浮世風呂

日本の垢を落としたい。浮き世の憂さを晴らしたい。そんな大袈裟なものじゃないけれど・・・

なぜ日本に在日朝鮮人が寄生しているのか

2014-10-17 11:13:46 | 資料

在日はなぜ帰化しないのか

2014年09月28日 BLOGOS 池田信夫

慰安婦問題はもう終わったが、それを生んだ日韓の歴史問題は解決しない。基本的な事実認識がまだ共有されていないので、補足しておこう。在特会が在日の特別永住資格を「在日特権」と呼ぶのは、それなりに理由があるが、その理由は誤っている。

南朝鮮の公式史観では、大韓民国の建国は1948年ではなく、1919年に上海でできた「大韓民国臨時政府」という亡命政権である。彼らは日韓併合の前から抗日戦争を戦い続けて、1945年の「光復節」で勝利したことになっている。日系ブラジル人の「勝ち組」のようなものだ。

終戦のとき、当時の朝鮮半島は連合国の信託統治になり、1948年に大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国ができた。彼らはサンフランシスコ条約のとき、戦勝国に入れろと主張したが、連合国はそれを認めなかった。

彼らは韓国籍か日本国籍を選ぶことができたが、日本国籍を選ばなかった在日は不法滞在という形になった。このため選挙権・被選挙権がないが、それ以外の権利は「特別永住者」として認められるようになった。これを「在日特権」というのはナンセンスだが、彼らに選挙権を与えろという主張もおかしい。帰化すれば、日本国民としての権利は与えられるからである。

なぜ在日は帰化しないのだろうか。「敗戦のとき日本国籍を自動的に与えなかったのは不当だ」というのが彼らの主張だが、サンフランシスコ条約のとき、戦勝国だと思っていた南朝鮮政府は、在日はすべて日本国籍を離脱するのが当然だと主張した。その後、帰国できない在日の人々が「やっぱり日本人のほうがいい」と言い始めたのだ。

だから日韓がいつまでももめる原因は、南朝鮮のゆがんだ歴史観にある。戦時下の朝鮮人は日本人だったので、在日は日本国籍を取ればよかったのだが、南朝鮮は日本国籍を否定したのだ。その後も、在日のコミュニティの中では帰化は裏切り者とみなされ、日本で生活できなくなるため、彼らは帰化しないでコリアタウンに固まって住んできた。

そのあげく、在日はみんな日本軍に「強制連行」されたという神話をつくって在日を被害者に仕立て上げ、それが嘘だとわかると、90年代に「慰安婦」が出てきた。この経緯は複雑で、南朝鮮の歴史には書いてないし、日本人は関心をもっていない。その結果として「在日特権」の批判と「強制連行」への贖罪が対立しているが、どっちも誤りなのだ。

追記:正確にいうと、サンフランシスコ条約ですべての在日が「朝鮮籍」になり、日韓条約で韓国籍になった。彼らの「国籍が剥奪された」というのは誤りで、日韓政府の合意で一律に国籍を喪失した。

http://blogos.com/article/95387/

◆土居 慎也氏 FBより

在日韓国人一世こと特殊武装部隊の悪行。何故、在日一世は後世に伝えなかったのか。

それは恐らく、韓国の文化である「臭いものには蓋をする。」や韓国人の性質である「都合の悪いことは絶対に言わない。」により継承されなかった。
しかし、民団は10月8日、軍人会のメンバーを集め石碑の撤去を行いこう言った。

民団「在日特殊武装部隊の我が身を犠牲にする精神を継承し、救国せよ。」

在日朝鮮人による戦後の悪行、在日朝鮮人の密造酒の取締りをした税務署員に殴る蹴るのリンチして死亡させていた。因みに孫正義氏の父親も密造酒の取締りで摘発を受けていた。

あれ?軍人会の皆さん、特殊武装部隊の英雄の歴史はどこに?

◆【民団新聞】「在日韓国人が戦後に行った酒密造、税務署や警察との武力衝突は犯罪ではなく生活闘争だった」

(2014.8.15 民団新聞) 

69年前の今日、8・15をむかえた同胞は、日本の地でも「ウリヌン ヘバンテッター!
(私たちは解放された)」と村々で叫び合った。 土地を奪われ、徴用や徴兵に従うしかなかった苦しみからようやく解かれたのだ。しかし、それはまた、日本での働き場を失うことをも意味した。

そこで、くず拾いや物品の買出し・売り出し、濁酒(=マッコルリ)づくりをして食いつなぐことになる。
同胞たちからは濁酒の記憶がよく現れ、断片的には語り継がれている。 
また、敗戦直後は日本各地で連日のように濁酒をめぐる事件があり、新聞記事になっている。  

報道では、おそろしい「密造」事件として語られ、同胞が犯罪集団であるかのようなイメージをつくっている。

そこでは先に述べたような、朝鮮人が失業状態に置かれており、 生活の困窮をしのぐためになされた面が抜け落ちているのだ。日本にいた同胞の8割は帰国を希望していた。だが、すでに土地と生活基盤を失い、政治も落ち着く気配がないために、 帰りたくとも帰れなかった。

よって、なんとか日本で生きる道を探ったのだ。 とくに、1947年におきた神奈川県川崎市における濁酒取締りと税務署員の死亡後に、同胞への摘発がすすめられていく。

この日、仕事を終えた税務署員が、帰り道で数名に囲まれて「税務署員か」と問いつめられた。
「そうだ」と答えると暴行を受け、それが致命傷となって3日後に死亡した。  

大蔵省当局はこの事件を、「不逞の報復」として危険視した(「酒類密造摘発に関する態勢確定の件」)。 
その後、強制送還をも視野に入れて、在日同胞を対象とした「密造」の取締りが開始された。  

横須賀(神奈川県)では同胞女性約30人が警察署に押しかけ、「警察に生活権をおびやかされた」と、署長に会わせなければ野宿でもするとすわりこんだ。

大阪では子どもたちがトラックの前に寝転んで検挙隊の進行を阻止し、女性のヘアー・ピンさえも武器にしてタイヤをパンクさせたのだ。

つまり一部の活動家や男性だけではなく、性別や年齢や学歴をも超えた同胞が主体となって広範になされたのが「濁酒闘争」である。 「ヤミ」をめぐっては1946年、椎熊三郎議員は、朝鮮人・台湾人が「あたかも戦勝国民のごとき態度をなし、 (略)その特殊な立場によって警察力の及ばざる点のあるを利用し、闇取引をなし日本の闇取引の根源は正に今日この不逞なる朝鮮人などが中心となっている」と発言した。

しかし実際には、露店商で検挙されるのは同胞より日本人の方が多かった。そして1949年には、吉田茂からマッカーサー宛てに、日本にいる朝鮮人全員の強制送還さえ提案されていた。  

違反をせねば生きていけなかった当時、同胞たちは生活保障もないままバッシングにあい、生きる途が切り縮められていった。 各地の同胞集住地で取締りにあったとき、多くの同胞が必死に抵抗した。

それは、たんに犯罪や違反の事件群なのではなく、 民衆たちが自らの生活と権利をかけて闘った「濁酒闘争」というべき軌跡である。  

これからも1世が生き抜いてきた営為と歴史を掘り起こし、解きほぐされていない偏見や痛ましい過去を克服していきたい。 それは、3世以降の私たち自身がどのような背景をもって生まれ、 どのような人生を切り開いていくべきかを探究することにもなるだろう。

http://www.mindan.org/search_view.php?mode=news&id=19329 (期限切れ?)
 
◆韓国大統領・朴正煕は在日朝鮮人が密航者である事を公式に認める
(日韓条約批准書交換での談話 ) 
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/JPKR/19651218.S1J.html 

[文書名] 日韓条約批准書交換に関する朴正煕韓国大統領談話 
[年月日] 1965年12月18日 
[出 典] 日本外交主要文書・年表(2),629-630頁 及
「大韓民国外交年表 附主要文献」,1965年629-630頁 
[備 考] 翻訳 玄大松 
[全 文] 大統領談話文(韓日協定批准書交換に際して) 

親愛なる在日僑胞の皆さん! 
そうして私は,日本の空の下で韓国同胞たちが再び分裂して相剋することなく, 
暖い同胞愛の紐帯の中で互いに和睦して親近となり,また幸福な生活を営なむことを
希望してやみません。 

これとともに私は,これまで"分別なく故国をすてて日本に密入国"しようとして抑留され, 
祖国のあるべき国民になれなかった同胞に対しても,この機会に新しい韓国民として
前非を問わないことをあわせて明らかにしておこうと思います。 

再びこうした分別のない同胞がいなくなることを希望しながら,今日からわれわれは 
新しい気持と新しい心構えで,栄えあるわが祖国を建設する働き手とならんことを,
訴えてやみません。 

1965年12月18日 
大統領 朴 正 煕 

http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/JPKR/19651218.S1J.html
 
◆特別永住資格

当初は、この特別永住資格は在日一世とその子=二世にだけ適用されるはずであった。
在日コリアンは、遅かれ早かれ、その母国に帰ると思われ、またコリアンたち自らもそう宣言していた。
(在日一世たちは、いずれこの国、日本からは出て行くのだから、と年金の掛け金を払いませんでした。ですから、年金を受給する資格がないのは、当然のことです。差別でも、なんでもありません)。
 しかし、朝鮮戦争などの勃発により、コリアンは帰国するどころか、密航してでも日本に来るようになってしまった。

――『産経新聞』1950年6月28日には、
「終戦後、我国に不法入国した朝鮮人の総延人員は約20万から40万と推定され、在日朝鮮人推定80万人の中の半分をしめている」 また『朝日新聞』1955年8月18日
「65万人(警視庁公安三課調べ)の在日朝鮮人のうち密入国者が10万人を超えているといわれ……(後略)」
 さらに『朝日新聞』1959年6月16日
「密入出国をしたまま登録をしていない朝鮮人がかなりいると見られているが、警視庁は約20万人ともいわれ、実際どのくらいいるかの見方はマチマチだ」――

 要するに、密入国者の実態は分からないのだ。この後、さらにベトナム戦争の時も、徴兵逃れで日本に密入国した者が多くいたようである。

 で、いつものごとく温情主義の日本は、なし崩しに在日二世以降の子孫にも特別永住資格を与えてしまった。おまけに、密航などによって、日本に入国した難民にまで、どさくさに紛れにその資格を与えてしまった。

 そのため、今や在日四世や、在日五世などという訳の分からない存在まで出始めている。帰化したくても帰化できない密入国者の特別永住者も、相当数に上ると推測される。(犯罪者は、一応帰化できないことになっている)。

 帰国もしない。帰化もしない。外国人なのに、子々孫々まで日本に居座るつもり満々の、鵺のような存在。それが在日コリアンである。
 だから、帰化もしないのに、参政権だけ求める、などという頓珍漢なことになる。
 また、そもそも年金の掛け金を払っていないにも関わらず、今になって年金をよこせと言い出す始末。
 まことに、困ったものである。
 とにかく、在日一世の子孫に生まれれば、外国籍のまま日本の永住資格が得られる。
 他の外国人の一般永住者に比べると、夢のような特権である。

 落ちぶれたりとはいえども、日本は、世界第三位の経済大国で、住みやすさはトップクラスだ。綺麗な空気と飲める水、そして安全がほぼ無料、という国はそう多くはあるまい。
 その永住資格なら、みんな喉から手が出るほど欲しいわけだ。

 コリアンではない、普通の外国人の一般永住者は、素行が善良であること、独立して生計が立てられることなどの条件を満たしていなければ、永住資格を獲得できない。(出入国管理及び難民認定法第22条2項)。
 しかし、コリアンには、そんな縛りはない。事実、独立して生計を立てるどころか、コリアンの生活保護受給者は、異様に多いのだ。
 そんな永住資格を、ただ同然で手に入れられるのであるから、むしろ他の外国人に対する、一種の差別ではないかとさえ思われる。

 さて、戦後の混乱期、在日コリアンが、三国人を自称して暴れ回ってきたことは周知の事実である。
 ここに、不思議な資料がある。姜尚中著「日朝関係の克服」p71~72です。日本赤十字の非公式な文書(「在日朝鮮人帰国問題の真相」一九五六年)。

――朝鮮人の場合は、今迄とは打って変わり、戦勝国民となり、治外法権が認められた。それが彼らにとり、どんなに気持ちよかったかは想像にかたくない。単に精神面に於いてのみならず、物質面に於いても、彼等は日本人が住む家なく、着るに衣なく、飢餓にあえいでいる最中、その特権を利用してあらゆるボロ儲けをすることが出来た。換言すれば朝鮮人にとっては、今迄地獄だった日本が突然天国になったようなものである。――

 ま、姜尚中が、コリアンに不利益になるようなことを書くはずがないから、確かなソースなんだろう。
 姜尚中によると「差別的な偏見」のある記述だそうだが、どの辺が差別なのか、さっぱり見当がつかない。
 どうも、コリアンは、一度!)差別!)とか、!)レイシズム!)とか言ってしまうと、そこで思考停止するようである。

http://melma.com/backnumber_45206/ 
 
◆【要拡散】在日朝鮮人が必死で隠す「君が代丸」の史実を広めよう!

テーマ:日本
【要拡散】在日朝鮮人が必死で隠す「君が代丸」の史実を広めよう!なぜ嫌がるのか?強制連行が真っ赤な嘘である動かぬ証拠だからだ!

Wikipediaに削除依頼があるそうです、消される前に拡散しましょう!
少しでもお手伝いになればと思い、一部転載します。
http://www.news-us.jp/article/297414513.html

中国・韓国・在日朝鮮人崩壊ニュースさんより

*****以下一部転載*****

313 :可愛い奥様 :2012/10/12(金) 01:08:49.67 ID:SiC3R6YM0 

●『在日・強制連行の神話』( 鄭大均著 文春新書)より 
「在日の多くは海峡を自らの意志で越えたのだ。
在日は強制連行されてきた人々とその末裔だとする主張がある。
が、一世の証言に丹念にあたれば、それが虚構にすぎないことが分る」

●『これでは困る韓国』呉善花、崔吉城 1997 より 
呉「在日の人たちにしても、植民地時代も自分の意志で
積極的にきた人のほうがずっと多いんじゃないですか。
強制連行で連れてこられた人たちはほとんど帰ってしまったわけですから。」 
崔「そこはいいポイントです。事実はまさしくその通りなんです。」 
朝鮮人によるマスコミへの卑劣な圧力が無かった頃は、
朝日新聞も大量の密入国者がいる事実を報道してました。

●『朝日新聞 1959年6月16日付』
(「世界」 2000年10月号
戦後日本「在日外国人」の虚像と実像 原尻英樹)より
「密入出国をしたまま登録をしていない朝鮮人がかなりいると見られている」

●『歴史を捏造する韓国 韓国併合と搾取された日本』中川八洋著より 
「GHQは「在日」の朝鮮人の”帰国”に過剰ほどの支援をなして、すべての希望者に帰国のための無料の船便を提供しています。」

徴用を受けた朝鮮人の大半は戦後帰国しました。 
現在日本にいる自称在日朝鮮人のほぼ全てが密航・密入国犯罪者とその子孫です。 
戦前、戦後に密航・密入国してきた凶悪犯罪者なのに、徴用を受けた朝鮮人への特権を詐取するために、 徴用されたと偽る邪悪な朝鮮人密入国犯罪者とその子孫が大勢います。

316 :可愛い奥様 :2012/10/12(金) 01:14:47.20 ID:pRsqZ4ZU0 
>>313に関連して、こんなコピペも… 

【きみがよ丸】 
強制連行がウソであるという動かぬ証拠がきみがよ丸。

在日一世や二世は自分たちのルーツを知っています。 
済州島と大阪を結ぶ定期便の名前が、 【きみがよ丸】だったからです。 
日韓併合時代の済州島民にとってきみがよ丸の名前を知らない人はいなかったでしょう。

この船の名前がおおっぴらになると在日朝鮮人達に何が起こるか。 
強制連行がウソであるという動かぬ証拠がきみがよ丸。 
(この出稼ぎ用の定期航路は大人気で、のちに第二きみがよ丸も就航するほどだった)

・詳しく調べれば、きみがよ丸に乗ってきた 善良な人達はあらかた帰還事業で 帰国したことが解る。

・さらに調べれば、朝鮮戦争当時に日本へ 密入国してきた朝鮮人達がクローズアップされる。 

・もっと調べれば、李 承晩ラインの時に釈放された在日の凶悪犯達のことも 白日の下に晒される。 

・つまり自分たちの先祖達が凶悪犯だらけってのが、実に論理的に判明してしまう。

在日朝鮮人達がなんとしても隠し通したい上記のことを、君が代を聴いたり目にしたりするたびに思い出してしまうから 君が代をあそこまで憎む理由。

在日は君が代のメロディでも歌詞でもなく、 【きみがよ】という4文字を見たり聞いたりするのが何よりもイヤだったのです。 
君が代の出だしを聞くだけで自分たちの祖先が悪人であると思い知らされる。 
それが日本人にばれるんじゃないかと気が気ではない。

318 :可愛い奥様 [sage] :2012/10/12(金) 01:19:08.03 ID:XOsfyrs60 
>>316 
昨日の花時計さんの街宣でもきみがよ丸のこと言ってましたね。
あれはよかったです。 
在日のことをけっこう知ったつもりでいたけど君が代丸のことは知らなかった。 
Wikiに削除依頼出してる人がいることも合点がいくわ。
愛国女性のつどい【花時計】街宣in渋谷 韓国・朝鮮の嘘にご用心! 

(ここからWikipedia「君が代丸」の全文コピペ)

君が代丸
君が代丸(きみがよまる)は、1922年から1945年にかけて日本統治時代の朝鮮の済州島と大阪を結んで尼崎汽船が運航していた貨客船である。
第一君が代丸と第二君が代丸の2代が存在した。
当時、日本と朝鮮半島を結ぶ航路としては、関釜連絡船以外で数少ないものであった。

君が代丸
「第二君が代丸」の船影。

第一君が代丸
「第一君が代丸」は、1891年にオランダで建造された669トンの船「スワールデクールン」(Swaerdecroon)で、尼崎汽船はこの船を1922年(大正11年)に済州航路に投入した。
しかし1925年(大正14年)9月、航行中に台風と遭遇して、人命を優先して済州島に座礁させられた。
1943年(昭和18年)に関西汽船の所有となる。1945年(昭和20年)5月23日大分県姫島付近で、アメリカ軍の飢餓作戦により敷設された機雷に接触して沈没した[1]。

第二君が代丸
「第二君が代丸」は尼崎汽船が座礁した「第一君が代丸」の代船として1925年に購入した、919総トン、全長62.7メートルの船である。
今日「君が代丸」として語られるのはこの「第二君が代丸」である。

第二君が代丸
ロシア帝国軍艦として現役時代の写真。
前身はソビエト連邦政府から購入した軍艦「マンジュール」(ru)で、帝政ロシア時代の1886年に建造された排水量1224トンの砲艦であった。
日露戦争期には太平洋艦隊所属艦として中立の中国にいて、武装解除されていた。
日露戦争後には戦列復帰して、革命後にはソ連海軍でも使用されていた。
なお、仁川沖海戦で沈んだ「コレーエツ」(en)は同型艦。

購入後に大阪で貨客船へと改装し、1926年(大正15年)に大阪-済州島間に就航した。
元軍艦ということで、船首に衝角が突き出した商船としては特異な姿であった。
「第二君が代丸」は既に船齢44年と老朽船の部類に属したが、その後20年間就航した。
昭和20年(1945年)4月、安治川付近にあったところをアメリカ軍の空襲を受け沈没した。
一方、アメリカ海軍の公式年表によると、6月1日の大阪大空襲の際にB-29爆撃機により撃沈となっている[1]。

航海
大阪と済州島の間はおよそ2日の船旅で、大阪を朝出港すると済州島には翌日の夕方に到着するスケジュールであった。
そのまま2日かけて済州島を周回して合計11か所に寄港した。
しかし接岸できる岸壁はなかったため、艀による連絡に頼っていた。

船には甲板上の上等船室と甲板下の下等船室があった。
乗船すると白米の食事が提供され、麦飯を食べるのが普通だった当時の済州島民は驚いたという。
しかし下等船室には多くの旅客と荷物が詰め込まれており、大変不潔な環境であったという。

エピソード
・定員は365人であったが、常に定員の2倍近い人数が乗船したという。

・多くの朝鮮半島からの出稼ぎ者を運んだ。盆・正月には大阪の港は帰省する朝鮮人出稼ぎ者や見送りの家族で溢れたという。

・昭和3年(1928年)4月、済州島住民と運営会社との間で運賃についてトラブルが発生したことがある。
当時「君が代丸」の運賃は12円50銭であり、出稼ぎ女工の日給が1円である時代に「月給の2倍」とも言われた運賃は高額であるとして値下げと船客の待遇改善を要求された。
運営会社側は当初取り合わなかったが[2]、昭和5年(1930年)11月に済州島住人が函館成田商会から「蛟竜丸」を借りて東亜通航組合を設立し、運賃を6円50銭に設定して運航を開始したことから、「君が代丸」もやむなく運賃を3円まで引き下げた。
組合は「蛟竜丸」の賃貸契約終了後は北日本汽船会社から「伏木丸」を購入し運航を開始したが、運賃を低額に設定し過ぎたため赤字が累積し、また既存の定期船に対する営業妨害があまりにも激しかったため警察の取り締まりを受け、昭和8年(1933年)12月1日をもって運航は停止された。

・当時の済州島民にとっては巨大な船に見えたらしく、済州の言葉で大きいことを「君が代丸のようだ」と表現する慣習は第二次世界大戦後も長く残っていた。

脚注
1.^ a b Cressman, Robert. “Chapter VII: 1945”, The Official Chronology of the U.S. Navy in World War II, Annapolis MD: Naval Institute Press, 1999.
2.^ 「鳥でない以上飛んでいけないし 魚でない以上泳いでいけないだろう」との会社側の発言が残っているが、後日低運賃での運航を開始した東亜通航組合が累積赤字で破綻したことを考えると常識的な回答と言える。

参考文献
辛在卿「についての歴史的考察」、『京都創成大学紀要』第7巻、成美大学、2007年1月、 15-28頁、 NAID 110006487152。

関連書籍
杉原達 『越境する民―近代大阪の朝鮮人史研究』 新幹社、1998年。
金賛汀 『異邦人は君ヶ代丸に乗って―朝鮮人街猪飼野の形成史』 岩波書店〈岩波新書〉、1985年。

関連項目 
・ru:Манчжур (канонерская лодка) - 第二君が代丸の前身の砲艦「マンジュール」についてのロシア語版記事。
・生野コリアンタウン
・血と骨

君が代丸 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%9B%E3%81%8C%E4%BB%A3%E4%B8%B8
*****転載以上*****

リンク先にまだまだ貴重な写真がたくさんあります、是非ご覧になってください。

http://www.news-us.jp/article/297414513.html

◆資料発見!在日韓国朝鮮人は戦前から大量密入国をしていた!あの人物の祖父も日本で働いていた!

2013-10-27

在日韓国・朝鮮人による日本密入国は戦後だけの話ではなかった!
貧しい国から富める国に密入国してでも行きたい気持ちは今も変わらない!


 なでしこりんです。在日韓国人は「うそつき」が大変多いと言われています。韓国における「偽証罪」や「誣告罪」は「日本の100倍以上」と言われていますから、韓国人は「うそをつくことに罪悪感を感じていない」ようです。 その点は、在日韓国人もどうやら「血は変えられない」ようですね。今日は、在日韓国・朝鮮人が常日頃から言っている「強制連行」について書きます。

 明治43年(1910年)に「日韓併合」が成り立った直後から、朝鮮人による「日本渡航」が開始されます。最初は「留学」が多かったといいますが、それがやがて「日本なら稼げる」ということで「日本への出稼ぎ」が朝鮮でのブームになります。その背景にあったのが「朝鮮半島での人口増加」です。「日本統治時代35年間」の間に朝鮮半島の人口は「1300万人から2500万人に増加」しましたでしょ。朝鮮半島で朝鮮人が増えると、当然、朝鮮半島での「人余り」が起こりました。 そして、「朝鮮人によるに日本への大量密入国」が始まります。


「以下、戦前のみの密航検挙の記事(一部)」

・『鮮人内地へ密航/発見されて説諭』 大阪朝日 1921/7/15 鮮満 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】

・又も帆船で密航した不逞鮮人四名逮捕さる』 大阪朝日 1922/5/20 〔7/4〕 下関・兵庫 【社会】

・『北鮮から密航の怪鮮人/新羅丸の石炭庫に潜伏』 福岡日日 1922/5/21 〔1/2〕 下関・山口 【渡航】

・『鮮人十名密航』 大阪朝日 1922/7/2 夕 〔2/1〕 下関・山口 【社会】

・『鮮人十名の密航者/京畿丸に潜伏』 京城日報 1922/7/4 〔4/8〕 下関・山口 【渡航】

・福岡・山口 【渡航】・『密航鮮人発見(遠賀郡芦屋町)』 門司新報 1923/11/7 〔1/5〕 遠賀郡・福岡 【渡航】

・『内地密航と取締』 大阪朝日 1923/12/6 鮮満 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】

・『鮮人の内地密航に警戒の眼が光る/釜山水上署の取締』 京城日報 1923/12/20 〔2/5〕 釜山・朝鮮 【渡航】

・『発動船で密航/鮮人九名発見』 福岡日日 1924/2/21 〔1/2〕 下関・山口 【渡航】

・『丗名の鮮人欺されて密航/山口特牛港に』 福岡日日 1924/5/2 〔1/3〕 ・山口 【渡航】

・『五十余名の密航団/難船して露見に及ぶ』 京城日報 1924/5/9 夕 〔2/4〕 釜山・朝鮮 【渡航】

(資料元 http://ccce.web.fc2.com/zm.html

*在日韓国・朝鮮人や左翼は、こういう「密入国」はすっとぼけますからね!ホントずるい連中ですね!

 当時から日本は、アジアの先進国でしたから、「日本に行けばなんとかなる」、「日本で一旗あげる」と考えた朝鮮人も多かったでしょう。ここにわかりやすい例があります。 北朝鮮の金正恩の母親は大阪生まれの「高山あゆみ」こと「高英姫(コ・ヨンヒ)」ですが、高英姫の父親は高沢(コ・ギョンテク)といいます。高沢は、昭和4年(1929年)、彼が16歳の時に日本に入国し、陸軍管轄の大阪の広田裁縫所に勤務しています。高沢は戦後は、日本と朝鮮半島の間の密航船を運営していて逮捕され強制退去処分になりますが、「娘の出世」のお陰で北朝鮮で86歳の天寿を全うしています。当時の「日本と朝鮮」の関係は「アメリカとメキシコ」の関係ですね。在日が盛んに宣伝している「強制連行」という嘘の実態が見えてきませんか?

 さて、朝鮮半島で「日本へ行こうブーム」は加熱していきます。 あまりの朝鮮人の日本流入に対して、昭和9年(1934年)10月に岡田内閣は、朝鮮人の移入によって治安や失業率が悪化したため、朝鮮人の移入を阻止するために「密航」の取り締まりを強化するための「朝鮮人移住対策ノ件」を閣議決定します。「日本に行けばなんとかなる」という漫然と渡来する朝鮮人労働者が激増したため、日本政府も深刻な社会問題として認識していたんですね。以下、資料です。

朝鮮人移住対策ノ件
昭和9年10月30日 閣議決定

朝鮮南部地方ハ人口稠密ニシテ生活窮迫セル者多数存シ之カ為南鮮地方民ノ内地ニ渡航スル者最近極メテ多数ニ上リ啻サヘ甚シキ内地人ノ失業及就職難ヲ一層深刻ナラシムルノミナラス従来ヨリ内地ニ在住セル朝鮮人ノ失業ヲモ益々甚シカラシメツツアリ又之ニ伴ヒ朝鮮人関係ノ各種犯罪、借家紛議其ノ他各般ノ問題ヲ惹起シ内鮮人間ニ事端ヲ繁カラシメ内鮮融和ヲ阻害スルノミナラス治安上ニモ憂慮スヘキ事態を生シツツアリ 

朝鮮南部は人口が密集し、生活に困る者が多数存在し、このため南朝鮮から内地(日本)に渡航する者が最近は多い。ただでさえ、内地での失業や就職難であるのに(朝鮮人の日本への渡航はその状況を)、いっそう深刻化させるのみならず、以前から内地に在住している朝鮮人の失業さえもますますひどくさせている。またこれに伴って、朝鮮人関係の犯罪、借家紛争の他にもさまざまな問題を引き起こし、内地と朝鮮の人間の間での事件も増え、「内鮮融和」を阻害するのみならず治安上でも憂慮すべき事態を生みつつある。

朝鮮人移住対策要目
三、朝鮮人ノ内地渡航ヲ一層減少スルコト (朝鮮人の日本渡航をさらに減少させよ)
(一)朝鮮内ニ於ケル内地渡航熱ヲ抑制スルコト (日本への渡航熱を下げよ)
(二)朝鮮内ニ於ケル地元諭止ヲ一層強化スルコト (地元(朝鮮)で渡航説得を強化せよ)
(三)密航ノ取締ヲ一層厳重ニスルコト (密航の取締りをさらに厳重にせよ)

*全文ハ「国立公文書館所蔵公文別録」ヲ参照ノコト 
http://rnavi.ndl.go.jp/politics/entry/bib00103.php

 在日韓国・朝鮮人にとっての「日本近現代史の捏造」はズバリ、「在日韓国朝鮮人の密入国犯罪隠し」であり「出自隠し」ですね。 そして、「日本人に加害者意識」を植え付ければ「金にもなる」わけです。 でも「事実」を見れば、貧しい国の人間が富める国を目指すのは今も変わらぬ「自然の摂理」ですよね。 日本国内ですら失業が多かった時代に「わざわざ日本語も満足できない労働者を強制連行する必要があったのか」という視点に立てば、「在日韓国・朝鮮人の強制連行の嘘」が見えてきませんか?  
By なでしこりん

http://ameblo.jp/fuuko-protector/entry-11651774720.html?fb_action_ids=505715646190903&fb_action_types=og.likes&fb_source=other_multiline&action_object_map=%7B%22505715646190903%22%3A282545638537312%7D&action_type_map=%7B%22505715646190903%22%3A%22og.likes%22%7D&action_ref_map=%5B%5D



朴槿恵が「歴史と向き合わない国に未来はない」と言う。ならばよろしい②

2014-10-17 10:05:54 | 資料

◆南朝鮮の文化 

★新婚初夜覗き 

新婚初夜覗き(しんこんしょやのぞき)とは、新婚初夜の寝室を覗き見する韓国の伝統的な風習である。
南朝鮮語では、シンバンヨッポギ(신방엿보기)という。

シンバン(新房)とは新婚夫婦の初夜の寝室のことで、ヨッポギは覗きという意味である。

南朝鮮では伝統的に、新婚初夜には親戚や近所の人々が
寝室の障子に穴を開けて中を覗き見する習慣があった。 

覗きの習慣が生まれた理由については、早婚が盛んだったため幼い夫婦が失敗しないように見守るためであるとか、新婚夫婦を悪鬼から守るためなどといわれている。

最近では住宅事情の変化などにより、覗きは行われなくなってきている。 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%A9%9A%E5%88%9D%E5%A4%9C%E8%A6%97%E3%81%8D 
★南朝鮮の新郎いじめ 

新郎扱い(しんろうあつかい、신랑다루기)は、新郎を集団でいじめる南朝鮮の伝統的な風習である。 

結婚式の後で新郎が新婦の家に初めて行った時に、新婦の親戚や近所の人達が集団で新郎を取り囲み、肉体的精神的ないじめを行う。

地方によって、いじめ方が違うが、次のようないじめが行われる。

新郎の足首を縛って、逆さ吊りにして、棒で足の裏を殴り続ける。
ひどい場合には、殴られた新郎は歩くのが難しくなることもある。

また、新郎に漢詩を作れと強要し、下手だとケチをつけて馬鹿にする。
新婚夫婦の性的な事を根掘り葉掘り問い詰めたり、あれこれと質問責めにする。

宴会の金を持ってこいと言う。などのいじめが行われる。 
そうするうちに、新婦の家で料理や酒を持ってくると、いじめをやめて宴会となる。
現代では披露宴の会場でいじめが行われることもある。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E5%9B%BD%E3%81%AE%E6%96%B0%E9%83%8E%E3%81%84%E3%81%98%E3%82%81 

★シバジ 

シバジ(朝鮮語:씨받이)とは、朝鮮半島において、李氏朝鮮中期以来存在した風習の一つで、家の跡継ぎとなる男子を得るために、子供を生むための女性を雇うこと。

また、それに従事する女性をさす。現代においての代理母と似た概念である。
日韓併合後に禁止された。 

씨(シ)が「種」を、받이(パジ)が「受けること(もの)」を意味することから、日本語で「種受け」と訳されることがある。なお、動植物の採種も同じ語で表すことがある。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%90%E3%82%B8

★試し腹 

父親が自分の娘が妊娠できるかを確認する為に、性行為をして孕ませる行為。 

昔の朝鮮では 父親の権利が絶対だそうです。
女は女房でも 娘でも奴隷扱いだったそうです。 

嫁に出す娘が、確かに妊娠できる事を証明するために親兄弟で強姦して妊娠した状態で嫁に出す。生まれる子供は奴隷身分。 大人まで生き延びる確率も少ない 

生まれてこなければ良かったとの苦しみの一生を過ごすことになる。 

「女は子を産む道具でしかない」朝鮮では、 「道具(女)が不良品(不妊症等)であってはならない。 

故に、『これこの通り、妊娠できる体でございます』ということを証明するために、 「種男」という男に娘を犯させ、妊娠した状態で輿入れさせる」。 

これを「試し腹」と言います。 

産まれてくる子供は、当然夫の血を引いていないため、妻と同じ奴隷的な身分しかなく、 結婚はおろか大人になるまで成長する者も稀だったと言われています。 

自分の娘を血縁の近い男(兄や叔父)に妊娠させて、妊娠できる女と証明させて 嫁がせる儒教思想が暴走した悪しき習慣だそうです。

★奴隷制度  

は品物のように売買・略奪・相続・譲与・担保の対象になった。  

かれらはただ主人のために存在する主人の財産であるため、主人が殴っても 犯しても売り飛ばしても、果ては首を打ち落としても何ら問題はなかった。 

それこそ赤子の手を捻るように、いとも簡単に主人は碑女たちを性の道具にしたものであった。奥方たちの嫉妬を買った碑女は打ち据えられたり、 ひどい場合は打ち殺されることもあった。  

外観だけは人間であるが主人の事実上の家畜と変わらなかった碑女たちは、 売却・私刑はもちろんのこと、打ち殺されても殺人にならなかったといい、 

韓末、水溝や川にはしばしば流れ落ちないまま、ものに引っかかっている 年頃の娘たちの遺棄死体があったといわれる。 

局部に石や棒切れをさしこまれているのは、いうまでもなく主人の玩具になった末に 奥方に殺された不幸な運命の主人公であった。

★李氏朝鮮時代の身分制度 

この時代(1392年―1910年(ただし、1897年からは「大韓帝国」であったが、実体は李氏朝鮮時代))の身分制度も高麗時代のものを継承した。 

身分は、大きく「良民」と「」に分かれる。 

「良民」とは、自由民であり、納税、国役の義務を負い、 さらに「両班(文班、武班)」、「中人(下級役人、技術官など)」、「常民(農民、商人、職人)」に分けられた。 

「」は「奴隷―」と「白丁(ペクチョン)(動物のに従事する者)」、 「才人(広大ともいう)(芸人)」、「官妓(役所に所属する酌婦)」、 「牽令(キュンエン)(牛・馬を引く者)」、「砲手(猟師)」、「水尺(スチョク)(狩猟民)」、「駅卒(駅の使用人)」、「巫女」、「僧侶」など多岐にわたっていた。 

「」は「―国家に所属するもの」と「―個人に所属するもの」に分けられていた。 

さらには「、」「」とも「入役」と「納貢」とがあった。 

「入役」は、国の労役や主人の雑役に従事しなければならないが、 「納貢」は国や主人から独立の生計を営みながら一定の身貢をする義務があった。 

「」は売買、贈与、相続の対象となった。

つまり、財物として扱われていた。 
父母の一方がの場合は、子もとなった。

「両班」が罪を犯し「」になったり、 「」が軍功などで「中人」、「常民」になったりすることもあったが、 極めてまれで身分間の移動はなかった。 

豊臣秀吉の朝鮮征伐
(文禄の役(1592年―朝鮮では壬辰倭乱(イムジンウェラン)・慶長の役(1596年―朝鮮では 丁酉再乱(チョンユウチェラン))のときに、

ソウルの王宮(景福宮)が放火され炎上したが、 これは日本軍のものではなく(朝鮮では日本軍が放火したと捏造している)、が登録簿を滅失させるために行ったものである。

日本の名誉のために当時の文書から引用する。 
「城中を観望すれば、火起こりて煙焔天に漲る。 蓋し乱民先ず、堂隷院刑曹を焚く。
その公の文籍在る所を以ってなり・・・・」 
(朝鮮史第四編第九巻宣王25年4月30日)。 

奴婢制度は、1894年の甲午改革で廃止されるまで続いた。

しかし、なかなかその偏見は収まらず、 現在でも「五姓」といっての子孫とされる「姓」があり、結婚・就職などの障害が見られる。 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 
★マリ・ニコル・アントン・ダブリィ主教「韓国事情」 

「半島の両班は、まるで支配者か、暴君のごとくふるまっている。
両班は、金がなくなると、 使者を送って商人や農民を捕えさせる。

その者が手際よく金を出せば釈放されるが、 出さない場合は、両班の家に連行され投獄され、 食物も与えられず、両班が要求する額を支払うまでムチ打たれる。

両班の中で最も正直な者たちも、 多かれ少なかれ、自発的な借用の形で自分の窃盗行為を偽装するが、それに欺かれる者は誰もいない。 

なぜなら、両班たちが借用したものを返済したためしが、いまだかつて、ないからである。 

彼らが農民から田畑や家を買うときは、ほとんどの場合支払いなしで済ませてしまう。
しかも、 この強盗行為を阻止する守令は一人もいない。」

★スウェーデン人 アーソン・グレブスト 

李氏朝鮮の残酷な死刑や拷問に対して「こんな状況がまだこの地球の片隅に残されていることは、 人間存在そのものへの挑戦である。 

とりわけ、私たちキリスト教徒がいっそう恥じるべきは、異教徒の日本人が半島を手中にすれば真っ先にこのような拷問を廃止するだろうということだ」  

★アメリカの鏡・日本 ヘレン・ミアーズ 

「悲劇の朝鮮」 「朝鮮は古くから支那の属国だった。
国を統治する王家はあったが、彼らは支那朝廷に朝貢し、外交政策は中国に指導を仰いでいた。」 

★フランス人宣教師 シャルル・ダレ(韓国事情・平凡社東洋文庫)

1871 年から、1872年にかけて、驚くべき飢餓が半島を襲い、国土は荒廃した。
あまりの酷さに、西海岸の人々のなかには 、娘を支那人の密航業者に1人当たり米1升で売るものもいた。

北方の国境の森林を越えて遼東半島にたどり着いた何人かの朝鮮人は、惨たらしい国状を絵に描いて宣教師達に示し、「どこの道にも死体が転がっている」と訴えた。

しかし、そんなときでさえ、 半島国王は、支那や日本からの食料買入れを許すよりも、むしろ国民の半数が死んでいくのを放置しておく道を選んだ。」 

http://sound.jp/sodaigomi/dorei/kankoku/tamesihara.htm

★朝鮮の食糞文化  *閲覧注意
朝鮮の食糞文化とは、親の大便を息子が嘗めることを孝行として褒め称える、
朝鮮民族特有の文化・風習、および、人糞を利用して料理を作りそれを飲食する文化・風習。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AE%E9%A3%9F%E7%B3%9E%E6%96%87%E5%8C%96

★嘗糞(しょうふん) *閲覧注意
嘗糞(しょうふん、サンプン、상분)とは、人間の糞を舐めて、その味が苦ければその人物の体調は良くなっており、甘ければ体調が悪化していると判断する、古代中国や朝鮮半島の李氏朝鮮時代まで行われた民間療法。儒教では孝行の一種とされている。

★朝鮮での嘗糞の実際 
朝鮮では、6年以上父母の糞を嘗めつづけ看病し、病気を治した孝行息子の話などの記録があり、指を切って血を飲ませる「指詰め供養」(断指)や内股の肉を切って捧げる「割股供養」などと共に、親に対する最高の孝行の一つとされた。 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%98%97%E7%B3%9E 

★トンスル *閲覧注意
トンスル(똥술)は、韓国で飲用される人、犬、猫、鶏などの糞に漬け込んだ薬用酒。人糞酒。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%AB 

★朝鮮時代のソウル市内は汚物まみれ、衛生状態が深刻だった=南朝鮮
(サーチナ 2012/10/11 10:38) 
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=1011&f=national_1011_014.shtml 

ソウル大医科大学・シン・ドンフン教授の研究チームは10日、「景福宮の塀、光化門広場の世宗大王銅像の下、市庁舎付近、宗廟広場などソウル四大門の重要なポイントの朝鮮時代の地層から、各種の寄生虫の卵が発見された」と
明らかにした。複数の南朝鮮メディアが報じた。 

★食べ物だけでなく、武器もウンコだった。 

【噴水台】人糞 | Joongang Ilbo | 中央日報 2010年08月20日17時42分 
http://japanese.joins.com/article/303/132303.html 

…朝鮮民兵の武器だった糞砲と金汁がその例だ。 糞砲は器にためておいた糞尿を竹の筒に入れて城の下の敵に噴射した。 金汁は人糞を濾して1年ほど腐らせたもので、毒性が非常に強く臭いが強烈だったという。 

★現代の南朝鮮人は、人糞をまいて意思表示  *閲覧注意

http://i.imgur.com/T5Ty4AP.jpg
http://i.imgur.com/Niknvli.jpg
http://i.imgur.com/0Ev3HRd.jpg
http://i.imgur.com/msadigj.jpg

★【噴水台】人糞 | Joongang Ilbo | ⓒ 中央日報/中央日報日本語版] 
2010年08月20日 
http://japanese.joins.com/article/303/132303.html 

「 人糞を治療用として食べた記録も見られる。 
『東医宝鑑』は、自ずと死んだ鳥や獣の肉を食べて中毒になった時、人糞汁を食べさせればよいと書いている。 毒キノコ中毒になった時、人糞を一升食べさせるという記録もある。 

むちにひどく打たれて重い病気にかかった人に人糞を食べさせる秘方もあった。 
昔の歌歌いがのどを通すために人糞を濾した糞水を飲んだというのはよく知られている話だ。 
最近ではパク・ドンジン、イム・バンウルなどの国楽人もそうだという。」 

何もかも日本を真似て、定着すると朝鮮起源と言い出す泥棒国家。海苔も海苔巻きも朝鮮起源と言うが、海苔や海草類を朝鮮人は消化出来ない。消化出来るのは世界で唯一日本人だけというのが、それを証明している。古代から日本人だけが海草類を食用にしたために、日本人だけが腸に消化バクテリアを持つ。大陸起源の朝鮮人には存在しない。それなのに、日本人は朝鮮人起源という大嘘を吐く。近代の文献すら持たない国の想像力は、周囲の国の歴史を盗むしか満足させられない盲腸のような民族だといえる。切って捨てるしかない。

◆世界史最大のミステリーは李氏朝鮮

・暦が無い
・木の加工技術が無い
・染料が無い
・農耕具も無い
・車輪等の運送技術も無い
・四則演算以上の数学もない
・漁業関係の技術も無い
・商店禁止

こんな状態でどうやって文明を維持したのか意味不明すぎる。

李氏朝鮮時代に染め物の技術が無く、庶民や奴隷は白い布で作られた衣服しか着ていなかった。両班は中国から買った布で作られた色つきの衣装が買えたのだが、貧しい両班もやはり白い布の衣装が多かった。

日本に併合されて染め物の技術や文明的な日用品が入ってきて、日本と同じように、近代的な服を着るように奨励した。

ところが、何もかもが反日的悪意に解釈する韓国人は、この奨励した近代文化を、朝鮮の伝統的な白衣民族の文化を抹殺するために、日帝が強制したと報道している。

【植民支配時代の白衣民族抹殺政策示す1930年代の写真を発見】

http://japanese.joins.com/article/469/66469.html?sectcode=&servcode=200

南朝鮮が起源を語る李朝白磁は560~570年代の北斉(支那)に遡る。北宋時代の定窯で、白磁の名品が多く作られた。
1000年ごろ、景徳鎮にて微量の鉄分を含む釉薬で焼く、青白磁(青影)が盛んに作られ、東アフリカまで輸出されるようになる。

白磁の製造技術が日本に伝来したのは、16世紀ごろと言われ、文禄・慶長の役に際し、朝鮮半島から来た陶工によってもたらされたという定説になっているが、それ以前に各地の窯業地で粗製の白磁の生産が試みられている。
当時の状況として、白磁の技術は、染付の素地としてもっぱら利用されるようになった。

朝鮮が白磁に拘ったのは、衣服の白と同様に、染色や色彩を出す材料などの知識を持たず、単に色を付ける技術が無かっただけ。
朝鮮の伝統的な白衣民族の文化などと言って誇っているが、両班からして色づけの知識も技術も持っていなかった。

李朝時代は、ご存知の通り両班・上人・中人・下人・白丁などの身分制度が厳しく存在していた。

白丁などは日本でいう民かの扱いだった。
両班や上人が歩くと、すれ違うその他の身分の者は道端で叩頭して見送ったのだ。

日本が併合してからは、そのような身分制度を改めさせた。日本国籍を付与された朝鮮人の内で、貧しい暮しをしていた下人・白丁達は差別されてきたその土地を離れて日本に渡ってきた。

済州島の人達も、昔から朝鮮本土から差別されてきたが、日本人になってから大勢の人が渡って来たのである。

今でも在日朝鮮・南朝鮮人は済州等出身者の子孫が最も多いといわれる。

下層民系というのは、以上のような出身者を指していると思われる。両班(ヤンバン)達は金持ちで働かず、下層民からの搾取で楽な暮らしをしていたので、その子弟は上級学校に進むために内地に来る程度であった。日本の医師の資格を取ってそのまま内地で開業・定住する人も多くいた。

土井たか子の祖父なんかもそのケースだと思われる。
戦後の一時期、医者不足が言われた頃に、日本の医師資格を持っている老医師達が南朝鮮から随分渡ってきたことがあったが、戦前にもそのような歴史があった。ドラマ「おしん」でも見られたように、日本の田舎はやはり貧しかったのだ。

しかしながら、実態としては、現在の在日達の殆ども日本併合前は貧民だった人々の子孫だと言えるだろう。

◆「朝鮮」という国名の由来

「朝鮮」の由来は
「朝貢物」の「少ない」国、
という意味アル。 

朝鮮の由来は朝日の鮮やかな国だと
朝鮮人は信じているようアルが、それは違うアル。 

「鮮」(第3声)=古代漢語で「少ない」の意味アル。 
「鮮」(第1声)=「鮮やか」の意味ではないアル。 

中国語の「朝鮮」国の発音は
「Chao(2声)xian(3声)」であり、 
朝貢物が少ない国
=荒れ果てて貢物が何もない国だ、
とつけられた蔑称アル。 

(※「朝の鮮やかな国」の意味であれば
「Chao(2声)xian(1声)」となるアル) 

朝鮮人と呼ばれるのが差別
と言ってるのは 
あながち的外れじゃないわけかw 

http://www.news-us.jp/article/377385632.html

◆朝鮮型精神分裂病の遺伝的要素を発見

2005年01月23日 [ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]

西洋の人にはなく、朝鮮人の精神分裂病患者にのみあらわれる遺伝子の変移が、南朝鮮内の研究陣によって確認された。 

蔚山(ウルサン)医大・ソウル峨山(アサン)病院の宋奎暎(ソン・ギュヨン、生化学科)、金昌潤(キム・チャンウン、精神科)教授らは23日、精神分裂病の患者320人と正常な人379人を対象に、体内のCOMT(カテコール-0-メチル基転移酵素)遺伝子の一塩基変異多型(SNP、特定遺伝子の変移)を調べたところ、72番のアミノ酸が「アラニン」から「リン酸」に変わる場合、精神分裂病の危険性が高まることが分かった、と発表した。 

今回の研究結果は、遺伝体研究分野の米学術誌「ヒューマンジェナティックス」(Human Genetics)の今年1月号に掲載された。

http://japanese.joins.com/article/855/59855.html?sectcode=&servcode=

◆鮮人の遺伝子の特徴について 

米人類学者Cavalii-Sforzaの遺伝子 勾配データによれば、 朝鮮人は世界でも類を見ないほど 
均一なDNA塩基配列の持ち主であり、これは過去において大きな Genetic Drift(少数の人間 
が近親相姦を重ねて今の人口動態を形成)か、あるいは近親相姦を日常的に繰り返す文化の持ち主だった事を 
表します。 
(文献:The Great Human Diasporas: The History of Diversity and Evolution. 
1995.. Luigi Luca Cavalii-Sforza and Francesco Cavalli-Sforza. Addison Wesley Publ. ISBN 0-201-44231-0) 

朝鮮では、昔から若くて綺麗な娘達は中国に献上されていたので、女性が足りず近親相姦が繰り返されてきた。 
遺伝子レベルで見ても「父と娘」「母と息子」が結ばれないと出来ない遺伝子が大多数見つかっている。 

umiushiakaiドイツで人類のゲノム解析やってる大学教授の話 
朝鮮民族は近親相姦の物と思われるゲノム上の痕跡(修正不能)が多すぎて、他の民族では考えられない異常な 
近親相姦を、民族として繰り返してたと思われるあまりにショッキングで常軌を逸した内容なので、そのゲノ 
ムの発表は出来ない。 
また、朝鮮人男性の40%に発症すると言われる統合失調症も、それが原因である可能性が大きい。 
異常な民族と言わざるを得ない。

◆倉山満南朝鮮人の歴史観はすべてファンタジー」

2013.11.11 日刊SPA!

「南朝鮮人の歴史観はすべてファンタジー」と斬り捨てるのは、待望の新刊『嘘だらけの日韓近現代史』を脱稿したばかりの憲政史家・倉山満氏。中でも“最も笑える妄言”を3つ挙げてほしいと乞うたところ、次のようなミもフタもない回答が(笑)。

▼笑止!倉山氏が選ぶ「韓国の妄言」ワースト3

1.独立国だと思っていること

「韓国が自立しようとしたのは、’70年代の朴正煕政権時の1度きりです。現実的な思考ができる軍事政権下でのみ韓国は正気を保てるのですが、文官政権になると元の木阿弥」

2.文明国だと思っていること

「朝鮮国王という特権階級は、漢字が読めない自国民を見下し、話の通じる中華帝国のほうこそ同属と考えていた。そんなヤツらを文明国と呼んでいいものでしょうか」

3.大国だと思っていること

「ワールドカップで4位になったから『世界経済のトップ4になろう』みたいな発想の飛躍はお手の物。スポーツにかこつけて大国を気取る困ったクセがある」


「韓国という国は、2000年の歴史の中で常に『中華帝国の第一の子分である』ということにのみアイデンティティを置き、自助努力で独立しようという意思も能力も見せることがなかった。日韓併合が許せないと言いますが、それでは当時、現実的にどんな選択肢があったのかと聞けば『アメリカの植民地になりたかった!』と力説したりしますからね(笑)。独自の王朝を持ってはいても、独立国家の要件をまるで満たしていない。国というより単なる地名です」

 それゆえに、日本には倭の時代から「中国への通り道」と見なされ、中国からは「単なる一部」扱い。そのコンプレックスが誇大妄想を生み出しているのだ。

「『大国であってほしい』と『大国である』の区別がつかない哀れな人たちなので、言うことにいちいち腹を立てても意味がありません。それに、日本と韓国の仲が悪くなっても中国と北朝鮮を喜ばせるだけ。ネットの嫌韓派には、韓国憎しのあまり『韓国を南朝鮮と呼ぼう』なんて人もいますが、韓国を南朝鮮と呼ぶのは北朝鮮の公式見解。アナタは北の回し者ですか?と問いたいですね」

 とはいえ、厄介な隣人である韓国に事あるごとに難癖をつけられる日々に、いい加減ウンザリしている日本人も多いだろう。このままヤラれっぱなしというのもシャクにさわる。

「『反日』は韓国の国是ですが、戦前、例えば、日韓併合が進んだ昭和19年には、日本の戦勝映画が流れると映画館中が大喜びするほど朝鮮人は親日になっていました。あたり前です。一緒に戦争を戦っていたわけですから。そのために、敗戦後に『反日』を出発点に国づくりを行うしかなかったというジレンマがあるのです」

 韓国人は「反日お国自慢歴史観」で学ぶほど、その矛盾が露呈するという。

「そもそも抗日闘争を建国の理念とすれば、スターリンが指導していた抗日パルチザンである金日成を英雄視するしかありません。テロリズムを賛美し、北朝鮮という敵国の指導者が自分たちを正統に支配する権利を持っていることになる。一方の韓国初代大統領である李承晩はアメリカで独立運動と称してカンパを集めて遊んでいただけです。連合国に参加したわけでも自力で戦ってソウルを解放したわけでない。何ひとつ英雄らしい行動をとっていないのです」

 これこそが「韓国が抱える闇の深奥」である、と新刊『嘘だらけの日韓近現代史』でも指摘されています。

「韓国が反日なのは仕方がありません。そういう人たちだと思って付き合うしかない。しかし、隣国だから仲良くしよう、好きになる努力をしようなんてのも間違い。ASEAN諸国のように、普段は仲が悪くても、中国という共通の敵が現れると『大嫌いなアイツとも手を組まねばならない』と一致できる。韓国が反日である状況を喜ぶ国があることも考えねばなりません」

 格下の韓国を叩くだけの幼稚なナショナリズムに耽溺せず、中国やアメリカにも毅然と立ち向かう――これぞ、真の国士たるものの態度なのかもしれない。 <取材・文/日刊SPA!取材班 撮影/岡戸雅樹>

http://nikkan-spa.jp/534592

 ◆中国・上海に残る史跡「大韓民国臨時政府」 韓国人観光客に人気

2013/08/17  産経新聞 iza

 【上海=河崎真澄】1910年の日韓併合に反発した韓国の独立運動家らが、当時の中国の支援を受け上海市内の旧フランス租界で19年に樹立宣言した「大韓民国臨時政府」の史跡が上海を訪れる韓国人観光客の人気スポットになっている。

 朴槿恵(パク・クネ)大統領が6月の訪中時に、改めて対中関係の強化を打ち出したこともあり、臨時政府の史跡は「このところ韓国人の中国観光の目玉になった」(上海の旅行会社)という。

 30代の女性観光客に感想を聞くと「私はコリアに誇りを持っている」と満足そう。50代の男性は「この大韓民国臨時政府の存在は韓国人なら知らぬ者はいない」と言う。建物は記念館として整備され、当時の資料が展示されている。

 臨時政府は戦況に応じて上海から南京や広州、重慶などに移った。臨時政府が初代の大統領に選出した李承晩(イ・スンマン)(1875~1965年)が朝鮮半島を統治した日本からの解放後も、韓国で48年から60年まで初代大統領を務めた。

 韓国政府は臨時政府の正統性とその継承を主張しているが、臨時政府は当時、国際的承認は得られていなかった。

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/china/677347/



「資金集めにヌード写真を売って」大韓民国臨時政府って朝鮮人のポルノ写真の販売団体?