中将棋どころか、現代の通常の将棋にも詳しくありませんが、出てきた駒「酔象」というのがその中将棋に使われる駒で、今までの最古のものより250年遡る古さなんですって。つまり中将棋というものがもっともっと昔っから指されていた、ということ・・・
酔っぱらった象さんの動き方って、どんなんなのでしょうね 重たそうにヨロヨロってしてるのか・・・?
将棋の駒 最古の「酔象」発見 奈良・興福寺旧境内(産経新聞) - goo ニュース2013年10月25日(金)08:11
将棋の駒 最古の「酔象」発見 奈良・興福寺旧境内
(産経新聞)
奈良市の興福寺旧境内で、11世紀末(平安時代)の将棋の駒「酔象(すいぞう)」など4点が見つかり、奈良県立橿原考古学研究所が24日、発表した。現在主流の将棋では使われない酔象の駒としては最古。過去の出土例を、約250年さかのぼる。同研究所は、「僧侶や寺の関係者が指していたのだろう。平安将棋を研究する重要な資料」としている。
酔象の駒は長さ2・5センチ、幅1・5センチ。表に「酔象」と墨書きされていた。ほか2点は表に「桂馬」「歩兵」と書かれ、残り1点は文字が確認できず種類は不明という。
平安期の井戸跡から「酔象」の駒 奈良・興福寺の旧境内朝日新聞2013年10月25日(金)07:45
【塚本和人】奈良・興福寺の旧境内にあたる奈良市登大路(のぼりおおじ)町の平安時代の井戸跡で、通常の将棋と異なる形の「中(ちゅう)将棋」などで使われる「酔象(すいぞう)」の木製駒が見つかった。奈良県立橿原考古学研究所が24日発表した。酔象駒の過去の出土例を数百年さかのぼり、国内最古という。
駒は縦25ミリ、横15ミリ、厚さ2ミリの五角形で、裏面に文字は確認できなかった。合わせて桂馬1、歩兵1、文字の確認できないもの1の3点も出た。井戸跡は興福寺の子院・観禅院があった場所で、「承徳二年」(1098年)の年号を記した木簡も見つかった。
中将棋では、酔象は真後ろ以外に一つ動け、敵陣に入ると玉将と同じ働きの「太子」に成り、玉将が取られても勝負を継続できる。過去に酔象の駒は京都市南区の14世紀中ごろの集落遺跡、上久世城之内(かみくぜしろのうち)遺跡で見つかっている。
今回の調査地の西約200メートルの旧境内跡では1993年、1058年前後のものとみられる国内最古の駒15点が出土。酔象を指すと見られる「酔像」と墨書された木簡が一緒に見つかっていた。
国内最古の「酔象」出土=平安の将棋駒、興福寺旧境内―奈良時事通信2013年10月24日(木)18:04
奈良県立橿原考古学研究所は24日、奈良市の興福寺旧境内の発掘調査で、平安時代の井戸から将棋駒「酔象」が出土したと発表した。平安時代の将棋駒で酔象の確認は初めて。1098年を示す「承徳二年」と書かれた木簡などとともに出土しており、京都市の遺跡(14世紀中ごろ)で見つかった酔象の駒よりも古く、国内最古という。
酔象は真後ろ以外の方向に一マスずつ動くことができる駒で、「本将棋」より駒数の多い「大将棋」や「中将棋」で使われる。
今回見つかった酔象は木製で、長さ約25ミリ、幅約15ミリ、厚さ約2ミリ。裏面に墨書は確認できなかった。同じ井戸から、裏に「金」と書かれた「桂馬」と「歩兵」、表裏とも文字が見えない駒も見つかった。
今回の調査区域近くで1993年に平安時代の「玉将」などの将棋駒と「酔像」の文字が読み取れる木簡が出土し、平安時代にも酔象が存在した可能性が指摘されていた。
ところで今日は台風の影響で女子校はお休み・・・ちょうど登校時間帯に台風がひどくなるから、ということ。メールと連絡網とHPで御知らせが。
共学と男子校はフツーにあります。男子校は一斉メールがきた。
共学は保護者会なんかもあるからな・・・・あ、つまり私もお出かけしてこなくてはなりません。くくくく・・・・・
酔っぱらった象さんの動き方って、どんなんなのでしょうね 重たそうにヨロヨロってしてるのか・・・?
将棋の駒 最古の「酔象」発見 奈良・興福寺旧境内(産経新聞) - goo ニュース2013年10月25日(金)08:11
将棋の駒 最古の「酔象」発見 奈良・興福寺旧境内
(産経新聞)
奈良市の興福寺旧境内で、11世紀末(平安時代)の将棋の駒「酔象(すいぞう)」など4点が見つかり、奈良県立橿原考古学研究所が24日、発表した。現在主流の将棋では使われない酔象の駒としては最古。過去の出土例を、約250年さかのぼる。同研究所は、「僧侶や寺の関係者が指していたのだろう。平安将棋を研究する重要な資料」としている。
酔象の駒は長さ2・5センチ、幅1・5センチ。表に「酔象」と墨書きされていた。ほか2点は表に「桂馬」「歩兵」と書かれ、残り1点は文字が確認できず種類は不明という。
平安期の井戸跡から「酔象」の駒 奈良・興福寺の旧境内朝日新聞2013年10月25日(金)07:45
【塚本和人】奈良・興福寺の旧境内にあたる奈良市登大路(のぼりおおじ)町の平安時代の井戸跡で、通常の将棋と異なる形の「中(ちゅう)将棋」などで使われる「酔象(すいぞう)」の木製駒が見つかった。奈良県立橿原考古学研究所が24日発表した。酔象駒の過去の出土例を数百年さかのぼり、国内最古という。
駒は縦25ミリ、横15ミリ、厚さ2ミリの五角形で、裏面に文字は確認できなかった。合わせて桂馬1、歩兵1、文字の確認できないもの1の3点も出た。井戸跡は興福寺の子院・観禅院があった場所で、「承徳二年」(1098年)の年号を記した木簡も見つかった。
中将棋では、酔象は真後ろ以外に一つ動け、敵陣に入ると玉将と同じ働きの「太子」に成り、玉将が取られても勝負を継続できる。過去に酔象の駒は京都市南区の14世紀中ごろの集落遺跡、上久世城之内(かみくぜしろのうち)遺跡で見つかっている。
今回の調査地の西約200メートルの旧境内跡では1993年、1058年前後のものとみられる国内最古の駒15点が出土。酔象を指すと見られる「酔像」と墨書された木簡が一緒に見つかっていた。
国内最古の「酔象」出土=平安の将棋駒、興福寺旧境内―奈良時事通信2013年10月24日(木)18:04
奈良県立橿原考古学研究所は24日、奈良市の興福寺旧境内の発掘調査で、平安時代の井戸から将棋駒「酔象」が出土したと発表した。平安時代の将棋駒で酔象の確認は初めて。1098年を示す「承徳二年」と書かれた木簡などとともに出土しており、京都市の遺跡(14世紀中ごろ)で見つかった酔象の駒よりも古く、国内最古という。
酔象は真後ろ以外の方向に一マスずつ動くことができる駒で、「本将棋」より駒数の多い「大将棋」や「中将棋」で使われる。
今回見つかった酔象は木製で、長さ約25ミリ、幅約15ミリ、厚さ約2ミリ。裏面に墨書は確認できなかった。同じ井戸から、裏に「金」と書かれた「桂馬」と「歩兵」、表裏とも文字が見えない駒も見つかった。
今回の調査区域近くで1993年に平安時代の「玉将」などの将棋駒と「酔像」の文字が読み取れる木簡が出土し、平安時代にも酔象が存在した可能性が指摘されていた。
ところで今日は台風の影響で女子校はお休み・・・ちょうど登校時間帯に台風がひどくなるから、ということ。メールと連絡網とHPで御知らせが。
共学と男子校はフツーにあります。男子校は一斉メールがきた。
共学は保護者会なんかもあるからな・・・・あ、つまり私もお出かけしてこなくてはなりません。くくくく・・・・・