浮世風呂

日本の垢を落としたい。浮き世の憂さを晴らしたい。そんな大袈裟なものじゃないけれど・・・

日本を破壊する米国企業の手先 竹中平蔵

2014-06-05 07:22:22 | 資料

竹中平蔵氏が旗振り 人材会社を潤わす「300億円」助成金

2014年6月4日 日刊ゲンダイ

労働移動という名目でリストラ促進

 これも人材派遣最大手のパソナによる政官接待の成果なのか──今年3月から大幅拡充された「労働移動支援助成金」が注目を集めている。この制度で多大な恩恵を受けるのがパソナだからだ。

 労働移動支援助成金は、従業員の再就職を支援する企業に国がカネを出す制度。それまでは転職成功時に限って上限40万円の補助金が出たが、これを改め、転職者1人につき60万円まで支払われることになった。しかも、仮に転職が成功しなくても、従業員の転職先探しを再就職支援会社に頼むだけで10万円が支払われる。この制度拡充を主張したのが、パソナ会長であり、産業競争力会議のメンバーを務める竹中平蔵慶応大教授だった。

「労働力の移動と言いますが、要はリストラ促進助成金です。従業員をクビにすると助成金を受け取れる。昨年3月に開かれた第4回産業競争力会議で、竹中氏は『今は、雇用調整助成金と労働移動への助成金の予算額が1000対5くらいだが、これを一気に逆転するようなイメージでやっていただけると信じている』と発言しています。その言葉通り、労働移動支援助成金は、本当に2億円から一気に300億円に増えた。この巨額の税金が、人材サービス業のパソナなどに流れ込むわけです。これが自社への利益誘導でなくて何なのでしょう」(元法大教授・五十嵐仁氏=政治学)

 労働移動支援助成金に150倍の予算がついた一方で、収益悪化などで従業員を一時的に休業させる際に、事業主が支払う賃金や手当の一部を国が助成する「雇用調整助成金」は、1175億円から545億円に減らされてしまった。従業員を無理して雇い続けるより、さっさとリストラした方がお得だと、国が勧めているようなものだ。

「企業によっては、社員の『追い出し部屋』をまるごと人材ビジネス会社に外注しているところもあります。そこでの業務は、自分の再就職先を探すこと。そんなリストラ策にも助成金が落ちる。新興企業が事業を拡大する時には、政治とのいかがわしい関係が表面化することが多いのですが、安倍政権で急速に進められている雇用の規制緩和は、ことごとくパソナの利益になるものばかり。あまりにロコツで、状況証拠でいえば、いつ汚職事件に発展してもおかしくありません」(五十嵐仁氏=前出)

 これだけのスキャンダルなのに、大マスコミはなぜ口をつぐんでいるのか。それも奇妙だ。

http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/150691


竹中平蔵氏に国家戦略特区諮問会議委員の資格はあるのか?

昨年12月6日、参議院内閣委員会で国家戦略特区が議論されました。そのとき、日本共産党の山下芳生参議院議員は、次のように述べています。
 「…反対理由の第二は、戦略特区地域の指定、特区計画の認定、雇用ガイドラインの検討など、要とされている戦略特区諮問会議に、総理、官房長官などとともに解雇特区や雇用の規制緩和を強力に主張する今や派遣会社最大手パソナ会長となっている竹中平蔵氏など、財界人の起用が進められようとしていることであります。
 私の本会議質問でも、竹中平蔵氏の起用について、菅官房長官は決して否定せず、根拠なく、利害のあるテーマの際には外し公正中立に行うなどと根拠も担保もなく述べましたが、法人税や労働法制の規制緩和などのたびに外すことなどできるわけがありません。…」

by坪内 隆彦氏

◆労働者を食い物にする経営者・政治家・御用学者 

5月 29th, 2014 by 月刊日本編集部.五十嵐 仁

 労働側を排除して労働政策を決めるしくみ
── 安倍政権では、再び労働分野の規制緩和が加速しています。
五十嵐 規制緩和は多様な働き方ができるようにすることであり、労働者にとってもメリットがあると説明されています。しかし、仮にそうであるなら、なぜ労働者の側から規制を緩和してほしいという要望が出てこないのでしょうか。
労働分野の規制緩和は、これまで一貫して経営側から提案されてきました。それは、労働者を「使い捨て」にできるようになるからです。実際には、労働者にとってメリットがあるわけではなく、雇用は不安定になり、賃金が減少していくことになるでしょう。
労働政策に関する重要事項を審議する労働政策審議会は、労働者を代表する者、使用者を代表する者、公益を代表する者の三者で構成されています。これは国際労働機関(ILO)が示している基本的な枠組みで、当事者である労働側にとって不利益な政策を決められないようになっているのです。しかし、この三者構成原則を無視し、労働側の抵抗を突破するための仕組みが作られました。労働側を排除して経営側の意向を取り入れる形で政策的な大枠を決め、その後に労働政策審議会に降ろすというやり方がとられるようになったからです。
すでに小泉政権時代に、経済財政諮問会議で労働の規制緩和が議論され、「骨太の方針」が出されるようになりました。従来の労働政策審議会や国会での議論をバイパスして諮問会議で大枠を決めてしまったのです。
清水真人氏の『経済財政戦記』には経済財政諮問会議での竹中平蔵慶応大学教授の手法が書かれています。まず、事前の「裏戦略会議」で入念に仕込んだ民間議員ペーパーで切り込み、議論が二歩前進、一歩後退しながら熟してくると「竹中取りまとめ」で後戻りできないようピン留めし、最後は「小泉裁断」で決着させるというやり方です。この民間議員ペーパーを起草していたのが、政策研究大学院大学教授の大田弘子氏でした。
竹中氏は小泉内閣で規制改革を進めて人材ビジネスを拡大させ、人材ビジネス会社であるパソナが急成長した後に自ら会長として乗り込みました。「政商」というか「学商」というか、まったく恥知らずだと思います。経営者と政治家と御用学者が労働者を食い物にしている。ビジネス・チャンスを拡大して利権に食らいつく「悪徳商人」そのものです。

── 労働政策を研究する学者にも新自由主義は浸透しているのでしょうか。
五十嵐 残念ながら、新自由主義的な考え方の学者は増えています。規制改革会議の委員で雇用ワーキング・グループの座長になっている鶴光太郎慶応義塾大学教授などは典型的な御用学者です。
竹中慶応大学教授も第二次安倍政権で復活してしまいました。竹中氏は麻生太郎副総理らの反対もあって経済財政諮問会議のメンバーになれませんでしたが、産業競争力会議の委員になり、自ら国家戦略特区の構想を打ちだして諮問会議の民間議員にも選ばれました。一方、大田弘子氏は規制改革会議の議長代理として送り込まれています。

 労働者いじめは企業のためにもならない
── 労働者を保護するためには一定の規制が必要です。
五十嵐 規制それ自体はすべて悪でもなく、すべて善でもありません。必要な規制は維持しなければなりませんし、時には強めなければならないこともあるでしょう。
韓国の「セウォル号」の沈没事故の原因はいろいろ指摘されていますが、安全運航のために必要な規制がきちんとなされず、行政による管理や監督が十分できていなかったことも大きな原因ではないかと思います。日本でも高速ツアーバスの事故が起きましたが、規制緩和による過当競争がその背景にありました。規制緩和を進めていけば、効率や利益追求一辺倒で安全面が疎かにされることは目に見えています。
新自由主義者が「規制はすべて悪だ」と思い込んでしまっていることが、一番大きな問題です。労働分野の規制緩和は、経営者がやりやすい状況を生み出すかもしれませんが、労働者にとっては厳しい働き方を強いられる形になってしまいます。労働条件がさらに悪化し、賃金も下がって行きます。非正規労働者やワーキングプアを増やすことになる。
労働者に厳しい状況を強いることは、結果的に労働意欲を低めて生産性の低下をもたらします。非正規では技能や経験の継承もできない。長期的に見れば、経営者にとっても決してプラスにはなりません。低賃金の労働者が増えれば、働く人の購買力が低くなり、国内市場は縮小します。「大企業栄えて民滅ぶ」と言われますが、「民が滅んだ」社会で「大企業が栄える」ことはできないのです。
少子化は、低賃金で苛酷な労働を強いられている若年層の「社会的ストライキ」だと言ってもいいかもしれません。賃金が低いために、結婚して家庭を形成し、子供を産むことができない。シェアハウス、脱法ハウスが話題を呼びましたが、もはや金銭的に一人で生活することができない若年層が増えているからです。
規制緩和によって、さらに低賃金で苛酷な労働を強いるような状況が広まれば、少子化問題はもっと深刻化するでしょう。経済的にも社会的にも日本は崩壊に向かいつつあると言わざるを得ません。日本という国の人的存立基盤が失われていくことになる。私はそれに強い危機感を感じています。

 「生涯ハケン」に道を開く労働者派遣法の抜本改正
── 労働者派遣法の改正案が国会に提出されました。どのように改正しようとしているのですか。
五十嵐 これまで派遣労働には、常用雇用の代替にしてはならない、また臨時的・一時的な業務に限定するという大原則がありました。今回の改正案はこの原則を変える大転換であり、一生派遣労働に従事する「生涯ハケン」に道を開くことになってしまいます。
現在、企業が同じ業務で派遣を利用できる期間は3年間に制限されています。ところが改正案では、企業は派遣してもらう人を入れ替えれば、3年経っても同じ業務に派遣労働者を使い続けられるようになります。
また、派遣労働者は3年経過すれば派遣先企業が直接雇用することになっていましたが、企業はその人の業務内容を変えれば、3年経ってもそのまま派遣労働者として使い続けることができるようになります。
恒常的に仕事があり、その労働者を使うのであれば、派遣ではなく正社員とするのが当然でしょう。にもかかわらず、労働者を入れ替えてその仕事を続ける。労働者の方は別の業務で派遣労働者として働き続けることになる。労働者にとっては、不安定な細切れ雇用で技能の蓄積が断ち切られることになります。
法案では、「過半数労働組合から意見を聴取した場合には、さらに3年間派遣労働者を受け入れることができる」とされていますが、労働組合の意見が歯止めになるとは思えません。現在の状況を見れば、労働組合は経営側の意向に抵抗できないからです。
── 厚生労働省は、なぜこうした法案を受け入れたのでしょうか。
五十嵐 昨年の参院選で与党が勝利し、衆参両院の「ねじれ」を解消した安倍政権は、内閣支持率の高さに支えられて徐々に安倍カラーを強め始めました。昨年8月20日に労働政策審議会の職業安定分科会労働力需給制度部会が「今後の労働者派遣制度の在り方に関する研究会報告書」を出したのが、その表れの一つです。
その後の議論の過程で、規制緩和推進派は厚労省に強い圧力をかけていたように見えます。例えば、昨年12月に開かれた規制改革会議雇用ワーキング・グループ会議で、大田弘子氏は厚労省の富田望課長に対して再考を促すよう注文をつけ、稲田朋美内閣府特命担当相も「今回、規制改革の意見が反映された部分はどういうところなのか」と圧力をかけています。
── 現在の安倍政権は、小泉政権時代の再来のように見えます。
五十嵐 1986年に労働者派遣法が施行されて以来、徐々に規制緩和が進みました。当初は、派遣できる職種は制限されていましたが、1999年の法改正であらゆる職種の派遣が原則自由化され、派遣できない職種をネガティブリストで定めるようになりました。そして、小泉政権時代の2004年には製造業の派遣も解禁され、派遣労働者の数が急増することになります。

 残業ゼロ社員の拡大
── 産業競争力会議は、労働時間の管理を労働者に委ね、企業は原則として時間管理を行わない「裁量労働制」の対象労働者を増やすよう提案しています。
五十嵐 労働基準法では1日の労働時間を原則8時間として残業や休日・深夜の労働には企業が割増賃金を払うことを義務づけていますが、上級管理職や研究者などの一部専門職に限り労働時間にかかわらず賃金を一定にし、残業代を払わないことが認められています。
こうした「残業代ゼロ」社員の対象を広げるように求めているわけです。年収が1000万円を超える高収入の社員や、高収入でなくても労働組合との合意で認められた社員に対象を広げようとしています。残業代を払わなくても済むようにしたいというわけです。

 派遣法改悪を阻止しよう!
── 小泉政権の新自由主義政策によって格差社会が問題となり、2009年に誕生した民主党政権では新自由主義からの決別が模索されました。
五十嵐 2009年9月、民主党、社会党、国民新党の連立与党は、派遣法の再規制で合意しました。この三党合意に基づいて、2010年4月には労働者派遣法改正案が提出されましたが、やがて改正案成立を強く主張していた社民党が連立政権を離脱し、民主党は2011年に自民党、公明党との間で改正案に合意し、法案を骨抜きにしてしまいました。
民主党の中も、規制強化派と規制緩和派に割れていたのです。民主党全体が合意できるような再規制をまずやり、それを積みあげていくというやり方があったかもしれません。2010年7月の参院選で与野党が逆転し、民主党・国民新党は少数与党となって再規制をすることは一気に難しくなってしまったのです。
このように、民主党政権になってから派遣労働の再規制が模索されましたが、すでにそれ以前から労働の規制緩和に対する反省は高まっていました。私は、2006年が一つの転換点だったと見ています。
同年9月に第一次安倍内閣が発足し、12月には「労働市場改革専門調査会」の会長に八代尚宏国際基督教大学教授が就き、「労働ビックバン」を一気に進めようとしました。しかし、労働の規制緩和推進派が進めようとしたホワイトカラー・エグゼンプションは「残業代ゼロ法案」と批判され、これが躓きの石となりました。
このとき、自民党内や厚労省の抵抗が開始されていたのです。2006年末には、自民党内に雇用・生活調査会が誕生していました。この調査会に関して後藤田正純氏は、「これまで、労働法制は規制緩和の一点張りだったが、これからは党が責任を持って、規律ある労働市場の創設を働きかけていく」と語っていました。
一方、厚労省には2007年2月に「雇用労働政策の基軸・方向性に関する研究会」が設置され、8月には「『上質な市場社会』に向けて」と題した報告書を発表します。副題に書かれている通り、この報告書は雇用労働政策における「多様性」以上に、「公正」と「安定」が重視されていました。厚労省には規制緩和がもたらした悪影響についての反省があります。労働分野で問題が生じた場合、その対応に追われるのは厚労省ですから、労働の規制緩和に慎重な態度をとらざるを得ないのです。
── 小泉時代の規制緩和の教訓をなぜ生かせないのでしょうか。
五十嵐 いまも自民党の中には規制緩和推進派と慎重派の二種類の立場があります。しかし、慎重派は安倍首相のリーダーシップの強さに押し切られ、党内で大きな声を上げられない状況にあります。安倍首相の政策に対して正面切って反対できないのです。厚労省も産業競争力会議などで規制緩和推進派から強い圧力をかけられ、押し切られています。
── どのようにして、派遣法改正をはじめとする労働の規制緩和を阻止していけばいいのでしょうか。
自民党内部の慎重派や厚労省が抵抗できるように、世論を喚起していくしかありません。2006年に潮目が変わった背景にも、マスコミや論壇の変化がありました。すでに、2005年2月にNHK総合テレビが「フリーター漂流」を、翌2006年7月には、NHKスペシャルで「ワーキングプア」の第一弾が放映されました。同年9月には『週刊東洋経済』が「日本版ワーキングプア」という特集を組みました。こうしたワーキングプアや格差社会を懸念する世論の高まりを背景に、2006年頃から転換が開始されたのです。
また、マスコミの援護射撃とともに、労働者の側が抵抗運動を盛り上げていく必要があります。運動と世論の力を背景に政党や議員、厚労省の官僚などに働きかけ、一方的に経営者に有利となる派遣法改正案の成立を阻まなければなりません。少なくとも法案の修正や付帯事項をつけて、少しでもましな法律にするよう、運動を展開するべきです。
── わが国はどのような労働政策を目指すべきですか。
五十嵐 アメリカは徹底した新自由主義で、規制緩和の最先端をいっています。それを模範にして日本ももっと規制緩和を進めるべきだと新自由主義者は唱えているのですが、1%の富裕層によって国民の99%が支配されるような超格差社会になり、アメリカ社会が崩れてしまっていることに注目する必要があるでしょう。
そのようなアメリカを手本にしてはなりません。アメリカと違い、ヨーロッパ諸国は強い労働運動を背景に規制を維持し、経済危機を乗り切っています。ドイツもそうですし、北欧などもそうした路線を貫いています。日本は、そうしたヨーロッパ諸国に学び、人間らしい労働(ディーセントワーク)によって持続できる社会を目指すべきなのです。

http://gekkan-nippon.com/?p=6184 
 
◆三橋貴明オフィシャルブログ

【「彼ら」の手法】

竹中平蔵氏は、先日のテレビ愛知「激論コロシアム」の討論で、正規社員について「既得権益である」と明言しました。パソナ・グループの取締役会長にして、産業競争力会議の「民間議員」という名の民間人である竹中平蔵氏が、「雇用の安定」が忌むべきものと認識していることが分かります。

 現在、様々な「労働規制の緩和」が推進されていますが、その一つが「正規社員の残業代廃止」つまりは正規社員という「岩盤規制」の破壊になります。何しろ、正規社員に残業代を払っていた日には、企業の人件費が上昇し、
「グローバル市場における企業の国際競争力(という名の価格競争力)が低下するではないか!」
 という話になってしまうわけです。日本国民の実質賃金を引き下げ、貧困化させ、企業のグローバル市場における価格競争力を高めるためには、とにかく何でもやってくるのが「彼ら」です。

『高度専門職:労働時間規制なし…厚労省、容認に転換
http://mainichi.jp/select/news/20140528k0000m010133000c.html 

 厚生労働省は27日、「高度な専門職」で年収が数千万円以上の人を労働時間規制の対象外とし、仕事の「成果」だけに応じて賃金を払う新制度を導入する方針を固めた。2007年、第1次安倍政権が導入を目指しながら「残業代ゼロ」法案と批判され、断念した制度と類似の仕組みだ。同省は労働時間に関係なく成果のみで賃金が決まる対象を管理職のほかに広げることには慎重だったが、政府の産業競争力会議が導入を求めているのを受け、方針を転じた。田村憲久厚労相が28日の同会議で表明する。(後略)』

 毎日新聞の紙面版には、元々の産業競争力会議の「労働規制緩和」案が載っているのですが、さすがに仰天してしまいました。何しろ、年収要件が「なし」だったのです。

【産業競争力会議の案】
・年収要件:なし
・対象職種:(一定の責任ある業務、職責を持つリーダー)経営企画・全社事業計画策定リーダー、海外プロジェクトリーダー、新商品企画・開発、ブランド戦略担当リーダー、IT・金融ビジネス関連コンサルタント、資産運用担当者、経済アナリスト
・条件:労使の合意、本人の同意
 それに対し、厚生労働省の対案。

【厚生労働省の案】
・年収要件:あり(数千万円以上)
・対象職種:世界レベルの高度専門職、為替ディーラー、資産運用担当者、経済アナリスト
・条件:未定

 厚生労働省の案の場合、日本の正規社員のほとんどが無関係ということになります。とはいえ、そうであったとしても、
「ああ、自分は関係ないんだ。良かった・・・・」
 などと安心することはやめて欲しいのです。何しろ、我が国の派遣労働の解禁は、
「中曽根政権時代(86年)に解禁され、橋本政権期(96年)に業務の範囲が一気に拡大し、小泉政権期についに「製造業」でも認められる」
 というプロセスを経て拡大していきました。 

 我が国の派遣解禁、拡大の歴史を振り返ってみましょう。
1986年:専門的な13業種のみの派遣業認可(ポジティブ・リスト)。後、26業務に拡大
1999年:派遣業についてネガティブリスト方式に(禁止業種以外は解禁)変更
2004年:製造業の派遣について解禁
2007年:製造業の派遣の期間延長(1年から3年に)

 要するに、最初は「門戸が狭い」ポジティブリスト方式で「ひと穴」をあけられ、その後、次第に対象が拡大し、ネガティブリスト方式に変更、ネガティブリストの縮小という形で「規制緩和」の範囲が広がっていったのです。同じことを、「労働時間規制緩和」についてもやられはしないか、非常に危惧しています。と言いますか、「彼ら」はやろうとしてくるでしょう。

 わたくしは、「雇用の安定」こそが、かつての日本の企業の「強み」だったと確信しているのです。特定の会社に勤め、安定的な雇用の下でロイヤリティを高めた「人材」が、自らの中に様々な技能やノウハウ、技術を蓄積し、同じく雇用が安定した「同僚」とチームを構成し、世界に立ち向かう。これこそが、グローバル市場における「本来の日本の価値パターン」であると信じているわけでございます。 
 とはいえ、上記の「考え方」では、
「グローバル市場における企業の価格競争力が高まらないじゃないか!」
 というわけで、我が国では様々な規制の緩和が推進されていきました。結果、どうなりました? 

 国民の貧困化が続き、さらに企業は「本来の強み」を失ってはいませんか。確かに、短期的な「利益」は増えるかも知れませんが、中長期的に競争力を喪失していませんか、という問題提起を今こそしたいわけでございます。

 特に、正規雇用の皆さん。皆さんは「既得権益」だそうです。何しろ、パソナ・グループの取締役会長自ら明言しました。

 ならば、どうするべきなのか。について、是非とも一度、考えてみて欲しいのです。


◆言葉の堕落
──フェイクが本物とみなされる倒錯が起きている、日本の現実
インタビュー:佐々木実

 ▼ジャーナリストの佐々木実氏が『市場と権力‐‐「改革」に憑かれた経済学者の肖像』(講談社)を刊行した。経済学者、企業経営者、シンクタンク理事長‐‐さまざまな顔を使い分けながら、小泉政権下では政治家として構造改革を推進した竹中平蔵。佐々木氏は丹念な取材から、竹中の姿をとおして現代の「知」と「知識人」の背景を浮かび上がらせた。アベノミクスが喧伝される今日、言葉の力を取り戻そうとする本格ノンフィクションだ。本書をめぐって佐々木氏に話をうかがった。(5月23日、東京・神田神保町にて。聞き手・米田綱路〔本紙編集〕)

人物評伝では捉えられない経済学者の姿

――『市場と権力』の「おわりに ホモ・エコノミカスたちの革命」で佐々木さんは、経済学者の宇沢弘文氏の一文を引用されています。ベトナム戦争について当時のマクナマラ国防長官が、もっとも効率的で経済的な手段によって増税もインフレも起こさず戦争を遂行しているのに、非難されるのは心外だと発言した。この発言は、価値判断からの自由を標榜し、公正さや平等性を無視して、効率性のみを追求する近代経済学の基本的な考え方と同じだと宇沢氏は述べたわけですね。公正さや平等性を無視し、効率性だけを追求する知識人が現実の政治と結びつくと、どうなるか。佐々木さんは本書で、「改革」に憑かれた経済学者の竹中平蔵の姿をとおして、そのことを追及されています。

佐々木 竹中平蔵について最初に書いたのは「月刊現代」二〇〇五年一二月号で、三回にわたって連載しました。最初は竹中の人物評伝を書くつもりで取材に入ったのですが、十分書けていない、非常に大事なものを書き落としているという引っかかりがずっとあって、なかなか本にまとめることができないでいました。そんなとき宇沢弘文さんと出会い、研究会に参加させてもらうなかで、自分が疑問に思っていることがクリアになりました。僕がやりたいのは、小泉内閣の金融担当大臣として政治権力の中枢にいた竹中の人生をただ描くということではない。では、竹中という人をとことんまで追いかけていくことで何が見えてくるのか。

 宇沢先生はシカゴ大学に在籍し、「新古典派経済学」の旗手として世界的に認められていた経済学者でしたが、ベトナム戦争を契機に「知」と「知識人」のあり方を根本から問い直し、それまでの学者としてのキャリアをすべて捨て去る覚悟でアメリカを去りました。日本に戻って新しい経済学の構築に向けて歩み出し、「社会的共通資本の経済学」という未踏の領域を切り拓いてきました。

 そうした宇沢先生の生きざまに触れ、物事は本質に迫らなければ何も見えてこないことを教えられました。本には私が雑誌に連載した記事と同じ事実が多く記載されていますけれども、書籍としてまとめる際には、補足取材をして新たな事実を書き加えるだけでなく、かなり編集し直し、再構成しています。僕としては、以前に発表した雑誌記事とは質的に異なるものになったと考えています。そうすることで、ようやく描きたいものを描くことができたのです。

 ――竹中はいま、安倍内閣が新たに設置した産業競争力会議の委員になり、労働市場の規制緩和という「改革」を主張しています。構造改革を推進した小泉内閣以後、国会議員を辞めて政界から遠ざかったように見えながら、ふたたび政治に接近して「改革」を実現しようとする。しかも彼は経済学者であるとともに、労働市場と利害が直結する人材派遣業大手の経営者でもあります。このような人物を書こうと思われたきっかけは何だったのでしょうか。

佐々木 小泉内閣に入閣して政界に華々しくデビューし、「学者大臣」と呼ばれながらも「構造改革」のイデオローグとして政権内の実力者にのし上がっていった彼を見て、どのような思想の持ち主なのかと関心を持ちました。彼は学者であり言論人ですから、著作や論文のなかに思想が語られているはずです。それを把握すれば時代を先導する思想を捉えることができるのではないかと当初は漠然と考えた。ところが、すぐに躓いてしまいました。彼の言葉をいくらたどってみても「思想」は見えてこなかったのです。もちろん「新自由主義的」な言質の傾向はあるけれども、言論人として彼が発した言葉から汲み取れるものは意外に少なかった。

 結果として、書いてきたものによって思想遍歴をたどるのではなく、彼がその時々に何をやっていたのかという、行動を跡づける方向に取材が傾斜していかざるをえませんでした。時代の寵児となった「知識人」の思想遍歴をたどるという最初の思惑は外れてしまったわけですが、しかし、この方針転換そのものが取材のテーマを暗示してもいました。

 竹中は大学卒業後に政府系の日本開発銀行に入り、経済研究員となってアメリカへ留学し、レーガン政権の掲げた「小さな政府」を理論的に支えた「反ケインズ」学派に大きな影響を受けます。一方で、シンクタンクや大学などから政府に人材が供給される「リボルビング・ドア」システム、経済学者と企業家と政治家が地続きとなった「知」のあり方を見て強い憧れを抱いた。その後、アメリカの経済理論のスキームを輸入しながら、文字通り「他人の研究を自分のものに取り込んで」学者として認められるようになったわけです。

◆知識人を出し抜いたインテレクチュアルの代表

 ――先ほどのマクナマラの話ではありませんが、公正さや平等性を飛び越えて、効率性と有用性を追求する政策ビジネスに接近していったわけですね。

佐々木 竹中平蔵は日本の知識人を出し抜いたところがある。彼の存在自体が、日本の知識人総体への「裏返しの批判」になっているようにも思えるのです。大蔵省の幹部だった長富祐一郎が大平内閣で首相補佐官を務めたとき、学者を集めて大々的に諮問会議を組織しました。大平首相が急逝したあとも、長富は学者グループを束ねて活動するのですが、日本開発銀行から大蔵省に出向していた竹中は、その長富のかばん持ちをして手伝います。日本では有名な学者ばかりが顔をそろえた集まりでしたが、学者から見れば、大蔵省キャリア官僚の長富は絶大な力をもっている。その政治権力に学者がどういうかたちで接しているのかを、竹中は間近で見ることになります。

佐々木 長富は大蔵省証券局の参事官になったとき、七人の経済学者のチーム「七人会」を立ち上げて、彼らに実質的な決定権限を渡してしまいました。大蔵省内からは、学者だけに任せて大丈夫か、大蔵省の考えと違う報告書ができ上がったらどうするのか、といった批判の声が上がりましたが、むしろ大蔵省に反対する学者を入れてしまえばいいんだ、俺が折伏して先生お願いしますと言えば向かってくるやつはいないと、長富は答えた。彼はそういうことができる人だったわけです。

 超一流といわれる学者が長富の前にでると殊勝にふるまう。名前だけ貸して報告書は竹中に書かせるといういいかげんなことまで平気でやっていた。その後、長富は二〇〇人以上の知識人を束ね、ソフトノミクスの大キャンペーンを展開しました。長富は学者をただの駒だと思っているし、学者の方も政府に近いところに入れてもらった見返りとして、長富の考えに沿うような論文を書いて提出する。大蔵省側にいて、長富を事務方として支えていたのが竹中だった。

 彼はそこで、学者とは何かについて深く学びました。政治の場における学者の位置を知ったのではないでしょうか。ですから、学者としての竹中のモラルの低さは、政治に関与する日本の知識人のモラルの問題と大いに関係していると思います。

 ――本書を読むと、竹中には学問は政策として使えないとダメだという考えが強固にありますね。

佐々木 そもそも彼においては、学問に対する関心より政治権力への興味のほうが勝っていました。学者の世界にはヒエラルキーがありますが、竹中には最初からそういうものに対する恐れの意識はなかった。だから、ふつうの学者であれば躊躇するようなことでも、彼は何のためらいもなくやってのけてしまう。その大胆さが彼を「知識人のリーダー」にまで押し上げていったのですから、皮肉としか言いようがありません。

 いま、安倍内閣官房参与の浜田宏一・エール大名誉教授がアベノミクスに関わっていますが、これなどはすごく象徴的だと思います。国際金融が専門の浜田さんはかつては、竹中が経済学を政治に関わるための道具としてしか見ていないことを危惧し、経済学はそういうものではないと批判した。すぐに役立つ政策ばかりを考え、政治に売り込むことが学問だと思っているとしたら大きな間違いだと、竹中に正面から言った。ところが、いまは彼自身がアベノミクスの守護神、御意見番になってしまい、竹中と同じようなことをやっている。政治の世界での実績や経歴で言うと、むしろ竹中の方が優位な立場にいるわけで、まさに立場が逆転してしまったのです。

 ――本書に引かれている、一九九一年の「エコノミスト」誌上での竹中と佐和隆光氏との対談は示唆的です。経済学説の根っこにある思想や価値観を含めた思想構造の問題を議論しなければならない、という佐和氏に対し、竹中はあくまで政策に関与するための手段として経済学を捉え、対談はかみ合わなかった。また、規制緩和の代表的論客だった経済学者・中谷巌の『経済学はなぜ自壊したのか‐‐「日本」再生への提言』(集英社、二〇一一年)の読後感を問われて、政策が分からなくなった人は思想や歴史の話をすると、見下すような発言をしています。やはり竹中は、経済学者の肩書きを持った「思想なき政策家」なのでしょうか。

佐々木 でも、竹中だって何がしかの考えを自分の中に持っていなければ、実際には行動できないはずですね。やはり、知や知識人が問題になってくるように思います。

 二〇〇一年四月に、小泉首相の指名を受けて経済財政政策担当大臣に就任したとき、竹中は「専門家が(小泉内閣に)入るのは、日本のインテレクチュアルが問われる」と言いました。経済学者の代表、日本の知識人の代表として政治に参画するのだという強い意気込みで、その言葉どおり、竹中は構造改革のメンターになりましたけれども、本の最後にも書いたとおり、その言葉は知識人の意味を転倒させるフェイクだったという気がします。

 しかしながら現実の日本では、フェイクが本物とみなされる倒錯が起きている。浜田さんが軍門に下っていることが典型ですが、実際に竹中が日本のインテレクチュアルの代表になってしまっているわけですから。小泉政権が退陣した後、一時勢いがなくなったけれども、イデオローグとしての彼の主張はまだ生きています。

 それは「新自由主義」と呼んで批判すればすむような表層的な問題ではないですね。もっと深いところから問題の本質を見るような知のあり方を探さなければ、批判する側も同じレベルに堕してしまうだけです。「政策を知っていて法案を書ける方がむしろ偉い」といった程度の議論に終始してしまいます。

 ――机上の空論をやっていても意味がない、いかに政策として効用があるかということが、現在のグローバルスタンダードになってしまっている。竹中はいわばその代表と言えるでしょうか。

佐々木 そういう意味でも、竹中はインテレクチュアルの代表です。一般の人たちもそう思っているでしょう。学者がごちゃごちゃと金融のことを言っても、不良債権の処理をさせたら竹中さんの方が実行力がある、経済学者はもっと現実のビジネスを知らなければいけない、というような評価が一般的だと思うんですね。それに対して、そうではないと説得的に言うのは、すごく難しいことですよ。

◆りそな銀行の破綻処理と監査人の自殺

 ――竹中は金融大臣に就任後、「竹中プラン」を掲げて、銀行の不良債権処理で功績をあげようとし、監査法人を使ってりそな銀行を破綻に追い込みます。その過程で、監査の現場責任者だった朝日監査法人の平田聡さんが自殺した。平田さんを追いつめた原因は、竹中とその右腕だった金融庁顧問の木村剛が、監査を自分たちの政策の道具としてしか見ていなかったことです。平田さんは職業倫理ゆえに、矛盾を抱え込まされた。竹中たちは監査を政治的に利用して、銀行を破綻に追い込みながら、直接手を汚すこともなければ痛みもしない。この事件は構造改革を象徴する構図だと思います。

佐々木 僕もこれは象徴的な事件だと思って、本でも詳しく書きました。平田さんは監査を究めていく職人気質の人だから、間違ったことはできない。間違っていることをあえてやろうとすると、生理的な拒否反応が起きてしまう。専門家として、知識が身体化されているタイプの会計士だったと思います。竹中や木村がやろうとしたことは、監査のプロフェッショナルである彼からすればどう考えてもおかしい。でも、りそな銀行を担当している一監査法人の監査人という立場でしかないから、竹中大臣の指示には従うほかない。

 監査が上から捻じ曲げられたことで、平田さんは身体に不調をきたし、精神的にも混乱していった。文字通り殺されるようなかたちで命を落とすというのは、構造改革の時代を象徴しています。当時、自殺の事実はしばらく伏せられていましたが、いまもって自殺にいたる顛末は闇に葬られたままです。

 逆に言うと、竹中や木村剛は、平田さんがなぜそこまで監査を誠実にやろうとするのか、分からなかったと思うんですね。職業倫理を守ろうとする知のあり方、会計監査のプロとして譲ることのできない、身体化した知のあり方があるということが、彼らには分からない。りそな銀行は潰すと裏でサインを送っているじゃないか、潰していいと言っているのに何で言うとおりにしないのか、ということでしょう。平田さんは文字通り体を張って監査をして、潰れてしまった。

 ――構造改革の問題は、郵政民営化について言えば民営化する必然性がなく、しかも竹中自身それを自覚していた、にもかかわらず実行したということですね。小泉の信念に理屈付けをするために、経済学を使って民営化を政策にし、構造改革の名の下に実現してしまった。そうすることで、仲間内や近しい人たちに利益を回しました。

佐々木 経済学を政治と結びつけ、改革という名のビジネスを行う手腕は見事なものですが、日本振興銀行の経営者となった木村剛は、逮捕されて失脚しました。木村は預金者をよそに、自分のお金だけ保全しようとしたりした。逮捕後の木村の動揺ぶりを見て思うのは、結局、危機に陥っていく過程で自分が何をしているのか分からなくなっているということです。それは彼が本当の言葉を持っていないからではないでしょうか。だから自分の位置を確認することができない。言葉の堕落によって自分が見えなくなってしまっている。似たようなことが社会のレベルでも起きているような気がしてなりません。

佐々木 本の中でも触れていますが、小泉政権下で行われた日銀の大胆な金融緩和は、世界の「マネー資本主義」の原動力ともなっていたけれども、その事実にほとんどの日本人は気がついていなかった。イラク戦争のとき、日本政府は「円高阻止のため」と称してかつてない規模の円売りドル買い介入をした。結果として、アメリカの国債を大量に購入することになり、ブッシュ政権の戦時財政を支えると同時に、アメリカの住宅バブルをあおることにもなりました。そうした事実についても、ほとんどの人々が無自覚なまま現在にいたっています。

 木村剛の逮捕時の動揺ぶりと同じように、「自分自身が分からない」状態に集団で陥っているということではないでしょうか。自分の行動も分からなければ、自分の行動が周囲に及ぼしている影響の大きさも分からない。なぜそうなるかというと、現実を捉える言葉がないからです。このテーマはもちろん、ジャーナリズムの問題と密接に関係しています。

 ――それは冒頭に引いた、ベトナム戦争のときにマクナマラ国防長官が言った、枯葉剤を撒くことの効用や、戦争をビジネスの効率で測る尺度しか持っていない人間の姿と通じるものがありますね。

佐々木 話がひっくり返っていますよね。大量殺戮をしているという問題の前に、効率的にたくさん殺しているのに、なぜ自分が批判されなければいけないのかと、平然と言う。マクナマラは経営学者でもあり、自動車会社の経営者にもなった行動力のあるインテリで、敬虔なクリスチャンでもありました。彼がアメリカのシンクタンク業界の顔役だったことは示唆的です。シンクタンクは「知の戦車」という意味ですよね。

◆言葉を殺す“あるもの”を調査報道で突き止める

 ――本書で指摘されているとおり、竹中は『あしたの経済学‐‐改革は必ず日本を再生させる』(幻冬舎、二〇〇三年)の中で、寺島実郎の言葉である「カセギ」(経済的自立)と「ツトメ」(共同体維持のための公的貢献)を、自分の言葉であるかのように掠め取って使っています。そのこと自体、大きな問題ですが、カセギとツトメを説く「知の戦車」の戦略的知を有難がる風潮は、とても強いですね。

佐々木 赤字をつくってはいけないということでは、僕たちフリージャーナリストには逆風続きですし、言葉の基地である雑誌の廃刊は手痛い打撃ですけれども、僕は逆にまだ言葉には力があると思っているのです。竹中は弁論に長けた人ではありますが、彼の言葉そのものには力がない。ほかの力で人を動かしているからです。僕は本当に力のある言葉は存在すると考えていますし、そういう言葉を取り戻したいという思いでこの本を書きました。

 この本では「新自由主義」という言葉をできるだけ使わないようにしました。そういう言葉のレベルで書きたくないという気持ちがあったのです。そのような言葉を無自覚に使っていると、あちら側に回収されてしまいますから。

 たとえば自殺というむずかしいテーマを考えたとき、もしもその人に自分自身の言葉があったなら、死ななくてもよかったというケースがありうるように思います。誰にとっても、言葉というのは非常に究極的なもの。社会という人間の集団レベルでも、自分自身の言葉を見失ったがゆえに、自分たちの現在位置を確認することができず、夢遊病者のようにさまよっているということがあるのではないでしょうか。

佐々木 東日本大震災や原発事故があって、いまいやおうなく自分の言葉で考えざるをえない人が大量にいる。だから変化は確実に起きています。言葉で仕事をしている知識人よりも、むしろふつうの生活者の方が、その点において敏感ではないでしょうか。

 ――佐々木さんは竹中をとおして“あるもの”を突きとめようとした、と書かれています。そして、“あるもの”が伸張する条件は、言葉を殺すことにあると。改革やアベノミクスの上澄みの次元に終始しがちな経済ジャーナリズムの中で、言葉の問題を追及する人は、佐々木さん以外にいない気がします。

佐々木 この本じたいが、現在の経済ジャーナリズム批判になっているのかもしれません。そうあってほしいとおもって書きました。たしかに“あるもの”を表現するのは難しいですが、たとえば資本主義と言ってもいいのかもしれないし、知や言葉のありようを規定するものと言ってもいいのかもしれません。まあ、自分でも正確に言い当てることができないと言ったほうが正確なのかもしれませんね。僕はジャーナリストですから、調査報道によって“あるもの”を突き止めたかった。竹中平蔵氏の行動や言葉の事実を積み重ねていくことによって、この本でその姿を僕なりに描いたつもりです。(了)(ジャーナリスト)

http://www1.e-hon.ne.jp/content/toshoshimbun_2013_syohyou_3114_1-1.html


無能を露呈し始めた習近平

2014-06-05 04:12:32 | 資料

ベトナム衝突事件を仕掛けた中国の「黒幕」

2014年05月19日(Mon)  石 平 (中国問題・日中問題評論家)

南シナ海での石油掘削をめぐる中越衝突が発生して以来、関係諸国の猛反発の中で中国の孤立化が目立ってきている。
タイミングが悪すぎる掘削開始の不可解さ

 たとえばケリー米国務長官は5月12日、両国の艦船の衝突について「中国の挑戦だ。この攻撃的な行動を深く懸念している」と中国を名指しで批判した。さらに5月16日、カーニー米大統領報道官は記者会見において、南シナ海での中国の一方的な行動は「挑発的だ」と改めて批判し、領有権争いをめぐるベトナムとの対立激化は中国側に原因があるとの考えを示した。これでアメリカは、中国とベトナムとの対立においてほぼ完全にベトナム側に立つことになったのである。

 もちろんアメリカだけでなく、南シナ海周辺諸国の中国に対する反発も強まってきている。

 5月10日から開かれた東南アジア諸国連合(ASEAN)首脳会議は、中国とフィリピン、ベトナムなどが領有権を争う南シナ海問題をめぐり、関係国に自制を求める共同宣言を採択したが、首脳会議に先立つ外相会議では、南シナ海での緊張の高まりに「深刻な懸念」を表明する共同声明を発表した。ASEAN諸国が結束して中国をけん制する立場を示したといえる。

 それに対し、中国外交部の報道官は5月10日に談話を発表して反発した。ASEAN外相会議・首脳会議の共同宣言・声明は中国を名指しで批判したわけでもなく、「関係諸国の自制」を求めているはずであるが、唯一中国だけがそれに反発したのは、要するに中国自身も、上述の宣言と声明はまさに中国に矛先を向けているものであると分かっているからであろう。

 とにかくベトナムとの海上衝突の一件をもって、中国は米国から強くけん制されているだけでなく、東南アジア諸国から総スカンを食った結果となっている。外交的に見れば、それは中国にとって大いなる誤算と失敗であると言えよう。

 このような失敗はすべて、中国自らの行動が招いた結果である。事実関係を整理すると、ことの発端はまず5月初旬、中国側が問題海域での石油掘削を一方的に宣言し実施したことにある。それに対して、ベトナム側はまず外交ルートを通じて中国に抗議して掘削の中止を求めたが、中国側がそれを拒否して掘削を継続したことから、ベトナム船がこの海域に入って中国側の掘削を阻止する行動を取ると、中国船は逆に体当たりしてきて放水の応酬などの衝突事件に発展した。
混乱が観られる当局の対応

 このような経緯を見れば、今回の事件は中国側の一方的な行為が原因で起きたことがよく分かるが、ポイントは、中国側が一体どうしてこのようなタイミングでこのような問題を起こしたのか、ということである。

 より具体的に言えば、中国は一体なぜ、わざわざASEAN首脳会議開催の直前というタイミングを選んでこのような挑発的な行動に至ったのか、それこそが問題なのである。ASEAN諸国の結束を促して中国自身の孤立化を自ら招く、あまりにも愚かな行動である。

 5月13日付の英フィナンシャル・タイムズ紙も、「中国とベトナムの衝突、観測筋が首ひねるタイミング」と題する記事を掲載して、中国側がことを起こしたタイミングの悪さを指摘しているが、まさしくその通りである。

 したたかな中国がどうしてこのような初歩的なミスを犯してしまったのか。それがまず湧いてくる疑問の一つであるが、さらに不可解なのは、ベトナム船との衝突が世に知られた後の中国外交当局の対応である。

 5月7日、ベトナム政府は証拠の映像を公開し、中国側の船舶がベトナム船に意図的に衝突してきたと発表、中国側を強く批判した。それに対して8日、中国の程国平外務次官は「そもそも衝突していない」と言って、衝突という明らかな事実を頭から否定し問題から逃げるような姿勢を示している。

 しかし同日午後、同じ中国外務省の別の高官が急きょ会見し、「ベトナム側が大量の船を出し、170回以上中国側にぶつかってきた」と発表した。つまり中国側もこれをもって「衝突があった」ことを認めたが、それは結局先の「衝突していない」という外務次官の発言を、中国外務省自ら否定することになる。この二つの発言のあまりにも明々白々な矛盾は、中国政府自身の対応がかなり混乱していることを露呈している。

掘削を実施した「中国海洋石油総公司」とは?

 このような状況では、掘削の開始からベトナム船に体当たりで衝突するまでの中国側の一連の行動が果たして、中央指導部の指揮下におけるものであったのかどうか、という疑問が当然生じてくるのである。

 ASEAN首脳会議の直前という中国にとって悪すぎるタイミングから考えても、それが東南アジア諸国の対中国結束を固めることになる結果からしても、あるいは衝突直後の中国外務省の混乱した対応ぶりからしても、掘削の断行は中央指導部の統一意志の下で行われた戦略的・計画的な行為であるとはとても思えないのである。

 だとすれば、今回の断行は、掘削を実施した部門の個別的判断によるものであろうという可能性も出てくる。それならば、その関係部門は何の目的のために、中国にとって大変不利なタイミングで大きなトラブルとなるような判断を行ったのか、という疑問が浮上してくる。そうなるとここではまず、掘削を断行した張本人の中国海洋石油総公司という巨大国有企業に目を転じてみるべきであろう。

石油閥の正体と激しい権力闘争

 ベトナムとの係争海域で今度の掘削を実施した中国海洋石油総公司。9万8000人以上の従業員を有するこの巨大企業は、中国国務院国有資産監督管理委員会直属の国有企業である。「国務院国有資産監督管理委員会」とは中央官庁の一つだが、おそらく中国政府は、採掘すべき石油資源は全部「国有資産」であるとの視点から、中国海洋石油総公司をこの中央官庁の直属下に置いたのであろう。

 それはともかくとして、実は去年の夏から、まさにこの国務院国有資産監督管理委員会において、驚天動地の腐敗摘発が行われていたのである。2013年9月1日に国営新華社が伝えたところによると、中国共産党中央規律検査委員会は、国務院国有資産監督管理委員会の蒋潔敏主任に対し「重大な規律違反」の疑いで調査を始めた、というのである。

 蒋氏は国有石油大手、中国石油天然気集団(CNPC)前会長で、2013年3月に国資委主任に転じたばかりだった。彼は共産党内では約200人しかいない中央委員も務めており、2012年11月の習指導部発足後、調査を受けた党幹部では最高位に当たる。

 このような立場の蒋氏に対する汚職調査は当然、習近平政権が進めている「腐敗撲滅運動」の重要なる一環であろうが、ここで注目されているのは、石油畑出身の蒋潔敏氏の背後にある、「石油閥」という共産党政権内の一大勢力のことである。

 中国でいう「石油閥」とは、蒋氏が会長を務めた中国石油天然気集団という巨大国有企業群を基盤にして中国の石油利権を一手に握る政治集団のことである。この政治集団の始祖は、1958年に中国の石油工業相に就任した余秋里氏である。

 中国の建国に貢献した「第一世代の革命家」の一人である余氏は建国の父である毛沢東からの信頼が厚く、58年に石油工業相に就任してから、中国最大の大慶油田の開発を仕切って「中国石油工業の父」と呼ばれるようになった。その後も中国経済を取り仕切る国家計画委員会(国計委)主任や国家エネルギー委員会(国エネ委)の主任などを歴任した。共産党内で隠然たる力をもつ石油閥の形成はまさにこの余秋里氏からはじまる。

 1999年に余氏が亡き後、彼の後を継いで石油閥の元締めとなったのは元国家副主席の曽慶紅氏である。2002年からは中国共産党政治局常務委員、03年から国家副主席を務めた曽慶紅氏は、元国家主席江沢民の懐刀として知られていて江沢民政権の要だった人物であるが、実はこの曽氏は江沢民の腹心となる以前、余秋里氏に仕えていた。

 余氏が国計委主任を務めた時に同委の弁公庁秘書となり、余氏が国エネ委に移ると、曽氏も同委弁公庁に異動した。そして余氏はその後も中央顧問委員会常務委員などを歴任して実権を握っていたため、曽氏は余氏の「ご恩顧下」で石油省や中国海洋石油総公司(CNOOC)で出世した。

 このような経歴から、余氏が死去した時、江沢民の腹心として政権の中枢にいる曽氏は当然、石油閥の次のボスとなった。そして曽氏自身が政治局常務委員・国家副主席となって権力の頂点に達すると、彼を中心にして石油閥は党内の一大勢力に伸し上がった。もちろん、石油閥総帥の曽氏は党内最大派閥の江沢民派(上海閥)の「番頭」的な存在でもあるから、石油閥はごく自然に江沢民派の傘下に入って江沢民勢力の一部となった。

 そのとき、石油閥の「若頭」として曽氏が抜擢してきたのが石油畑幹部の周永康氏である。周氏は中国の石油業界の「聖地」とされる大慶油田でキャリアをスタートして、その後、石油工業省次官、CNPC総経理、国土資源相などを歴任した。そして2002年に胡錦濤政権が発足するとき、政治局常務委員となった曽氏は周氏を政治局員に推挙した上で警察を司る公安部長に転任させた。2007年の共産党17回大会では、曽氏は自分の引退と引き換えにして周氏を政治局常務委員の地位に昇進させた。しかも政法部門(情報、治安、司法、検察、公安など)を統括する中央政法委員会書記という政治的に大変重要なポストに就かせた。

 これで江沢民派・石油閥の党内基盤は盤石なものとなって、胡錦濤政権時代を通して、この派閥の人々はまさに飛ぶ鳥を落とすほどの権勢を振る舞った。そしてその時、徐々に老衰していく江沢民氏にとってかわって、引退したはずの曽慶紅氏が江沢民派・石油閥の陰のボスとなり、現役の政治局常務委員の周永康氏は政権中枢における派閥の代弁者の役割を果たしていた。

「腐敗撲滅運動」を手段に

 しかし2012年11月に開かれた共産党18回大会において胡錦濤指導部が退陣して今の習近平指導部が誕生すると、石油閥はやがて受難の時代を迎えた。18回大会で誕生した7名からなる新しい政治局常務委員会に、江沢民派・石油閥は4名の大幹部を送り込んで習氏を取り囲むような形で勢力を固めた。あたかも新指導部が彼ら江沢民派・石油閥によって乗っ取られたかのような形勢であるが、それに不満を持つ習氏は今度、前総書記の胡錦涛氏の率いる「共産主義青年団派」と手を組んで、江沢民派・石油閥を叩き潰すための権力闘争を起こした。徹底的に潰さない限り、自前の政治勢力の拡大と自分自身の権威樹立は永遠に不可能であると習氏も分かっているからだ。

 この権力闘争のために習氏の使用した手法がすなわち「腐敗撲滅運動」の推進である。石油利権という莫大な経済利権を手に入れてうまい汁を吸っているのは他ならぬ江沢民派・石油閥の面々であるから、彼らを倒すのに「腐敗の摘発」ほど有効な手段はない。そのために、習近平氏は自分の盟友である王岐山という経済部門出身の幹部を畑違いの中央規律検査委員会のトップに据えて、「腐敗撲滅」という名の権力闘争を始めた。

 前述の国務院国有資産監督管理委員会の元主任で石油畑出身の蒋潔敏に対する「汚職調査」は、まさに石油閥潰しの政治的摘発の一環であるが、習近平氏のターゲットは蒋潔敏のような「小物」ではない。石油閥大物幹部の周永康氏はまず標的にされていた。蒋潔敏氏に対する調査開始はむしろその前哨戦であったと見るべきだ。そして2013年12月から周永康氏の消息が断ったことから、その時点で彼は既に拘束されていてて取り調べを受ける身となったと思われる。今年の3月初旬に、一部の中国メデイアがいよいよ「周永康問題」について報道し始めたことから、彼に対する取り調べが進んでいる事実が白日の下に晒された。

反撃に打って出た石油閥 掘削事件の「黒幕」か

 しかしまさに今年の3月後半当たりから、習近平氏の石油閥叩き作戦が暗礁に乗り上げる様子となった。まずは周永康氏自身が、当局の調査に対し横領などの容疑を全面否定、協力を一切拒んでいることが4月になって複数の党関係筋によって明らかにされた。どうやら周氏は徹底抗戦の構えのようだ。彼がそれほど強気になっているのには当然それなりの理由がある。

 周氏に対する摘発が進んでいく中で、彼と同様に引退の身となった一部の長老たちはこのままでは自分たちの身も安全ではなくなると危惧し始めたことから、江沢民派・石油閥は反撃に打って出た。政治局常務委員会の中では石油閥の代弁者である筆頭副総理の張高麗氏や江沢民派重鎮の張徳江全人代委員長らが「摘発の行き過ぎが党の威信を傷つける恐れがある」との理由から、習近平・王岐山サイドの進める腐敗摘発=石油閥叩きにブレーキをかけ始めた模様である。

 そうすると、それまで順調に進んできた周永康摘発の動きが徐々に鈍くなってきた。前述のように、今年3月の時点で中国の一部メディアは既に「周永康に問題あり」とのような報道をしていたが、中国国内の一般常識からすれば、この問題に関するメディア報道の「解禁」は普通、摘発に関する政治的決着がすでにつけられていて正式発表が間近であることを意味している。

 しかしこの常識に反して、それ以来現在に至るまで、周永康摘発の正式発表は一切なく、摘発の進展を窺わせるような動きも一切なかった。「周永康問題」はとっくに全国民の知れるところとなっているのに、問題の決着がここまで先延ばされているとはまさに異常事態である。しかも、去年9月に「調査開始」と発表された蒋潔敏氏に関しても、現在に至って何の調査結果も発表されることなく、処分も決まっていない。それもやはり異様である。

 こう見ていると、現在、江沢民派・石油閥は、習近平氏の叩き潰し作戦に対して必死の抵抗を試みている最中であることがよく分かるが、このようなタイミングで、中越間の衝突を起こした掘削の意味を考えてみると、一件無関係に見えるこの二つの動きの間に関連性があるのではないかと思いたくなるのである。

 そう、問題の海域で掘削を断行したのはまさに石油閥傘下の中国海洋石油総公司であり、その総公司の上位機関である国務院国有資産監督管理委員会の元主任はまさに石油閥主要幹部の蒋潔敏氏である。今はまさに、彼らが習近平氏の腐敗摘発によって追い込まれている立場であり、自分たちの権益と命を守るために最後の戦いを強いられている最中なのだ。

 その際、習近平氏に対する最も有力な反撃の一つとして、外交トラブルをわざと引き起こすことも選択肢の一つとして考えられる。何らかの外交的危機が発生した場合、中央国家安全委員会主席の習氏は責任を持ってそれを処理しなければならない。外交上のトラブルはすなわち習氏自身のトラブルなのである。

ただただ沈黙を守る習近平

 そうすると、浮上してくる可能性の一つは、石油閥の面々がASEAN首脳会議の直前というタイミングをわざと選んで、しかもベトナム側の猛反発を見込んだ上で係争の海域での掘削を断行した、ということである。

 そうすることによって習近平氏を外交的窮地に追い込んでその政治的権威を傷つけることができるだけでなく、いわば対外的危機を作り出すことによって「国内の一致団結」という大義名分において「腐敗摘発」の動きを食い止めることもできるからである。

 実際、石油閥のこの作戦はすでに一定の効果を上げていると見ることもできる。掘削の断行がベトナムとの衝突を引き起こし、地域における中国の外交的孤立化が進んでいることは前述の通りであるが、中国国内の動きとしてもう一つ不思議に思えるのが、この一連の事件発生以来の習国家主席の態度である。

 ほとんど信じられないようことであるが、中国国民がベトナムの反中暴動において殺されたという由々しき事態が発生したにもかかわらず、国家主席で国家安全委員会の主席でもある習氏はこの問題について、いっさい発言していないのである。少なくともこの原稿を書いている日本時間5月19日午前10時現在まで、習氏はただただ沈黙を守っているだけである。

 5月15日、ベトナムの暴動で中国人が殺されたその翌日、習近平氏は国家主席として「中国国際友好大会」というイベントに出席してまさに外交問題について「重要講話」を行ったが、その中で彼はベトナムとの衝突やベトナムでの反中暴動については一言も触れなかった。自国民が暴動で殺された直後に、何事もなかったかのように行われたこのような「重要講話」は、実に情けないものである。

 要するに習近平氏は進退両難の窮地に立たされているのであろう。ことを起こしたのは石油閥の陰謀であることを承知しているから、ベトナムに対して強く出れば中国にとっての外交的トラブルがますます大きくなり国家主席としての自分の対処はますます難しくなる。それはまさに江沢民派・石油閥の思うつぼである。
しかしあまりにも弱い姿勢を示すと、それが逆に国内から「弱腰」の批判を招くこととなる。そして「弱腰」への国内批判はそのまま、石油閥にとっての習近平攻撃の材料ともなる。どの道、嵌められた習近平氏は大変不利な状況になるから、結局彼のとれる唯一の対処法はすなわちこの問題についていっさい態度を表明せず、外交部門に任せて事態の推移を見守ることであろう。

 もちろん、何も発言しないこの態度は結局、習近平氏の無能さと決断力のなさを国民に晒し出す結果となるから、やはり習近平氏の負けである。

突然姿を現した曽慶紅

 窮地に立たされた習近平氏が立ち往生している最中、得意満面で公の場に姿を現したのは、石油閥の陰のボスの曽慶紅氏である。中国の一部メデイアが写真付きで報じたところによると、公職から引退して以来いっさい姿を現したことのない曽慶紅氏は5月14日に突如、江沢民派の古巣の上海に現れた。表向きの活動の内容はある美術館の参観であるが、共産党政治局委員・上海市共産党書記の韓正氏と江沢民氏の子息で上海科学技術大学校長の江綿恒氏が同伴しているから、どう見ても単なる個人的な参観ではない。見事な政治的行動である。

 曽慶紅  江綿恒

 それでは、とっくに引退してめったに姿を現すことのない曽慶紅氏が一体どうして、このようなタイミングで突如姿を現したのか、ということになると、本稿が今まで記述してきたこの経緯からすれば、彼の意図するところは明らかであろう。決戦に臨む江沢民派・石油閥に対する激励であると同時に、相手の習近平氏に対する容赦のない警告でもあろう。

 そして14日の曽慶紅氏の登場はまた、10日ほど前から始まった件の「掘削断行」の黒幕はまさに自分たち石油閥であると自供したようなものである。この堂々ぶりは、曽氏がすでに習近平氏に対する抗戦を覚悟していることが分かる。今後、江沢民派・石油閥と習近平国家主席との権力闘争はますます激しさを増していくことは予想できるであろう。

 ◆米の「本気度」を試す 中国の石油掘削

2014.5.13 産経ニュース

 中国国有企業による石油掘削作業をきっかけに中国とベトナムの公船が衝突するなど南シナ海の緊張が高まっている。米有力紙は「中国側が一線を越えた」背景として、アジア回帰戦略を掲げる米国やベトナム、フィリピンなど東南アジア諸国の本気度を中国が試していると分析。ただ中国も衝突の拡大や孤立は避けたいのが本音で、“弱腰”なオバマ米政権の足元をみつつ、この海域における実効支配を着実に強める構えとみられる。

「一線を越えた」

 8日付の米紙ウォールストリート・ジャーナル(アジア版)は、ブリュッセルに拠点を置く欧州アジア研究所のテレサ・ファロン上級参与の分析を紹介。ファロン氏は「中国は重大な一線を越えた」と断じ、「中国が巨大な石油掘削設備を護衛船団とともに紛争海域に送り込んだことは、地域のエネルギー関係者にとっては『最悪の悪夢』だ」と言及した。「この巨大な設備は(実効支配の)力を誇示するためのものだ」とも指摘している。

 さらにウォールストリート・ジャーナルは「隣国との協力を強化すると宣言する一方で、領土問題をめぐってはその自己主張を強め、地域における信頼構築を阻害している」と中国の習近平政権を批判した。

 また9日付のウォールストリート・ジャーナルは、「オバマ大統領(52)の(4月末の)アジア歴訪直後に中国が石油掘削設備を設置した意図は、ベトナムやその隣国、米政権の決心を試すテストであることは明白だ」との専門家の見方を紹介した。

 一方、「中国の自己主張の強さは、ある程度は国内向けのもので、政権はベトナムと戦おうとは思っていない」とみるのは米ロヨラ大のデニス・マコーナック教授。10日付の米紙インターナショナル・ニューヨーク・タイムズが伝えた。

ウミガメ密漁船を拿捕

 南シナ海のパラセル(中国名・西沙)諸島近くで中国とベトナムの公船が衝突を繰り返していた6日、スプラトリー(南沙)諸島のハーフムーン礁沖ではフィリピン当局がウミガメを密漁していた中国船を拿捕(だほ)し、船長らを拘束した。船内には約500匹のウミガメが積まれ、一部は死んでいたという。ウミガメは中国で強壮剤や装飾材として利用されている。

 このフィリピンの動きに関して、中国の官製メディアは米軍のアジア回帰と関連付けて報じた。

 9日付の中国共産党機関紙人民日報海外版は、中国国際問題研究所国際戦略研究部の蘇暁暉副主任の論評記事を掲載。蘇氏は、フィリピンが中国漁船を拿捕した背景について、「米国の保護と支持をあてこみ、中国に対して示威行為に及んだ」と分析した。

 蘇氏は、4月末に米国とフィリピンが署名した米軍派遣拡大を可能にする新軍事協定や、今月に両国が南シナ海付近で実施した合同軍事演習にふれつつも、「フィリピンは現実をみていない」と主張する。

 「米国はなんとかして中国を押さえ込もうとする一方で、中国との対決に巻き込まれることは避けようとしている。アメリカは中国との新型大国関係の構築を重視しているのだ」

 つまり、中国とフィリピンが衝突しても、米国は政策のあいまい性を維持したまま中国を過度に刺激することは避ける-との見立てだ。

抑制的な国内報道

 2012年4月、フィリピン・ルソン島沖にあるスカボロー礁で、フィリピン海軍が中国の密漁船を拿捕したところ、中国の警備船が現れてにらみ合いとなり、最後は中国の実効支配を許す結果となった。蘇氏はこの事例を取り上げ、「同じ失敗を繰り返せば、穏便にすませることはない」とフィリピンを威嚇している。

 敵対する隣国に対する居丈高な姿勢は相変わらず健在だ。ただ、今回の南シナ海の衝突をめぐる中国の国内向け報道は、現場海域における強硬な態度とは対照的に、やや抑制的なようにもみえる。

 国内でナショナリズムが先鋭化すれば、対外的な強硬策を求る民衆の批判が政権に向かいかねないリスクもある。

 また、中国と事を構えることに腰が引けているオバマ政権の足元をみてはいるものの、中国自身も東南アジア諸国との本格的な衝突は望んでいないとの見方も根強い。(国際アナリスト EX)

http://sankei.jp.msn.com/world/news/140513/chn14051308080001-n1.htm

 ◆米長官、初めて中国を名指し批判「中国の挑戦であることは明らかだ」

2014.5.13  産経ニュース

 【ワシントン=加納宏幸】ケリー米国務長官は12日、南シナ海のパラセル(中国名・西沙)諸島付近で中国とベトナムの艦船が衝突した問題について「最も新しい懸念がパラセル諸島に対する中国の挑戦であることは明らかだ」と述べた。この問題で、米国の閣僚が中国を名指しで批判したのは初めて。シャンムガム・シンガポール外相との国務省での会談で語った。

 ケリー氏は「南・東シナ海の航行に関わる全ての国がこの攻撃的な行動を深く懸念している」と強調。領有権争いの解決に向けた「行動規範」の策定と、国際法に基づいた平和的解決の重要性を訴えた。

 シャンムガム氏は東南アジア諸国連合(ASEAN)外相会議が10日、「深刻な懸念」を表明する緊急声明を採択したことを挙げ、「緊張は望んでいない。全ての当事者が受け入れ可能な形で紛争を解決する必要がある」と応じた。

http://sankei.jp.msn.com/world/news/140513/amr14051308250003-n1.htm

しかし、対露であれだけ経済制裁だなんだとわめき散らして協力を要請しておいて、対支那ではダンマリを決め込むなんて許される筈が無いだろう。こんなダブルスタンダードをアセアンも日本も許してはならない。 
 
◆南シナ海問題で、米中が言っていないこと

2014 年 5 月 20 日 ウォールストリート・ジャーナル

 中国が南シナ海でますます自己主張しているにもかかわらず、米国は、中国を封じ込めようとするつもりはないと述べている。同時に、中国は「平和的台頭」にしっかりコミットしていると主張し続けている。双方とも、そう装っているだけなのか。

 答えは複雑だ。「イエス」と考える向きもあるし、米中双方とも互いの利益を守るため「ヘッジ(つなぎ)」をして、公然たる対決を回避しようとしている、との主張もある。

 米国は、中国封じ込めが米国の目標ではないとはっきり明言している。オバマ米大統領は先月のアジア歴訪で、「われわれは中国封じ込めに関心がない」と述べた。この発言は驚きではない。封じ込めを米国の公式な戦略と認識すれば、北京から怒りの反応を引き起こし、重要な分野で中国の対米協力を減じ、双方の対立を激化させるだろう。

 だが、北京には納得できない理由がある。オバマ政権第1期に発表されたアジアに軸足を移すという方針が、この地域における中国の経済支配に風穴を開けようと意図しているのは明らかだ。最も注目されるのは、オバマ政権が環太平洋連携協定(TPP)交渉の進展に懸命になっていることだ。TPPは12カ国の協定で、中国を排除しているが、米国の同盟国、とりわけ中国最大のライバルである日本を含んでいる。米軍はまた、部隊をアジア太平洋地域にシフトする計画で、2020年までに米海軍力の60%を太平洋に配備すると発表した。

 一方、先月のメディア報道によれば、米太平洋司令部はアジア海域の紛争水域での中国による将来の挑発行為に対し、どのように強制対応するか選択肢を準備したという。こうした選択肢には、中国本土近くでのB2爆撃機の示威的な飛行から、中国の沿岸水域近くでの空母演習まで、さまざまある。

 加えて、米軍はオーストラリアのダーウィンに海兵隊を配備する。またフィリピンに米軍部隊を戻す一方、日本との確固たる軍事協力に関与する。そしてベトナムとの関係緊密化を模索している。

 ワシントンは、中国封じ込めの努力を否定するかもしれないが、北京は米国のアジア軸足戦略を文字通り受け止めている。

 同時に、中国は米国主導の世界秩序を脅かすことに関心がないと否定するのかもしれない。だが、米政策立案者、専門家、そして知識人の間では、中国のいわゆる「平和的台頭」構想はまやかしだとする傾向が高まっている。

 オバマ大統領がアジア歴訪を終えて1週間も経たない時に、中国国営石油大手は南シナ海に深海用石油掘削リグを配備した。中国とベトナムが領有権を主張している係争水域だ。ベトナム当局によれば、中国はこの掘削リグの配備と同時に船舶約80隻も派遣し、ベトナム沿岸警備隊の艦船に衝突し、放水したという。

 中国は、南シナ海の島々をめぐる「紛れもない主権」を保有していると主張している。これに対しワシントンは、最近の出来事と、主権をめぐる最近の中国の主張について「挑発的で有害」と断じ、領有権紛争解決のためのいかなる威圧的な手段も非難するとしている。

 こうした中国の行動は、中国が強まる軍事力を躊躇なく行使して、近隣諸国を脅し、アジアでの米国の覇権に挑戦するだろうとの見方に火を付けるだけだろう。南シナ海における最近の乱闘以前でさえ、米共和党のリンジー・グラハム上院議員は既に、中国の態度を「鼻持ちならない」と表現し、北朝鮮への支援、米知的所有権の侵害、米国に対する数多くのサイバー攻撃を非難している。

 非難の声の中で、封じ込めの熱心な提唱者である政治学者のジョン・ミアシャイマー氏は、アジアの将来について、米国が中国との間で「戦争の潜在性が相当ある安全保障上の激しい競争」状態に置かれるだろうと予言している。

 だが実際には、米中双方は潜在的に破滅的な結末の回避のため、ヘッジをしている。戦争を想定する一方で、可能なところで協力しているのだ。

 とどのつまり、公然たる対決は、米中双方にとって何の利益にもならない。おう盛な米中の経済関係は、年間貿易額約5000億ドルという実績にみられるように、二国間の相互依存の最良の指標となり続けている。共通の利益は他のところにも見られる。それは緊張を伴う国家安全保障分野も含まれる。例えばヘーゲル米国防長官は、4月に北京に滞在した際、米国と中国の軍部が協力すべき分野として、海賊対策、人道支援、軍事医学、海上安全を挙げた。そして米国は北朝鮮けん制で中国から協力を熱心に求め続けている。

 実際のところ、現在の米中軍事協力の範囲の広さをみれば、多くの米国人は驚くかもしれない。米海軍作戦部長を務めたゲアリー・ラフヘッド退役大将は、米海軍と中国人民解放軍海軍が日々、海賊対策で協力しているとしばしば指摘する。アフリカ東岸沖合のソマリア海盆でほぼ5年間、多国籍活動の一環として行っている協力だ。

 米国がヘッジするなかで、その行動の方向(封じ込めの正式な宣言への道を含む)は中国の意図と侵略性に対する見方に大きく依存するだろう。もし中国が米国の威嚇と再保証(脅しとすかし)に前向きに対応しない場合には「米国の決意を疑うべきでないと言いたい」とラフヘッド氏は言う。

 中国とベトナムは厳しい対峙(たいじ)を続けている(そして他の近隣諸国とのあつれきも続いている)ものの、米国が描こうとしているような侵略者ではない、と中国は一貫して主張している。中国側は、太平洋には米中双方にとって十分なスペースがあると言う。復旦大学の沈丁立(Shen Dingli)教授(国際問題研究院副院長)は「中国は平和的台頭戦略から大きな恩恵を受けられる、と北京は依然みていると思う」と指摘している。

 中国の台頭が実際にどの程度平和的になるか、その判定は現時点で下されていない。 

 <筆者のYing Ma氏は「Chinese Girl in the Ghetto(ゲットーの中の中国人少女)」の著者で、香港の公共放送局である香港電台で「China Takes Over the World(中国が世界を征服する)」の司会を務める。ツイッターは@gztoghetto >

http://jp.wsj.com/news/articles/SB10001424052702303923004579573474173530800?google_editors_picks=true

◆中ロが欧米に対抗、CICAでアメリカ抜きの枠組み提唱

2014年05月22日 TBSニュース

 中国・上海で開かれた「CICA=アジア相互協力信頼醸成会議」と呼ばれる、あまり聞き慣れない名前の国際会議の様子です。習近平国家主席の隣には、ロシアのプーチン大統領が立って親しげに話しています。この会議で、中国とロシアが揃って欧米に対抗する新たな枠組みを提唱しました。

 「第三国に対する軍事同盟強化は、地域の安全の維持にとって利益にならない」(習近平国家主席)

 基調演説で、中国の習近平国家主席は「アジアの安全はアジアの人の手で守るべき」だと、尖閣を巡る対立や南シナ海で緊張が高まる中、背後で影響力を強めるアメリカをけん制しました。このCICA(アジア相互協力信頼醸成会議)は、カザフスタンが提唱して92年に創設されましたが、今回の会議を主導したのは、日本やベトナム、フィリピンとの対立を抱える中国。そして、ウクライナ情勢を巡り、欧米との対立を深めるロシアです。

 会議に先立って、20日には習主席とロシアのプーチン大統領が会談し、共同声明で「ドイツファシズムと日本軍国主義への勝利70周年の記念式典を合同開催する」ことなどが盛り込まれました。また、中ロ海軍による合同軍事演習も行われ、軍事面での結束もアピールしました。

 また、開幕式の前にこんな一幕も。入場する出席者の一人一人と習主席が握手する様子が生中継される中、日本、フィリピン、そしてベトナムの代表との握手の場面は流れませんでした。

 会議は、アメリカ抜きの新たな安全保障の枠組みを盛り込んだ「上海宣言」を採択して閉幕。

 「アジアの安全保障の枠組みと 新たな枠組みの構築について、有益な検討を行った」(中国 習近平国家主席)

 これまで地味な「地味な存在」だったこの会議を、中ロが一致し欧米に対抗する新たな安全保障の枠組みを作るため「力のある存在」にする決意が示された形となりました。(21日20:43)

http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2206202.html

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正式加盟国:現在24カ国 

アフガニスタン、アゼルバイジャン、バーレーン、カンボジア、中国、エジプト、 
インド、イラン、イラク、イスラエル、ヨルダン、カザフスタン、キルギス共和国、 
モンゴル、パキスタン、パレスチナ、韓国、ロシア、タジキスタン、タイ、トルコ、 
アラブ首長国連邦、ウズベキスタン、ベトナム 

オブザーバー:13(国家・国際組織) 

バングラデシュ、インドネシア、スリランカ、フィリピン、日本、マレーシア、 
カタール、ウクライナ、米国、テュルク評議会、国際連合、 
欧州安全保障協力機構(OSCE)、アラブ連盟
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【CICA】習近平主席「アジアは米国の物じゃない 俺達の物だ」 露「・・・」 会議のオブザーバー日米も失笑レベルの演説www

2014年05月22日09:00 おーるじゃんる

南シナ海を巡り緊張が高まる中、アジアの安全保障問題などについて議論するCICA=アジア相互協力信頼醸成会議が中国の上海で開幕しました。会場からの報告です。 
「開幕式が始まり、議長を務める習近平国家主席が基調演説を行っています」(記者) 
会議には、47の国と地域、それに国連などの国際組織が参加していますが 
実態は中国とロシアを中心とする新たな安全保障の枠組み作りの場といえます。 
会議に先立ち、20日、習近平国家主席とロシアのプーチン大統領が会談し 
両国の連携をアピール、同じく20日から、上海沖の東シナ海で中ロ海軍の合同軍事演習も始まり 
まさに軍事面でも中ロの強い結束を見せつけました。 

沖縄県の尖閣諸島をめぐる日本との対立や南シナ海でのベトナムやフィリピンとの対立を抱える中国としてはこの会議の機能や役割を強化していきたい思惑もあります。 
会議には、日本とアメリカもオブザーバーとして参加していますが、各地でパワーバランスの変化がみられる中周辺国や欧米諸国との対立を深める中国、ロシアの両国が、国際社会で存在感を強めるきっかけになるかどうか。会議は21日午後まで行われ、新たな安全保障の枠組み「新アジア安全観」を盛り込んだ上海宣言が採択される見通しです。 

http://crx7601.com/archives/38949892.html

今回の中露会談まとめ 

プーチン「約束通り、演習及びすべての経費はお前持ちな」 
近平「・・・・はい」 
↓ 
プーチン「ガス買えや」 
近平「・・・・・はい」 
↓ 
>>共同声明 
↓ 
プーチン「帰るから見送れや」 
近平「・・・・・はい」 
↓ 
モスクワにて 
プーチン「あ、ベトナム?どうよSu-34は、ん?それ使って中国人殺しまくっていいよ」 
プーチン「武器ほしい時はどんどん注文してくれや。そんじゃ」

◆「現代中国にはいかなる創造性もない」、米副大統領が発言

2014年6月2日 大紀元日本

米副大統領ジョー•バイデンは空軍士官学校卒業式での講演で、現代中国ではいかなる革新的なものも生まれていないと指摘した。同副大統領は以前にも、「技術革新は自由に呼吸できる場所で起こる」と同じ主旨の発言を繰り返し、中国の抑圧政策や独裁が創造性をつぶしていると中国を批判した。 米CNNが報じた。

 バイデン副大統領は5月28日に行われた同講演で、「中国で毎年卒業する科学者やエンジニアの人数は米国の6~8倍に上っている。しかし、中国から革新的なプロジェクト、革新的な変化、革新的な製品が一つでもあれば、ぜひ教えていただきたい」と発言し、この現状を作り出した理由は中国で進められている人権抑圧にあると指摘した。

 バイデン副大統領によると、90年代、米国人が日本は大きな脅威や経済の競争相手になることを懸念していた時、彼は人々に「未来は日本にある」と話していたという。人々は現在、また同じように中国を言及しているが、同副大統領は「私は中国の成功も願いたいが、ちょっと勘弁してください」と述べた。

 昨年12月の訪中で、バイデン副大統領は習近平主席に、「人権が尊重されていないと感じている人が米国にやってきた。自由は米国のDNAに刻まれている」と伝えたという。

 米通信社ブルームバーグによると、同副大統領は2012年にアイオワ州を視察した時も、学生らに「中国はなぜ、私たちの知的財産を盗むのか?中国ではなぜ、何の革新もないのか?もしあなたもインターネット上で発した言論が削除されたり逮捕されることを心配しなければならないならば、人と異なる考え方を持つことは不可能だ」と語った。

 バイデン副大統領の演説について、中国外務省からはコメントが出ていない。

(翻訳編集・王君宜)

http://www.epochtimes.jp/jp/2014/06/html/d55336.html?ref=rss


社会主義文明を何一つ創出できなかった支那共産党

2014-06-03 04:48:14 | 資料

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
平成26(2014)年5月30日(金曜日)
       通巻第4255号  
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 米国下院本会議、中国に「民主活動家の解放」を要求決議
  中国は基本的人権を尊重せよとの決議に反対が一票でた
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 5月28日、米下院本会議は中国政府に、「天安門事件25周年」を前に拘束している自由民権の活動家、弁護士、ジャーナリストらの開放を要求し、同時に基本的人権の尊重を求めた。
 賛成379 反対1。
 
 また下院委員会は元民主活動家を議会に招き公聴会で証言させる。
 米国内では中国政府糾弾の運動が燃え上がっている。日本でも自由民権派の集会が開かれるほか、31日と6月4日には中国大使館への抗議でもが行われる。
      ◎◎ ◎◎
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 ◆書評 ◇しょひょう ▼ブックレビュー ◎BOOKREVIEW◆ 
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 沈みゆく「ぼろ船」(中国)から速く逃げよう、が合い言葉
  文明の自殺を自ら率先してきたツケは、深刻な危機となって出現した

  ♪
黄文雄『中国が世界地図から消える日』(光文社)
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 なんとも刺激的な題名、大洪水か、それとも地殻変動など自然災害に遭遇しても、地域的には消えるかも知れないが、中国そのものがなくなることは考えられない。
であるとすれば、黄さんは、どのような比喩で中華帝国がこの世界から消滅するというのだろう?

 そうではない。
中国人が中国から逃げ出す、あの大陸は砂漠と煤煙とPM25と洪水による荒れ地になり、人間が住めなくなり、賢き人や党幹部は海外へ逃げ出せば残るのは貧乏人と砂漠だけというのだ。
そして「ノアの箱船」はすでに去った?

 公式統計による海外移住はすでに930万人にものぼると中国は公表しているが、それは正式な手続きを経て、移住をすませた人員であり不法移民も留学生も短期駐在も算定されていない。中国人の若者の多くは、留学すれば帰国しない。不法移民はアフリカであれ、戦争中のイラクであれ、ともかく出国する。祖国を簡単に捨てる。愛着がないからである。

 おそらく2000万人が中国に「おさらば」をしていると想定される。それは世界各地のチャイナタウンにおける増殖ぶりを目撃しても想像がつく。

 太子党の多くは香港でダミー会社をつくり、あぶく銭をマネーロンダリングして、英領バージン諸島に送金し、そこで「外国籍」となった熱銭が環流して中国の不動産バブルの元凶となり、株式投資や高利貸しの軍資金に化け、ふくらんだカネは、本格的にスイスやリヒテンシュタインなどにも移されたあげくに、欧米や豪で豪邸、別荘を買い、カリフォルニア州には中国人専用の妾村までできて、いやはや出鱈目もここまでくると壮観ですらある。

 黄さんは「狡猾な中国ネズミは沈みゆく船から逃げ出し始めた」。このことは、「『亡党亡国』への激流」だという。
かくして『夢破れし中国に明日はない』と。

 そして結論する。

 これは「文明の自殺」であり、「中国人はすくなくともここ150年来、政治、経済、社会制度から文化、思想にいたるまで、殆どが自国文明の放擲を中心とする運動にあけくれていた。アヘン戦争後の19世紀後半から中国の改革、革命、運動をみるかぎり、すべてがこの『文明の自殺』の死への行進である。自強(洋務)運動は西洋物質文明の受容運動、戊戌維新と立憲運動は西洋的政治制度の受容、辛亥革命は中華文明の国体政体の全面否定、五・四運動は中華精神文明の全面否定、新生活運動は日本的な文化生活の導入、社会主義革命は国体否定、文化大革命は文化の全面否定(破四旧)、改革開放は本格的な文明の自殺の死の行進である。(中略)その行進中『社会主義文明の創出』を党大会でのたびに決議していても、『新文明』を何も創造出来なかったどころか、死の行進は加速化している」。

 だから中国には全く夢も希望がなくなった。
中国文明はきえてなくなる危機に直面しており、いずれ「残るのは中華料理だけ」だろう、と最後の予測は辛辣である。
      
http://melma.com/backnumber_45206_6035803/

◆中国、こんどは「アジア開発銀行」の別働隊を画策して日米に敵対

日本会議地方議員連盟 2014/05/30 

元人民銀行長「日米中心のアジア開発銀行に限界…中国が主導を」2014年04月28日09時12分 [ⓒ 中央日報/中央日報日本語版] 

載元銀行長は、中国がアジア地域の開発金融も主導しようとする戦略についても言葉をはばからなかった。彼は「アジア地域のインフラ建設資金を供給できる銀行を設立するために、

中国政府内にタスクフォースチームが設けている」として「これは昨年11月の中国共産党3中全会での決定事項でもある」と明らかにした。彼は「日本とアメリカが主導しながら、

日本が総裁の席を独占している現在のアジア開発銀行(ADB)では限界がある」として「中国が主導する新しい投資銀行の設立が必要だ」と強調した。 

事実、ADBでの中国の持分率は約6.4%で米国や日本の半分程度だ。載元銀行長は「モンゴル・北朝鮮などで道路や港湾などを建設する仕事が多い」として「インフラ建設銀行を設立すれば中国が500億ドル程度は簡単に出資できる」と話した。 

このほかに載元銀行長は韓日中の自由貿易協定(FTA)交渉も速やかに妥結しなければなければならないと促した。最近、歴史問題などで揺らいでいる韓日関係と日中関係を意識したように「政治と分離して(進めていくこと)は難しいが、貿易問題をうまく解決すれば政府間の課題解決にも役立てる」と話した。 

★戴相龍=中国の高度成長期である1995~2002年まで中央銀行の人民銀行長をつとめた。在任期間中にアジア通貨危機(1997年)を体験し、韓国の金融当局者らとの接触を積み重ねた。人民銀行長からの退任以後、2007年まで中国の4大直轄市の1つである天津市長を経て最近まで社会保障基金理事会の理事長をつとめていた。  

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中国、こんどは「アジア開発銀行」の別働隊を画策して日米に敵対
  軍事力ばかりか、アジア金融ビジネスでも露骨に主導権を狙い始めた
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 5月5日からカザフスタンで開催されたアジア開発銀行(ADB)年次総会で中国側の増資要求はあっさりと蹴られた。
ADBの出資国筆頭は米国と日本がそれぞれ15・6%で、中国は6・4%,インドが6・3%,豪が5・8%となっている。このため歴代総裁は日本人が務めてきた(現日銀総裁の黒田氏はADB総裁出身)。中国は増資によって日本が九代連続で担ってきた総裁ポストを露骨に狙っていた。

 カザフスタンでの年次総会で中国が提案要求した新規増資が認められないと分かるや、中国はアジア向け「インフラ投資銀行」(AIIB)を設立し、新興国への貸し出し業務に乗り出すと提唱した。

要するに新興国にカネを貸すことによって、アジア諸国を経済的のみならず政治的に中国の味方に取り込みをはかる間接戦略である。資本金は500億ドルだとういう。しかも日本と米国をメンバーから外す構想。あまりに露骨な別働隊!
 シンガポールの「ビジネスタイムズ」(14年5月5日)は、このAIIB構想は物議を醸していると報じた。

 中国のGDPは日本をぬいて世界第二位だから、銀行の設立などそれほどの難事業ではない。しかし中国は「ジニ係数」が0・47(実際は0・51)と北朝鮮より劣悪であり、国内の銀行が西側の基準から見れば情報開示が不透明このうえなく、不良債権の闇は一切公開されず、本当のところ、経営は危機的水域にある。にもかかわらず新しい貸し付け機関を本気で新設しようというのだから、途方もなく無謀なのである。

 なぜ無謀と言えるのか。

 中国開発銀行という謎の金融機関がある。中国経済の闇、魔可不思議な金融システムの仕組みは、この「銀行」まがいの共産党別働隊の存在である。いや、この銀行こそが不動産ブームを演出し、中国の都市化プロジェクトを資金面でささえる推進役、ダイナミックな牽引車として機能してきたのだ。

 この銀行の胴元は中国政府、そして四大国有銀行である。すでに貸付残高が100兆円を超えており、おそらく世界最大の金融機関であるが、何をしているか具体的には誰も知らない。
 主たる機能は地方政府の「投資平台」などが起債する債券を買い取り、あるいはプロジェクトに融資する。当然、金利は徴収する。

 あまりにも便利なため地方政府が乗っかった。たちまち10000社の「投資平台」が雨後の竹の子のように出来た。この受け皿にあぶく銭が注ぎ込まれ、そして中国全土にゴーストタウンが出来た。
 (詳細は拙著最新刊『「中国の時代」は終わった』(海竜社、本日発売)。

 ▲あのチャベスの胴元だった

 ベネズエラの原油鉱区などに中国開発銀行が膨大な資金を出資し、鉱区を開発する中国企業に途方もない資金を貸している。
 世界市場を席巻する「華為技術」や「ZTE(中国通訊)」に天文学的融資枠(450億ドル)を与えている。ベネズエラ前大統領のチャベスは、「中国こそ我が同士」と公言して憚からなかった。

 中国国産車の「奇瑞」に巨額の信用枠を与え、これによって同社は輸出を振興し、おどろくなかれ、エチオピアやベネズエラなど海外にも生産工場をつくった。
 太陽電池パネルのメーカーに野放図な融資を繰り返し国際競争力をつけさせた。欧米はこれぞ『事実上の補助金つき輸出だ』とWTOに提訴した。

 具体的にいえばベネズエラの原油二十年分を担保にインフラ整備などに援助するわけだが、プロジェクトは中国企業が請け負い、そしてエンジニアは中国人が派遣されてくる。アンゴラも、スーダンも同様な手口である。地元にはなにほども還元されず、太るのは中国と結んだ独裁者、あとの元金利息の支払いは野となれ山となれ、だ。

 ましてベネズエラは戦後だけでも八回ほどデフォルトをやらかし、ときどき鉱区の国有化を宣言するというカントリーリスクを背負っているが、中国はこうした方面を顧慮していないようだ。

 華為技術がなぜ世界一に急進できたか。
進出する市場で驚くほどの条件を示してユーザーを横からさらうからだ。簡単に言えば支払いは一年後でも二年後でもOK、金利はLIBOR プラス 2%程度。これならビンボーな地域でも爆発的に売れるからマーケットシェアはいきなり拡大するのだ。

 奇瑞自動車なんて日本人には聞いたことのない自動車メーカーだ。
そもそも燃費効率も悪いうえ、故障が多く、「アフターケアも貧弱」なので、誰も買わない代物だが、ローンの条件がよければ(たとえば韓国の「現代」自動車は試走実験でリットル12キロ、一台買えば、二台目をただにしますとか出鱈目な条件で売り出した)、そこそこのシェアを取れるだろう。
せっかく購入しても、故障で動かなくなる。補償は殆どされず、こんなクルマ買うんじゃなかった、とうめきのようなユーザーの声が聞こえる。
 この潤沢な資金を供給し続けるのが『中国開発銀行』である。

 ▲謎だらけ、誰が運営しているのか?

 中国国内を見渡しても、不動産バブル瓦解が始まっているが、もともと地方政府の投資平台のいい加減な目論見書に基づき、片っ端から貸し付けをおこなってきたのが謎の銀行「中国開発銀行」である。

 この銀行のボスは陳元。そう、あの陳雲の息子である。
 陳雲は革命元勲の一人、毛沢東の「大躍進」を批判し、そしてトウ小平の「改革開放」を徹底的に批判して、「鳥かご経済」を主唱した保守派の黒幕、その息子が、辣腕をふるうのが、この銀行なのである。

その仕組みはこうだ。
地方政府は図面に線を引いて農民から強制的に取り上げる農地を勝手に担保として設定し、さらに地方政府の持っている水道会社などの資産を担保に、巨額の融資をうけてハイウエイ、団地、ショッピング・モールを建設する。いや、その前に「ホワイトハウス」と呼ばれる白亜の豪壮なビルをたてる。それらの新築ぴかぴかの建造物は大方が地方政府庁舎、共産党地区委員会本部、裁判所、議会などである。

 しかし結果は悲惨の結末を方々で産んできたのも事実で、たとえばエチオピアのガラス工場は年間5万トンの生産目標で工場を造成したが、国内需要は二万トンもなく、残りを周辺国へ輸出しようにも港までのアクセスは悪路、輸送費がべらぼうということがわかり中国がせっかく造った工場は閉鎖された。

 ミャンマーの水力発電ダムは突如工事が中断され、中国とミャンマーは爾後、口も訊かない冷却関係となった。
 
 5月27日に「対外純債権国家」ランキングが発表されたが、日本325兆円)につぐ第二位は中国(207兆円)だった。対外純債権のなかみは霧の深い闇に覆われている。
 それでも李克強首相は「都市化をすすめる」と公言しており、リコノミクスの中軸は、強気の「建設! 建設! 建設!」である。

 そして中国が新しく呼びかけている「アジア投資銀行」なるシロモノ、危なくって仕方がないのではないのか。

http://prideofjapan.blog10.fc2.com/blog-entry-5796.html

◆重金属による中国の食糧汚染、年間1200万トン 詳細を国家機密にして逆に広がる疑心暗鬼

2014.5.29 産経ニュース

 中国の土地汚染がますます深刻化している。ある農業の専門家によると、毎年、1200万トンもの食糧が重金属によって汚染されているという。政府は今年4月に初めて「全国土壌汚染状況調査公報」を発表したが、その内容はかなり大雑把なもので、より詳細な内容は「国家機密」を理由に公開されていない。公開することによって、各地でパニックが起こるのを恐れているのだろうか。

 「全国土壌汚染状況調査公報」は、2005年4月から13年末までの長期にわたって全国調査した結果をまとめたもので、調査面積は630万平方キロに及ぶ。それによると、汚染物質によって基準を超えている土壌は全国の16.1%に達している。軽微、軽度、中度、重度の4段階に分けると、それぞれ11.2%、2.3%、1.5%、1.1%となっている。

 汚染物質ではカドミウム、水銀、鉛といった重金属が全体の82.8%を占めている。地域別には長江下流域や珠江デルタなど南方の汚染が際立っている。このほか工業廃棄物関連では、調査した81カ所のうち約35%が基準を超えていたなどのデータが載っている。

 だが中国紙の経済参考報は、公表されたデータだけでは全体の傾向は把握できたとしても、個別の詳細な状況は未公表なので、被害の本当の深刻さが分からないと厳しく批判している。

 昨年初めに、北京のある弁護士が環境保護省に対して土壌の汚染状況の詳細データを公開せよと要求書を突きつけた。ところが返ってきた回答は、国家機密なので公開できないという内容だった。

 昨年初めに、北京のある弁護士が環境保護省に対して土壌の汚染状況の詳細データを公開せよと要求書を突きつけた。ところが返ってきた回答は、国家機密なので公開できないという内容だった。

 中国農業大学の朱毅副教授によると、毎年1200万トンもの食糧が重金属によって汚染されていて、被害金額は200億元(約3270億円)に達する。失った食糧で4000万人も養えるという。

 経済参考報の記者が汚染のひどい珠江デルタなどを視察した。広州市では昨年、コメを抜き取り検査したところ、カドミウムの基準を超えていたものが44.44%に達した。とりわけ広州市北方にある韶関大宝山という鉱山は汚染が深刻という。

 こうした詳細な情報を公開すれば、あるいは地元住民はパニックに陥るかもしれない。しかし情報を公開しないから、余計に住民が疑心暗鬼になっているともいえる。多少の混乱があっても、まず実態を明らかにすることが、問題解決のスタートになるのではなかろうか。(拓殖大学名誉教授・藤村幸義)

http://sankei.jp.msn.com/world/news/140529/chn14052907230005-n1.htm

◆【あめりかノート】融和策に限界「中国はやはり敵」 硬化するワシントンの対中姿勢

2014.05.26 zakzak by夕刊フジ

 「中国はいまや全世界の平和と安定と繁栄への主要な脅威となった!」

 米国議会下院外交委員会の20日の公聴会ではこんな強硬な言葉が出た。米国の対アジア政策についての討議、かねて対中強硬派とされる共和党のデーナ・ローラバッカー議員の発言だった。だが他の議員らからは反対の声は出ない。

 しかもオバマ政権を代表する証人のダニエル・ラッセル国務次官補も、ベトナムの排他的経済水域(EEZ)内での中国による石油掘削を「一方的、武力的、違法」などと激しく非難した。いまやワシントンの国政の場では中国への姿勢が超党派で劇的に硬化した。オバマ政権の誕生以来5年半近く、ついに米中新冷戦が本格的に始まったようなのである。

 異様な急ペースの大軍拡、東シナ海での防空識別圏(ADIZ)の一方的宣言、尖閣諸島(沖縄県石垣市)での恒常的な領空領海の侵犯、南シナ海での無法な領有権拡張、対米サイバー攻撃、そして他国領土を強引に奪うロシアへの接近…中国の国際規範無視の荒っぽい行動はついに米国側の忍耐の限界を超えたという感じなのだ。

 最近ではさらに中国軍の房峰輝総参謀長が訪米し「アジアでの紛争は米国のアジア政策のせいだ」と非難した。習近平国家主席は上海での「アジア信頼醸成措置会議」で「アジアの安全はアジアの人間が守る」と述べ、事実上、米国のアジア撤退をも求めた。

 こんな現状は米側では以下のようにも総括された。「中国に対し米側には伝統的に『敵扱いすれば、本当に敵になってしまう』という自粛が強く、中国を『友好国』『戦略的パートナー』『責任ある利害保有者』『核拡散防止の協力国』などとして扱ってきた。だが40年ものその融和にもかかわらず、中国はやはり敵になってしまった」
(元国防総省中国担当ジョー・ボスコ氏)

 オバマ政権の対中融和政策は実にけなげだった。中国を既存の国際社会に普通の一員として迎え入れ、既存のルールを守らせようと努力した。日本国憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」という表現をも思わせるナイーブな姿勢だった。

 オバマ大統領は4月のアジア歴訪でも中国の領土拡張への堅固な対応を語る一方、中国への平和や友好のアピールを繰り返した。だがオリーブの枝は中国の無法な言動に排され、米国内部で中国への反発が高まった。「中国はアジアの平和と安定の基礎となってきた国際秩序を確実に侵食している」(アジア安全保障専門家ブラッド・グロサーマン氏)という認識が定着したといえる。その背後にはオバマ政権の対応が弱すぎたことが中国の拡張を許したという批判が広がっている。

 そうした中国がいまやロシアに接近する。この両国が連帯して米国に対抗するとなると、世界の安全保障構造は根本から変わるわけだ。そんな世界大動乱の危険のなかで集団的自衛権での国際連携に反対する日本内部の勢力が描くのは、砂に頭を突っこむことで見たくない現実から目を背ける、ダチョウの平和だともいえそうだ。
(ワシントン駐在客員特派員・古森義久)

http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20140526/frn1405261531006-n1.htm

http://crx7601.com/archives/39055929.html

◆衝撃のシミュレーション「7つの中国と1つの朝鮮国家」, 2014/5/4

書評レビュー対象商品:『 中国崩壊前夜』―北朝鮮は韓国に統合される

今、「中国の崩壊」は我々個々人でさえその到来を予見出来るほど情勢が定まってきた。

一党独裁の弊害、単一共和国が抱える矛盾、とても養うことの出来ない世界最大の人口、政治家、官僚、共産党員のみならず人民解放軍、警察、司法、民間などあまねく存在する数々の腐敗、シャドーバンキングなどの金融大崩壊、土地バブルなどの経済大崩壊、海外への巨額の資産流出、異常なほど高い若年層の失業率、究極の格差社会、脆弱なセーフティネット、凄惨な少数民族弾圧、末期状態の環境破壊、毎年数10万件の人民暴動、急速な少子高齢化、全く信用出来ない数々の公式発表数値、無いに等しい民度、目先の利益優先で全く育たない技術と伝統、野放図な市場経済でもたらされる壮大な過剰在庫、などなど

まるで世界のあらゆる負の遺産が凝縮したような中国の現状は様々なメディアで指摘が始まっており、本書でも新しい知見を加えて詳細に分析されている。
その結果として「中国の崩壊」はすでに確定しており、もはや「いつ」クラッシュするかに焦点が移っている。

そして本書で新たに示された東アジアの未来があまりにも衝撃的だ。

「中国の崩壊により、人民解放軍区を基準とした7つの独立国家と1つの朝鮮半島国家が誕生する」
「そして7つの独立国家は国同士での激しい戦争(内戦)状態になる」

アメリカ政府は中国崩壊から始まる世界動乱(端的に核兵器の拡散と核テロ)を警戒し、すで上記のシミュレーションを元に様々なカードを切っていると言う。なるほどだとすれば最近のオバマ大統領の言動など納得いくものがある。

本書によれば中国に滞在するアメリカ人はアメリカ政府の方針によりすでに1万人ほどに減ったそうだ。ここ数年のうちに始まる(と予想される)中国国内での内戦、動乱から1人でも多くのアメリカ人を救出するために念入りに方策が立てられていると言う(たとえば長距離移動が可能なオスプレイの性急な配備)。
対して中国に滞在する日本人の数は「14万人」。だれもが納得すると思うが、今現在この14万人全てを救う手だてはほとんど無い。中国崩壊が始まれば平和ボケした日本政府、日本国民は右往左往するだけで何も出来ないだろう。

ところで本書では韓国の経済状況にも触れており、これも最近広く認識されてきた通り悲惨な現状が独自の視点で考察されている。また、本書に記述は無いが最近の旅客船沈没事故で自ら発せられた「韓国は、三流国家だった」の言葉通りその民度はお隣中国人民とさほど変わらないレベルであろう。その国が新たに2000万人もの大貧民を抱えることになるのだ。おそらくあらゆる面で国家をうまくコントロールすることが出来なくなるだろう。7000万人に達する大混乱国家が突如として隣に出現する未来など想像しただけで私自身も混乱してきそうだ。

中国崩壊後の東アジア、世界秩序の回復には数10年を要するだろうが、その成否は極論でアメリカと日本にかかっていると本書で示されている。7つの中国と1つの朝鮮国家がさらに「反日」を強めるのか、それとも手のひらを返して救済を懇願してくるのか分からないところはあるし歴史的観点からも対応が難しいが、日本が「世界のリーダー」たるべき素養を性急に築き上げていく必要があるだろう。是非本書を熟読頂き志を共有して頂きたい。

◆人材も資産も国外へ――中国からの流出が止まらないわけは

2014.05.11 CNN.co.jp

 香港(CNN) 中国で人材の国外流出が止まらない。北京に本拠を置くシンクタンク「中国グローバル化研究センター」(CCG)の調べによると、2013年、海外で暮らしていた中国人は850万人で、多くは中流階級だ。一方、中国に移り住んできたのは、わずか84万8000人にとどまる。

共産党機関紙「人民日報」はこの状況を「世界最悪の頭脳流出」と伝えた。

中国人が大挙して海外移住する例は過去にもあったが、今回は資産と人材が流出するという意味で、かつてない現象だ。何がこの国外脱出を促しているのだろうか。また、こうした流れに抵抗するため、中国政府は有効の対策を取れているのだろうか。

財産の保全

海外移住を加速させている要因としてまず挙げられるのは、富裕層の資産防衛だ。

この背景には、習近平(シーチンピン)国家主席が汚職対策を精力的に進めた結果、コネのある富裕層も当局の摘発から逃れ切れなくなっている現状がある。不正な収入を得た幹部が妻や子、資産を海外に移す「裸官」も、こうした富裕層に含まれる。

移住者の数は年々増えており、中国の富豪番付として有名な「胡潤百富榜」によると、富裕層の64%がすでに移住に取り掛かっているか、来年の移住実現に向けて計画を練っているという。

中国人が外国に移住するにあたっては、米国をはじめとする先進国で発行される外国人投資家向けのビザを活用することが多い。

ただ、投資ビザを巡っては論争もある。カナダの移民当局は先ごろ、申請者数が膨大になったことや国内で反対の声が強まったことを受けて、多額投資への見返りに永住権を与える移民プログラムを廃止した。海外移住希望の中国人にとっては残念なニュースとなった。

教育と仕事

財産保全以外にも、スキルがより評価される場所で職の機会をみつけたいとか、より高水準の教育を受けたいといった動機で海外移住する場合もある。ポストドクターや博士課程の学生がチャンスをうかがってしばらく海外に残ることも多い。

中国では就職にあたってコネによる採用が主流であることも学生たちが帰国をためらう要因になっている。

健康は宝

大気汚染による健康被害への不安も、外国移住増加の主因の一つだ。北京をはじめとするとする中国東北部では大気汚染によるスモッグが深刻化しており、健康に悪影響をおよぼす水準にまで達することもある。

こうしたなかで、お金に余裕がある層は真剣に海外脱出を考えだしている。

人材争奪戦

それでは、このような資産や頭脳の流出は、中国にとってどれほどの痛手となっているのだろうか。

CCGのディレクターである王輝耀氏は、この現象を中国経済の長期的な変革に対する脅威と捉える。同氏は「米国は79億人から人材を選べるが、中国の人材は13億人だけだ」と指摘。移民局を設立して、高い技術を持った外国人働者の受け入れを拡大するよう政府に働きかけている。

もっとも中国当局も手をこまねいているわけではない。流出した人材の国内環流に向けて積極的な動きを展開している。2009年には政府肝いりで「1000の才能プログラム」が立ち上げられた。トップレベルの科学者や起業家を母国に呼び戻そうという試みだ。

これは手放しの成功とはいかなかったが、CCGは、技能の習得や人脈の拡大など、人材の国外流出にも良い面はあるとしている。

http://www.cnn.co.jp/world/35046264.html?tag=mcol;relStories

◆米国で広まる中国企業排斥の動きーー肥大化した徳なき「大国」の自業自得

2012.10.30(火) 姫田 小夏 JB PRESS

 日本政府による尖閣国有化を発端とした対日制裁に、中国政府は「因果応報」という言葉をしばしば使い、「数々の報復措置は日本に起因する」と主張している。そして、「抵制日貨」(dizhi rihuo、「日本製品をボイコットせよ」の意)というスローガンを使い、国民を反日デモに駆り出した。

 ところが、今まったくこれと同様の排斥がアメリカで起きている。「抵制中企」(dizhi zhongqi)、すなわち「中国企業を排斥せよ」という空気がアメリカで広まっているのだ。

 日本企業は中国で「抵制日貨」に苦しめられたが、中国企業はアメリカで目下この「抵制中企」(中国企業をボイコットせよ)に苦しめられている。

立て続けに中国企業を排斥するアメリカ

 10月8日、米下院の情報特別委員会は、中国の通信機器大手の華為技術(ファーウェイ)と中興通訊(ZTE)が製造する部品を、米政府の通信システムから排除することを求める報告書を公表した。

 華為技術のプログラミングはハッカーの侵入を許し、データを盗み取られる頻度が非常に高いものだったという。スパイ活動の意図は拭えず、中国当局の影響を受けるとされる両社がアメリカ市場に浸透すれば、安全保障上の脅威となりかねない。報告書には米企業の買収阻止や取引の自粛も盛り込まれた。

 続いて10月18日には、中国建機大手の三一集団が、アメリカでの風力発電所計画が不当な中止命令を受けたとして、オバマ大統領を提訴した。

 三一傘下の米企業が3月にギリシャ企業からオレゴン州の風力発電所建設計画の建設権利を買収して、建設工事を進めてきた。投資額は2000万ドル(約16億円)に上るという。しかし、風力発電所の建設場所が米海軍の訓練に使用される制限地域に抵触することから、アメリカの対米外国投資委員会(CFIUS)は7月、国家安全上の理由から建設工事の中止を三一側に通告し、9月、オバマ大統領が建設中止を命じる大統領令に署名した。

 また10月20日には、北京卓越航空による米航空機メーカーのホーカー・ビーチクラフトに対する買収が破談となった。さらに、中国自動車部品会社の万向集団が米電池メーカーA123を買収しようとしていたが、これも実現しなかった。

 米ウォールストリート・ジャーナル紙は「国家安全保障を理由にしたCFIUSの措置は、中国のアメリカ投資に対する排斥だ」と評している。

 これに対して中国紙の環球時報は、こんな論評を掲げた。「対華友好是美国的現実選択」(中国との友好はアメリカの現実的選択)というもので、アメリカの中国への強硬政策が両国に招く損失について、次のように記した。

 「アメリカの対中強硬は、中国消費者による税金や就業も追い払うことにもなり、米サービス業にとって受け入れがたいものになる。中国はアメリカの大学に学生を多数送り出している、旅行業も、飲食業も、航空業も、ホテル業も中国人旅行客によって潤っている。アメリカの対中友好はアメリカ政府の必然の選択だ」

 どこかで聞いたことのある台詞だ。中国の消費力をちらつかせて「痛い思いをしたくないだろう」と迫るいつものやり口だ。南沙諸島のスカボロー礁で中国とにらみ合うフィリピンは「バナナの輸入ストップと旅行の取り消し」という同様の制裁を中国から受けた。

 いつの間にか世界は、「カネが欲しいなら言うことを聞け」という中国の傲慢な商売に組み敷かれるようになってしまったようだ。

三一集団はなぜ提訴したのか

 中国企業の間には、大統領選の季節に候補者が毎回中国バッシングを展開するのは「票田稼ぎのためのいつものパターン」という楽観論もある。だが、三一集団はそんな中でオバマ大統領を訴訟に持ち込んだ。一体どうして訴訟という強硬な手段に出たのか。

 同社は「たかだか2000万ドルの損失のために訴訟を起こしたのではない」と言う。

 同社総裁の向文波氏は、北京で開催した記者会見の席で「我々は中国国民に教育を与えたい。世界貿易が一体どんなことになっているかを、中国の全国民に訴えたい」とコメントした。

 今回の建設中止に対し「約束が違うじゃないか」というのが中国側の言い分だ。これには中国商務部も共に闘う構えで、「アメリカ政府の行為はアメリカの法律に違反するだけではなく、中米両国が80年代に署名した投資保護協定にも違反し、米中両国の直接投資の発展に重大な影響をもたらした」と強調する。

 インドやデンマークなど外国企業が行う風力発電プロジェクトは制限地域にもかかわらずCFIUSの審査が及んでいないことも、三一集団の不服とするところであった。

 ちなみにCFIUSは、米財政省が設立した外国企業のアメリカにおける経済活動が国家安全に影響をもたらすか否かについて審査をする一機関であり、財政省のほか商務省、司法省、国土安全保障省、国防総省などからの混成機関となっている。

 「金銭より重要なのは尊厳だ。不公正な扱いを受けて黙って引き下がるのは三一のやり方ではない」と断固闘う姿勢だ。「教育を与えたい」という一句には、「後に続く中国企業はこの訴訟に学べ」という強いメッセージが込められているとも受け取れる。

「約束が違うじゃないか」と言う資格はない

 ところで、三一集団と言えば、実は2011年春に日本でも報道されたことがある。東日本大震災の発生10日後、黄色い車体に社名の「SANY」が書かれた放水ポンプ車を東京電力に寄付した建機メーカー、と言えば思い出す読者も多いだろう。

 さて、三一集団が主張する「約束が違うじゃないか」――とは、日本企業が中国企業に対して繰り返し使うセリフでもある。日本企業は中国において、日常茶飯事のように中国企業の“約束違反”と闘っている。

 「日本企業も三一集団ぐらいの度胸が必要だ」との皮肉もあるが、中国では訴訟を起こしても「日本企業」だという理由だけで勝ち目はほとんどない。どんなに日本側に理があっても、裁判では中国企業が争点からかけ離れた「反日論」を持ち出すだけで勝敗が決まってしまう。いくら中国側に不正や不公正があろうとも、ぐっと耐え忍んできたのが日本企業だ。

 例えば、今回の反日デモで青島の日系スーパーが暴徒と化した中国人に襲われ数億円の被害に遭った。このスーパーのどこに「滅多打ちにされるほどの問題」があったのか? 日々、顧客サービスを追求してきた真面目な日系企業のどこにどんな落ち度があったというのだろうか――?

 だが、提訴したところで、勝つという保証はどこにもない。誰の目にも明らかな不公正があっても、この国では裁かれることはないのだ。コネとカネが支配する理不尽な市場で肥大化した中国企業が、他の国で「不公正な仕打ちを受けた」と訴えている。その姿に違和感を覚える人がいるのも当然だろう。

国際社会で信頼されない「大国」

 中国企業がアメリカで排斥を受けているのと同様、今、日本企業は中国でさらにひどい“抵制”に遭っている。大がかりな反日デモを組織し、「愛国」というスローガンのもと、国民に日本企業や日本人を攻撃させ、民間の経済活動までをも麻痺させようという中国の手口は、国際社会で公正を主張する国のやることではない。

 アメリカが中国企業をボイコットする裏には、中国企業への限りない不信感がある。中国が国際社会で名実ともに「大国」と認められようとするならば、まずは中国自らが、世界から抱かれている不信感を認識することから始めるべきである。

 中国の専門家らは「三一集団が勝訴する確率は極めて低い」と見るが、中国政府が背後で力添えしていることは間違いない。日本のみならずアメリカにも挑戦状を叩きつけようとする中国の姿に、中国内の一部学者ですら「最近の中国は自制心を失っている」と危惧している。肥大化した「徳なき国家」は、今後ますます国際社会を混迷へと導いていくだろう。

■プロフィール:姫田 小夏 Konatsu Himeda 
中国情勢ジャーナリスト。東京都出身。大学卒業後、出版社勤務等を経て97年から上海へ。 
翌年上海で日本語情報誌を創刊、日本企業の対中ビジネス動向を発信。 
2008年夏、同誌編集長を退任後、東京で「ローアングルの中国ビジネス最新情報」を提供する「チャイナビズフォーラム」を主宰。 
現在、中国で修士課程に在籍する傍ら、「上海の都市、ひと、こころ」の変遷を追い続け、日中を往復しつつ執筆、講演活動を行う。 
著書に『中国で勝てる中小企業の人材戦略』(テン・ブックス)。 
目下、30年前に奈良毅東京外国語大学名誉教授に師事したベンガル語(バングラデシュの公用語)を鋭意復習中。 

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/36400


日本の国防の現状

2014-06-01 09:27:33 | 資料

◆集団的自衛権

かつては集団的自衛権の行使を容認していた

 現在は、「集団的自衛権保持、行使は不可」というのが政府見解である。だが、安倍首相の祖父、岸信介内閣では違っていた。いくつか当時の国会答弁を紹介しておこう。

 「一切の集団的自衛権を持たない、こう憲法上持たないということは、私は言い過ぎだと、かように考えています。・・・他国に基地を貸して、そして自国のそれと協同して自国を守るというようなことは、当然従来集団的自衛権として解釈されている点でございまして、そういうものはもちろん日本として持っている」(1960年3月31日、参院予算委、岸首相)

 「基地の提供あるいは経済援助というものは、日本の憲法上禁止されておるところではない。仮にこれを集団的自衛権と呼ぼうとも、そういうものは禁止されておらない。集団的自衛権という言葉によって憲法違反だとか、憲法違反でないという問題ではない」(1960年4月20日、衆院安保特別委、林修三内閣法制局長官)

 旧日米安保条約を現在の安保条約に改定する真っただ中での国会論戦であり、基地提供など安保条約上の日本の義務を否定することなどあり得なかった。そして岸内閣では、それを「集団的自衛権の行使」だと認めていたのである。

 つまり日米安保条約を締結し、米軍に日本の基地を提供した時点から、日本は集団的自衛権行使の道に踏み入っていたということである。

日本の集団的自衛権は「制限」されたもの

 岸内閣は、集団的自衛権について、広義の意味と、狭義の意味を厳格に区別していた。これも当時の国会答弁を紹介しておく。

 「実は集団的自衛権という観念につきましては、学者の間にいろいろと議論がありまして、広狭の差があると思います。しかし、問題の要点、中心的な問題は、自国と密接な関係にある他の国が侵略された場合に、これを自国が侵略されたと同じような立場から、その侵略されておる他国にまで出かけていってこれを防衛するということが、集団的自衛権の中心的な問題になると思います。そういうものは、日本国憲法においてそういうことができないことはこれは当然」(1960年2月10日、参院本会議、岸首相)

 「日本が集団的自衛権を持つといっても集団的自衛権の本来の行使というものはできないのが憲法第9条の規定だと思う。例えばアメリカが侵略されたというときに安保条約によって日本が集団的自衛権を行使してアメリカ本土に行って、そしてこれを守るというような集団的自衛権、仮に言えるならば日本はそういうものは持っていない。であるので国際的に集団的自衛権というものは持っているが、その集団的自衛権というものは日本の憲法の第9条において非常に制限されている」(1960年5月16日、衆院内閣委、赤城宗徳防衛庁長官)

 アメリカ本土にまで出かけていくなどということは、現実的にはあり得ないことではあったが、ともかくも集団的自衛権の行使が憲法第9条の下で無制限ではないという縛りはかけていた。

 岸が言う「広義」というのは、基地提供や経済援助のことである。「狭義」というのは、他国(アメリカ)のために海外にまで出かけていって武力の行使を行う、ということである。岸が言う「集団的自衛権の中心的な問題」である。

田中角栄内閣で変更された「政府資料」

 岸内閣では「広狭の差」を設けて論じていた集団的自衛権が、田中角栄内閣になって変更される。それが1972年10月14日、参院決算委に提出された「政府資料」である。

 そこでは次のようにその見解を述べていた。

 「政府は、従来から一貫して、我が国は国際法上いわゆる集団的自衛権を有しているとしても、国権の発動としてこれを行使することは、憲法の容認する自衛の措置の限界をこえるものであって許されないとの立場に立っている」

 「我が憲法の下で、武力行使を行うことが許されるのは、我が国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とする集団的自衛権の行使は、憲法上許されない」

 この見解では、岸内閣時代にはあった「広狭の差」、あるいは憲法第9条の「制限」という考え方は、考慮されていない。

 この「政府資料」の立場が、その後の「国際法上保有、憲法上行使不可」という政府見解の原点となっていくことになる。

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 日本が米国と安保条約を締結し、日本の全土に基地を提供している状態で、集団的自衛権を否定するのは現実にそぐわない。他国に出掛けて行き他国で戦うことは現憲法下では許されないとしても、日本の領土内で集団的自衛権を行使できないなどあってはならないことだろう。米軍は勿論日本と友好国が、日本の国土防衛に加勢してくれることを拒むことは、それこそ非現実的だろう。

◆安保法制懇報告書全文:【1】憲法解釈の現状と問題点

2014年5月16日 朝日新聞 (朝日新聞の記事と言うことを考慮されたし)

1.憲法解釈の変遷と根本原則

 (1)憲法解釈の変遷

 あるべき憲法解釈について論じる前に、まず、憲法第9条をめぐる憲法解釈は、国際情勢の変化の中で、戦後一貫していたわけではないということを見ていく必要がある。

 1946年6月、当時の吉田茂内閣総理大臣は、新憲法を審議し制定した旧憲法下の帝国議会において、「自衛権ニ付テノ御尋ネデアリマス、戦争抛棄(ほうき)ニ関スル本案ノ規定ハ、直接ニハ自衛権ヲ否定ハシテ居リマセヌガ、第九条第二項ニ於テ一切ノ軍備ト国ノ交戦権ヲ認メナイ結果、自衛権ノ発動トシテノ戦争モ、又交戦権モ抛棄シタモノデアリマス」と述べた(衆議院本会議(1946年6月26日))。また、同年吉田総理は、「國際聯合(こくさいれんごう)に日本が獨立國として加入致しました場合に於(おい)ては、一應(いちおう)此(こ)の憲章に依つて保護せられる」と述べており、このような帝国議会における議論を見れば、日本国憲法が制定された当時、少なくとも観念的には我が国の安全を1年前の1945年に成立したばかりの国連の集団安全保障体制に委ねることを想定していたと考えられる。

 しかし、その後、このような考え方は大きく変化した。すなわち、冷戦の進行が始まり、国連は想定されたようには機能せず、1950年6月には朝鮮戦争が勃発し、1952年4月に我が国が主権を回復し、日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約(旧・日米安全保障条約)を締結し、1954年7月に自衛隊が創設されたが、1954年12月、大村清一防衛庁長官は、「憲法は戦争を放棄したが、自衛のための抗争は放棄していない。(略)他国から武力攻撃があつた場合に、武力攻撃そのものを阻止することは、自己防衛そのものであつて、国際紛争を解決することとは本質が違う。従つて自国に対して武力攻撃が加えられた場合に、国土を防衛する手段として武力を行使することは、憲法に違反しない。(略)自衛隊のような自衛のための任務を有し、かつその目的のため必要相当な範囲の実力部隊を設けることは、何ら憲法に違反するものではない」と答弁し、憲法解釈を大きく変えた(衆議院予算委員会(1954年12月22日))。

 また、最高裁判所は、1959年12月のいわゆる砂川事件大法廷判決において、「同条(引用注:憲法第9条)は、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているのであるが、しかしもちろんこれによりわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである。憲法前文にも明らかなように、われら日本国民は、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようとつとめている国際社会において、名誉ある地位を占めることを願い、全世界の国民と共にひとしく恐怖と欠乏から免(まぬ)かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認するのである。しからば、わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない」という法律判断を示したことは特筆すべきである。この砂川事件大法廷判決は、憲法第9条によって自衛権は否定されておらず、我が国が自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置を採り得ることは国家固有の権利の行使として当然であるとの判断を、司法府が初めて示したものとして大きな意義を持つものである。さらに、同判決が、我が国が持つ固有の自衛権について集団的自衛権と個別的自衛権とを区別して論じておらず、したがって集団的自衛権の行使を禁じていない点にも留意すべきである。

 一方、集団的自衛権の議論が出始めたのは、1960年の日米安全保障条約改定当時からである。当初は、同年3月の参議院予算委員会で当時の岸信介内閣総理大臣が、「特別に密接な関係にある国が武力攻撃をされた場合に、その国まで出かけて行ってその国を防衛するという意味における私は集団的自衛権は、日本の憲法上は、日本は持っていない」、「集団的自衛権という内容が最も典型的なものは、他国に行ってこれを守るということでございますけれども、それに尽きるものではないとわれわれは考えておるのであります。そういう意味において一切の集団的自衛権を持たない、こう憲法上持たないということは私は言い過ぎだと、かように考えております」と答弁しているように、海外派兵の禁止という文脈で議論されていた。それがやがて集団的自衛権一般の禁止へと進んでいった。

 政府は、憲法前文及び同第13条の双方に言及しつつ、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置を採ることができることを明らかにする一方、そのような措置は必要最小限度の範囲にとどまるべきものであり、集団的自衛権の行使は憲法上許されないとの見解を示すに至った。すなわち、1972年10月に参議院決算委員会に提出した資料において、「憲法は、第9条において、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているが、前文において『全世界の国民が…平和のうちに生存する権利を有する』ことを確認し、また、第13条において『生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、…国政の上で、最大の尊重を必要とする』旨を定めていることからも、わが国がみずからの存立を全うし国民が平和のうちに生存することまでも放棄していないことは明らかであって、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない」とした。続けて、同資料は、「しかしながら、だからといって、平和主義をその基本原則とする憲法が、右にいう自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであって、それは、あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るための止むを得ない措置としてはじめて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最小限度の範囲にとどまるべきものである」とし、さらに、「そうだとすれば、わが憲法の下で武力行使を行うことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、したがって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない」として、集団的自衛権の行使は憲法上許されないとの見解を示した。

 同様に、政府は、1981年5月、質問主意書に対する答弁書において、「我が国が、国際法上、このような集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然であるが、憲法第九条の下において許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであつて、憲法上許されないと考えている」との見解を示した。加えて、同答弁書は、「集団的自衛権の行使が憲法上許されないことによつて不利益が生じるというようなものではない」とした。集団的自衛権の行使は憲法上一切許されないという政府の憲法解釈は、今日に至るまで変更されていない。

 そもそも、いかなる組織も、その基本的な使命達成のために、自らのアイデンティティを失うことのない範囲で、外界の変化に応じて自己変容を遂げていかなければならない。そうできない組織は、衰退せざるを得ないし、やがて滅亡に至るかもしれない。国家においても、それは同様である。国家の使命の最大のものは、国民の安全を守ることである。その目的のために、外界の変化に対応して、基本ルールの範囲の中で、自己変容を遂げなければならない。更に言えば、ある時点の特定の状況の下で示された憲法論が固定化され、安全保障環境の大きな変化にかかわらず、その憲法論の下で安全保障政策が硬直化するようでは、憲法論のゆえに国民の安全が害されることになりかねない。それは主権者たる国民を守るために国民自身が憲法を制定するという立憲主義の根幹に対する背理である。

 軍事技術が急速に進歩し、また、周辺に強大な軍事力が存在する中、我が国を取り巻く安全保障環境がますます厳しさを増している中で、将来にわたる国際環境や軍事技術の変化を見通した上で、我が国が本当に必要最小限度の範囲として個別的自衛権だけで国民の生存を守り国家の存立を全うすることができるのか、という点についての論証はなされてこなかった点に留意が必要である。また、個別的自衛権と集団的自衛権を明確に切り分け、個別的自衛権のみが憲法上許容されるという文理解釈上の根拠は何も示されていない。この点については、「【2】あるべき憲法解釈」の章で再び取り上げる。

 また、国連等が行う国際的な平和活動への参加については、1960年代には、内閣法制局は、我が国が正規の国連軍に対して武力行使を含む部隊を提供することは憲法上問題ないと判断していたが、その後、たとえば稲葉誠一衆議院議員提出質問主意書に対する答弁書(1980年10月28日)において、「…いわゆる「国連軍」(引用注:国連がその「平和維持活動」として編成したいわゆる「国連軍」)は、個々の事例によりその目的・任務が異なるので、それへの参加の可否を一律に論ずることはできないが、当該「国連軍」の目的・任務が武力行使を伴うものであれば、自衛隊がこれに参加することは憲法上許されないと考えている」とされ、また、1988年5月14日の衆議院安全保障委員会において秋山收内閣法制局第一部長が「もとより集団的安全保障あるいはPKOにかかわりますいろいろな行動のうち、憲法第9条によって禁じられている武力の行使または武力による威嚇に当たる行為につきましては、我が国としてこれを行うことが許されない」と答弁しているとおり、政府は、武力の行使につながる可能性のある行為は憲法第9条違反であるとしてきた。一方で、いわゆる「正規の国連軍」参加の合憲性についてはこれを憲法第9条違反とは判断せず「研究中」(衆議院予算委員会(1990年10月19日)における工藤敦夫内閣法制局長官答弁)、「特別協定が決まらなければ、そのあたりの確定的な評価ができない」(衆議院予算委員会(1998年3月18日)における大森政輔内閣法制局長官答弁)としている。

 (2)憲法第9条の解釈に係る憲法の根本原則

 次に、上記(1)で述べたこれまでの憲法解釈の変遷の経緯を認識した上で、下記2.で述べる我が国を取り巻く安全保障環境の変化を想起しつつ、憲法第9条の解釈を考えるに当たって、最も重要な拠(よ)り所とすべき憲法の根本原則を確認する。

 (ア)基本的人権の根幹としての平和的生存権及び生命・自由・幸福追求権

 上述の1972年の政府の見解にあるように、日本国憲法前文は、「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」として平和的生存権を確認し、また、同第13条は、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」として国民の生命、自由及び幸福追求の権利について定めている。これらは他の基本的人権の根幹と言うべき権利である。これらを守るためには、我が国が侵略されず独立を維持していることが前提条件であり、外からの攻撃や脅迫を排除する適切な自衛力の保持と行使が不可欠である。つまり、自衛力の保持と行使は、憲法に内在する論理の帰結でもある。

 (イ)国民主権

 また、日本国憲法前文は国民主権を「人類普遍の原理」とし「これに反する一切の憲法…を排除する」と規定している。「国民主権原理」は、「基本的人権」と同様、いかなる手段によっても否定できないいわば根本原則として理解されている。「国民主権原理」の実現には主権者たる国民の生存の確保が前提である。そのためには、我が国の平和と安全が維持されその存立が確保されていなければならない。平和は国民の希求するところである。同時に、主権者である国民の生存、国家の存立を危機に陥れることはそのような憲法上の観点からしてもあってはならない。国権の行使を行う政府の憲法解釈が国民と国家の安全を危機に陥れるようなことがあってはならない。

 (ウ)国際協調主義

 さらに、日本国憲法は、前文で「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる」と謳(うた)い、国際協調主義を掲げている。なお、憲法第98条は「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守(じゅんしゅ)することを必要とする」と述べて国際法規の誠実な遵守を定めている。このような憲法の国際協調主義の精神から、国際的な活動への参加は、我が国が最も積極的に取り組むべき分野と言わねばならない。

 (エ)平和主義

 平和主義は日本国憲法の根本原則の一つであり、今後ともこれを堅持していかなければならない。後述するとおり、日本国憲法の平和主義は、沿革的に、侵略戦争を違法化した戰爭抛棄に關する條約(不戦条約)(1928年)や国際連合憲章(1945年)等、20世紀前半以降の国際法思潮と密接な関係がある。憲法前文の「日本国民は、(略)政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」という文言に体現されているとおり、我が国自身の不戦の誓いを原点とする憲法の平和主義は、侵略戦争と国際紛争解決のための武力行使を永久に放棄することを定めた憲法第9条の規定によって具体化されている。他方、憲法前文が「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と定めるとともに、「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」と定め、国際協調主義を謳っていることからも、我が国の平和主義は、同じく日本国憲法の根本原則である国際協調主義を前提として解されるべきである。すなわち、日本国憲法の平和主義は、自国本位の立場ではなく、国際的次元に立って解釈すべきであり、それは、自ら平和を乱さないという消極的なものではなく、平和を実現するために積極的行動を採るべきことを要請しているものと言える。政府は、2013年12月17日に閣議決定された「国家安全保障戦略」において、我が国が、国際協調主義に基づく積極的平和主義の立場から、我が国の安全及びアジア太平洋地域の平和と安定を実現しつつ、国際社会の平和と安定及び繁栄の確保にこれまで以上に積極的に寄与していくことを掲げているが、日本国憲法の平和主義は、この「国際協調主義に基づく積極的平和主義」の基礎にあるものであると言える。

2.我が国を取り巻く安全保障環境の変化

 我が国を取り巻く安全保障環境は、一層厳しさを増している。このような傾向は、2008年の報告書の時に比べ、一層顕著となっている。

 第1は、技術の進歩と脅威やリスクの性質の変化である。今日では、技術の進歩やグローバリゼーションの進展により、大量破壊兵器及びその運搬手段は拡散・高度化・小型化しており、また、国境を越える脅威が増大し、国際テロの広がりが懸念されている。例えば北朝鮮は、度重なる国連安全保障理事会による非難・制裁決議を無視して、既に日本全土を覆う弾道ミサイルを配備し、米国に到達する弾道ミサイルを開発中である。北朝鮮は、また、核実験を三度実施しており、核弾頭の小型化に努めているほか、生物・化学兵器を保有していると見られる。また現在、様々な主体によるサイバー攻撃が社会全体にとって大きな脅威・リスクとなっている。その対象は国家、企業、個人を超えて重層化・融合化が進み、国際社会の一致した迅速な対応が求められる。すなわち、世界のどの地域で発生する事象であっても、直ちに我が国の平和と安全に影響を及ぼし得るのである。したがって、従来のように国境の内側と外側を明確に区別することは難しくなっている。また、宇宙についても、その利用が民生・軍事双方に広がっていることから、その安定的利用を図るためには、平素からの監視とルール設定を含め、米国との協力を始めとする国際協力の一層の強化が求められている。

 第2は、国家間のパワーバランスの変化である。このパワーバランスの変化の担い手は、中国、インド、冷戦後復活したロシア等国力が増大している国であり、国際政治の力学にも大きな影響を与えている。特にアジア太平洋地域においては緊張が高まっており、領土等を巡る不安定要素も存在する。中国の影響力の増大は明らかであり、公表国防費の名目上の規模は、過去10年間で約4倍、過去26年間で約40倍の規模となっており、国防費の高い伸びを背景に、近代的戦闘機や新型弾道ミサイルを含む最新兵器の導入とその量的拡大が顕著である。中国の国防費に関しては引き続き不透明な部分が多いが、2014年度公式発表予算額でも12兆円以上であり、我が国の3倍近くに達している。この趨勢(すうせい)が続けば、一層強大な中国軍が登場する。また、領有権に関する独自の主張に基づく力による一方的な現状変更の試みも看取されている。以上のような状況を踏まえれば、これに伴うリスクの増大が見られ、地域の平和と安定を確保するために我が国がより大きな役割を果たすことが必要となっている。

 第3の変化は、日米関係の深化と拡大である。1990年代以降は、弾道ミサイルや国際テロを始めとした多様な事態に対処するための運用面での協力が一層重要になってきており、これまでの安全保障・防衛協力関係は大幅に拡大している。その具体的な表れとして、装備や情報を含めた様々なリソースの共有が進んでおり、今後ともその傾向が進むことが予想される。2013年10月に開催された日米安全保障協議委員会(「2+2」)において、「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)」の見直しを行うことで合意され、日米間の具体的な防衛協力における役割分担を含めた安全保障・防衛協力の強化について議論していくこととなっている。日米同盟なくして、我が国が単独で上記第1及び第2のような状況の変化に対応してその安全を全うし得ないことは自明であるとともに、同時に半世紀以上前の終戦直後とは異なり、我が国が一方的に米国の庇護(ひご)を期待するのではなく、日米両国や関係国が協力して地域の平和と安全に貢献しなければならない時代になっている。同盟の活力を維持し、更に深化させるためには、より公平な負担を実現すべく不断の努力を続けていくことが必要になっているのである。このように、安全保障の全ての面での日米同盟の強化が不可欠であるが、これに加え、地域の平和と安定を確保するために重要な役割を果たすアジア太平洋地域内外のパートナーとの信頼・協力関係も必要となっている。

 第4の変化は、地域における多国間安全保障協力等の枠組みの動きである。1967年に設立されたASEAN(東南アジア諸国連合)に加え、冷戦の終結や共通の安全保障課題の拡大に伴い、経済分野におけるAPEC(アジア太平洋経済協力、1989年)や外交分野におけるARF(ASEAN地域フォーラム、1994年)にとどまらず、EAS(東アジア首脳会議、2005年)の成立・拡大やADMMプラス(拡大ASEAN国防相会議、2010年)の創設など、政治・安全保障・防衛分野においても様々な協力の枠組みが重層的に発展してきている。我が国としては、こうした状況を踏まえ、より積極的に各種協力活動に幅広く参加し、指導的な役割を果たすことができるような制度的・財政的・人的基盤を整備することが求められる。

 第5の変化は、アフガニスタンやイラクの復興支援、南スーダンの国づくり、また、シーレーンを脅かすアデン湾における海賊対処のように、国際社会全体が対応しなければならないような深刻な事案の発生が増えていることである。また、国連PKOを例にとれば、停戦監視といった任務が中心であったいわゆる伝統型から、より多様な任務を持つように変化するなど、近年、軍事力が求められる運用場面がより多様化し、復興支援、人道支援、海賊対処等に広がるとともに、世界のどの地域で発生する事象であっても、より迅速かつ切れ目なく総合的な視点からのアプローチが必要となっている。こうした国連を中心とした紛争対処、平和構築や復興支援の重要性はますます増大しており、国際社会の協力が一層求められている。

 最後に、第6の変化は、自衛隊の国際社会における活動である。1991年のペルシャ湾における機雷掃海以降今日まで、自衛隊は直近の現在活動中の南スーダンにおける活動を含めて33件の国際的な活動に参加し、実績を積んできた。その中には、1992年のカンボジアにおける国連PKO、1993年のモザンビークにおける国連PKO、1994年のザイール共和国(当時)東部におけるルワンダ難民救援のための人道的な国際救援活動、2001年の米国同時多発テロ事件後の「不朽の自由作戦」に従事する艦船に対するインド洋における補給支援活動、2003年から2009年に至るイラク人道復興支援活動等が含まれる。海外における大規模災害に際しても、近年、自衛隊は、その機能や能力を活かした国際緊急援助活動を積極的に行ってきており、最近の例を挙げれば、2013年11月にフィリピンを横断した台風により同国で発生した被害に関し、1200人規模の自衛隊員が、被災民の診療、ワクチン接種、防疫活動、物資の空輸、被災民の空輸等の活動を実施した。2007年には国際緊急援助活動を含む国際平和協力活動が自衛隊の「本来任務」と位置付けられた。自衛隊の実績と能力は、国内外から高く評価されており、復興支援、人道支援、教育、能力構築、計画策定等様々な分野で、今後一層の役割を担うことが必要である。

 以上をまとめれば、我が国の外交・安全保障・防衛を巡る状況は大きく変化しており、最近の戦略環境の変化はその規模と速度において過去と比べても顕著なものがあり、予測が困難な事態も増えている。これまでは、少なからぬ分野において、いわば事態の発生に応じて、憲法解釈の整理や新たな個別政策の展開を逐次図ってきたことは事実であるが、変化の規模と速度に鑑みれば、我が国の平和と安全を維持し、地域及び国際社会の平和と安定を実現していく上では、従来の憲法解釈では十分に対応することができない状況に立ち至っている。

3.我が国として採るべき具体的行動の事例

 2008年の報告書では、4類型(①公海における米艦の防護、②米国に向かうかもしれない弾道ミサイルの迎撃、③国際的な平和活動における武器使用、④同じ国連PKO等に参加している他国の活動に対する後方支援)のそれぞれに関し、懇談会の提言を提示した。本懇談会では、これに加え、上述のような我が国を取り巻く安全保障環境の変化に鑑みれば、例えば以下のような事例において我が国が対応を迫られる場合があり得るが、従来の憲法解釈や法制度では十分に対応することができず、こうした事例に際して我が国が具体的な行動を採ることを可能とするあるべき憲法解釈や法制度を考える必要があるという問題意識が共有された。なお、以下の事例は上述の4類型と同様に飽(あ)くまで次ページ以下で述べる憲法解釈や法制度の整理の必要性を明らかにするための具体例として挙げたものであり、これらの事例のみを合憲・可能とすべきとの趣旨ではない。

①事例1:我が国の近隣で有事が発生した際の船舶の検査、米艦等への攻撃排除等

――我が国の近隣で、ある国に対する武力攻撃が発生し、米国が集団的自衛権を行使してこの国を支援している状況で、海上自衛隊護衛艦の近傍を攻撃国に対し重要な武器を供給するために航行している船舶がある場合、たとえ被攻撃国及び米国から要請があろうとも、我が国は、我が国への武力攻撃が発生しない限り、この船舶に対して強制的な停船・立入検査や必要な場合の我が国への回航を実施できない。現行の憲法解釈ではこれらの活動が「武力の行使」に当たり得るとされるためである。しかし、このような事案が放置されれば、紛争が拡大し、やがては我が国自身に火の粉が降りかかり、我が国の安全に影響を与えかつ国民の生命・財産が直接脅かされることになる。

――また、被攻撃国を支援する米国その他の国々の艦船等が攻撃されているときには、これを排除するよう我が国が協力する必要がある。この点に関連して、現行の「周辺事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律」(周辺事態安全確保法)では、自衛隊による後方地域支援又は後方地域捜索救助活動は、後方地域、すなわち「我が国領域並びに現に戦闘行為が行われておらず、かつ、そこで実施される活動の期間を通じて戦闘行為が行われることがないと認められる我が国周辺の公海及びその上空の範囲」でしか実施できず、また、弾薬を含む武器の提供や戦闘作戦行動のために発進準備中の航空機に対する給油及び整備については当時は米軍からのニーズがなかったとして含まれていない等、米国に対する支援も限定的であり、また、そもそも米国以外の国に対する支援は規定されておらず、不可能である。

――そもそも「抑止」を十分に機能させ、我が国有事の可能性を可能な限り低くするためには、法的基盤をしかるべく整備する必要がある。

②事例2:米国が武力攻撃を受けた場合の対米支援

――米国も外部からの侵害に無傷ではあり得ない。例えば、2001年の米国同時多発テロ事件では、民間航空機がハイジャックされ、米国の経済、軍事を象徴する建物に相次いで突入する自爆テロが行われ、日本人を含む約三千人の犠牲者が出た。仮に米国が弾道ミサイルによる奇襲といった武力攻撃を受け、その後、攻撃国に対して他の同盟国と共に自衛権を行使している状況において、現行の憲法解釈では、我が国が直接攻撃されたわけではないので我が国ができることに大きな制約がある。

――我が国を攻撃しようと考える国は、米国が日米安全保障条約上の義務に基づき反撃する可能性が高いと考えるからこそ思いとどまる面が大きい。その米国が攻撃を受けているのに、必要な場合にも我が国が十分に対応できないということであれば、米国の同盟国、日本に対する信頼は失われ、日米同盟に甚大な影響が及ぶおそれがある。日米同盟が揺らげば我が国の存立自体に影響を与えることになる。

――我が国は、我が国近傍の国家から米国が弾道ミサイルによる奇襲といった武力攻撃を受けた場合、米国防衛のための米軍の軍事行動に自衛隊が参加することはおろか、例えば、事例1で述べたように、攻撃国に武器を供給するために航行している船舶の強制的な停船・立入検査や必要な場合の我が国への回航でさえも、現行の憲法解釈では「武力の行使」に当たり得るとして実施できない。船舶の検査等は、陸上の戦闘のような活動とは明らかに異なる一方で、攻撃国への武器の移転を阻む洋上における重要な活動であり、こうしたことを実施できるようにすべきである。また、場合によっては米国以外の国々とも連携する必要があり、こうした国々をも支援することができるようにすべきである。

③事例3:我が国の船舶の航行に重大な影響を及ぼす海域(海峡等)における機雷の除去

――湾岸戦争に際してイラクは、ペルシャ湾に多数の機雷を敷設し、当該機雷は世界の原油の主要な輸送経路の一つである同湾における我が国のタンカーを含む船舶の航行の重大な障害となった。今後、我が国が輸入する原油の大部分が通過する重要な海峡等で武力攻撃が発生し、攻撃国が敷設した機雷で海上交通路が封鎖されれば、我が国への原油供給の大部分が止まる。これが放置されれば、我が国の経済及び国民生活に死活的な影響があり、我が国の存立に影響を与えることになる。

――武力紛争の状況に応じて各国が共同して掃海活動を行うことになるであろうが、現行の憲法解釈では、我が国は停戦協定が正式に署名される等により機雷が「遺棄機雷」と評価されるようになるまで掃海活動に参加できない。そのような現状は改める必要がある。

④事例4:イラクのクウェート侵攻のような国際秩序の維持に重大な影響を及ぼす武力攻撃が発生した際の国連の決定に基づく活動への参加

――イラクのクウェート侵攻のような国際秩序の維持に重大な影響を及ぼす武力攻撃が発生し、国際正義が蹂躙(じゅうりん)され国際秩序が不安定になれば、我が国の平和と安全に無関係ではあり得ない。例えばテロが蔓延(まんえん)し、我が国を含む国際社会全体へ無差別な攻撃が行われるおそれがあり、我が国の安全、国民の生命・財産に甚大な被害を与えることになる。

――我が国は、国連安全保障理事会常任理事国が一国も拒否権を行使せず、軍事的措置を容認する国連安全保障理事会決議が採択された場合ですら、現行の憲法解釈では、支援国の海軍艦船の防護といった措置が採れないし、また、支援活動についても、後方地域における、しかも限られた範囲のものしかできない。加えて、現状では国内法の担保もないので、その都度特別措置法等のような立法も必要である。

――国際の平和と安全の維持・回復のための国連安全保障理事会の措置に協力することは、国際連合憲章に明記された国連加盟国の責務である。国際社会全体の秩序を守るために必要な貢献をしなければ、それは、自らのよって立つ安全の土台を掘り崩すことになる。

⑤事例5:我が国領海で潜没航行する外国潜水艦が退去の要求に応じず徘徊(はいかい)を継続する場合の対応

――2004年11月に、先島群島周辺の我が国領海内を潜没航行している中国原子力潜水艦を海上自衛隊のP―3Cが確認した。また、2013年5月には、領海への侵入はなかったものの、接続水域内を航行する潜没潜水艦を海上自衛隊のP―3Cが相次いで確認した。現行法上、我が国に対する「武力攻撃」(=一般に組織的・計画的な武力の行使)がなければ、防衛出動に伴う武力の行使はできない。潜没航行する外国潜水艦が我が国領海に侵入してきた場合、自衛隊は警察権に基づく海上警備行動等によって退去要求等を行うことができる(2004年のケース)が、その潜水艦が執拗(しつよう)に徘徊を継続するような場合に、その事態が「武力攻撃事態」と認定されなければ、現行の海上警備行動等の権限では自衛隊が実力を行使してその潜水艦を強制的に退去させることは認められていない。このような現状を放置してはならない。

⑥事例6:海上保安庁等が速やかに対処することが困難な海域や離島等において、船舶や民間人に対し武装集団が不法行為を行う場合の対応

――このような場合、海上における事案については、当該事案が自衛隊法第82条にいう「海上における人命若しくは財産の保護又は治安の維持のため特別の必要がある場合」に該当すると判断される場合は、内閣総理大臣の承認を得て防衛大臣が命令することによって、自衛隊部隊が海上警備行動を採ることができる。また、陸上における事案については、当該事案が自衛隊法第78条にいう「一般の警察力をもつては、治安を維持することができないと認められる場合」に該当すると判断される場合は、内閣総理大臣が命令することによって、自衛隊部隊が治安出動することができる。さらに、防衛大臣は、事態が緊迫し、防衛出動命令が予想される場合には、内閣総理大臣の承認を得て、自衛隊の部隊等にあらかじめ展開させることが見込まれる地域内において防御施設を構築する措置を命ずることができる。

――しかし、このような海上警備行動や治安出動、防御施設構築の措置等の発令手続を経る間に、仮にも対応の時機を逸するようなことが生じるのは避けなければならないが、部隊が適時に展開する上での手続的な敷居が高いため、より迅速な対応を可能とするための手当てが必要である。

――事例5及び6のような場合を含め、武力攻撃に至らない侵害を含む各種の事態に応じた対応を可能とすべく、どのような実力の行使が可能か、国際法の基準に照らし検討する必要がある。

――現在の法制度では、防衛出動との間に権限の隙間が生じ得ることから、結果として相手を抑止できなくなるおそれがある。

◆ 共産党は、日本国憲法第65条によって、日本国の行政府である内閣が「国家緊急権」を行使できることを知っている

「国家緊急権」というのは、法律や命令で規定するものではありません。
国家が、法律以前に本来的に持っている、憲法などの枠組みを超えた権限です。
そしてこれを行使できるのが、日本でいえば、行政府の長である内閣総理大臣です。
簡単にいえば、正当防衛権みたいなものです。

たとえば、日本の自衛隊の飛行機や船舶が、支那やロシアの領土領海に勝手に侵入すれば、拿捕され、あるいは無警告で撃墜されたとしても、文句はいえません。
拳銃を手にして、他人の家に勝手に侵入したら、たとえどのような言い訳をしようと、その家の人に、殺されても文句は言えないのと同じことです。
これは支那やロシアに、迎撃のための法律や憲法があるかないか以前の問題です。
国民の生命の安全がおびやかされた。
その一事をもって、国は、武力の行使が可能となります。
それが「国家緊急権」です。

外国が日本に対してできるということは、あたりまえのことだけれど、日本も外国に対してこの権利を行使できます。
外国の軍船や軍用機が、許可なく日本の領土領海を侵犯し、あるいは竹島のように、勝手に占有したならば、これを実力をもって排除するために、日本の内閣総理大臣は、自衛隊法や、憲法九条等とはいっさい関わりなく「国家緊急権」の行使として、それら武装勢力を実力をもって排除することができます。

憲法があるから国家があるのではないのです。
国家があるから憲法がある。
ですから「国家緊急権」の行使は、憲法以前の権限なのです。

このことは、国内統治においても、同じことがいえます。
たとえばオウム事件のような破壊活動組織が、第◯サティアンのような施設を造り、国家転覆と大量殺人を企図して毒ガス製造をはじめたとなれば、日本国政府は、法律や憲法の規程によらずに、これら施設を破壊し、関係者一同を逮捕し、あるいは抵抗すればこれを射殺する権限を有します。

そしてこの「国家緊急権」は、戦後の日本において、実際に行使された事例が3つあります。
昭和23年の「阪神教育事件」、昭和50年の赤軍による「クアラルンプール事件」、昭和52年のダッカ「日航機ハイジャック事件」です。

「阪神教育事件」というのは、昭和23年4月14日から26日にかけて、大阪府と兵庫県で発生した在日朝鮮人と日本共産党による大規模テロ騒乱事件です。
この事件が起きたときは既に日本国憲法が発布施行されていました。

つまり日本は、日本国憲法下にあったわけですが、GHQは、日本国憲法を無視して「非常事態宣言」を布告し、米軍を出動させて銃撃戦を行い、騒乱を起こした在日朝鮮人、共産党員、あわせて約7500人を逮捕しました。

この事件で、在日朝鮮人および共産党員2名が射殺されています。また20名が負傷し、一方米軍側はこれを上回る31名の死傷者を出しています。

暴動鎮圧のために同年4月24日、GHQの兵庫県軍政部は「非常事態宣言」を発令し、県内の全警察官を米軍憲兵司令官の指揮下におきました。また兵庫県知事が監禁され、無理矢理書かされた各種処分撤回の誓約も、強制破棄されています。
つまり、日本国憲法がありながら、国家の非常事態に際して、憲法の規程を無視して、いわばあたまごなしの行政権を行使しているわけです。

昭和50年の「クアラルンプール事件」は、日本赤軍が、マレーシアの首都クアラルンプールにある米国とスエーデン大使館を武力を用いて不法占拠し、大使らを人質に取ったうえ、日本国政府に日本国内で逮捕されている新左翼活動家の釈放を要求したという事件です。

日本政府(首相:三木武夫氏)は要求に応じて国家緊急権に基づく「超法規的措置」として日本赤軍への参加を拒否した2人を除く5人を釈放しました。
ここでは釈放された5人は、通常の法的手続きをまったく無視して釈放となっています。
つまり、内閣総理大臣による、国家緊急権の行使です。

昭和57年のダッカ「日航機ハイジャック事件」は、インドのボンベイ国際空港を離陸した日本航空機を、日本赤軍がハイジャックし、これをバングラデシュのダッカ国際空港に強制着陸させたうえで、日本国内で逮捕されていた6人の赤軍メンバーの釈放を要求したという事件です。

この事件でも、当時の福田赳夫首相は、やはり国家緊急権に基づく「超法規的措置」として、要求された犯人の釈放に応じただけでなく、600万ドル(いまのお金に換算すると30億円くらい)の身代金を支払いました。

要するに、日本国憲法で想定しない国家の非常事態に際して、日本国政府の行政府の長は、過去三度、国家緊急権を発動しているわけです。

すべての反日活動団体にとって、もっとも不都合な真実が、実は、日本国政府が本来もっている「国家緊急権」の発動である、ということです。

なにせ日本のすぐとなりには、朝鮮戦争で、500万人の市民の人命を奪った南北朝鮮があり、その向こう側には、すくなくとも建国以来、最低でも1億人以上の殺人を行っている中共政府があり、日本国内には、それら殺人をなんとも思わないそれら国家の工作員たちが、うようよいるのです。

一方、日本国政府は、日本国民の生命の安全を守るのが最大の仕事です。
私は、日本国政府には、しっかりと仕事をする政府になってもらいたいと思っています。

ねずさんのひとりごと
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