閣以後、国会議員を辞めて政界から遠ざかったように見えながら、ふたたび政治に接近して「改革」を実現しようとする。しかも彼は経済学者であるとともに、労働市場と利害が直結する人材派遣業大手の経営者でもあります。このような人物を書こうと思われたきっかけは何だったのでしょうか。
佐々木 小泉内閣に入閣して政界に華々しくデビューし、「学者大臣」と呼ばれながらも「構造改革」のイデオローグとして政権内の実力者にのし上がっていった彼を見て、どのような思想の持ち主なのかと関心を持ちました。彼は学者であり言論人ですから、著作や論文のなかに思想が語られているはずです。それを把握すれば時代を先導する思想を捉えることができるのではないかと当初は漠然と考えた。ところが、すぐに躓いてしまいました。彼の言葉をいくらたどってみても「思想」は見えてこなかったのです。もちろん「新自由主義的」な言質の傾向はあるけれども、言論人として彼が発した言葉から汲み取れるものは意外に少なかった。
結果として、書いてきたものによって思想遍歴をたどるのではなく、彼がその時々に何をやっていたのかという、行動を跡づける方向に取材が傾斜していかざるをえませんでした。時代の寵児となった「知識人」の思想遍歴をたどるという最初の思惑は外れてしまったわけですが、しかし、この方針転換そのものが取材のテーマを暗示してもいました。
竹中は大学卒業後に政府系の日本開発銀行に入り、経済研究員となってアメリカへ留学し、レーガン政権の掲げた「小さな政府」を理論的に支えた「反ケインズ」学派に大きな影響を受けます。一方で、シンクタンクや大学などから政府に人材が供給される「リボルビング・ドア」システム、経済学者と企業家と政治家が地続きとなった「知」のあり方を見て強い憧れを抱いた。その後、アメリカの経済理論のスキームを輸入しながら、文字通り「他人の研究を自分のものに取り込んで」学者として認められるようになったわけです。
◆知識人を出し抜いたインテレクチュアルの代表
――先ほどのマクナマラの話ではありませんが、公正さや平等性を飛び越えて、効率性と有用性を追求する政策ビジネスに接近していったわけですね。
佐々木 竹中平蔵は日本の知識人を出し抜いたところがある。彼の存在自体が、日本の知識人総体への「裏返しの批判」になっているようにも思えるのです。大蔵省の幹部だった長富祐一郎が大平内閣で首相補佐官を務めたとき、学者を集めて大々的に諮問会議を組織しました。大平首相が急逝したあとも、長富は学者グループを束ねて活動するのですが、日本開発銀行から大蔵省に出向していた竹中は、その長富のかばん持ちをして手伝います。日本では有名な学者ばかりが顔をそろえた集まりでしたが、学者から見れば、大蔵省キャリア官僚の長富は絶大な力をもっている。その政治権力に学者がどういうかたちで接しているのかを、竹中は間近で見ることになります。
佐々木 長富は大蔵省証券局の参事官になったとき、七人の経済学者のチーム「七人会」を立ち上げて、彼らに実質的な決定権限を渡してしまいました。大蔵省内からは、学者だけに任せて大丈夫か、大蔵省の考えと違う報告書ができ上がったらどうするのか、といった批判の声が上がりましたが、むしろ大蔵省に反対する学者を入れてしまえばいいんだ、俺が折伏して先生お願いしますと言えば向かってくるやつはいないと、長富は答えた。彼はそういうことができる人だったわけです。
超一流といわれる学者が長富の前にでると殊勝にふるまう。名前だけ貸して報告書は竹中に書かせるといういいかげんなことまで平気でやっていた。その後、長富は二〇〇人以上の知識人を束ね、ソフトノミクスの大キャンペーンを展開しました。長富は学者をただの駒だと思っているし、学者の方も政府に近いところに入れてもらった見返りとして、長富の考えに沿うような論文を書いて提出する。大蔵省側にいて、長富を事務方として支えていたのが竹中だった。
彼はそこで、学者とは何かについて深く学びました。政治の場における学者の位置を知ったのではないでしょうか。ですから、学者としての竹中のモラルの低さは、政治に関与する日本の知識人のモラルの問題と大いに関係していると思います。
――本書を読むと、竹中には学問は政策として使えないとダメだという考えが強固にありますね。
佐々木 そもそも彼においては、学問に対する関心より政治権力への興味のほうが勝っていました。学者の世界にはヒエラルキーがありますが、竹中には最初からそういうものに対する恐れの意識はなかった。だから、ふつうの学者であれば躊躇するようなことでも、彼は何のためらいもなくやってのけてしまう。その大胆さが彼を「知識人のリーダー」にまで押し上げていったのですから、皮肉としか言いようがありません。
いま、安倍内閣官房参与の浜田宏一・エール大名誉教授がアベノミクスに関わっていますが、これなどはすごく象徴的だと思います。国際金融が専門の浜田さんはかつては、竹中が経済学を政治に関わるための道具としてしか見ていないことを危惧し、経済学はそういうものではないと批判した。すぐに役立つ政策ばかりを考え、政治に売り込むことが学問だと思っているとしたら大きな間違いだと、竹中に正面から言った。ところが、いまは彼自身がアベノミクスの守護神、御意見番になってしまい、竹中と同じようなことをやっている。政治の世界での実績や経歴で言うと、むしろ竹中の方が優位な立場にいるわけで、まさに立場が逆転してしまったのです。
――本書に引かれている、一九九一年の「エコノミスト」誌上での竹中と佐和隆光氏との対談は示唆的です。経済学説の根っこにある思想や価値観を含めた思想構造の問題を議論しなければならない、という佐和氏に対し、竹中はあくまで政策に関与するための手段として経済学を捉え、対談はかみ合わなかった。また、規制緩和の代表的論客だった経済学者・中谷巌の『経済学はなぜ自壊したのか‐‐「日本」再生への提言』(集英社、二〇一一年)の読後感を問われて、政策が分からなくなった人は思想や歴史の話をすると、見下すような発言をしています。やはり竹中は、経済学者の肩書きを持った「思想なき政策家」なのでしょうか。
佐々木 でも、竹中だって何がしかの考えを自分の中に持っていなければ、実際には行動できないはずですね。やはり、知や知識人が問題になってくるように思います。
二〇〇一年四月に、小泉首相の指名を受けて経済財政政策担当大臣に就任したとき、竹中は「専門家が(小泉内閣に)入るのは、日本のインテレクチュアルが問われる」と言いました。経済学者の代表、日本の知識人の代表として政治に参画するのだという強い意気込みで、その言葉どおり、竹中は構造改革のメンターになりましたけれども、本の最後にも書いたとおり、その言葉は知識人の意味を転倒させるフェイクだったという気がします。
しかしながら現実の日本では、フェイクが本物とみなされる倒錯が起きている。浜田さんが軍門に下っていることが典型ですが、実際に竹中が日本のインテレクチュアルの代表になってしまっているわけですから。小泉政権が退陣した後、一時勢いがなくなったけれども、イデオローグとしての彼の主張はまだ生きています。
それは「新自由主義」と呼んで批判すればすむような表層的な問題ではないですね。もっと深いところから問題の本質を見るような知のあり方を探さなければ、批判する側も同じレベルに堕してしまうだけです。「政策を知っていて法案を書ける方がむしろ偉い」といった程度の議論に終始してしまいます。
――机上の空論をやっていても意味がない、いかに政策として効用があるかということが、現在のグローバルスタンダードになってしまっている。竹中はいわばその代表と言えるでしょうか。
佐々木 そういう意味でも、竹中はインテレクチュアルの代表です。一般の人たちもそう思っているでしょう。学者がごちゃごちゃと金融のことを言っても、不良債権の処理をさせたら竹中さんの方が実行力がある、経済学者はもっと現実のビジネスを知らなければいけない、というような評価が一般的だと思うんですね。それに対して、そうではないと説得的に言うのは、すごく難しいことですよ。
◆りそな銀行の破綻処理と監査人の自殺
――竹中は金融大臣に就任後、「竹中プラン」を掲げて、銀行の不良債権処理で功績をあげようとし、監査法人を使ってりそな銀行を破綻に追い込みます。その過程で、監査の現場責任者だった朝日監査法人の平田聡さんが自殺した。平田さんを追いつめた原因は、竹中とその右腕だった金融庁顧問の木村剛が、監査を自分たちの政策の道具としてしか見ていなかったことです。平田さんは職業倫理ゆえに、矛盾を抱え込まされた。竹中たちは監査を政治的に利用して、銀行を破綻に追い込みながら、直接手を汚すこともなければ痛みもしない。この事件は構造改革を象徴する構図だと思います。
佐々木 僕もこれは象徴的な事件だと思って、本でも詳しく書きました。平田さんは監査を究めていく職人気質の人だから、間違ったことはできない。間違っていることをあえてやろうとすると、生理的な拒否反応が起きてしまう。専門家として、知識が身体化されているタイプの会計士だったと思います。竹中や木村がやろうとしたことは、監査のプロフェッショナルである彼からすればどう考えてもおかしい。でも、りそな銀行を担当している一監査法人の監査人という立場でしかないから、竹中大臣の指示には従うほかない。
監査が上から捻じ曲げられたことで、平田さんは身体に不調をきたし、精神的にも混乱していった。文字通り殺されるようなかたちで命を落とすというのは、構造改革の時代を象徴しています。当時、自殺の事実はしばらく伏せられていましたが、いまもって自殺にいたる顛末は闇に葬られたままです。
逆に言うと、竹中や木村剛は、平田さんがなぜそこまで監査を誠実にやろうとするのか、分からなかったと思うんですね。職業倫理を守ろうとする知のあり方、会計監査のプロとして譲ることのできない、身体化した知のあり方があるということが、彼らには分からない。りそな銀行は潰すと裏でサインを送っているじゃないか、潰していいと言っているのに何で言うとおりにしないのか、ということでしょう。平田さんは文字通り体を張って監査をして、潰れてしまった。
――構造改革の問題は、郵政民営化について言えば民営化する必然性がなく、しかも竹中自身それを自覚していた、にもかかわらず実行したということですね。小泉の信念に理屈付けをするために、経済学を使って民営化を政策にし、構造改革の名の下に実現してしまった。そうすることで、仲間内や近しい人たちに利益を回しました。
佐々木 経済学を政治と結びつけ、改革という名のビジネスを行う手腕は見事なものですが、日本振興銀行の経営者となった木村剛は、逮捕されて失脚しました。木村は預金者をよそに、自分のお金だけ保全しようとしたりした。逮捕後の木村の動揺ぶりを見て思うのは、結局、危機に陥っていく過程で自分が何をしているのか分からなくなっているということです。それは彼が本当の言葉を持っていないからではないでしょうか。だから自分の位置を確認することができない。言葉の堕落によって自分が見えなくなってしまっている。似たようなことが社会のレベルでも起きているような気がしてなりません。
佐々木 本の中でも触れていますが、小泉政権下で行われた日銀の大胆な金融緩和は、世界の「マネー資本主義」の原動力ともなっていたけれども、その事実にほとんどの日本人は気がついていなかった。イラク戦争のとき、日本政府は「円高阻止のため」と称してかつてない規模の円売りドル買い介入をした。結果として、アメリカの国債を大量に購入することになり、ブッシュ政権の戦時財政を支えると同時に、アメリカの住宅バブルをあおることにもなりました。そうした事実についても、ほとんどの人々が無自覚なまま現在にいたっています。
木村剛の逮捕時の動揺ぶりと同じように、「自分自身が分からない」状態に集団で陥っているということではないでしょうか。自分の行動も分からなければ、自分の行動が周囲に及ぼしている影響の大きさも分からない。なぜそうなるかというと、現実を捉える言葉がないからです。このテーマはもちろん、ジャーナリズムの問題と密接に関係しています。
――それは冒頭に引いた、ベトナム戦争のときにマクナマラ国防長官が言った、枯葉剤を撒くことの効用や、戦争をビジネスの効率で測る尺度しか持っていない人間の姿と通じるものがありますね。
佐々木 話がひっくり返っていますよね。大量殺戮をしているという問題の前に、効率的にたくさん殺しているのに、なぜ自分が批判されなければいけないのかと、平然と言う。マクナマラは経営学者でもあり、自動車会社の経営者にもなった行動力のあるインテリで、敬虔なクリスチャンでもありました。彼がアメリカのシンクタンク業界の顔役だったことは示唆的です。シンクタンクは「知の戦車」という意味ですよね。
◆言葉を殺す“あるもの”を調査報道で突き止める
――本書で指摘されているとおり、竹中は『あしたの経済学‐‐改革は必ず日本を再生させる』(幻冬舎、二〇〇三年)の中で、寺島実郎の言葉である「カセギ」(経済的自立)と「ツトメ」(共同体維持のための公的貢献)を、自分の言葉であるかのように掠め取って使っています。そのこと自体、大きな問題ですが、カセギとツトメを説く「知の戦車」の戦略的知を有難がる風潮は、とても強いですね。
佐々木 赤字をつくってはいけないということでは、僕たちフリージャーナリストには逆風続きですし、言葉の基地である雑誌の廃刊は手痛い打撃ですけれども、僕は逆にまだ言葉には力があると思っているのです。竹中は弁論に長けた人ではありますが、彼の言葉そのものには力がない。ほかの力で人を動かしているからです。僕は本当に力のある言葉は存在すると考えていますし、そういう言葉を取り戻したいという思いでこの本を書きました。
この本では「新自由主義」という言葉をできるだけ使わないようにしました。そういう言葉のレベルで書きたくないという気持ちがあったのです。そのような言葉を無自覚に使っていると、あちら側に回収されてしまいますから。
たとえば自殺というむずかしいテーマを考えたとき、もしもその人に自分自身の言葉があったなら、死ななくてもよかったというケースがありうるように思います。誰にとっても、言葉というのは非常に究極的なもの。社会という人間の集団レベルでも、自分自身の言葉を見失ったがゆえに、自分たちの現在位置を確認することができず、夢遊病者のようにさまよっているということがあるのではないでしょうか。
佐々木 東日本大震災や原発事故があって、いまいやおうなく自分の言葉で考えざるをえない人が大量にいる。だから変化は確実に起きています。言葉で仕事をしている知識人よりも、むしろふつうの生活者の方が、その点において敏感ではないでしょうか。
――佐々木さんは竹中をとおして“あるもの”を突きとめようとした、と書かれています。そして、“あるもの”が伸張する条件は、言葉を殺すことにあると。改革やアベノミクスの上澄みの次元に終始しがちな経済ジャーナリズムの中で、言葉の問題を追及する人は、佐々木さん以外にいない気がします。
佐々木 この本じたいが、現在の経済ジャーナリズム批判になっているのかもしれません。そうあってほしいとおもって書きました。たしかに“あるもの”を表現するのは難しいですが、たとえば資本主義と言ってもいいのかもしれないし、知や言葉のありようを規定するものと言ってもいいのかもしれません。まあ、自分でも正確に言い当てることができないと言ったほうが正確なのかもしれませんね。僕はジャーナリストですから、調査報道によって“あるもの”を突き止めたかった。竹中平蔵氏の行動や言葉の事実を積み重ねていくことによって、この本でその姿を僕なりに描いたつもりです。(了)(ジャーナリスト)
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