海軍軍楽隊は1879年(明治12年)からドイツ人フランツ・エッケルトを指導者して招き、バンド編成もドイツ式を採用した。
私の手持ちの資料では、この頃の海軍軍楽隊の細かい楽器編成や写真もないので、ドイツ式の内容は良くわかりません。軍楽隊の指導者がしばらくの間ドイツ人だったのでドイツ式を採用したのかも知れません。海軍自体は当時ヨーロツパで海軍が強かったイギリスを手本にしていました。
大正末期の時代には、イギリス式楽器編成を採用しているようです。(手持ちの大正14年の写真では、パレードの先頭はトロンボーンです。コルネットを使用し、トランペット、フリューゲルホルンは使用していません。)
陸軍軍楽隊では1945年(昭和20年)敗戦までフランス式編成で、パレードの先頭はドラムです。
海軍軍楽隊は敗戦までイギリス式編成を採用していたようです。
パレードの写真は昭和12年5月海軍軍楽隊がドイツ、ベルリンのウンター・デン・リンデン通りを行進している様子です。写真左手にブランデンブルク門が見えます。
たくさんの人達から歓迎されている熱気が、伝わって来る様な写真だと思います。
私の手持ちの資料では、この頃の海軍軍楽隊の細かい楽器編成や写真もないので、ドイツ式の内容は良くわかりません。軍楽隊の指導者がしばらくの間ドイツ人だったのでドイツ式を採用したのかも知れません。海軍自体は当時ヨーロツパで海軍が強かったイギリスを手本にしていました。
大正末期の時代には、イギリス式楽器編成を採用しているようです。(手持ちの大正14年の写真では、パレードの先頭はトロンボーンです。コルネットを使用し、トランペット、フリューゲルホルンは使用していません。)
陸軍軍楽隊では1945年(昭和20年)敗戦までフランス式編成で、パレードの先頭はドラムです。
海軍軍楽隊は敗戦までイギリス式編成を採用していたようです。
パレードの写真は昭和12年5月海軍軍楽隊がドイツ、ベルリンのウンター・デン・リンデン通りを行進している様子です。写真左手にブランデンブルク門が見えます。
たくさんの人達から歓迎されている熱気が、伝わって来る様な写真だと思います。