ボクは火曜日の新潟日報に連載されている、「おじさん図鑑」というエッセイが大好きです。書いているのは飛鳥圭介さんというエッセイストで、ボクよりも1まわり上の団塊の世代の方ですが、共感できる内容がとても多く毎回読むのを楽しみにしています。
今日の新聞に掲載されていたエッセイのタイトルは、「散らかす」でした。「散らかす」と言っても、内容は「はげ散らかす」。「はげ散らかす」は主として関西方面を中心に使う言葉で「無残なほどハゲている状態」を形容する言葉です。
今日の飛鳥さんのエッセイから、一部引用しますね。
先日某所で行われた自分の講演のビデオを怖いもの見たさで再生したら、見事に「はげ散らかし」た自分の姿が目の前に飛び込んできた。(中略)おじさんの頭の周りはまあまあ普通に髪が生えているのだが、頭頂部の広い面積が荒涼たる状態になっている。つまりは「はげ散らかして」いたことを目の当たりにしたのだ。だいぶ薄くなってきていることは自覚していた。しかし、これほど無残なことになっているとは思わなかった。(中略)知らぬが仏とはこのことだろう。「はげる」のならちゃんとはげてほしい。「はげ散らかす」のは自尊心が許さないのだ。(以下略)
わかる!すごくわかります!「これほど無残なことになっているとは思わなかった」ってところ、著しく共感します。久しぶりにしみじみと己の頭皮を見て、「え〜?いつのまにこれほどまでに!」ってショックを受ける経験、ボクも何度となく経験していますよ。
40代から50代前半の頃までは、せっせと育毛剤をふりかけていたこともあったのですが、やがてそれもしなくなりました。とりあえず頭に手を当てればそこに髪はあるのです。だけどそれは束の間の安心感で、鏡の角度を駆使して頭頂部を見ると、そこにははげ散らかした荒野が広がっている。そんな愕然とした経験を何度したことか。
とりあえず集合写真を取る時には、ボクはできるだけ最後列に並ぶようにしています。「俺の後ろに立つな!」って、まるでゴルゴ13にようですな(笑)。ですが、職場を定年退職した頃には、「まぁまぁ八百政さんは大先輩ですから、最前列の中央にどうぞ!」なんて記念写真の撮影時に言われたことも何度かありましたが、ホントに嫌でしたね。己の薄い頭を後ろ斜め上から他人に見られるなんて、まさに屈辱でしたよ。
飛鳥さんの今日のエッセイの結びは、「結局このまま生きるしかない」でした。やっぱりそうなんですよね。まぁでも今さら「モテたい」って気持ちもないし(嘘です。少しあります。)、「ハゲはハゲでいいじゃないか」って気持ちで、開き直って生きるようにしています。
ただね。ボクにはとっておきの方法もあるんですよ。それは、ボクよりも年下でボクよりも「はげ散らかしているヤツ」の頭を思い浮かべることです。決して口には出しませんけどね。少しばかりの優越感が、ボクに生きる希望を与えてくれます。笑。あぁ…ボクって人間が小さいなぁ…。