長岡市民なら誰でも知っている「米百俵」の教え。今さら言うまでもないことかもしれないですが、「米百俵」は幕末から明治初期にかけて活躍した長岡藩の藩士・小林虎三郎による教育にまつわる故事で、後に山本有三による戯曲で有名になりました。この逸話は、「現在の辛抱が将来利益となること」を象徴する物語として、広く世間に伝わっています。
「米百俵」の故事の概要は以下の通りです。
北越戊辰戦争で敗れた長岡藩は財政が窮乏し、藩士たちはその日の食にも苦慮する状態であった。このため窮状を見かねた長岡藩の支藩・三根山藩から百俵の米が贈られることとなった。藩士たちは、これで生活が少しでも楽になると喜んだが、藩の大参事・小林虎三郎は、贈られた米を藩士に分け与えず、売却して学校設立の費用とすることを決定する。藩士たちはこの通達に驚き反発して虎三郎のもとへと押しかけ抗議するが、それに対し虎三郎は、「百俵の米も、食えばたちまちなくなるが、教育にあてれば明日の一万、百万俵となる」と説いた。
これがボクら長岡市民の心の拠り所とも言える「米百俵の教え」です。上の画像は、この米百俵の戯曲の場面を銅像にしたもので、長岡市のハイブ長岡に建立されています。
ところが、今日のブログの表題は「米一万俵」です。「百俵」の百倍である「1万俵の米」を食糧難の地域に送り、多くの人たちの命を救った長岡人の話です。予定ではこの「米1万俵」について、5回シリーズでお届けする予定です。お付き合いいただければ幸いです。