前回までのブログ記事「シリーズ『米1万俵』」で、山田権左衛門の業績やわが家とのつながりについて書いてきました。今回は、「上山廻米」とともに権左衛門の大きな業績の1つであった「藩校・明新館支館への援助」について書きたいと思います。
藩校というのは、江戸時代に諸藩が藩士の子弟を教育するために設立した学校のことです。新潟県内だと長岡藩の崇徳館(長岡崇徳大学に名前が残る)、与板藩の正徳館(県立正徳館高校に名前が残る)、三根山藩の入徳館などがありますね。
山形の上山藩にも明新館(山形には県立上山明新館高校という名で残っています)という藩校があり、「分領地を治めるためには、文武両道を本とせねばならぬ」との考えから、当時上山藩の藩校であった明新館の支館が、越後分領地の陣屋のある七日市村(三島地域)に建設されました。しかも、この建設は長岡藩の崇徳館よりも早かったようです。
この明新館支館には、藩士の子弟はもとより、領内の庶民の子弟でも入学を志願するものには許可し、郷土の子弟を教育するのを主眼としていたそうです。領民も平素は農業に従事していても、事あるときには武器をとって領地を守らなければならぬという気持ちで文武の錬磨を盛んに行ったとされています。この明新館支館に多大な支援をしたのが、前回の記事に登場したわが家のルーツ「山田権左衛門」だったわけです。
この明新館支館は、明治の時代に学制頒布により七日市佼となり、更には日吉小学校(三島町立日吉小学校→今の長岡市立日吉小学校)へと続いて現在に至っています。
この明新館支館の跡地に記念碑が建てられていると聞いて、先日現地に行ってきました。
はい、こんな感じです。この脇にはこんな看板もありました。
今現在も日吉小学校では、地域学習の一環としてこの明新館を取り上げ、子どもたちに歴史を伝えているのですね。素晴らしい!興味のある方が、QRコードから長岡市のポータルサイトへどうぞ。
そして、この明新館の歴史を受け継いだ日吉小学校で学び育った新潟県輩出の偉人の一人が、このブログでも以前に取り上げたことのある、この人なのです。
現代医学では欠かせない「パルスオキシメーター」の発明者である、青柳卓雄氏(1936~2020)です。いやぁ~「米一万俵」が「パルスオキシメーター」につながりました。すごいなぁ~。
はい。これで5回シリーズの「米一万俵」は終了です。マイナーな長岡ネタにお付き合いいただき、ありがとうございました。一応、シリーズの記事を整理しておきますね。よろしかったら、記憶の片隅にお留めください。
シリーズ「米一万俵」①:米百俵じゃないの? - タケ・タケ・エヴリバディ!
シリーズ「米一万俵」②:三島地域は何藩? - タケ・タケ・エヴリバディ!
シリーズ「米一万俵」③:山田権左衛門 - タケ・タケ・エヴリバディ!
シリーズ「米一万俵」④:大旦那様と八百政家のルーツ - タケ・タケ・エヴリバディ!
シリーズ「米一万俵」⑤:明新館とパルスオキシメーター-タケ・タケ・エヴリバディ!
歴史研究家の方たちの古文書の整理作業ってすごいですよね。わが家の土蔵が平成16年の中越地震で壊れた時に、軽トラ1台分の古文書(というか土蔵の中のわけわからないもの)を長岡市の文書資料室に持ち込んだのですが、2年後に立派な目録が届きました。
解読を始めたのが平成17年(2005年)で、昨年(令和4年 2022年)、ついに完結したんですけど、先祖が何年に結婚して、何年に死んだとか、離縁したとか、死んだ病名(盲腸炎で死亡とか)まで書いてあって、超マニアックと言うか、「どうやって調べたんだろ?」って感じなんですよね~。
凄い情熱と言うかありがたいことですね。今度ちゃんとした御礼文を書きたいと思っております。
「シリーズ『米1万俵』」ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。