今年も、京都に住む友人宅を訪ねて、隣の「滋賀県」の琵琶湖周辺に旅行に出かけました。
猛暑の中、京都→近江八幡→近江長浜→竹生島→唐崎→比叡山→京都のなんとなく駆け足の一周です。
帰路のついでに、京都からの帰路→「大津の宮跡」→「近江神宮」→「石山寺」を周る5泊6日の夏バテ一杯の旅行でした。
「唐崎」近くのリゾートホテルで一泊したのち、叡山に向かいます。
この為、残念ながの「唐崎神社の御手洗祭り」を見ることを断念しました。
丁度、7月28日・29日に祭礼があります。
■比叡への道は「司馬遼太郎の叡山の諸道」を訪ねて歩きます。
書は、伝教大師・最澄の生まれた地「琵琶湖畔・大津」から話が始まる。
最澄は渡来系の氏族とされるが当時のインテリゲンチャの三割が渡来系を出自としていたから取り立てるほどのことは無い。
司馬氏の一行は坂本から「本坂」のルートから叡山を目指した。
途中、「そば」の話が綴られている。
有名な「鶴喜」をめざすが間違えてその隣の「日吉屋」に入ってしまう。
その為か? 今では誰の目にもはっきり仰々しいほどの看板が架かっているのもおかしいですねぇ。
そば屋を過ぎると右手に「日吉大社」の参道が見えます。
以前、ここを訪れたので今回はスキップします。
又、左に折れると小生の好きな「慈眼堂」があります。
これもスキップして、そのまま「ケーブル坂本駅」に向かいます。少々時間が無いので…。
西の塔「恵亮堂」です。美しい方丈です。
シャトルバスで「横川(よかわ)」に向かいます。
司馬氏一行は、「日吉そば」を左折し、「鶴喜」を素通りし右折し「慈眼堂」に立ち寄っている。
そののち、「日吉大社」に参拝し奥の院まで足を延ばし、後述しますが、「叡山の横川」に祀られる「慈恵大師・円仁」と「元三大師・良源」についてページを随分と割いています。
司馬氏一行は東の塔・西の塔をスルーして叡山の峰を北上し東に折れてこの横川を目指しています。
ここから先は「彼が残念なコンクリート造りだ」と言う横川中堂の朱色が目立ってきます。
中堂を過ぎて「元三大師堂」が見えてきます。
門前に「角大師」の石碑が建っています。
有名な方なのでくどい説明は省きますが、「角大師」は「良源」修行中の姿を描いたものと言われています。
オミクジの開祖?とも言われています。
峰を僅かに下る方向に若き日蓮の修行の「定光院」となります。
細い道を下ります。よくこの道を行き来していたと思うと感服させられます。
我々は、途中であきらめました。
猛暑の中、京都→近江八幡→近江長浜→竹生島→唐崎→比叡山→京都のなんとなく駆け足の一周です。
帰路のついでに、京都からの帰路→「大津の宮跡」→「近江神宮」→「石山寺」を周る5泊6日の夏バテ一杯の旅行でした。
「唐崎」近くのリゾートホテルで一泊したのち、叡山に向かいます。
この為、残念ながの「唐崎神社の御手洗祭り」を見ることを断念しました。
丁度、7月28日・29日に祭礼があります。
■比叡への道は「司馬遼太郎の叡山の諸道」を訪ねて歩きます。
書は、伝教大師・最澄の生まれた地「琵琶湖畔・大津」から話が始まる。
最澄は渡来系の氏族とされるが当時のインテリゲンチャの三割が渡来系を出自としていたから取り立てるほどのことは無い。
司馬氏の一行は坂本から「本坂」のルートから叡山を目指した。
途中、「そば」の話が綴られている。
有名な「鶴喜」をめざすが間違えてその隣の「日吉屋」に入ってしまう。
その為か? 今では誰の目にもはっきり仰々しいほどの看板が架かっているのもおかしいですねぇ。
そば屋を過ぎると右手に「日吉大社」の参道が見えます。
以前、ここを訪れたので今回はスキップします。
又、左に折れると小生の好きな「慈眼堂」があります。
これもスキップして、そのまま「ケーブル坂本駅」に向かいます。少々時間が無いので…。
西の塔「恵亮堂」です。美しい方丈です。
シャトルバスで「横川(よかわ)」に向かいます。
司馬氏一行は、「日吉そば」を左折し、「鶴喜」を素通りし右折し「慈眼堂」に立ち寄っている。
そののち、「日吉大社」に参拝し奥の院まで足を延ばし、後述しますが、「叡山の横川」に祀られる「慈恵大師・円仁」と「元三大師・良源」についてページを随分と割いています。
司馬氏一行は東の塔・西の塔をスルーして叡山の峰を北上し東に折れてこの横川を目指しています。
ここから先は「彼が残念なコンクリート造りだ」と言う横川中堂の朱色が目立ってきます。
中堂を過ぎて「元三大師堂」が見えてきます。
門前に「角大師」の石碑が建っています。
有名な方なのでくどい説明は省きますが、「角大師」は「良源」修行中の姿を描いたものと言われています。
オミクジの開祖?とも言われています。
峰を僅かに下る方向に若き日蓮の修行の「定光院」となります。
細い道を下ります。よくこの道を行き来していたと思うと感服させられます。
我々は、途中であきらめました。