スイスのチューリヒで15日、安楽死の禁止および安楽死を求める外国人の受け入れ禁止の是非を問う住民投票が行われ、大多数が現状維持を選択し、両発議ともに否決された。
安楽死の禁止に賛成票を投じたのはわずか15.5%。外国人の安楽死受け入れを禁止すべきとした人も約22%にとどまった。
スイスでは1941年、医師以外で利害関係のない人の手による自殺ほう助を認めており、チューリヒでは毎年200人近くが自らの意思で命を絶っている。世界で最も進歩的とされるスイスの安楽死制度を利用するため、外国人の末期患者がスイスを訪れる「自殺ツーリズム」が多く行われている。
ただ、自殺ツーリズム参加者の増加や、末期患者以外で安楽死を求める人の数が増えていることが判明したことを受け、安楽死の是非を問う白熱した議論が行われていた。
スイス政府はこれまで、自殺ほう助について、適用対象を末期患者のみに限定し、かつ自殺ツーリズムを制限することを目指し、法律の改正を検討していることを明らかにしている。(ロイター)
死生観はそのまま宗教観に繋がりますから、わたしたちが安楽死受け入れを認めるということはなんとなく諦めるといった感覚があるのではないでしょうか。
わたしたちが「如何に生きるか」を考えることは「如何に死ぬか」を考えることでもありますから、「死に方」を考え、「安楽死」を選ぶのも有りであると個人的には考えます。ただそれが「自殺」に繋がるのは遺憾であります。これまた日本ではどうにも「安楽死」=「自殺」という風潮があるように思えます。「安楽死は自殺ではないか」と考えるのは穿った考えではないかとわたしは思うのです。自殺、意味も無く死を選ぶのはちょっと違うのではないか。己を殺すことを考えに考えた末の結論なのかと。
「何故殺してはいけないか」という問いに養老猛氏は「人間は複雑精巧に出来て、戻せないから」という答えを出しています。
わたしもシンプルに「周りに迷惑をかけるから」と考えています。
安楽死の禁止に賛成票を投じたのはわずか15.5%。外国人の安楽死受け入れを禁止すべきとした人も約22%にとどまった。
スイスでは1941年、医師以外で利害関係のない人の手による自殺ほう助を認めており、チューリヒでは毎年200人近くが自らの意思で命を絶っている。世界で最も進歩的とされるスイスの安楽死制度を利用するため、外国人の末期患者がスイスを訪れる「自殺ツーリズム」が多く行われている。
ただ、自殺ツーリズム参加者の増加や、末期患者以外で安楽死を求める人の数が増えていることが判明したことを受け、安楽死の是非を問う白熱した議論が行われていた。
スイス政府はこれまで、自殺ほう助について、適用対象を末期患者のみに限定し、かつ自殺ツーリズムを制限することを目指し、法律の改正を検討していることを明らかにしている。(ロイター)
死生観はそのまま宗教観に繋がりますから、わたしたちが安楽死受け入れを認めるということはなんとなく諦めるといった感覚があるのではないでしょうか。
わたしたちが「如何に生きるか」を考えることは「如何に死ぬか」を考えることでもありますから、「死に方」を考え、「安楽死」を選ぶのも有りであると個人的には考えます。ただそれが「自殺」に繋がるのは遺憾であります。これまた日本ではどうにも「安楽死」=「自殺」という風潮があるように思えます。「安楽死は自殺ではないか」と考えるのは穿った考えではないかとわたしは思うのです。自殺、意味も無く死を選ぶのはちょっと違うのではないか。己を殺すことを考えに考えた末の結論なのかと。
「何故殺してはいけないか」という問いに養老猛氏は「人間は複雑精巧に出来て、戻せないから」という答えを出しています。
わたしもシンプルに「周りに迷惑をかけるから」と考えています。
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