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2005年7月1日天竜市とその他町村が廃止統合されて、(新)浜松市となった。
しかしながら、湖と海を持つ旧浜松市と山峡と天竜川に育まれているもののその経済的凋落の激しい旧天竜市とはあまりにも地勢的に異なるし、市民生活や慣習をも異にしており、この実質的統合には未だ道のりは遠い。
昭和の初期まで林業で栄えた天竜とその材木流通の動脈であった天竜船や川筏もダム建設により地域経済と生活が大きく変化した。
この二つの近代の転機とそれ以降の天竜地区の凋落は大きい。
二俣本町がこの地区の中心になる街である。現在も人口二万人余の街であり、昭和年代の繁栄を静かに受け継いでおり、それなりの文化度も高いものがあり決して荒廃しつつある街ではない。 人心も落ち着いており、街並みを特に特筆すべき施設もないが「清掃が行き届いた綺麗な街」といった感がある。
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↓廃屋となってしまつた銭湯
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↓無人の駅舎 隣は蕎麦屋で駅長を兼務か?
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↓日本でも数少ない「筏問屋の田代家」
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↓川上から杉、檜などの材木や山の幸を載せ下り、米、味噌などの生活物資を載せて帰ってきた天竜船
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/8f/66b7989b85efb0459fcd8cc323fb1fab.jpg)
↓この街には珍しい本格的な料亭 もつとも以前は料理旅館だったらしいが旅館が成り立つ街ではなくなったので、料亭だけに変更し成功している様子。【詳細→天竜膳・三好】
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しかしながら、湖と海を持つ旧浜松市と山峡と天竜川に育まれているもののその経済的凋落の激しい旧天竜市とはあまりにも地勢的に異なるし、市民生活や慣習をも異にしており、この実質的統合には未だ道のりは遠い。
昭和の初期まで林業で栄えた天竜とその材木流通の動脈であった天竜船や川筏もダム建設により地域経済と生活が大きく変化した。
この二つの近代の転機とそれ以降の天竜地区の凋落は大きい。
二俣本町がこの地区の中心になる街である。現在も人口二万人余の街であり、昭和年代の繁栄を静かに受け継いでおり、それなりの文化度も高いものがあり決して荒廃しつつある街ではない。 人心も落ち着いており、街並みを特に特筆すべき施設もないが「清掃が行き届いた綺麗な街」といった感がある。
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↓廃屋となってしまつた銭湯
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↓無人の駅舎 隣は蕎麦屋で駅長を兼務か?
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↓日本でも数少ない「筏問屋の田代家」
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↓川上から杉、檜などの材木や山の幸を載せ下り、米、味噌などの生活物資を載せて帰ってきた天竜船
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↓この街には珍しい本格的な料亭 もつとも以前は料理旅館だったらしいが旅館が成り立つ街ではなくなったので、料亭だけに変更し成功している様子。【詳細→天竜膳・三好】
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天竜船の模型に出会えて、感激しました。
この船は、天竜川のどの辺まで上って行ったでしょうか?もしお分かりになれば、教えて下さい。
作雄
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天竜川の川船による特産物、物資の輸送は慶長年間に始まり、昭和の初期まで続けられた。
川船の種類は、角倉船・鵜飼船・差波船の三種類。
下流には木材、串柿、干栗、炭などを。上流には味噌、砂糖、塩、蜜柑、茶を運送し、
このように信州と遠州の物資の交流は強かった。
荷物の積み替えなどの船着場は「伊那市・飯田市・天竜村・佐久間町・天竜市・浜松市・竜洋町」(現在地名)などが川港として賑わった。
天竜船は鉄道の開通やダム建設により姿を消した。
とあります。
又、別紙には天竜舟による船運が本格化されるのは徳川家康が角倉了以に船路開発を命じた、天和元年頃からと言われている。
もちろん、それ以前からも「筏による木材運搬」は行われており、物資の内容の変化に対応し船の需要が高まった。
……………………………………………………
ご参考になればご利用ください。