2004年の初登山は八方尾根を登った。
長野県白馬村に到着した当初は、曇り空であったが、
降水確率0㌫という天気予報を信じて山へ向かった。
かつて長野五輪の会場となったジャンプ台を横目に、
スキー場のゴンドラとリフトを乗り継ぐ。
最初のゴンドラは相変わらずの曇り空、
乗り換えたリフトではものすごい濃霧、
その次のリフトも・・・。
しかしそのリフトが終点に近づいた頃、
我々は雲の上に到達したことに気づいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/9a/476e58115a3c3635a40825e30835bc9f.jpg?random=182d2a7402e5c913ef9467b7236460e5)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/ec/d73872e5c150bcb24db32f10a91cda9c.jpg?random=4d9e3cd014d059520cd342593ae3efb3)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/d9/ea6b491538b03ef2f4f08d3d22a76424.jpg?random=fbc0cc64d4f10998e2cde81045d5cd3a)
快晴の中、広大な雲海が目前に広がった。
時間が経過するごとに遠くの山々も姿を見せた。
雨飾山、焼山、火打山、妙高山、
私が一番多く登った地元能生町の権現岳と鉾ケ岳がとても小さい。
浅間山や八ヶ岳も見えた。
この時期の残雪は歩きやすい。
通常の登山道を外れて近道ができる。
まだ新芽を出していないダケカンバがとても絵になる。
雪景色の白馬三山も見事であった。
「今度は尾根のもう少し先にある唐松岳へ行きたいね」と仲間同士で話した。
長野県白馬村に到着した当初は、曇り空であったが、
降水確率0㌫という天気予報を信じて山へ向かった。
かつて長野五輪の会場となったジャンプ台を横目に、
スキー場のゴンドラとリフトを乗り継ぐ。
最初のゴンドラは相変わらずの曇り空、
乗り換えたリフトではものすごい濃霧、
その次のリフトも・・・。
しかしそのリフトが終点に近づいた頃、
我々は雲の上に到達したことに気づいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/9a/476e58115a3c3635a40825e30835bc9f.jpg?random=182d2a7402e5c913ef9467b7236460e5)
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快晴の中、広大な雲海が目前に広がった。
時間が経過するごとに遠くの山々も姿を見せた。
雨飾山、焼山、火打山、妙高山、
私が一番多く登った地元能生町の権現岳と鉾ケ岳がとても小さい。
浅間山や八ヶ岳も見えた。
この時期の残雪は歩きやすい。
通常の登山道を外れて近道ができる。
まだ新芽を出していないダケカンバがとても絵になる。
雪景色の白馬三山も見事であった。
「今度は尾根のもう少し先にある唐松岳へ行きたいね」と仲間同士で話した。