演劇知

劇的考察譚

ニュースから~集英社の全雑誌がワンピース色に、コミックス発行部数2億冊突破記念で。~

2010-12-20 08:57:03 | Weblog
その名を見ない日はないほど関連商品やイベント、キャンペーンなどの話題に沸き、快進撃が止まらないマンガ「ワンピース」。そんな同作のコミックス発行部数2億冊突破を記念して、集英社が発行する全雑誌の表紙に同作主人公のルフィが登場することになった。現在発売中の「週刊少年ジャンプ」で告知されている。
この企画は集英社が発行するコミック誌、文芸誌、女性誌、情報誌など、多岐にわたるジャンルを問わずに、表紙をルフィがジャックするという壮大なプロジェクト。例えば同じコミック誌では、「ワンピース」の連載誌ではない「週刊ヤングジャンプ」や「別冊マーガレット」「スーパージャンプ」などにもルフィが顔を出すという異例の企画だ。(ナリナリドットコム)





このニュースと共にめざましテレビで「ジャンプフェスタに女子が集まる」というコーナーがありました。10代~20代前半の女性が限定商品を求めて集まるという現象がジャンプフェスタで起こっているようです。法的な分け目はありますが、大人と子どもの精神的境目などないと思っているもので、20代が集まるのもアリでないないかと思います。

丁度そのコーナーの後に「上海の小学校の学力の高さ」のコーナーもありまして、そこでは小学校低学年の子が中学3年レベルの英語をやっていると。朝7時に登校し40分授業を8時間行い、休憩時間には愛国心を養い、またツボで目を癒す。

インタビューに答えたジャンプフェスタの20代女性より小学校低学年の子の方がより発言がしっかりしていました。発言の内容もそうですが、喋り方もです。





そして、次の特ダネでは日本のガンダムが中国で盗作されそっくりのオブジェが立っているというトークがありました。




知識の高さと文化レベルを考えさせられる番組構成でした。学力と文化、言うなれば有用と無用のいずれも高められればと思います。

最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
official language (noga)
2010-12-20 15:56:17
レミング、、、、、この小さなネズミの何百万という大群が、4年ごとに狂ったように、ノルウェーの崖や海岸から海にはいっておぼれ死ぬという話がリーダーズ・ダイジェスト社の <世界不思議物語> に書いてある。
私は、敗戦直前のわが国における一億総玉砕の話を聞くたびに、この小さなネズミの話を思い出す。
半ば本能にも近いこの種の日本人の行動を回避する手段はないものだろうかということである。

日本語の特質は、団結性 (solidarity)、信頼性 (trust)、仕事熱 (work enthusiasms)、および 忠誠心 (loyalties) を高めることである。
日本人は、日本語のおかげで国を技術立国となし、経済大国とした。細工物の工夫と序列協力による民の力が大きくものを言ったのである。

だが、日本語にはリーズン (理性・理由・適当) 概念がないので、リーズナブルな (理性ある・理由となる・適当な) 答が出せない。
リーズナブルな現実対応に行き着くこともなく、一億総玉砕の危険性もある。
アンリーズナブル (理不尽) な結論の下に、団結性、信頼性、仕事熱、および 忠誠心を強く求めれば、国民は「聞け、わだつみの声」の状態になる。

つまり、<きけわだつみのこえ> の中で、渡辺一夫は「不合理を合理として認め、いやなことをすきなことと思ひ、不自然を自然と考えねばならぬやうに強ひられ、、、、、」と書いている。
どうしてこのような倒錯が起こるかといえば、「不合理、いや、不自然」が「今ある姿」であるのに対して「合理、すき、自然」は「あるべき姿」の内容である。
日本語脳では、「今ある姿」と「あるべき姿」並置は不可能であるから、「今ある姿」が切実な要求となれば、「あるべき姿」は脳裏から消えてなくなる。それで、この国の万事が気違い沙汰となる。律儀な日本人のだらしなさである。

カレル・ヴァン・ウォルフレン (Karel van Wolferen) は、<日本/権力構造の謎> (The Enigma of Japanese Power) の<”ジャパン・プロブレム”>の中で下記の段落のように述べています。

、、、、、日本の社会でいう “現実” (リアリティ) とは、客観的に観察した結果としての実際の事実というより、心情的なイメージに合わせて構築された、そうあるべき “リアリィティ” だからである。そしていうまでもなく、望ましいと想定されるイメージは、そのときその人の属するグループの利益と一致することが多い。 、、、、、 
西洋では、現実はそうやすやすと管理されたり、意のままに作り変えられたり、相談で決められたりするものとは、考えられていない。つまり、こうあるべきだという任意の考えによって左右されるものとは考えられていない。事実、西洋の哲学または西洋の常識の基礎は、人間にはつきものの自己欺瞞をおさえるには、妄想や幻想を入り込ませないようつねづねよく注意することだと教えている。ギリシャ文明以来、西洋の知の発達の歴史を貫いてつねに強調されてきた戒めが一つあるとすれば、それは、「矛盾を育むなかれ」ということである。この戒めは、論理、数学、科学の根本法則である。(引用終り)

もしもこの先、我々に理性が獲得できず、理性判断が不可能な状態が続くのであれば、我々日本人は理不尽な答えに対して現状打開の方策もなく、ただただ耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び続けることになる。
逆に、英語を学んで日本語思考の拙さを補えば、日本人は鬼に金棒の民族となる。
英語の普及を図るために、英語をわが国の第二公用語とすることが望ましい。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812

返信する

コメントを投稿